教室に居場所がなく、市販薬ODの繰り返す(前編)ーーリストカットとODを知った高校時代
入退院を繰り返す26歳のマナミ。その直接的な理由は、市販薬の風邪薬をオーバードーズ(OD)したことによるものだった。高校時代から市販薬のODを続ける背景には、小学校からのいじめや、そのことを打ち明けられない家族関係にあった。

公開日:2025/09/18 08:00
「OD(オーバードーズ)を再開しました。市販薬を買ったことが親にバレて怒られ、『いつ買ってきたの?』と聞かれました。精神科のデイケアを途中で抜け出し、ドラッグストアで買ってきたんです。薬剤師からは『用法・用量を守ってくださいね。最近、間違った使い方をされる方がいるので』と言われました。母からは『他人に迷惑をかけるな』『ODの量をコントロールしろ』と言われ、救急車についても『自分で呼べ』と言われていました。ある意味で、ODは公認になったようです。また買ってこようと思います」
東日本に住むマナミ(仮名、26歳)は、8月に精神科を退院した。5月、夜中に自室で市販薬の風邪薬210錠を飲み、自殺をしようとしたが未遂に終わった。その後、酩酊状態で母親に発見され、救急車で運ばれ、2か月間入院していた。
「親にバレて自家用車で病院に連れて行かれました。210錠飲んだのは初めてでした。自殺しようとして、うまく行かなくて少し休んでいたんです。このとき、ネットの知り合いが母親と電話番号を交換していたため連絡が入り、病院に運ばれた後、点滴を受けているときに『(ODによって)心筋梗塞を起こしそうになっていた』と医者に言われました。もしかしたら死ねたかもしれないと思いました」
OD以外にもリストカット。いずれもSNSで手段を知る
今回、ODに使った市販薬をいつ頃から道具として使っていたのだろうか。
「2年前からです。そのときに海外に行っていたんですが、日本のドラッグストアチェーンがあってそこで買いました。それ以来、その薬でODしています。それまでは別の市販薬で咳止め薬や風邪薬をODしたことがありますが、こんなに飲んだことはありませんでした」
初めての市販薬のODは高校に入学してすぐだった。
「ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)で市販薬のODを知りました。ネットの知り合いがしていました。周りにはしている人はおらず、手段も知りませんでした。高校入学と同時にリストカットも始めましたが、その手段もSNSで知ったんです」
マナミがODやリストカットなどの自傷行為をする背景には何があったのか。
「小学校2年生のときに上級生からいじめを受けました。居場所がなかったんです。特定の理由があったわけではないと思います。いわゆるローテーションいじめのターゲットになったんです。その頃、学校ではどこかで必ずいじめがあり、私もターゲットにされ、その後もハブられました。思い当たる理由はありません。陰キャだった子たちをローテーションでいじめていて、私も陰キャだったため…...」
自傷以前は、学校で“鬼ごっこ”で解消
どうしようもない苛立ちがあったときはどうしていたのか。
「教室からいなくなっていました。授業中に抜け出したり、授業と授業の間の短い休憩時間に抜け出して授業をサボっていました。校内を彷徨っていました。先生に見つかると『教室に戻れ』と言われることもありましたし、『保健室にいなさい』と言う先生もいました。保健室に行くこともありましたが、行く回数は少なかったですね。だいたいは先生と“鬼ごっこ”をして、捕まらないようにしていました」
家に帰っても、いじめについて話していなかった。
「家族関係は悪かったです。いじめを受けているなんて家族には言っていません。母親に『今日、学校どうだった?』と聞かれても、『まあまあだった。何もなかったよ』と誤魔化していました。宿題が苦手で、兄に勉強を教えてもらっていましたが、答えがわからないと、殴られ、蹴られもしました。少なくとも週1回、6年生のときまで続いていました。泣いていました」
兄が妹を殴る状況を母親は知っていたのだろうか。
「母親は知っていても止めませんでした。『やりすぎないよう』『アザができたらまずいから、見えないところにやって』と注意する程度で、助けてはくれませんでした。中学になっても続きましたが、殴る回数は減り、それより暴言が増えました。怒ることに疲れたのかもしれませんね」
学校に行ってODをして、リストカットをして…
小学4年のころには「死にたい」と思うようになっていた。その頃、バスケットボール部に入っていたが、上級生からいじめを受けた。パスを回してもらえず、悪口も言われた。それでも、いじめについて親に言えず、部活を続けるしかなかった。その状況は中学に入ってからもソフトボール部で続いた。小学校時代のバスケ部の先輩がいたため、すぐにターゲットになった。
「他の人も陰口を言われていたようです。でも短期間のことなんですよね。ただ、自分がターゲットになるのは長く感じました…」

中学時代、イライラがたまるとどうしていたのか。
「小学校時代の担任が愚痴を聞いてくれて、それでイライラを解消していました。でも、高校ではそういう先生はいませんでしたね。」
高校では学校のトイレでリストカットした。
「家だとバレそうで…。ひどいときは毎回の授業後に、同じカッターで切っていました」
リストカットを覚えた数か月後、ODもするようになった。
「頻度は週1。血が滲む程度のレベルです。脂肪が見えるほどにはしません。高校1年の冬には、学校に行ってトイレでリストカットしていました。ひどいときには、授業が終わって休み時間のたびに切っていました。咳止め薬でODしていました。ODするとふわふわした感じがして、学校に行ってODをして、リストカットをして…...勉強になりませんでした」
(つづく)