何を成し遂げたかよりも、どんな夢を見たかの方が、 私にとっては重要だったのかもしれない。「失われた私」を探して(40)
千葉県茂原市に移り住み、ブランドへの関心も薄れた私。でも幻想を追いかけていた頃の私は、確かに幸福だった。いろいろやらかしてきたけれど、これこそが私らしい人生だったんだと思いたい。

公開日:2025/12/20 02:00
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「失われた私」を探してなりたい自分になれないのなら、
なりたい自分のコスプレすればいいじゃない?
千葉県茂原市の片隅に住んで、月に何回か仕事で東京に出て来る、という生活パターンが定着してきた。
茂原市自体はさほど田舎ではないのだけれど、私の住んでるあたりは見渡す限り田んぼと雑木林しかない田園地帯。
老人と犬しか見かけない場所に住んでると、服なんかどうでもよくなるし、すっぴんで頭ぼさぼさでも恥ずかしくない。
かつて借金までして買い込んだシャネルやグッチは何だったんだろう?と、遠い目になる私なのであります。
先日は、仕事で会ったマツコ・デラックスに、「あんた、すっかり茂原のおばちゃんファッションになっちゃったわねぇ」と言われた。
この時、私は一応シャネルのセーターを着ていたので、「あんたね、このセーター、シャネルなんだけど?」と言い返したら、「へぇ、あんたが着てるとシャネルに見えないわ」と鼻で嗤われた。
昔はノーブランドの服を着てても「うわぁ、それ、シャネルですかー?」なんて訊かれた私だが、今では本物のシャネル着てるのに「シャネルに見えない」なんて言われる始末。
結局、着てる服がシャネルだろうとファッションセンターしまむらであろうと他人の目にはその違いなどわかるはずもなく(ただのセーターだしな)、単に「いつもシャネル着てる中村うさぎ」から「茂原の田舎者になった中村うさぎ」へとイメージが移行しただけで、着ている服の価値も暴落するらしい。
ま、そんなもんだよな。
ブランドなんて、所詮、幻想だもの。
でも、その幻想を追いかけてた頃の私は、今よりずっと楽しかったのよ。
あの頃の私には「幻想」が必要だった。
モラハラ夫から散々「無価値な女」扱いされて、自分が何者かもわからなくなった果てに、「このままじゃ、私、死んじゃう!」と一念発起して離婚した直後よ。
ボロボロになった自尊心のカケラを拾い集めて、懸命に自分を立て直そうとした。
そんな時に書いたラノベがどういうわけか売れちゃって大金が入ったけど、お金は砕けた自尊心を修復してはくれなかった。
だって、預金通帳に記されたお金は、単なる数字だもの。
お金は、遣ってこそ価値があるものでしょ?
私はね、何か形が欲しかったのよ。
失われた「私」を買い戻したかった。
ううん、違う。
以前の私なんか要らないわ。
他人の顔色を窺ってビクビクしてるような、あんな情けない女はもう脱ぎ捨てて、新しい「私」が欲しかったの。
ひとりで生きていける強い女、胸を張って自分を誇れる女になりたかった。
そういう意味では、ブランド物って、手っ取り早い自己実現よ。
身につけただけで、自分が大物になった気がしちゃうんだもの。
そう、シャネルやグッチは、新しい「私」に必要なコスプレ衣装だったわけ。
もちろん、あくまでコスプレだけど。
中身の私は何にも変わっちゃいなかったからね。
現実の自分が嫌いだから、コスプレしてでも別の女になりたかった。
それが幻想でも構わない。
ていうか、幻想じゃないものなんて、この世にあるの?
みんな、「ありのままの私」で生きていけるの?
「ありのままの私」は自分の奥にしまい込んで、何者かになったふりして生きてるんじゃないの?
私の場合はたまたまブランド物だったけど、「ブランド物なんてバカみたい」と蔑んでナチュラル志向で生きてる人も、なんかよくわからないけど「意識高い系」ぽいこと言ってる人も、ひと皮剥けば自分に自信がなくて、自分が間違ったこと言ったりしてないかヒヤヒヤしながら、獰猛な他者から身を守ることに必死なんじゃない?
みんな、コスプレなのよ。
だって「本当の自分」なんて、本人にもわかってないんだもの。
でも、それでいいと思うんだ。
そうやって何かにコスプレしてる時って、まがりなりにも「胸を張って生きてる私!」って気分になれて快感だもの。
まぁ、だからこそ、やめ時がわからなくなって、コスプレが暴走しちゃうんだけどね。
それが「依存症」よ。
どうせすべてが幻想ならば、
自分をうまく騙せたもん勝ちかもしれないね。
茂原に引っ越してから、私は何者でもなくなった。
柴犬連れて歩いてるお婆さんも、隣の畑で農作業してるおっさんも、誰も私を知らないし、夫以外に会話する相手もいないから、コスプレの必要もない。
ものすごくラクで平和だけど、ドキドキもワクワクもない退屈な日々よ。
もう67歳だから、今さら刺激を求める気持ちにもなれないし、これでちょうどいいのかもしれない。
そう、「やめ時」ってのは、ちゃんと来るのよね。
もう何かに追い立てられるように「あれも欲しい、これも欲しい」と手当たり次第に何かを求めることもなくなって、ようやく人生に決着がついたわ。
シャネルで着飾って歌舞伎町のホストクラブでピンドン開けてた私のオチが、まさか田舎暮らしの老婆とは、当時は思いも寄らなかったけど。
でもね、予定調和のオチなんてつまらないから、これはこれで面白いと思ってる。
ただ、昔のヒリヒリしてた頃が懐かしくなる時もあるのよ。
私が大金を溶かして手に入れたものはすべて束の間の幻想だったし、今となっては何も残ってないけど、それでもあのギラギラした日々は私の人生の大切な一部。
この世でもっとも虚しい浪費だったとはいえ、この世でもっともワクワクしたのも事実だもの。
幻想を追い求めるのは楽しかった。
手に入れた途端にシャボン玉みたいに消えちゃってガッカリもしたし、叶わぬ夢に苦しんだり悲しんだりもしたけど、じゃあ夢も幻想もない現実的な人生が幸福だったかといえば、そんなことないと思う。
人生で何を成し遂げたかよりも、どんな夢を見たかの方が、私には重要だったのかもしれない。
身の程知らずの夢をいっぱい見たわ。
稼いだ金は全部、その時その時の夢に注ぎ込んだ。
私は夢を買い続けた女。
そんな人生があってもいいじゃない?
私みたいに生きろとは、とてもじゃないけど人にお勧めできない。
そんなふうに生きたら絶対に後悔するわよ!って人もいるでしょう。
ただ、どんな人生であれ、ちゃんとしかるべきオチがつく。
その時に振り返ってみれば、人生最大の愚行が大爆笑の思い出になってたりすることもあるのよ。
これは、ちょっとした魔法。
年を取ると、自分の人生を俯瞰し肯定できる能力が身につくから、どんな愚行も失敗も笑えるようになるの。
そう思ったら、生きるのも少しラクになって来ない?
ちょっとくらい失敗しても大丈夫って気分になれない?
ほら、子供の頃って、ほんの些細な失敗でも世界が終わっちゃいそうにビビったりしたものでしょ?
宿題忘れたとか、運動会でビリになったとか、大人になったら吹き出しちゃうほどの小さなことでいちいち慄いたり落ち込んだりしたわよね。
それだけ世界が狭かったのよ。
年を取れば取るほど、人間は図々しくなる。
だから、今は失敗が怖くて足が竦んでいても、10年も経ったらそんな失敗は笑い話。
そう思って、やりたいことは思いきってやっちゃえばいいの。
でね、もし何もかも失くして、にっちもさっちも行かなくなったら、茂原に逃げてくればいい。
田舎は都会とは違う世界線だから、また別の視点で自分を見れるようになるかも。
そう、行き詰まったら、視点をずらすのよ。
ちょっと角度を変えるだけで、騙し絵みたいに、今まで見えなかったものが見えることもあるからね。
せめて死ぬ間際には、自分の人生を肯定したい。
いろいろやらかして来たけど、これこそが自分らしい人生だったんだと思いたい。
ああ、たぶんこれって、私がもっとも嫌ってきた「自己欺瞞」なんでしょうね。
でもさ、自分を騙してもいいじゃない。
欺瞞も偽善も自己正当化も、すべてサバイバルの知恵にしてしまえばいいのよ。
だって、自分を恨みながら死ぬなんて、誰にもして欲しくないんだもの。
もしかしたら人生の幸福度って、どれだけ自分を騙せるかにかかってるんじゃないのかなぁ。
近頃、本気でそう思うんだ。
どうせすべてが幻想ならば、自分をうまく騙してしまえ。
そうやって、どうか図太く逞しく、この世界を生き抜いてください。
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