Addiction Report (アディクションレポート)

67歳にして得た教訓は、「しぶとく生きろ!」 死ななくて良かったと思える日が来るんだよ、これがまた。 「失われた私」を探して(35)

「親ガチャ」という言葉を聞くと、不思議な気持ちになる私。親を選べなくても、自分が幸せになるためにできることはあるはず。人は生きている限り、何度も息を吹き返すことができるのだから。

67歳にして得た教訓は、「しぶとく生きろ!」  死ななくて良かったと思える日が来るんだよ、これがまた。 「失われた私」を探して(35)
撮影・黒羽政士

公開日:2025/10/20 02:00

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「失われた私」を探して

うまくいかない人生を親ガチャのせいにしない。

自力でちゃんと大人になる人を私は尊敬してる。

「親ガチャ」という言葉を聞くたびに、私は不思議な気持ちになる。

まるで「運がよければもっと良い親の元に生まれて来たのに」って言わんばかりだけど、両親の遺伝子を半分ずつ掛け合わせたのが今の君なわけだから、別の親の元に生まれてたらそもそも君は存在しないわけだし、君という人間はガチャでも何でもなく必然の存在なんだよ?

子供は親を選べないけど、親だって子供を選べない。

どんなに期待外れの子供でも、自分の遺伝子の産物なんだから、親は諦めなくちゃいけない。同様に子供の方だって、たとえ理想とかけ離れた親であろうと、論理的にその親しかあり得ないんだから、もう受け容れるしかないんだ。

人生って、いろいろ諦めなきゃいけないことの連続だ。

プロ野球選手やアーティストになりたくても無理だったり、どんなに好きでも片想いで終わったり、残酷な現実は私たちの夢をしばしば無惨に踏み潰してくれる。

親は、まずそのスタート地点だね。

親を選べないということは、自分を選べないということ。

限られた遺伝子と与えられた環境で何とかやりくりして、私たちは自分の人生を構築していくしかないんだよ。

とはいえ、何もかも諦めろと言うつもりはない。

限られた材料で工夫して、あっと驚く作品を作り上げることができるのも、人間という生き物だ。

親の遺伝子を受け継いでいても、親とはまったく違う人生を、私たちは歩めるんだよ。

だから、絶望なんかする必要はない。

ただ、うまくいかない人生を親のせいにしても仕方ない、と、私は言いたいの。

「親ガチャ」とか言って嘆く前に、自分をもっと励ましてやれよ、とね。

たとえ親が味方になってくれなくても、自分が自分の味方になってやらなきゃどうすんだ。

君が自分を見限ったら、そこで終わっちゃうじゃないか。

もちろん、遺伝子の問題以前に、どうしようもない親に育てられる人もいるだろう。

いわゆる「毒親」ってやつだ。

じつは私、この言葉もあんまり好きじゃないんだけど、確かに酷い虐待を受けて育つ場合もあるから、この世に「毒親」が存在することは否めない。

私の知り合いや友人にも、親から殺されそうになった人がいる。

もうトラウマ級に壮絶な子供時代だよね。

だけど彼らは果敢にもサバイバルした。

心に大きな傷を抱えつつも、壊れかけた自分を懸命に修復しながら、頑張って大人になった人たちだ。

私はね、大リーグで活躍するプロ野球選手や世界的に有名なアーティストよりも、その人たちの方をずっとずっと尊敬してる。

もし私が彼らの立場だったら、あんなにちゃんと自分を育てられなかったかもしれないもの。

不幸な子供時代を送った彼らが、自分を幸せにするために精一杯生きているのは、見ていて本当に勇気づけられるよ。

特別な何者かになんて、ならなくていいんだ。

ただ自分を幸せにしてあげられれば、人生はそれでいいんだと思う。

まぁ、たったそれだけのことが難しいから、私たちは何度も躓いたり転んだり、自分に絶望したりするんだけどね。

でも、親のせいにしても、前には進めない。

彼らは、そのことを私に教えてくれるんだよ。

過去は変えられないけど、未来は変えられる。

自分を幸せにするために、できることはまだあるんだ。

生きるのが困難なのは、君が悪いからじゃない。

どんなに頑張ったって、現実が次々に障壁となって立ち塞がる。

とんとん拍子に行ったとしても、必ずどこかで足元をすくわれる。

ずっと勝ち続けられるゲームがないように、挫折のない人生なんてないんだ。

誰かのせいにしてしまいたいけど、じつのところ、誰のせいでもなかったりするのよね。

だから、自分を責めたり他人を責めたりしても、あんまり意味がないんじゃないかな。

過去は変えようがないんだし、それより未来をどう作っていくかを考えた方が有意義でしょ?

だって、未来は変えられる。

10年ほど前に大病を患って身体が不自由になって、仕事もお金もなくなった頃、私は世間に見捨てられたと思ったわ。

「お先真っ暗」とはこのことで、明るい未来なんて思い描けるはずもなかった。

薬の副作用で頭もおかしくなってたから、まともな原稿も書けない。

いや、たとえ書けたとしても、そもそも仕事の依頼が来ないんじゃ、お金は入って来ないわよ。

今の仕事を諦めて他の職に就きたくても、足が不自由なうえに身体も弱ってるお婆さんに、働き口なんかあるわけない。

長時間立ってられないから、皿洗いもできないのよ?

ひとりで歩くことも電車に乗ることもできないから、在宅の仕事を探してみたけど、たいてい45歳まで。

要するに、年寄りなんかお呼びじゃないってことよ。

そのくせ、生きてる限り、生活費はどんどん出ていく。

もう完全に詰んだと思ったわね。

こんなんじゃ生きてない方がマシだと感じたし、実際、自殺も試みた。

だけど自殺すら失敗して、もはや何の手立てもなく、ベッドの中でグズグズと泣いてるばかりの毎日だったわ。

それでも何とか糊口を凌ごうと、トークイベントをやってみたりエッセイ塾をやってみたり、YouTubeを配信してみたりもしたけど、長くは続かなかった。

心も身体もすっかり萎えてしまって、何ひとつまともにできないの。

その状態が何年も何年も続いて、どんどん年を取って、気づいたら60代後半になってて、もう私の人生は終わったと思ってた。

そんな時に、この連載のオファーをいただいたの。

同じ頃、新潮社の雑誌「波」の連載のお仕事もいただいて、それからダイヤモンド社の動画出演の依頼もいただいて……そう、てっきり世間に見捨てられたと思ってたけど、こんな私を思い出してくれる奇特な人たちがいたのよ。

そうなると、心身の方もだんだん元気になってきて、旅行に行ったり長らくご無沙汰だった二丁目にも出てみたり、昔ほどではないけれど出歩けるようになった。

まさかこんな未来が来るなんて、10年前は思ってもみなかったわね。

てっきり鬱のまま死ぬのかと思ってたもの。

長い長い夜がようやく明けて、ぼんやりとだけど光が差してきた気がしたわ。

暗い土の中で硬い殻に閉じこもってた私は、その光に向かって小さな芽を伸ばし始めた。

そうなのよ、私、死んでなかったの!

まだ芽を出すくらいの生命力が残ってたのよ!

もう67歳だし皺くちゃだし、身体も不自由だし体力もないけど、それでも生きていこうとしてるのね。

なんて、しぶといの!

でも、そうやって必死で生きようとする自分が嬉しい。

みっともない姿かもしれないけど、それでも誇らしいのよ。

頑張れ、私!

ね、だから、あなたも少しずつでいいから、前に進んで。

世界に見捨てられたと思っても、あなたが自分を見捨てない限り、いつか人生に光が差すから。

たとえか細い光でも、あなたの魂はきっと光に向かって動き出すから。

あなたの心は、まだ死んでない。

それって、すごく大切なことなんだよ。

だって生きてる限り、私たちは何度も息を吹き返す。

自分を幸せにするために、まだまだやることが残ってるからよ。

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