依存症の私も、依存症じゃないあなたも、 結局は「生きにくい現実」に必死で対処しようと試みているのだ。「失われた私」を探して(22)
「依存症」になってみて、世界を観る視点が変わった私。「依存症」を通して世界や他人を見ると、これまで理解できなかったことが少しずつわかるようになりました。

公開日:2025/03/20 07:01
「依存症」を通して世界を、他人を観ると、
今まで理解できなかったことが少しずつわかってきた。
自分が依存症になってから、世界を観る視点が変わった。
それまで理解できなかった他人の行動を、「依存症」というレンズを通して観てみるようになって、「ああ、そういうことなのか」と腑に落ちたのだ。
たとえば、ギャンブル依存症。
自分がギャンブルに関心がないため、競馬や競輪やパチンコで破産する人の気持ちが全然わからなかった。
買い物依存症になる前の20代の私は、そんな人たちを単に「自分をコントロールできない意志の弱い人々」だと思っていたのだ。
もしかすると、軽蔑すらしていたかもしれない。
ところが、いざ自分が買い物依存症になってみると、「やめたいのに、やめられない」気持ちが痛いほどわかった。
生半可な意志の力ではコントロールできない、暴れ馬のごとき凄まじい衝動が、この世には存在するのだ。
私の場合はそれが買い物だったけど、ギャンブルに向かう人たちもいる。
私と彼らの間に、大きな違いはない。
人間の理性なんて、吹けば飛ぶようなものなのだ。
自分を過信してはならない。
依存症の人々の生き方は、決して他人事ではなく、常に明日は我が身の危険を孕んでいるのである。
アディクション・レポートの仕事で、ギャンブル依存症当事者でギャン妻でもある田中紀子さんと対談した折、「ギャンブルに大金を投じた時、なんかすごい大物感が押し寄せて来て、その快感に酔ってしまう」と言った彼女に、思わず「わかる~!」と叫んでしまった。
そうなのよ、私の買い物もホス狂いも、その「大物感」が重要な役割を果たしてた。
高額なブランド物を買った時のドキドキ感と、大金をポンと出した自分に対する「私、すげぇーー!」感。
ホストクラブで「じゃあ、リシャール入れて!」と言い放った瞬間の、「ああ、もう終わりだ!」というとてつもないヒリヒリ感と、同時に押し寄せる「やってやったぜ!」という英雄感。
背中に冷たい恐怖を感じながら、目の前の眩しいほどの快感に身を投じる、あの危機一髪のスリル!
こればっかりは、どんなに言葉を尽くしても、わからない人には一生わかってもらえないだろう。
同様に、アルコールやドラッグに依存する人たちの、破滅と背中合わせのめくるめく陶酔感も。
西川口榎本クリニックの副院長・斉藤章佳氏から「痴漢は依存症だ」と聞いた時も、ポンと膝を打つような思いだった。
私は女性なので、もっぱら被害者側の立場であり、痴漢の気持ちなど考えたこともなかったのだ。
彼らの行為を性欲の問題だと解釈していたため、「捕まったら犯罪者となって家庭も社会的地位も何もかも失いかねないのに、なんで我慢できないんだ、バカチンどもめ」などと思っていたのである。
だが、依存症だと言われれば、なるほどと納得できる。
もはや性欲云々ではなく、失うものの大きさとリスクの高さにスリリングな興奮が伴うのだ。
だから、やめられないのだ。
私の買い物は財政的破綻と隣り合わせだったが、彼らの場合は社会的破滅と交換。
より恐怖が大きい分、刺激も強い。
他の動物と違って、人間は危機感や恐怖が快感にすり替わる奇妙な生き物である。
わざわざお化け屋敷やジェットコースターなどというものを作り上げ、金を払ってまで恐怖を娯楽として愉しむ。
その快感はたぶん、高度な理性と背中合わせなのだろう。
理性があるからこそ、そのタガが外れた時の解放感が凄まじい。
もしかすると依存症の人間は、理性の抑圧が強いタイプなのかもしれない。
抑圧が強ければ強いほど、その蓋が吹っ飛んだ時の反動が大きいからだ。
痴漢には意外にもエリート会社員や社会的地位のある人間が多いと聞く。
日頃から理性による抑圧が大きい人間が、一度でも己の欲望を解放してしまったら……そりゃもう、途方もないスリルと快感に震えるに違いない。
そんなふうに想像すると、これまで理解できなかった痴漢の気持ちが少しわかるような気がしたのだ。
まぁ、だからって痴漢を擁護する気は全然ないし、あらゆる性加害は許されるべきではないけどね。
ただ、理解もせずに憎むより、理解して憐れむ方が、より良い解決策に結びつきそうに思う。
このように、私は、依存症という視点を通して、理解不能な他者たちに少しでも近づきたいと考えるようになったのだった。
依存症患者たちは、何が欲しいのか?
破滅に向かって突っ走ることで、己の死を望んでいるのか?
痴漢の動機が性欲ではないように、私の買い物も物欲ではなかった。
同様に、過食症も食欲の病ではないし、ギャンブル依存も金銭欲などではない。
では、私たちは何が欲しいのか?
欲しいものがわからないのだ。
わからないから、足ることを知らないのだ。
欲しいものが明確であれば、それを手にした時点で満足するはずである。
きわめて個人的かつ卑近な例で申し訳ないが、私はミニストップのソフトクリームが大好きだ。
でも、1個食べたら満足して、もっともっと食べたいとは思わないし、ましてやソフトクリーム欲がエスカレートしたり止まらなくなったりすることなど決してない。
普通の欲望とは、そういうものだ。
満たされたら、それで終わり。
ところが、依存症の欲望は違う。
手に入れても際限なく欲しがるし、冒すリスクはどんどんエスカレートし、ついには破滅の淵を覗き込む羽目になる。
それは、ある種の「自殺」である。
では、依存症患者たちが望んでいるのは、自分の「死」なのか?
いや、違う。
それならとっとと自殺するはずだ。
自殺せずに擬似的自殺行為を繰り返すそのさまは、リストカット常習者に似ている。
リストカットも、おそらくある種の依存であろう。
じゃあ、どうしたいんだ?
死にたくないなら、何故、自分を死に追いやるような真似をするのか。
おそらく、と、私は思う。
依存症患者が真に望んでいるのは、「死」ではなく「再生」なのではないか?
破滅的な行動によって自分を擬似的な「死」に追いやることで、私たちはもう一度生まれ変わって生き直したいのではないか?
依存症患者の行動は、その象徴的な再生の儀式ではないのか?
私がこのような考えに至ったのは、遊園地である体験をしたせいである。
どうってことない体験であった。
いや、どうってことないどころか、世にもバカバカしくくだらない体験だった。
次回は、その話をしたいと思う。
あまりにも愚かな話なので、どうか呆れないでくださいね。
でも、あの時、私は依存症の本質に触れたような気がしたの。
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コメント
うさぎさんのことば、全部おもしろくって、尊い。
心の処方箋のような文章。まだ続きがあることが嬉しいです。(中村さんのシリーズ終わってほしくないです)
依存症患者が真に望んでいるのは、という先に綴られた言葉に、鳥肌が立つくらい、嗚呼と思いました。失われた私を探しての筆圧ある筆致に、圧倒されました。