Addiction Report (アディクションレポート)

「死ぬまで踊り続ける赤い靴」を履いてしまった者たち 「失われた私」を探して(2)

シャネルの革のコートを買った時の痺れるような快感が忘れられなくて、買い物に依存していった中村さん。振り返ると、最初の夫との離婚が人生の分岐点でした。

「死ぬまで踊り続ける赤い靴」を履いてしまった者たち 「失われた私」を探して(2)
中村うさぎさん(撮影・黒羽政士)

公開日:2024/05/21 02:00

1991年当時、私は前夫との別居生活を経て、ようやく離婚が成立したところだった。

おかげで、誰にも頼らず、ひとりで生きていく覚悟ができた。

思えばこれが、人生の大きな分岐点だったのである。

経済的に寄りかかる夫と別居

「ひとりで生きていく覚悟」と言ったが、結婚前には既に親の家から独立していたので、一応自立はしていた。

ただ経済的にはまだまだ不安で、どこかで「まぁ結婚すれば共働きだし、収入は倍になるから大丈夫」という甘えがあったのだと思う。

が、いざ結婚してみると、途端に会社を辞めて働かなくなった夫を経済的に支えることとなり、収入が倍になるどころかこれまでの倍以上働く羽目になってしまった。

それでもしばらくは頑張ったのだが、「やりたい仕事」より「稼げる仕事」を優先するようになった自分に気づいた時に、なんだかすっかり目が醒めた。

こんな厄介なお荷物(←夫)を背負って生きていくくらいなら、ひとりで生きた方がマシである。

これからは自分のために働き、自分のために生きよう!

そう決意して別居し、夫と共同名義で買ったマンションを売り払って荻窪に部屋を借りた。

好きなゲーム雑誌のライターをやるのは楽しかったし、稼ぎは全部自分のもの。

既婚者だけど新しい彼氏もできて、ウキウキのシングルライフが始まった。

私の価値観や考え方を全否定した夫

ああ、前夫から解放されたあの時の晴れ晴れとした気持ちを、今でもありありと思い出す。

彼はいわゆる「モラハラ」夫であった。

相手の価値観や考え方を全否定し、粉々に打ち砕いて更地にしたところに、厳かなる自分の神殿を建てる。

その神殿は彼を祀る聖域であり、彼の意見は絶対で、口答えや反抗をするとこっぴどい目に遭わされるのだ。

人生で初めて出遭ったタイプの男であり、付き合い始めた当初から、どう扱っていいのかわからず非常に戸惑った。

それでも結婚したのは、彼を尊敬していたからだ。

彼は間違いなく、私よりも遥かに優れた文才の持ち主だった。

だからその気難しさまでも、芸術家に付き物の属性と捉えて受け容れていたのである。

しかし、言うまでもなく、夫としては最低だった。

ワガママだし女癖は悪いし、何より働かない。

プライドが高過ぎて、「こんなくだらん仕事やってられるか!」とすぐに辞めてしまうのだ。

独身時代はそれでも我慢して働いていたのだが、結婚して養ってくれる妻ができた途端に会社を辞め、好きなバイクを乗り回したりポルシェを買ったりと自由気ままな生活を始めた。

で、文句を言うとキレて暴れる。

小学生なのか、おまえは!

ちなみにこのポルシェのローンは私の口座から引き落とされたため、私は離婚後もしばらくローンを払い続ける羽目になったが(車は離婚時に夫が持って行った)、ようやく別れてくれたんだからポルシェくらい安いもんだと喜んで払いましたよ。

買い物で取り戻そうとしたもの

ま、そんなわけで、地獄の結婚生活ですっかり疲弊した私は、離婚が成立した途端にぱぁーっと世界が開けたような気分になった。

折しもその頃、ゲーム雑誌ライターからラノベ作家に転向し、収入が爆上がり。

金はある!クズ夫は消えた!私は自由だ!

私はもう誰にも縛られず、自分のためだけに生きられる!

稼いだ金だって、全部自分のものよ!ざまぁみろ、元夫!

「我が世の春」とは、このことであろう。

そんなウキウキ状態で、私はシャネルに足を踏み入れ、60万円もする革のコートを買ったのである。

だって、そうでしょ?あのクズ野郎のポルシェ代を全額支払ったんだから、私がシャネル買ったっていいじゃない!

私は自分の金を取り戻したかった。

いや、金だけではない。

あの時に私が取り戻そうとしたのは、「失われた私」まるごとなのである。

彼が完膚なきまでに叩き潰した私の生き方、私の価値、私の自由、私の尊厳。

その悔しさと怒りをすべて込めて手にしたシャネルは、おそらく私の勝利のトロフィーだったのだ。

だからあんなに誇らしく、あんなに気持ちよかったんだと思う。

ギャンブル依存者や摂食障害者、その他もろもろの依存症患者たちにも、それぞれの理由があるに違いない。

みんな、何かを取り戻したくてアディクトするのだ。

失われた何か、与えられなかった何か、欠けてしまった何かを。

だから、依存症者は常に飢えている。

もっともっとと際限なく欲しがって手を伸ばす。

生きている実感を求めて

そして、手に入れた瞬間の気持ちよさと来たら!

あれはもう、何物にも代えられない。

たとえ一瞬にして消え去る幻想だとしても、あの快感を一度でも味わった者は、引き返せない暴走列車に自ら乗り込むのだ。

愛が足りないんだとか自己肯定感が足りないとか、外部の人間たちはしたり顔でいろいろ語るけど、彼らに何がわかるだろう。

当事者にしかわからないあの極限の陶酔感を、あなたたちは知らないでしょ?

人生であれほどの快感を味わえたんだから、私は後悔なんかしていない。

そりゃ「シャネルに注ぎ込んだ金を貯金してたら今頃……」なんてくよくよする日もあるけど、あの天国と地獄をいっぺんに味わった目まぐるしい時期を思い出すと、依存症から抜け出した今の穏やかな日常は潤いも彩りもない砂漠。

ただぼんやりと過ぎていくだけの毎日は、虚しくて退屈で死にたくなるわ。

ねぇ、生きるって何?

求め、欲望し、手に入れては失い、それでも立ち上がって懲りもせず夢中で何かを追いかける……そのプロセスを「生きる」って呼ぶんじゃないの?

少なくとも私にとっては、それが生きてる実感なの。

そんな生き方を選んでしまったんだから、今さら安寧なんて求めない。

依存症患者たちは、「死ぬまで踊り続ける赤い靴」を履いてしまった者たちだ。

だが、踊り続ける者たちが見るあの眩しく輝かしき光芒は、彼らの人生をがらりと変えるほど強烈なものなのだ。

だから私は、踊り続けた。

やがてブランド物にも飽きてくると、新しい刺激を求めて見知らぬ街に足を踏み入れた。

新宿・歌舞伎町。

そこには、思いも寄らない出会いが待っていたのだ。

コメント

2ヶ月前
なおくん

24年前からうさぎさんの文章に惹かれ、いまだに惹かれつづけています。

同じエピソードでもニュアンスや視点が変わり、また惹かれ、読んで、心が踊ります。

なにかに依存しない人間など、いないと思います。大

なり小なり、みんなそれを

抱えてるから、うさぎさんの

文章に惹かれるヒトビトが、たくさんいるのだと思います。新刊は難しいかも知れませんが、彼らの地獄、我らの砂漠まではいかなくても、ルポ形式のうさぎさんの文章をいまだに求めてるのは、一つの「依存」なのでしょうね。

おそらくパンが無ければお菓子を食べればいいじゃない、という生き方ができない自分、でもそれをどこかで求めている自分がその渇望の根っこにあるのだと思います。

自由と地獄は隣り合わせ。

でも後悔などあるのでしょうか。答えは分かりませんが、

うさぎさんが書き続けてくれることが嬉しいのは事実です。まとまりのない文章で申し訳ありません。

2ヶ月前
あい

買い物依存症の事、少しわかりました。物欲で金づかいが荒い、金銭感覚がおかしくなった人とは、まったく違うのだと。単なる浪費とは違いますよね。生きている実感を求めてるのだから、痺れるようなその快感を知ってしまったから、もう平凡な生活には戻れない…。それはもう幸せ者なんじゃないかと思える、迫力あるうさぎさんの文章。

続編が楽しみです。

2ヶ月前
まりえ

私もモラハラ夫と離婚しました。付き合っている時から違和感は感じていたのですが、自分の感覚に確信を持てず、私を理解してくれるのは夫のみという歪んだ認知を強固にし、結婚しました。今思えばその時の私はただただ寂しくて、誰かに愛されたかったんだなと思います。そして、まさに文中にある下記のような日々を送りました。

「相手の価値観や考え方を全否定し、粉々に打ち砕いて更地にしたところに、厳かなる自分の神殿を建てる。

その神殿は彼を祀る聖域であり、彼の意見は絶対で、口答えや反抗をするとこっぴどい目に遭わされるのだ。」

離婚した日の晴れ晴れとした気持ちを今でも忘れられません。やっと、自分を取り戻せた!自分に戻れた!という感覚でした。

でも空っぽな心を早く埋めたくて、焦っては失敗する、を繰り返しています。でも前よりは確実に安全な場所にいて、愛ある仲間に囲まれて、良かったなと感じています。自尊心も低いし、寂しがり屋ですが、そんな自分を受け入れて生きていきたい、と中村さんの文章を読んで思いました。

続編、楽しみにしています。

2ヶ月前
しろ

>みんな、何かを取り戻したくてアディクトするのだ。

> 悔しさと怒りをすべて込めて手にしたシャネルは、おそらく私の勝利のトロフィーだったのだ。

だめだ、涙でもう読めない。

ここまで美しく言語化された依存症文学、やはりうさぎさんにしか書けない。

2ヶ月前
キャサリン

シャネルへと続く通路は神殿の回廊であり、前夫は厳かなる自分の神殿を建てる人だった。

うさぎさんにとって神殿に通じるものは禁忌なんじゃないか、と密かに思う。

「当事者にしかわからないあの極限の陶酔感を、あなたたちは知らないでしょ?」の問いにドキッとしてしまう。

確かに、私は知らない。

思いもよらない出会い、に不穏な空気を感じるけれど、続きがとても気になる。

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