みんな何かに依存しながら生きている。人間は、「ほどよく」なんて生きられない。
アルコール依存症の大学教員・横道誠氏、アダルトチルドレンの漫画家・菊池真理子氏、性依存症のAV監督・二村ヒトシ氏。個性豊かな3人が共同で出版した書籍『「ほどよく」なんて生きられない』。著者3人に依存症専門医の松本俊彦医師を加えた出版記念イベントが、下北沢の本屋B&Bで行われた。
公開日:2025/07/17 02:04
依存症はかつて本人の怠惰が原因とされ、自己責任として処理されてきた。しかし近年、トラウマなどによる苦痛を和らげるために依存するという「自己治療仮説」という考え方が専門家によって支持されている。
過去のトラウマや心の傷を抱えた人たちが、それでも生きるために何かにすがる。少し視点を変えるだけで、依存症当事者は「自己責任論」から解放されるかもしれない。
(取材・文:宮﨑まきこ)
新しい依存症への理解「自己治療仮説」と「コーピング」
菊池「松本先生にお聞きしたいんですが、性依存って本当にあるんでしょうか?私は性暴力の被害者でもあり、それに関して漫画も連載しています。見知らぬ男性から性暴力を受けた後、とても性に奔放になりました。でも、決して性に依存していたわけではないと思うんです」
菊池さんは現在、文春オンラインにて『不同意性交 断れないのは罪ですか?』という漫画のなかで、自身の性被害や、それをきっかけに幾多の男性と奔放な関係を持っていく様子を赤裸々につづっている。
松本「それについては、僕もほとんどわからないんです。性依存の代表的な自助グループには、SA(セクサホーリクス・アノニマス)とSCA-JAPAN(セクシュアル・コンパルシブズ・アノニマス)があります。SAは過剰なセックスが問題になっている方が中心で、SCAは小児性愛や盗撮など、逸脱的な性的嗜好が問題になっている方が中心のグループです。
ただ、性的に過剰な行動をしていたとしても、お互いに合意があったり、ソロ活動だったりする場合、わざわざ依存症だという必要はない気がしますね。それに、性のトラウマを受けた人たちが回復プロセスで性的に過剰になることは、実はよくあることなんですよ」
横道「性依存というのは、リストカットと同じ自傷行為ではないでしょうか。僕も自傷行為をするのでわかるんです」
菊池「自傷というより、復讐だと思います。自分から行動して、性に対する主導権を取り戻していたんじゃないかな」
横道「それは松本先生が主張されている『自己治療仮説』にもつながりますよね。トラウマによる苦痛をやわらげるために、依存を手放せなくなってしまうという」
「自己治療仮説」とは、心理的な苦痛を和らげるために、特定の物質や行動に依存するようになるという考え方だ。この仮説に基づくと、依存症の本質は快楽追求ではなく、苦痛の軽減となる。
仕事のストレスを紛らわすために、帰宅後に毎晩酒を飲む、タバコを吸う。彼ら彼女らは、酒や煙草があるからこそ次の日も生きていけるのだ。このように、ストレスに対処するためにする行動や思考を、「コーピング」という。
二村「AV女優さんをずっと見てきて、AV出演がコーピングになっている人は明らかにいると感じています。ただ、カメラの前でセックスをしてお金をもらおうと自ら選んだとしても、たくさんの人に見られることがコーピングになって苦しさを軽減できただろう人もいれば、後悔や苦しみしか残らなかっただろう人もいる。どちらになるのかは、やる前には判断できないんですよね」
松本「たしかに事前カウンセリングではわからないでしょうね。それに私のところに来るときは、事後報告がほとんどです。ここ10年で『コーピング』という概念が広がってきたことは、いいことだと思います。しかし僕らの目の前に来る患者さんは、もはや自己治療やコーピングを通り越してデメリットの方が大きくなっているんです」
心の傷が独創性をつくる
本書の著者3名は、それぞれ依存症やトラウマの問題を抱えている。同時に3人とも作家、漫画家、監督という「表現者」の一面もある。背負った苦しみや痛みこそが、その人の「独自性」を創り出すこともあると、松本先生は言う。
松本「少年院を訪問すると、びっくりするような養育環境で育った子どもたちが多いんです。でも、その中にも非常に知能指数が高い子もいて。よい環境さえあったら、こいつはすごいやつになっていただろうなと思うんです。
また、著名人をこっそり診察することもあるのですが、話を聞くと結構ひどい生育環境だったということもよくあります。多くの依存症の背景にはトラウマや不適切な養育環境などがあるのですが、その『傷』こそがその人ならではの独創性をつくることもあると思うんです」
横道「たとえば、作家の太宰治の女性関係は自傷行為のように見えます。彼は女性を食い物にして巻き添えにしたという加害者的な面がある一方、もともとは被害者的な面があったのではないかと思うんです」
作家の太宰治は、『走れメロス』『人間失格』などベストセラーを生み出した一方、女性関係に奔放で薬物依存と自殺未遂を繰り返し、最後には愛人と5度目の入水自殺を遂げた。妻や女性を傷つけ、周囲に多くの犠牲者を生んだ彼自身も、幼少期に性被害を受けていたことを著書『人間失格』のなかで別人の視点を借りて告白している。
松本「『人間失格』に書いてある内容が本当であれば、彼も性被害のサバイバーだといえます。彼の才能も、彼の傷が与えた独創性なのかもしれませんね」
二村「先日、マリリン・モンローのドキュメンタリー映画を観たのですが、彼女の生い立ちも壮絶なものでした。彼女は不倫の末に生まれた子どもだったので、幼少期、厳格なキリスト教徒だった祖母に殺されかけたそうです。
その後も母親が入れた下宿人の男性からグルーミングを受け、映画業界に入ってからも搾取や虐待を受け続けた。それでも彼女は女優として世界的に評価された。僕は、才能や過剰な魅力は彼女の「症状」だったのだろう、たくさんの恋愛やスターになるための努力をしたのは彼女自身のコーピングだったんだろうと思います。
映画では、一人の女性の心理学者が、当時のアメリカ映画が力を持ったのはマリリン・モンローの性的魅力のおかげだって評価してたんです。僕としては、それが彼女の依存ないしコーピングの結果だったとしても、『セクシーさの力』が肯定されたようで、救われた気がしました」
松本「人を傷つけることはもちろんあってはならないんだけど、傷があるからこそ、その人があるのも事実です。横道さんも、あの生育環境がなければ今の横道さんはいないわけですからね(笑)」
今でも「依存症」には、「だらしがない」「本人の意思が弱い」といった偏見が強い。しかし生きていくために何かに依存しているのだという考え方も浸透しつつある。
心の傷が、太宰治やマリリン・モンローの独創性を生んだ。著者3名もまた、心の傷を表現者としての活動に生かしている。
誰もが何かに依存して生きている
最後の質疑応答コーナーでは、観客までもが赤裸々に自分の問題を語り、登壇者4人はあくまでフラットに、そして親身になって答えていた。なかでも、ギャンブル依存症の夫を亡くした女性の「安全にコーピングする方法はないのか」という質問に対する横道さんの答えが印象的だった。
横道「依存先を増やせばいいんです。僕はインフルエンザでも新型コロナでも酒を飲むのはやめません。しかし、昼間にコーヒーを飲むなど、他の嗜好品を楽しむことで日中の満足度が高まり、自動的に酒の量は減りました」
たしかに、一つに依存すれば深みにはまる。しかし何かに依存しなければ生きられない。ならば、依存先を増やせばいい。もしかしたら、自分は依存症ではないと思っている人も、単に依存先が多いだけなのかもしれない。
本書とイベントを通して驚いたのは、3名の著者自身が自分にベクトルを向けて深く分析していることだ。自分の弱さを理解し、受け入れ、ある意味諦めることで前へ進める。そして自分の弱さを認めているからこそ、他人の弱さにも寛容になれるのだろう。
イベント会場を包む一体感も、登壇者と観客がみな、自分にベクトルを向けて戦った同志だと認め合っているからかもしれない。少なくとも、会場内で誰一人、「自分には関係ない話」だと思って聞いていた人はいなかったように思う。
健全な状態から依存状態まではグラデーションで、明確な線引きはない。一皮剥けば、誰もが何かに依存して生きている。
(終わり)
コメント
分かりやすく読みやすい文章でありがたかったです。
(自分分からないこと多いです)
前編後編ですが、どれが後編なのかすぐに分からなかったです。後編に「これが後編です」などの合図?目印?はあるのでしょうか?「後編につづく」と言われて後編を探しました(私だけかもしれません)(*^^*)