夫を泣かせ、金を使い果たし、ボロボロになった私にさらなる試練が待ち受けていた。 その名も「色恋地獄」。 「失われた私」を探して(7)
お金が尽きてホストに別れを告げると、彼は思ってもみない方法で引き留めてきました。嘘だと思いつつも信じてしまったのは、何を渇望していたからなのでしょうか?
公開日:2024/08/06 05:00
連載名
「失われた私」を探して資金が尽きて終了のゴングが鳴った。私は何をホストに託し、何を取り戻そうとしたのだろう?
ホストに金を遣い過ぎて、もはや各出版社の前借り枠もパンパン。
消費者金融からも金を借りているから、これ以上借りると多重債務になってしまう。
目の色変えて手に入れたエルメスのバッグやカルティエの腕時計もとっくに質に入っていて、もはや万策尽きた状態になっていた。
目の前に「この先、自己破産」の警告がチラつく。
さすがに、これ以上、ホストに注ぎ込むわけにはいかない。
もう、やめよう。
ついにナンバーワンにはできなかったけど、圏外だったホストをトップ3に入れることができたのは、我ながらあっぱれではないか。
そうだ、そろそろ潮時なのだ。
夫も悲しんでいることだし、ここできっぱりとホスト遊びから足を洗おう。
そんな一大決心をして、私はホストとレストランのテーブルを挟んで対峙した。
「じつはね、話があるの」
「どしたの?」
「私さ、お金がなくなっちゃったんだよね。だから、もうお店には遊びに行けない。今まで楽しかったよ、ありがとう」
「え、そうなんだ……」
ホストは悲しげに目を伏せた。
「そっか、仕方ないね。今までほんとにありがとう」
彼を失望させてしまったことに、胸がキリキリと痛んだ。
ナンバーワンにしてあげるって約束したのに、果たせなくてごめん。
中途半端な形で戦線離脱しちゃって、ごめん。
ああ、いつもそうだ。
私は何をやってもナンバーワンを取れないまま、途中で放り出して逃げ出してしまう。
ラノベ時代にナンバーワンを取れなかった悔しさを、ホストで晴らそうと思ってたのにな。
結局、それも果たせなかった。
「ごめんね」
「ううん、全然。むしろ感謝しかないよ」
愁いを含んだその顔は、壮絶に美しかった。
美人キャバ嬢を手に入れたがるおっさんたちの気持ちがよくわかる。
人生の盛りを過ぎてしまった者が抱く若さへの渇望、美しさへの憧憬。
自分が失ってしまった、あるいは欲しくても手に入らなかった宝物を、すべて備えた完璧な造形の持ち主を前にして、焦がれるような欲望がじりじりと胸を焼く。
私の人生には、いつも何かが不足していた。
ナンバーワンを取れる才能も、人目を惹くような美貌も、卓越した知性も、何ひとつ獲得できずに年だけ取って、ここまで来てしまった。
無駄に使い果たした若さや、磨り減らしただけの未来……その成れの果てが、今の私だ。
どんなに悔しがっても取り返せない「失われた私」が、私の中で常に地団駄を踏んでいる。
ああ、若さが欲しい、美しさが欲しい、もう一度人生をやり直したい、と、未練がましく叫んでいるのだ。
我ながら図々しい願いである。
でも、人は叶わぬ夢を一生追いかけ続ける生き物ではないの?
さよなら、美しいホスト。断腸の想いで別れを告げた私に、ホストが仕掛けてきた罠とは?
ホストに別れを告げ、彼の店で最後の宴を華々しくやって、しおしおと帰途についた。
これでもう終わったんだ、と思うと、寂しさと安堵がどっと押し寄せて来て、何とも複雑な気分だった。
が、じつは何も終わっていなかったのである。
むしろ、新しい章の幕開けに過ぎなかったのだ。
2日もしないうちに、ホストから電話があった。
「やっぱ、ノリちゃん(←私)いないと寂しいよ。ご飯でも食べない?」
「この前も言ったけど、私、お金ないのよ。お店には行けないわよ」
「わかってる。店に誘うつもりじゃないよ。お金とかそうゆうの抜きで、ただ会いたいだけ」
「わかった」
彼から電話を貰って、嬉しくないはずがなかった。
金がないとわかった途端、二度と連絡も来なくなるだろうと予想していたからだ。
お金の関係なんて、そんなもんでしょ?
ところが、お金抜きで会いたいと言われて、何か報われたような気持ちになった。
今まで築いた絆は無駄ではなかった、と、感じたのだ。
私はいそいそと出かけ、彼の車に乗った。
「来てくれて、ありがと」
にっこり笑ってそう言うと、彼は私の肩に腕を回し、いきなりキスをした。
そんなことをして来たのは初めてだったし、予想だにしてなかったので、まさに驚天動地といった展開だった。
「え、何っ!?」
「あれからずっと、ノリちゃんのこと考えてたんだ。最初はただ感謝の気持ちだと思ってたんだけど、もう会えなくなると思ったら……んーと……違うんだなってわかった」
心臓が飛び跳ねて、頭の中が真っ白になる。
何これ、嘘でしょ?
もちろん嬉しいけど、ドラマじゃあるまいし、こんな都合のいい展開あり得ないよね?
騙されるな、こいつはホストだ!と、脳の片隅で理性が叫ぶ。
色恋営業だよ、勘違いして喜んでんじゃねーよ!と。
でも、お金がないってはっきり言ったんだから、私からこれ以上引っ張れないのは彼も承知のはず。
だから、これは金銭抜きの正直な気持ちなのかも?
いやいや、いくら何でもこんなおばさん、本気で好きになるはずがないじゃん!
脳内でいろんな声が錯綜して、わけがわからなくなった。
信じたい自分と、疑う自分。
嬉しい自分と、警戒する自分。
だってもう、これ以上、男で傷つきたくないよ。
だから2丁目でゲイと遊んでたんじゃないか。
二度目の結婚相手にも、ゲイを選んだんじゃないか。
なのに、ここに来て、ホストにガチ恋なんかする気じゃないよね、私?
よりにもよって、ホストだぞ?
とてもじゃないが、正気の沙汰とは思えない!
が、その一方で、これまでの男関係で舐めた辛酸や受けた傷を、ここで一気に返上したいという気持ちもあった。
そう、リベンジだ。
今までの男たちの誰よりも若くて美しいこいつを手に入れて、やつらの鼻をあかしてやりたい、という薄汚い野心。
それやこれやが渦巻いて、頭が爆発しそうになった、その時だ。
ホストがふと顔を曇らせ、こう言ったのだ。
「やっぱ信じないよね? 俺、ホストだもん」
そのとおりだ。
彼の指摘が図星だっただけに、ぎくりとしてしまった。
心の裡に秘めていた差別意識を、ずばりと言い当てられた気分になったからだ。
相手が何者であれ、出自や職業で安易に差別してはならない、というのが私のスタンスだったはずじゃないか。
なのに、知らず知らずのうちに「ホストなんて信用できない」と、決めつけていた。
その無自覚な偏見に、自分でもたじろいだのだ。
「い、いや、そういうわけじゃないけど……」
動揺しながら答えると、畳みかけるように彼は言う。
「ホストだって人間だよ。普通に人を好きになるし、その気持ちに嘘はないよ。ちゃんと心があるんだからね」
「心がないなんて思ってないよ」
「なら、どうして信じてくれないの?」
「だって私はおばさんだし、あなたの恋愛対象じゃないでしょ?」
「どうしてそういう話になるのかな。年とか、立場とか、世間体とかさ。俺にはそんなの関係ないよ」
「いやいや、そうは言ってもさ……」
「ほらね、何を言っても信じてもらえない。ホストの言うことなんか、誰もまともに聞いてくれないんだ。ノリちゃんは違うと思ってたのに、やっぱりそんなもんだよね」
何だか、めちゃくちゃ罪悪感がこみ上げて来た。
気づくと、私が悪いという話になっていたのだ。
何なんだよ、このマジックは!
「ノリちゃん、俺を信じて?」
仔犬のように首を傾げて、ホストが私の顔を覗き込む。
その瞬間、必死でしがみついていた砦が音を立てて崩落した。
なんてこった、中村!
次のバス停は地獄の1丁目だぞ!
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中村うさぎさん連載「失われた私」を探して
コメント
<人生の盛りを過ぎてしまった者が抱く若さへの渇望、美しさへの憧憬。
自分が失ってしまった、あるいは欲しくても手に入らなかった宝物を、すべて備えた完璧な造形の持ち主を前にして、焦がれるような欲望がじりじりと胸を焼く。
上記の箇所、痛いぐらいに共感しました。
私は最近、美貌が売りの女子プロレスラーの推し活動が生きがいです。
次回が楽しみです!
キャサリンさんのコメント楽しく拝読しました。
避けた地獄、避けなかった地獄、それぞれからもたらされる思考、
見える景色は違えども常に出来るだけ変化、成長、幸せを目指して
進みたいですね。
キャサリンさんの人生に幸あれ!!
さすがはうさぎさん!!
文章力、構成力が素晴らしく終始引き込まれて拝読させられました。
これ程続きを楽しみにさせられ、読み応えのある内容に地獄目前ながらも
うさぎさんに、また人間全般に、なぜかとても愛おしさを感じてしまう
今回の連載でした。
スケールは違えど、私も、リベンジで生きてきた。見返してやりたい、鼻を明かしてやりたい、羨望の眼差しで見られたい。そうやって自分を駆り立て続けてきて、ついに底つきに到着。私に欠落している(いた)のはいったい何??まだ答えには辿り着けていない、苦しい。
うわぁ~!!
すごい展開!!
めちゃくちゃ続きが楽しみだ!
おもしろすぎる!はやく次が読みたいです!
ホストの匠の話術で、ノリちゃんが悪者になってるし、弱みに漬け込んでくるあたりさすがだなって思いました。
自分の中の葛藤、めっちゃ共感できます。
どんな人にも、それ絶対あかんやつ、とか、次のバス停が地獄の1丁目だとわかっていても、行ってしまいたくなる瞬間がある気がする。
ただその地獄にもランクがあり、それぞれに見合うレベルの地獄があるんじゃないか、と読みながら考えた。
中村うさぎさんが向かう地獄とはくらべものにならない最下位レベルだろうが、はなからナンバーワンをとる欲望や美しくありたいという願望も持ち合わせていない超小者の私にさえ行ってはならぬ地獄はあった。小者ゆえにその入り口でさっさと尻尾を巻いて逃げだすことができたのだろう、と今ならわかる。
中村うさぎさんのパワーに見合う地獄とはどんなところなのだろう。
今回はずっと切なかったなあ。