私たちは、自分らしくしか生きられない。 依存症も私らしさの一形態だったと今は思う。「失われた私」を探して(25)
虚言癖のある編集者を意地悪く観察していて、自分と似ていると気づいた私。刺激を求め続ける生き方は、自分らしくしか生きられない人間の当たり前の姿なのではないかと思い至ります。

公開日:2025/05/05 05:30
連載名
「失われた私」を探して虚言癖の人を観察してたら、
自分と似てて苦笑いした話。
私は「虚言癖」の人にものすごく興味がある。
学生の頃も社会人になってからも、そんなタイプの人に会ったことがなかったからだ。
そりゃ人間だから嘘くらいはつくだろうけど、それは浮気をごまかすためだったり学校をサボるためだったり、まぁ、是非はともかくも動機が納得できる嘘だ。
ところが、いわゆる「虚言」というのは、それとは一線を画する。
べつにつかなくてもいい(←あくまで私の価値観で、だが)ような嘘を、まるで息をするように日常的にするするとつく。
そんな嘘をつく人がいるとは想定してなかったので、当初はいちいち真に受けていた。
で、それが嘘だと知った時の驚きときたら、顎がガックーンと膝まで落ちそうな勢いでしたよ。
ええーっ!? 何故、何のために、そんな根も葉もない嘘つくの!?
バレたらめちゃくちゃ恥ずかしいし、誰からも信用されなくなっちゃうじゃん!
私が「虚言癖」に興味を持ったのは、40代の頃に出会ったひとりの女性編集者がきっかけである。
彼女はまさに「あることないこと」をペラペラと立て板に水で喋るので、しまいには何が本当で何が嘘なのか、本人にもわかってないんじゃないかと思えるほどだった。
私は彼女のパーソナリティに興味を持ち、黙って嘘を聞き流しながら、彼女を観察するようになった。
意地の悪い趣味である。
だが、私は性悪なので、このような若干の悪意を伴った人間観察が大好きなのだ。
観察を始めてまず気づいたのは、嘘をついている時の彼女の異様なテンションだ。
彼女は酒を飲まなかったが、嘘をついている最中の彼女は、酔っ払いそのものだった。
まるで自分の嘘で酩酊しているかのようにテンション上がりまくりで、そうなったらもう誰にも止められない。
観客である我々は、幻のステージ上でペラペラと身振り手振りも大仰に熱弁を振るう彼女を、ただただ見ているだけである。
神が降りて来た巫女のごとく恍惚とした表情で、ありもしない自分物語を蕩々と語り続ける彼女を見ているうちに、ある日突然、「あ!」と思った。
これ、シャネルの受注会で爆買いしてる時の私みたい!
このテンション、この酩酊、我を忘れて暴走する快感にどっぷり浸かって周りが何も見えてない呆れた盲目状態。
買い物をしている自分を客観的に観察したことはないが、たぶん、こんな感じだったに違いない。
破産の危機に脅えつつ買い物をしまくっていた私と同様、彼女だって、嘘がバレた途端に社会的信用も人間関係も一気に崩壊するリスクは承知のはず。
それでも、いや、だからこそ、危険と背中合わせのスリルが興奮を呼び、次から次に嘘が溢れて来て止まらなくなっているんじゃないか?
ああ、そうだとしたら、彼女も私の同類なのだ!
「あんな意味不明の嘘ばかりついて、あれはもはや病気だな」などと半笑いで見ていたけど、確かに病気には違いないものの、私と同じ病気だったとは!
化け物を観察しているつもりだったが、自分も化け物だったという、なんだか落語みたいなオチがついてしまった。
いやはや、吐いた唾が全部、自分に戻って来るよ。
たまらんなぁ!
誰も自分から逃げ出せない。
依存症もまた、そんな自分の一部なのよ。
専門家ではないので断言する資格はないが、以来、私は「虚言」を一種の依存症だと見做している。
痴漢も窃盗癖も依存症だと言うし、恋愛やセックスや共依存などの人間関係依存を含めると、単に形が違うだけで、世の中のほとんどの人が何らかの依存症だという極論すら成り立ってしまいそうだ。
破滅的な恋愛を繰り返す人、危険なセックスほど燃える人、DVやアルコール依存者と家族との泥沼関係などは、私の周りにも日常的に存在する。
依存症は、特別な病ではなく、そもそも人間という生き物が根源的に抱える持病なのかもしれないのだ。
「好奇心遺伝子」というのがあるらしい。
昔、遺伝学の学者さんと対談した時、「興味のあるものを追い求めて危険を顧みないという点で、破滅と背中合わせの依存症は、この『好奇心遺伝子』と関係してるかもしれませんね」と言われた。
「好奇心遺伝子」は、人類の発展に大きな役割を果たしてきた。
マゼランやコロンブスといった探検家がいなかったら、世界地図は完成しなかったしアメリカ大陸も発見されなかっただろう。
当時の航海は命がけであったため、身の危険を顧みない大バカ野郎だけが、強い好奇心につられて冒険の旅に出たのだ。
そういう意味では、ある時期まで、人類にとって必要な遺伝子だったのだろう。
だが現代には、そんな命がけのスリルを満たすような使命がない。
そうなると、この遺伝子を持った人々はたちまち退屈して、その捌け口を買い物だのギャンブルだの泥沼恋愛だのといったリスキーな刺激に求めるのかもしれない。
ああ、私のような人間は、大航海時代に生まれればよかったのかな。
でも、どんくさいから、あっという間に死んでたに違いない。
今となっては過去の遺物となった無駄な好奇心遺伝子を持って生まれた人々は、もはや冒険など存在しない現代日本社会で、どのように生きていけばいいんだろうか?
思えば、シャネルだってホストクラブだって、初めての時は私にとって大きな冒険だったのだ。
だからこそ、あんなにワクワクしたんだろう。
危険な恋愛に飛び込む女たちも、きっと、その男が何か自分に新しい世界を見せてくれるような気がするからだ。
まぁ、たいていは、ろくな世界じゃないんだけどね。
でも、それが薄々わかっていても、刺激的な恋に飛び込みたくなっちゃうのよ。
だって、私たちは冒険家だから。
旅の季節が来ると渡り鳥がウズウズしちゃうように、平穏な毎日が続くと飛び立ちたくてたまらなくなってしまう。
もうね、こういう人はさ、とことんやるしかないと私は思うんだよ。
だって、自分からは逃げられないもの。
痴漢とかは困るけど、危険な恋くらいなら、いくらでも飛び込めばいい。
きっとすごく傷つくけど、それはあなたが求めた冒険の代償だから。
なんだかんだ言って、私たち、自分らしくしか生きられないのよ。
そして、自分らしく生きたら、失うものも必ずあるの。
何も失わないように生きるという選択肢もあるけど、冒険家のあなたには難しい。
何も失わない代わりに、きっと自分を失ってしまうから。
だからね、自分らしく生きるという贅沢と引き換えに、痛みも苦しみも、すべて引き受けようよ。
もちろん、人生に安定を求める人もいる。
うちの夫なんか、その典型よ。
そういう人は、波風立てずに穏やかに暮らしていけばいいわ。
それもまた、その人にとっては自分らしい生き方だからね。
要するに、どれだけ自分の人生に納得できるかってことだと思う。
自分らしさを手放さない生き方こそが、幸せってことなんじゃない?
だから、ワガママに生きていいんだ。
人を不幸にさえしなければ、自分のためにどんな生き方を選んでもいい。
だって、自分を幸せにするために、私たちは生きてるんでしょ?
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