Addiction Report (アディクションレポート)

生まれて来たことに意味はあるのか? いや、たぶんない、と私は思う。 だって「意味」は自分でつけるものだから。「失われた私」を探して(24)

なぜ私は次々に対象を変えて依存してきたのだろう。手の届かぬものに手を伸ばして手に入れる「達成感」。それに自分の「生きる意味」を見出す、「達成感モンスター」だった。

生まれて来たことに意味はあるのか?  いや、たぶんない、と私は思う。  だって「意味」は自分でつけるものだから。「失われた私」を探して(24)
撮影・黒羽政士

公開日:2025/04/20 02:00

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「失われた私」を探して

私は「達成感」モンスターだ。

だけど、それが私の選んだ生き方なのよ。

私たちは何故、自分に満足できないのか。

自分に「もっと、もっと」と期待し過ぎては幻滅し、その挫折感から自暴自棄になる者もいれば、起死回生を図ってますます深みにはまる者もいる。

最初から自分に期待なんかしなければ、自分に夢なんか見なければ、私たちは生きやすくなれるのだろうか?

「ありのままの自分を受け容れろ」と教え諭す人々もいる。

まぁ、確かにね、それができれば依存症なんかで苦労しないよ。

でもさ、自分に期待できない人生ってどうなのよ?

ああ、私はこの程度の人間だ、分不相応な望みなど持たず、無駄な努力も背伸びもせずに、自分サイズで粛々と生きていこう……なーんて生き方、そりゃラクかもしれないよ。

そこには挫折も落胆もないからね。

でも私、そもそも「自分サイズ」ってものがどれくらいのサイズなのかもわからないし、ラクな生き方が幸せだとも思わないのよ。

もちろん幸せの定義なんて人それぞれだし、ラクな生き方を選ぶことが悪いとは思ってない。

ただ、私には納得できないってだけ。

昔、ハマってたホストに招かれて、彼の部屋に遊びに行ったことがある。

テーブルの上に置いてある本のタイトルを見て、「なるほど、こういう人なのか」と思った。

そこには「ラクして1億円稼ぐ方法」と書いてあったのだ。

うん、わかるよ。

私だって、あくせく働くよりも、鼻クソほじくってる間に1億円稼げたら、そりゃあ嬉しいに決まってるもん。

だから、そういう本を読んでラクして儲けたい気持ちはよくわかるの。

でも、たぶんそんなうまい話はこの世にないし、あったとしても私は何かを失うんだろうなという気がした。

じゃあ、いったい何を失うんだ?

たぶん、「達成感」だ。

人間は、困難や挫折を味わってこそ、「達成感」という莫大な快感をご褒美に得ることができる。

私はゲームが好きなんだけど、努力するのが嫌いだから、ついつい誘惑に負けて攻略法を見ちゃうのね。

確かにすいすい解けてラクだし、それはそれで気持ちいいよ。

でも、何も残らないんだよね。

「このゲーム、めっちゃ楽しかったよな」という印象もないまま、淡々とエンディングシーンを観ながら「こんなもんかー」と思ってしまう。

当然、エンディングを迎えた感動もないし、達成感というご褒美もない。

思えば、記憶に残っているゲームはみんな、それなりに苦労したり努力したりしてようやくゴールに達したゲームなんだ。

苦しい思いをしてヘトヘトになりながら走る人や山に登る人も、きっと「達成感」というご褒美に痺れる快感があまりにも素晴らしいから、それが忘れられなくて、マラソンや山登りをやめられないんだと思う。

あれもひとつの依存の構造だよね。

自分にも他人にも迷惑かけてないから、本人も社会も問題意識を持たないだけ。

これがもう身に危険が迫るほど自分を鞭打つようになると、立派な依存症ってわけ。

そう、依存症になる人って、「達成感」モンスターなんだ。

ホストも登山家も私も、

みんな「生きる意味」が欲しくてたまらないんだ。

以前、カーレーサーから登山家になった人と話をしたことがある。

カーレースなんてもろに命の危険と隣り合わせだから、充分に依存症的な側面を持つと思うのだけど、そこから引退した彼が穏やかな暮らしではなく、危険な登山家という道を選んだことがまた興味深かった。

特に彼の場合、登頂困難な山に挑むだけでは飽き足らず、無酸素登頂とかいうきわめて危険なスタイルの登山にハマっているとのことだった。

もうこの人は死ぬか生きるかのギリギリの線でしか生きられないんだな、と思った。

そして、その気持ちが痛いほどわかったの。

カーレースも登山も私には縁遠いけど、限界まで自分を追い込んで何とか無事に切り抜けた時の途方もない快感なら、よく知ってる。

彼が山頂で見た景色は知らなくても、その時に味わった痺れるような陶酔感、脳汁ドバドバ酩酊状態はめちゃくちゃ身に覚えがあるの。

そう、彼も私も「達成感」モンスター。

だからね、ラクして生きることに何の魅力も感じないのよ。

「達成感」モンスターは、自分に夢を見る。

もっともっと危険な山に登りたい、もっともっと難しいゲームをクリアしたい、もっともっと自分の可能性を広げたい。

何故なら、それが私の「生まれて来た意味」だから!

以前、とあるホストに訊かれたことがある。

例の「ラクして1億円稼ぐ」本を読んでたホストではなく、また別のホストね。

「ねぇ、俺が生まれて来たことに、何か意味ってあるのかな?」

ホストクラブでいきなりそんな深遠な問いを投げられて驚いたけど、こう答えた。

「生まれたことに意味なんかないと思うよ。私たちは、ある精子とある卵子がたまたま合体したという偶然の産物に過ぎないと思う」

「じゃあ、俺は意味もなく生きて行くわけ?」

「そんなことない。生まれて来たことに意味がないからこそ、生きる意味は自分で作るんだよ」

この会話はもう40年くらいも前の話だけど、今でも私はそう思ってる。

私たちが生まれたのは神とか宇宙とかの計画でもないし、したがって生まれた時から背負わされた使命や運命なんてものも存在しない。

私たちがこの世に存在することには、特別な意味なんてないの。

でも、人間は「意味」を求めずにはいられない。

そんなものないって頭ではわかっていても、それでも「意味」を探してしまう。

何故なら私たちのような人間にとって、「意味」は「生きる実感」だからよ。

ならば、自分の人生に、自力で「意味」を与えていくしかないじゃない!

自分の遺伝子を受け継いだ子供を産み育てることに「意味」を見出す人もいるし、仕事の業績に「意味」を感じる人もいる。

稼いだ金に「意味」を求める人もいる一方で、遣った金に「意味」を持たせる人もいる。

生きる「意味」なんて、人それぞれでいいのよ。

大事なのは、自分でそれを見つけること。

「これだ!」という瞬間に巡り合うことなの。

もちろん、間違えることもあるわよ。

私なんか、めっちゃ間違えまくりだよ。

でも、間違えても得るものはある。

失敗から何かを得たのなら、その失敗も「意味」を持つ。

そうやって、ひとつずつ「意味」を積み重ねていくうちに、それがあなたの人生になる。

私はそう思ってるの。

「達成感」モンスターは、「生きる意味」や「生きてる実感」を探しているうちに、その行為自体がもたらす快感にやみつきになって、もっともっととエスカレートしていく。

傍から見たらただのバカだけど、本人は生きることに必死なのよ。

自分に夢を見るって、そういうことよ。

私はもっとできるかも、もっと「意味」ある者になれるかも、もっと達成してもっと進化してもっと凄い夢が見れるかも……そんな果てしない願いを追いかけてしまうこと。

でも私、そんな愚行を決して無駄にはしないから。

もう無理やりに強引に、意地でも「意味」に還元してみせるわよ。

だって、それが、私が自分に課した「生きる意味」だから。

いつか体力も精神力も尽きて、夢を見れなくなる日が来る。

いや、もうその日は来てるわよ。

なにしろ67歳だもの。

だからこれからは、かつて自分に見た夢をひとつずつ縁側に並べて、じっくり「意味」を検分することにするわ。

ああ、もしかしたら私は、夢見るために生まれて来たのかもしれないね。

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