「愛されたい病」の私が抱えていたのは父親との軋轢。 父も私も、人を愛することが極端にヘタな人間だった。「失われた私」を探して(29)
「愛されたい病」の奥に抱えていた、父親との軋轢。年老いた父の面倒をみることになった今、父も自分も愛することが極端にヘタな人間であることに気づきます。

公開日:2025/07/05 04:38
私には「親子の絆」なんて実感できない。
この歳になっても、父への怒りが拭いきれないから。
「愛されたい病」の根底に、親との軋轢の問題を抱えてる人は多いと思う。じつは私もそのひとりよ。
念のために断っておくけど、私の親は俗に言う「毒親」ってやつではない。ネグレクトされたわけでもないし、過干渉と言うほどでもなかった。昭和という時代背景を考慮すれば、彼らはきわめて平均的な普通の親だったと思う。だけど私たちは、最後まで、互いを理解することができなかった。まぁ、親子といっても別々の人間だし、わかり合えないのは当然だと、今では思っているけどね。
父も母も私とわかり合えなかったけど、まぁ、母に対する恨みの感情はない。ただ私が母の中の「定型」に収まらない人間だったというだけのこと。それはもう仕方のないことでしょう。それより問題は、父だった。
父はカッとしやすい性格だったので、私はしょっちゅう怒鳴られたりぶたれたりした。幼い頃は、そんな父が本当に怖かったわ。だって何の説明もなく、いきなり激怒するんだもの。こんなことを書いたらきっと父は否定するだろうし、なんなら傷つくかもしれないけど、私には父に愛されたという実感がまるでない。ぶたれた記憶や暴言を吐かれた思い出しかないの。こちらに何か言い分があっても、「口答えするな」とか「見え透いた言い訳をするな」とか言われて、ますます怒られる。つまり、言葉を封じられてしまうのよね。私がエッセイストになって、しつこいほどに自分のことを書いてしまうのは、たぶん、あの当時に封じられた言葉を取り戻したいって想いもあるんだと思う。とにかく、自分を説明したいのよ。そして、あわよくば、わかって欲しいと願ってしまう。私はそういう人間になってしまったのね。
20代の半ばでようやく経済的な力をつけたから、私は実家を出て独り暮らしを始めた。その後、結婚したり離婚したりしてるうちに、実家とはどんどん疎遠になっていったわ。両親は大阪に、私は東京に住んで、滅多に実家に帰らない親不孝娘になった。物理的に距離を置くのは、私にとってすごくいいことだった。心に余裕ができて、やっと父親を許す気になったの。
気がつけば私は、幼い頃に恐れていた父親と同じくらいの年になっていた。この歳になっても自分はこんなに未熟なんだから、当時の父親もまた未熟な若造だったんだって気づいたのよ。子供がチョロチョロしたり泣いたり騒いだりするたびに癇癪を起こす気持ちも少しわかった。仕事でヘトヘトになって帰って来たのに、子供がギャーギャーうるさかったら、そりゃ苛つくわよね。だからって殴ることないと思うけど、まぁ、耐えられなかったんでしょう。彼自身もまた堪え性のないガキだったのよ。
子供は親を許すことで、初めて「親離れ」できる。親と和解するには、自分が大人になるしかないのよね。私はそう思って、そのことをテーマにしたラノベの短編を書いたりもしたわ。あの頃から、書くことは私にとってセラピーだった。自分と父親との関係を書くことで、自分の中の怒りや恨みの感情をうまく処理できたと思ってた。
でもね、そんなに簡単な話じゃなかったの。老いた父親を残して母親が死んだので、数年前からひとりっ子の私が父親の面倒を見なくてはならなくなった。今年の春頃から、ほぼ毎月のように大阪の実家に呼び戻され、父親と数日過ごす羽目になったのよ。最初は月の半分くらいは大阪で父親の世話をしようと思ったんだけど、数日間が限界だったわ。父親は相変わらずの性格だし、彼の癇癪や傍若無人な振る舞いに、いちいち私の中の古傷が開いて、耐えられないほどの痛みや恨みの感情が溢れるの。そう、私は、父をまったく許してなんかいなかったのよ。
愛したはずの人をどうして傷つけてしまうのか。
「愛されたい病」は「愛せない病」でもある。
私の厄介な承認欲求や「愛されたい病」は、たぶん、この父親との関係から生まれたものだと思う。私は父に認めてもらいたかったし、何より愛して欲しかったのよね。でも父は、人を愛するのがヘタな人だった。それは私も同じだから、よくわかる。だけど、それは言い訳にはならないわ。「自分は人を愛するのが苦手な人間だから、人を傷つけてしまうのは仕方ない」なんて、そんな身勝手な言い訳、私は自分にも父にも他人にも許さない。
私はね、昔から不思議でたまらなかった。どうして自分は、誰かを愛すると、必ず相手を傷つけてしまうのか? 好きになればなるほど、自分の中の「愛」を持て余してしまって、気づくとそれは「怒り」や「憎しみ」や「恨み」に変わっていたりする。子供の頃と同じだわ。自分の思いどおりに愛してくれない親に対して、強い不満を抱え、それが怒りや恨みに変わる。父親だって私に優しくしてくれた時があったのかもしれないのに、そんなのは全然憶えてなくて、ぶたれたことや暴言ばかりが記憶に残ってる。父親だけじゃないわ、今まで関わり合って破綻に至ったすべての人に対して、私にはネガティヴな感情しか残ってないの。別れた男は、全員憎んでる。彼らは彼らなりに私を愛してくれたんだろうけど、それが自分の望んだ愛じゃなかったから、私はその責任を彼らに押しつけ、一方的に憎んで突き放してしまった。ねぇ、これってやっぱ、私に問題があるのよね?
「愛されたい病」の人は、「愛せない病」でもある。自分のことばかりしか頭になくて、他人の愛に気づけないし、応えられない。そして、いつまでも「愛されてない、愛されてない」と不満を抱え、ついには「自分はきっと誰にも愛してもらえないんだ」と、自分に呪いをかけるのよ。本当は、そんなことないのにね。自分で現実を歪めてしまうの。
そこで、ある時期から私は、「愛されよう」とするのをやめてしまった。もういいや、他人にあれこれ期待するのはやめよう。愛されない自分には価値がないと思ってたけど、べつに愛されなくたって生きていけるもん。自分で自分の面倒を見ればいいんでしょ?
そんなふうに思ったら一気に楽になったけど、もうひとつ、思いも寄らない発見があった。愛を要求しなくなったら、今まで見えてなかった「愛」の存在に気づけたのよ。
私は子供の頃に読んだ「青い鳥」つていう絵本の結末が嫌いだったのね。チルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を探して旅するんだけど、家に帰ってみたら自分の家に青い鳥がいたんだね、ってやつ。なんだよ、その気持ち悪い綺麗事!なーんて思ってたんだけど、悔しいことに、そのとおりだった。
私は愛されてないわけでも、受け容れられてないわけでもなかったの。ただ、私の「愛」の定義が歪んでいたのよ。私は勝手にキラキラと輝く「理想の青い鳥」を思い描いてひたすら探してたんだけど、家にいたのは地味な土鳩みたいな鳥だった。でも、その土鳩こそが私を許して受け容れてくれる存在だったのね。それでいいんだ。私の思いどおりの愛なんて、おそらくこの世に存在しない。その代わり、私の知らない愛も存在するんだ。それがわかっただけでも、旅をした甲斐はあったというもの。
父親との距離は、いまだに掴めない。だけど、いつかは決着がつくような気もする。彼を許せる人間になれたら、私も少しは人を愛せるようになれるのかも。今はそんな小さな期待を抱いて、生きていこうと思っているわ。
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