Addiction Report (アディクションレポート)

私は「愛」が何なのか、わからなかった。 だから間違った愛し方をして、たくさん人を傷つけ、自分もたくさん傷ついた。「失われた私」を探して(33)

両親から愛を学べず、恋愛関係でも自己愛をぶつけ合うことしかできなかった私。意外な人から愛を与えられ、やっと愛とは何かに気づくことができた。

私は「愛」が何なのか、わからなかった。  だから間違った愛し方をして、たくさん人を傷つけ、自分もたくさん傷ついた。「失われた私」を探して(33)
撮影・黒羽政士

公開日:2025/09/05 04:30

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「失われた私」を探して

母は私を愛してくれたけど、

私はその「愛」にずっと疑問を抱いていた。

私は「愛」というものを、本当に知っているのか?

この問いを、若い頃から何度も何度も自問してきた。

私が「愛」だと思ってるものって、本当に「愛」なんだろうか?

どうも違うような気がするんだけど、「じゃあ、『愛』ってどんなものなんだ?」と訊かれると、これがまたよくわからない。

両親は、私を虐待することもなく、何不自由なく育ててくれた。

父は私のことをあまり好いていないように感じたが、とりあえず養育の義務は果たしてくれたし、母はひとり娘の私を溺愛して甘やかした。

なのに私は、彼らに感謝することもなく、彼らの期待に応えるような生き方も選ばなかった。

そんな自分を「恩知らず」で「親不孝」だなぁと心苦しく思うけど、だからといって生き方を変えるつもりはさらさらない。

私は親のために生きているのではなく、自分のために生きているからだ。

親が私をどう思おうと、まったく気にならない。

私と親とでは、物の感じ方も価値観もまったく違うので、我々が互いを理解し合える日は永遠に来ないだろう。

それはもう仕方のないことだし、わかって欲しいとも思わないのだ。

でも、これってつまり、我々親子の間には「愛」がない、ということなのか?

母が亡くなった後、心の底から「ごめんなさい」と思った。

母の「自慢の娘」になれなかったことではない。

そんなものになる気はとっくになかったので、その件については申し訳なく思わないけれども、彼女の愛情に対して一切感謝の念を持たなかったことに、とてつもない後悔と罪悪感が込み上げてきたのだ。

もっと優しくしてあげればよかった。

まだ正気を失う前の彼女に、せめてひと言、「ありがとう」を言うべきだった。

彼女はどんなにその言葉を欲していたことだろうか。

どうして私は、彼女の孤独や痛みに、あんなにも無頓着だったんだろう?

もしかして私には、「愛」という感情が欠落してるんじゃないか?

そう、母は確かに私を愛してくれた。

いつも私を気にかけ、私のためにできる限りのことをしてくれた。

ただ私は時々、その「愛」に奇妙な不純物が混じっているのを感じていた。

というのも、彼女には見栄っ張りなところがあって、その虚栄にしばしば私を巻き込んだからだ。

10歳くらいの頃だったろうか、伯母(母の姉)の家に泊まった時に「晩ご飯、何がいい? 一番好きな食べ物は?」と訊かれて「親子丼」と答えたら、後に母から「どうしてステーキとかスキヤキって言わないの!? 親子丼だなんて、まるでうちが貧しいご飯しか食べてないみたいじゃないの!」と叱られた。

子供心に、この叱責はおかしいじゃないかと思った。

だって、ステーキやスキヤキより、親子丼の方が好きなんだもん!

正直に答えて何が悪いの?

いつも「嘘をついてはいけない」と教えてるくせに、こう言う時には「嘘をつけ」って言うのか?

その矛盾と意味不明な虚栄心に抱いた強烈な違和感を、今でも鮮明に憶えている。

以来、私は、ひどく冷めた目で母を見るようになった。

世間体や見映えばかりを気にする彼女は、私が「自慢の娘」であることを常に要求しているように見えた。

私の学校の成績を気にかけるのも、親として当然という口ぶりだけど、要は周囲に自慢したいだけなんでしょ。

望んでもいない中高一貫教育のキリスト教系女子校に入れられたのも、彼女の憧れの「お嬢様教育」とやらを施すためで、私はまるで母の虚栄心を満たす道具にされてるみたい。

そんなふうに感じ始めると、母の注いでくれる愛が何だかひどく不純で鬱陶しく思えてきたのだ。

今思えば、彼女の虚栄心などかわいいものだ。

なんであんなに毛嫌いしたのか、自分でもよくわからない。

でも、10代の私には、それがひどく浅ましく見えたのだ。

この頃から私は心の底で母を軽蔑するようになり、母への思いやりや感謝の気持ちなど綺麗さっぱり失くしてしまった。

そして、母が「ああしろ、こうしろ」と指図するたびに、「これって愛なの? それとも、あなたの自己満足?」などと、いちいち考えるようになった。

自分の虚栄を満たすための愛なんて、本当の愛じゃない。

お母さんの愛はただのエゴじゃないか、と。

何度恋愛を繰り返しても「愛」は見つからなかった。

でも、意外な相手がそれを教えてくれたの。

やがて成長して恋愛をするようになると、「愛とは何か」という問題はますます私を混乱させた。

どうして、愛しているのに傷つけ合ってしまうのか?

どうして、「愛」は私を苦しめるのか?

人を愛するのは素晴らしいことだと教えられてきたのに、いざ恋愛が始まると、嫉妬や依存心や自己否定感やらといった黒い感情がどろどろと心の底から湧き出てきて、自分がどんどん醜くなっていく。

相手の男もまた、独占欲やら支配欲やらを剥き出しにしてきて、エゴの悪臭にまみれた怪物と化し、私を抑圧しにかかる。

「ああしろ、こうしろ」「あれをするな、これをするな」と要求ばかり並び立て、いつの間にか私は彼の「俺様を満たす道具」にされているのだ。

ねぇ、これ、なんか、おかしくない?

そう、彼らの「愛」は、いつも要求だらけだった。

俺のために、こういう女でいろ。

これができないから、おまえはダメなんだ。

恋人なら、俺を支え、俺を満たし、俺を喜ばせろ。

相手のために努力するのが「愛」だろう?と。

うーん、ほんとにそうなのか?

「愛」は、相手に努力や我慢を強いるものなのか?

しかしまぁ、向こうに言わせれば、私も要求ばかりしていたのだろうから、そこはお互い様だったろう。

私たちは未熟で身勝手で、自分のことしか考えてなかった。

そんな幼稚な「愛」が、長続きするはずもなかったのだ。

何度目かの恋愛に破れた後、私は「もういいや」という気分になった。

私が私である限り、彼らを満足させられない。

だって彼らはいつも私に、「私でないもの」を求めるんだもの。

彼らの要求に応えていたら、私は自分でいられない。

これが「愛」なら、私、もう「愛」なんか要らないや。

一時しのぎの娯楽としての「恋」だけあれば、それでいい。

そんなわけで、「愛」を諦めた私は仲良しのゲイと二度目の結婚をしてしまった次第であるが、ここで予想外の発見をする羽目になった。

なんと夫は、私に何も要求しない人間だったのである。

私を矯正しようともしないし、抑圧もしない。

自分の好みや価値観を押しつけることもない。

ある時、私が何かやらかして、夫に謝った時のことだった。

「ごめんね。私、こんなダメ人間で」

「いいのよ。あなたはそういう人だって知ってて結婚したんだから」

「いや、でも、もう無理ってなったら、離婚してくれていいからね」

「わたしはあなたに変わって欲しいとか思ってないの。これがあなたなんだから、そのままでいいのよ。欠点を直したら、あなたはあなたでなくなるでしょ? それは嫌なの。あなたはあなたのままでいいの」

こんなことを言われたのは、初めてだった。

親にも、歴代の恋人たちにも、「そのままでいいよ」なんて言われたことがなかった。

その後、私が病気になって歩けなくなっても、夫は文句ひとつ言わずに介護してくれた。

「ごめんね、迷惑かけて」と謝ると、「あなたは生きててくれるだけでいいの」と真顔で答える。

綺麗事かと思ったら、どうやら本気で言っているらしい。

え、何これ?

こんなに無条件で丸ごと許してもらったの、生まれて初めてなんだけど!

ああ、そうか。

今まで「愛」に対して抱いていた違和感の正体が、ようやくわかったよ。

私が「愛」だと思ってたものは、自己愛の投影に過ぎなかったんだ。

「私を愛して」という要求ばかりに目が眩み、相手を愛する余裕すらなかった。

相手にちゃんと向き合ったことなんか、たぶん一度もなかったんだよ。

愛は要求しない。

愛はあなたを否定しないし、矯正もしない。

努力も我慢も強いたりしない。

ただ、あるがままを受け容れてくれる。

「生きてるだけでいいんだよ」と言ってくれるのだ。

人は生まれながらに愛する能力を持っているわけではない。

「愛」は、人から学び取らなきゃいけないものなのである。

残念ながら私は、父からも母からも「愛」を学び取れなかった。

だから、恋人たちをうまく愛せなかった。

そして恋人たちもまた、「愛」を学び損ねた人たちだったのだろう。

己のエゴばかりが先走り、相手に要求し続ける。

相手が応えてくれないと、機嫌を損ねて相手をなじり、全否定する。

そんな不毛な自己愛を「愛」だと勘違いして、何十年も生きてしまった。

もし人をきちんと愛せる人間だったら、世界を見る目も変わったのだろうか?

依存症にもならずに生きていけたのだろうか?

普通の結婚をして、子供なんか産んじゃって、平穏な人生を歩めたんだろうか?

あ、でも、「そんなの、あなたじゃないわよ」と、夫に笑われそうだけどね。

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