愛されない人は、どうやって生きていけばいいのか? 嫌われ者の私の結論は「愛に依存するな!」であった。「失われた私」を探して(28)
子供の頃にイジメを経験し、若い頃は人から嫌われるのが怖かった私。でも、その後、「嫌われ者上等」と開き直ります。愛されることってそんなに大事なことなのでしょうか?

公開日:2025/06/20 02:57
連載名
「失われた私」を探して20代までは嫌われるのが怖かったけど、
開き直ってみたら、嫌われ者って自由だった。
小学校の頃は父の転勤で転校が多く、なかなか馴染めなかったし、行く先々で軽いイジメにも遭った。
私はどうも、人から好かれない性格だったみたいね。
もちろん傷ついたし、今思えば結構なストレスだった。
私に意地悪をした子たちは顔も名前も覚えてるし、絶対に許さない。
でもね、誰からも傷つけられずに生きたかったかというと、それは違うのよ。
傷つけられる経験がないと、人の痛みがわからなかったと思う。
私、ただでさえ鈍感だし空気読めないからさ。
ずっと以前にある女性作家と対談していたら、イジメの話になった。
その時に、彼女が言ったの。
「イジメられる方も悪いんだよ。イジメられるだけの理由があるんだから」
仕事中だというのに、ついカッとしてしまったわ。
そりゃ、イジメられる側には、嫌われる理由があるんだろうさ。
でも、だからって、イジメていいって話じゃないでしょう?
嫌うのは勝手だけど、イジメの正当化にはならない。
その論でいくなら、殺したい理由があれば人を殺してもいいのかってことになるじゃん。
めちゃくちゃムカついたので結構厳しめに反論したけど、彼女の発言を批判しながら、私はこうも思っていた。
ああ、この人はずっとイジメっ子だったんだろうな。
だから、嫌いなやつをイジメるのは当然だと思ってる。
でも、やられた方は「当然」なんて思わない。
なんでこんなことされるんだろう、なんで自分は嫌われるんだろう、と、毎日、自問自答するんだよ。
まぁ、おかげで他人の心理をあれこれ想像してみる癖がついて、結果的にそれが今の仕事に繋がってるけどね。
そんなわけで、20代半ばくらいまでは、人から嫌われるのが怖かった。
でもね、そうやって他人の気持ちを忖度するのが、だんだん面倒臭くなっちゃったのよ。
だってさ、どんなに気を遣ったって、嫌われる時には嫌われるもん。
私は「私」から逃げられないんだから、仕方ない。
周囲の顔色を窺って別の自分になる必要もない。
これが「私」なんだから、嫌いな人は近寄らなければいいじゃん。
そもそも、全方面に好かれるなんて無理だしさ。
そう開き直ったら、なんかすっきりした。
陰で悪口言われても、面と向かって嫌味を言われても、「ああ、この人は私が嫌いなのね。でも、安心して。私もあなたが嫌いだから、お互い様よ」と心の中で呟いて、それで終わり。
その人たちに嫌われたって、私の人生には何の影響もないわ。
おかげで敵は増えたけど、ストレスは減った。
私みたいな人間は、どっちか選ばなきゃいけないのよ。
人から嫌われまいとしてストレスを溜め込む人生か、嫌われ者だけど自由な人生か。
で、後者を選んだわけ。
ストレス溜めなくても自然体で皆から好かれる人は、こんな選択する必要ないけどね。
でも、嫌われることに慣れたせいで、後年、ネットの掲示板やSNSで何を言われてもビクともしなくなった。
掲示板は悪口広場だから当然としても、SNSでわざわざ嫌悪を表明してくる人って面白いね。
「あなたは不潔だ!」と怒ってきた人がいたけど、べつに私が不潔でもあなたには何の迷惑もかけてないじゃん?
もちろん私にも嫌いなタレントとか政治家はいるよ。
でも、その人のアカウント探してまで文句言うつもりはない。
不快なら見なきゃいいだけの話だもん。
誰かを嫌うのは私の自由だけど、だからって相手に攻撃的な言葉を吐く権利は自分にはないと思ってる。
だって、それを自分に許したら、私はイジメを肯定することになってしまう。
愛されることって、そんなに大事なことなのかなぁ?
「愛」への依存は、むしろ「病」ではないの?
人を傷つけたくないし、自分も傷つきたくない、と、誰しも思うでしょう。
でも、私たちは知らないうちに誰かを傷つけてるし、その分、自分も誰かから傷つけられるのは避けられない。
私たちは常に、被害者であると同時に加害者でもあるのよ。
人と関わりながら生きていくって、そういうことなんだと思う。
だからもう、傷つけられることも傷つけることも、ある程度は覚悟しなきゃいけない気がするの。
せめて、故意に人を傷つけて喜ぶような行為だけは自分に禁じたいものだけど、それだってうっかりやっちゃうかもしれないのが人間という生き物よ。
同じく、嫌われることや傷つけられることも、生きていればどうしても回避不能なの。
ならば、嫌われたり傷つけられたりした時の対処法を、自分なりに編み出していくしかないじゃない?
私の場合は、開き直って「嫌われ者上等」というスタンスを取ることが対処法だった。
でも、それは誰にでもお勧めできる方法ではないわね。
職場で嫌われたら最後、毎日が地獄と化すって人もいるだろうし。
私が嫌われ者を実践できたのは、固定の「職場」がないからかも。
もちろん、こんな私だから、嫌われて仕事を失ったことは何度もあるわよ。
でも、それは仕方ないわと織り込み済み。
私が「私」でなくなっちゃうより、食い詰めて貧乏生活を余儀なくさせられる方がマシなの。
お金と自分とどっちが大事?って話よ。
お金が大事な人はそっちを取ればいいけど、私は自分が大事だからね。
世の中は不平等にできている。
貧富の差もあれば、美醜の格差もある。
愛されることが簡単な人もいれば、私のように嫌われやすい人もいる。
それはもう、仕方のないこと。
でもさ、金や美醜がすべてじゃないように、愛されることがすべてってわけでもないのよ。
そりゃ、愛された方がいいに決まってる。
だけど、愛されたくて苦しんでいる人たちを見ると、「ねぇ、もういいじゃん」って言いたくなるの。
あなたがそれほどまでに欲しがってる「他者の愛」って、そんなに価値あるものかなぁ?
愛って、お金と違って貯蓄できないじゃん?
あなたがどんなに頑張ってその人のために何かをしてあげても、相手の心の中にあなたの愛は貯まっていかないかもしれないよ?
「愛」は、報酬ではないの。
愛したからって、愛されるとは限らない。
愛されたからって、それで人生がハッピーエンドになるわけでもない。
あてにならない他者よりも、自分のために愛を消費して。
私はね、べつに人を愛するなって言ってるわけじゃないの。
ただ、愛されるために愛したら、きっとあなたは満たされない。
だって、それはただの「依存」だから。
もっともっととエスカレートして、愛をねだるようになる。
そもそも、愛されることが何より大事だって思い込むのが危険なんだよ。
愛し愛される経験も、人生の一部に過ぎない。
愛されることで得るものもあるけど、愛されないことで得るものもある。
どれだけ愛されたかよりも、何を得たかが重要なの。
だから、愛されないことに苦しんでる人は、一度、視点を切り替えてみて。
自分は「愛されること」に固執してるだけじゃないのか?と。
「愛」への依存は、ある意味、どんな依存症より厄介だからね。
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