Addiction Report (アディクションレポート)

どんと来い!借金まみれの人たち!弁護士事務所で債務整理の技術を身につけ大繁盛 ギャンマネ(37)

二人目の出産後、弁護士事務所に転職した私。債務整理の技術を身につけ、困った人を助けていたら、事務所は大繁盛してしまいます。

どんと来い!借金まみれの人たち!弁護士事務所で債務整理の技術を身につけ大繁盛 ギャンマネ(37)
子供が可愛くてたまらなかった私

公開日:2025/12/18 02:02

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連載名

ギャンマネ

二人目となる長男出産から6週間後に職場復帰した私ですが、子供を産み終えたとなったら、こんなブラック職場にパートでいる必要もありません。

なんとか出産後の体調と、夜中の3時間おきミルク攻撃と、年子の過酷育児に、夫と母と協力しながらこなせるようになってきたので、もうそろそろ本格的に再就職をしよう!と考えました。

子育ては楽しくてたまらなかった

この頃のことって、すごく忙しかったし、とにかく息子がめちゃくちゃミルクを飲んで、3時間どころか時には1~2時間で夜中起きるので、全く眠れず大変だったなぁとは思うんですが、でもなんか楽しかったなってことしか思い出せない。

「このまま大きくならなければいいのに」と、親となったことのある人は、一度は思ったのではないかと思いますが、とにかく赤ちゃん時代ってのは可愛いもんだと思いましたね。この私ですら、子供をかわいいと思う日が来るんだなと、しみじみしました。

今となっては、大変なことはすっかり忘れてしまったので、この年になると孫を愛でるとか、子育て終わると犬を飼うとか、よく聞くそんな気持ちもわかりますね。

特に私の場合、さっさと再就職したのが良い思い出に繋がっているのだと思います。ワンオペでずっと子供と向き合ってみたいなことをやっていたら、マジで辛かったかもしれません。

嫌になったらすぐ転職 落とされたってへっちゃら

さて、もう皆さんお気づきと思いますが私は本当に職を転々としています。嫌だと思ったらさっさと辞めるし、就活とか全然苦じゃないです。「落とされて心がめげる」なんてこともほぼないですね。落とされたこともありますが「私を採らないなんて、見る目のないバカな企業だわ」とは思いますが、たかだか数十分の面接で落とされたからって、「自分の価値がない」なんて悩んだことないです。そんなもんあんな面接でわかるわけない、自分の評価ですらないと思っています。

だから転職で悩んでいる仲間を見てると、「グジグジ言ってないで数打ちゃ当たるよ!」と思います。本当にそうですから。

会社なんていくら条件で選んだって、行ってみなきゃ自分に合うかどうかなんてわかんないもんですよ。給料高くたってブラックかもしれないし、給料は安いが、休みがとりやすく人間関係が良いかもしれないし、その時の自分が何を優先するかもあるじゃないですか。

私は若い頃は「休みが多く、給料多く、男が多い職場」と思っていましたが、出産後には、「自分に向いていて、稼げるところ」になりました。でもそれも行かなきゃわかんない。行かないうちにあれこれ悩んでいる時間を長々かけるのは本当にもったいないと思っています。

今度は弁護士事務所のパラリーガルに!

で、今回の転職は、とにかく東大の医者の世界が面白かったし、自分の心も、頭脳も豊かにしてくれたので、私はインテリが大好きになったんですね。頭のいい人って余裕があるから優しいし、金に余裕のある人は奢ってくれる。なので「次は面白そうだから、政治家か弁護士か芸能人の秘書になろう!」と思ったんですね。

それで弁護士事務所を受けたら、今の私と同じ年位の年配の先生が1人で事務員1人雇って細々とやっている事務所が速攻で採用してくれたんです。私で2人目の事務員です。これが運命のターニングポイントになりました。

なんせこの弁護士先生、信じられないことにパソコンが打てなかったんです。東大の先生方が、最先端でパソコンを操っていたのとは真逆で、なんとこの私が事務所でITに一番詳しい人だったんです。

そして私の仕事は、先生が手書きで書いた「訴状」とか「上申書」とか「証拠説明書」なんてものを、ただそのままPCで打って、印刷して書式を整え、保存しておけばいいだけ。あとは簡単な経理とかお使いとかそんな雑用だけだったんです。はぁ、楽ちんなんてもんじゃありません。暇でしょうがないくらいです。

債務整理の技術を身につけて

そのうち最初に居た女性は辞めていき、私と先生の二人になったんですが、半年くらい経ったころでしょうか、ちょうどその頃(2002年当時)サラ金の過払い請求というのが盛んになったんですね。

例のグレーゾーンと呼ばれる、利息制限法の上限15~20%を超え、出資法の上限29.2%の範囲内で設定していた「違法と違法ではない中間」の金利で、2010年の法改正で撤廃されるまで、弁護士事務所はこのグレーゾーン金利の返還訴訟で儲けに儲ける、まさにその祭りの前という時代だったんです。

先生が業界紙に入っていた研修のチラシを見て、「うちもこれやろうかなぁ。田中さん研修行ってみてよ」と言われたのです。私はとにかく毎日暇なので、「はい、わかりました」とばかりに、弁護士会館へと出かけて行きました。当時私のような弁護士事務員はパラリーガルと呼ばれはじめ、パラリーガル研修事業というのが盛んにおこなわれていたんです。この研修で私は借金整理の方法を基礎から学ぶことになり、それが皆様もご存じの通り、のちに大いに役立つことになりました。

翌日先生から「どうだった。分かった?」と聞かれ、本当は、あんまりよく分からなかったのですが、講師が「書式のフォーマットがあるので、そこに必要事項を書いて取り揃えて出せばいい」と言っていたので、まぁできるだろうと思って、「あっ、大体わかりました。できると思います」と答えてしまいました。先生は、「おお、そう。じゃあやろう」と言って、早速弁護士会のクレジット・サラ金相談に登録したんです。

当時は、弁護士の先生方もまだまだ黎明期なので、皆さんあんまりよくわかっていなかったらしく、勉強会も頻繁ですし、メーリングリストなんかもあって、やっていくうちにどんどん詳しくなっていったんですね。

なんといってもこのグレーゾーン金利の戦い方を開発し世に広めた、あの頃のヒーローと言えば宇都宮健児先生で、先生のご著書が出れば皆むさぼるように読み、その結果から導き出された事例をメーリングリストで検討していました。

そして私は、先生の原稿を毎日毎日丸写ししていたので、法的な書類の書き方のお作法が分かるようになっていたんです。正直、先生は最初にちょこっと面接するだけで、「あとは全部あたくしにお任せください」みたいな状況になったんですよね。あの時代に私は文章が書けるようになりました。

水を得た魚 人の世話を焼く債務整理が楽しくて仕方ない

で、この先生の決断が大いに当たったんです。

私が入った当時の事務所の売り上げは年間3000万円位だったんです。それでも事務所にしていたマンションも自己所有だし、私の給料も入った当時は18万円位で経費がほとんどかからないことから、やっては行けました。

私も、この仕事で給料とボーナスがもらえるなんて、ラッキーとは思っていましたが、ちょっと給料が安すぎるのと、暇すぎるのが難点でした。

ところが、この債務整理をやるようになってからは、どんどん仕事が入ってきて、めちゃくちゃ忙しくなっていったんです。

この私、なんせ人懐っこく、他人の人生のお節介を焼くのが生きがいみたいな人ですから、他人が借金まみれになり、にっちもさっちも行かなくなっていくその状況をお聞きして、ストーリをまとめ文章にするなんて、向いているなんてもんじゃない。今やっていることと大差ない気もしますが、他人の懐に入って、その人にとって一番良い手立てを考えてあげることが、楽しくって仕方がなかったんですよね。

私が聴き取りしていると、緊張していた人も色々話してくれるようになる。

しかもですよ、自己破産する人には、その後のことも提案までしてあげちゃうこともありました。「生活保護とれるか聞いてみましょうか」とか、役所にも相談電話をしてあげたりですね、「市営住宅はいれるところ見つけておきましたよ」なんてやっていたので依頼主さんには感謝されることが多かったです。

事務所の売上は3000万円から2億円に!

しかも度胸もあるから、闇金との戦いも平気。弁護士が介入すると、嫌がらせ電話が来たりしますが、「金払え」なんてすごまれると「払ってやるから取りに来いや。警察も呼んでおくけどな」なんてこっちもすごんだり、そのうち闇金に「お前みたいなのは、本当はマゾだろ」なんて言われたり、「うるせえブス!」「ブスかどうか見に来いよ」なんて言いあったりもしました。今の様に闇金がネットに晒したりしない、ある意味わかりやすい時代でした。

なので、信じられないことに、うちの事務所はめちゃくちゃ紹介が多かったんです。

いや自助グループの仲間同士ならわかりますけど、普通の人がですよ、債務整理や自己破産を口コミで友達に広めてくれるなんてあんまりないじゃないですか。誰だって自分の借金問題なんて隠したいですよね。

でも、うちの事務所は「友達に、田中さんに相談してみろと言われて」なんて自己破産の相談予約電話がかかってきたりしました。

相談者さんは、壮絶な生い立ちの方もいましたし、もちろんギャンブラーもいました。今思えば仲間ですね。過払い金をどっさり取ってあげたのに、それもまたすぐに使っちゃって、今度は闇金相談に来るなんて人もいました。

こうしてこの弁護士事務所の売り上げはみるみる上がって、なんと翌年の売り上げは2億円にまで跳ね上がり、先生は大喜びで給料とボーナスをUPしてくれて、私の年収は一気に650万円にまであがったのです。

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コメント

6時間前
ノブ

2002年、日韓ワールドカップの年、そのころ、リコさんは「サラ金対策」で大活躍だったんだ!

パワフルだなあ。

感嘆しかありません。

6時間前
匿名

りこさん!!😆

痛快すぎます!!😆

ドラマ化するしかないよ😆

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