中村うさぎ45歳、シリコン製の偽おっぱいを揺らしながら街を歩いて考えたこと。「失われた私」を探して(12)
顔の整形の次は、豊胸に突き進んだ私。男性から性的な視線を浴び始め、「女である」ことを急に意識するようになります。そんな私が、次に「女」であることを確かめるために向かったのは?
公開日:2024/10/23 02:03
連載名
「失われた私」を探して顔の次はおっぱい。
どんどん人造物になっていく私はいったいどこに行き着くのか?
ある日、タカナシ院長がこう言った。
「うさぎさん、顔はもうひととおりやったんで、次は豊胸やりましょうか」
「え、豊胸? おっぱい大きくするってこと?」
「そうですよ。うさぎさん、Bカップくらいでしょ? せめてCかDくらいにしたらどうですか?」
「どうですか、と言われてもねぇ。うーん……」
顔の整形には積極的だった私も、胸に関しては二の足を踏んだ。
確かに、私は貧乳である。
武士の情けなのか、タカナシは「Bカップくらいでしょ」などと言ってくれたが、じつはBカップもデザインによっては大き過ぎて、カップの中で乳房が泳ぐ。
もっと胸が大きかったらなぁ、と思ったことは何度もあるが、その一方で、巨乳に対する偏見が私の中には根強くあるのだった。
「うーん……胸はこのままでいいかなぁ」
「なんでですか?」
「だって、おっぱい大きいとバカっぽく見えるから、ナメられるような気がしてさぁ~」
「胸の大きさと知性は関係ありませんよ」
「いや、知ってるよ。知ってるけれども、なんとなく……ほら、牛っぽいというか、鈍重なイメージが……」
そうそう、これなんだよ。
何故だか知らないが、胸の大きな子は陰で「ホルスタイン」などと呼ばれてバカにされてた気がするんだよね。
だからってぺっちゃんこの胸がかっこいいとは全然思わないんだが、それでもホルスタインよりはマシかなぁ、なんて考えてしまう。
しかも、大きな胸は重力の法則で垂れてしまいがちだから、ますます鈍重感が増してかっこ悪い。
私の理想は、バービー人形やアニメの女の子みたいに、プリリッと丸く盛り上がったおっぱいなのだ。
でも、ああいう形のおっぱいは、やっぱ現実には無理でしょ?
「そんなことないですよ。お椀型のシリコンを入れれば、垂れずにプリッとしたアニメおっぱいになりますよ」
「え、マジ!?」
「マジです」
「なら、やってみようかなぁ~」
「やりましょう、やりましょう」
そんなわけで、「中村うさぎ豊胸計画」が突然、実現したのであった。
脇の下を切って、そこからスライムみたいなシリコンのパックを挿入する。
めちゃくちゃ痛いんだろうなと覚悟していたが、そうでもなかった。
どうやら私は、かなり痛みに鈍感なタイプらしい。
おかげで麻酔から目覚めた時もハイテンションで、「ねぇねぇ、どうよ?あたし、セクシー?」などと周囲の看護師さんたちに訊いて回り、調子に乗って診察台の上で「女豹のポーズ!」などと叫んで半裸で奇妙なポーズを取っていた……らしいのだが、じつはまったく記憶がない。
でも、術後の腫れが引いて、自分の新しいおっぱいを惚れ惚れと眺めた時のドヤ感は、昨日のことのようによーく覚えている。
あんなに「ホルスタインになるから嫌―っ!」などと文句を垂れていたのが嘘のように、鏡の中の大きくてまぁるいおっぱいに惚れ込んだのだった。
そう、これはまさに理想の、アニメおっぱい!
襟ぐりの大きく開いた服を着ると、そこにプリッとV字型の胸の谷間がチラ見えて、やだわ、自分で自分に欲情しちゃいそう!
すれ違う男たちが私の胸をチラ見する。
生まれて初めて巨乳女の気持ちがわかったわ!
しかし、豊胸効果は、外に出てこそ真価を発揮するものなのであった。
折しも夏の真っ盛り、タンクトップ姿で街を歩いていた私は、すれ違う男たちの露骨な視線に驚いた。
さすがに全員とは言わないが、多くの男たちが通りすがりにチラッと私の胸を見ていくのだ。
決して気のせいでも妄想でもない。
10人に7人くらいは、確実にアニメおっぱいの谷間に視線を走らせる。
そうか、巨乳の人って、毎日こんな風に視られているのか。
50年近く生きてきて、初めて知ったよ。
今の私はおばちゃんだから「ぶぶっ」と心の中で笑ってられるけど、思春期の頃は恥ずかしいし怖いし、さぞかし不快だっただろうな。
だが、男たちが悪いわけでもない。
あれはほとんど無意識の動作なのだ。
オスの本能がついついおっぱいに目を惹きつけられてしまうのだから、仕方ないのである。
そして彼らは、うっかり胸を視てしまった自分を恥じて慌てて目を逸らし、何食わぬ顔で足早に通り過ぎる。
こういうところが人間ぽくて面白い。
犬や猫だったら、恥も外聞もなく、走ってメスを追いかけるだろう。
だが社会的動物である人間は、ぐっと己を御して「視てませんよ-」てなふりをする。
ごく一部の己を御せないオスだけが、痴漢やレイプといった獣以下の行為に及んで檻に入れられるのだ。
そうやって考えると、あらゆる動物の中で、人間のオスが一番大変かもしれない。
思春期の男の子なんか、毎日が性衝動との格闘だろう。
一方、女の方はどうだろうか?
40代半ばにして急に男からおっぱいをチラ見されるようになった私は、誇らしさと不快の両極端な感情が同時に湧き起こるのを感じて戸惑った。
そうか、自分は女だったのだな、と、今さらながら実感したのだ。
女は男の視線によって、良くも悪くも、「女である」ことから逃れられない。
他の動物と違って明確な発情期を持たない人間のメスにとって、「女である」ことは生殖的要素よりも社会的な意味合いの方が強く、それゆえ自分がオスの性的対象であるという事実に怯んだり圧倒されたりすることも多々ある。
「女である」ことがどういうことなのか、自分でもわからなくなるのである。
私は豊胸によって、以前よりも強く「女である」ことを意識し始めた。
といっても、もちろん、おしとやかになったとか家庭的になったとか、そういうことではない。
性的な身体を持つことで、自分が性的存在であることを自覚させられたのだ。
それまで、いわゆる「モテ」というのは顔の美醜に左右されるものだと思っていた。
実際、美人はブスよりモテるじゃないか。
が、豊胸して以降、私の知らない「モテ」の世界が存在するのを実感した。
ブスでもババアでも、おっぱい力で起死回生を図ることは充分に可能なのだ。
いやぁ、薄々知ってはいたけど、これほどまでにおっぱいが影響力を持つとは思わなかったよ。
でもね、これ、偽物おっぱいだから!
見映えはいいけど触ったら硬いし、なんなら感度も鈍いから!
ちなみに、この豊胸手術から2、3年後、私は閉経して生殖機能を失った。
要するに「メス」でなくなったわけだが、それでもビジュアルは「女」のまま。
美容整形で若作りし、シリコンのおっぱいで小娘みたいに張りのある胸元を見せつけ、外見上は現役バリバリの女を装っているが、じつのところ生理はあがってるし膣も硬くなって潤いを失い、ペニスを挿入するのも一苦労というババアそのものなのであった。
ワックスをかけたツヤツヤの皮の下で、静かに萎びていく蜜柑のような私。
見てくれに釣られて寄って来た男たちも、やがて詐欺に遭ったような表情を浮かべて離れていく。
それでも私は「女」と呼べるのか?
作り物の外見で女のように振る舞っていれば、ずっと「女」でいられるのか?
そもそも「女」の定義って何なんだ?
そんな根源的な問題にぶつかり、アイデンティティの危機を覚えた私は、自分が「女」かどうかを確かめるべく、ある計画を思いついた。
それが、親からも世間からも呆れられた「デリヘル体験」なのである。
次回は、そのデリヘルのお話をいたしましょう。
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