3000万円をオンラインカジノで溶かす やっと気づいた「自分はギャンブルに太刀打ちができない」
オンラインカジノに再び手を出した友之さん。3000万円を1日で溶かし、自助グループにたどり着きます。
公開日:2024/03/22 02:00
好きなサッカー選手の広告を入り口に、違法なオンラインカジノにハマって300万円以上の借金を作った友之さん(26)。
コツコツ返しながら借金と仕事のストレスで休職中、1万円の支払いが不足し、再び手を出したのがオンラインカジノだった。【編集長・岩永直子】
サッカーW杯のスポーツベットに全突っ込み
勝った負けたを繰り返し、残りの借金を返済できるまで勝ちを積み重ねても、一瞬にして全額溶かす。
サッカーW杯が開かれていた2022年の年末には、軍資金が50万ぐらい残っている状況だった。
賭けるか、賭けるのを止めてコツコツ返す道に戻るか。
二つの選択肢の間で迷った結果、賭ける勝負に出た。
「バカラは疲れたので、W杯のスポーツベットをやることにしました。準々決勝がポルトガル対モロッコ戦で、モロッコに50万を全額突っ込みました」
震えながら試合中継を観戦した。1対0でモロッコが勝っていたが、終盤、ポルトガル代表のスター選手、クリスチアーノ・ロナウドが暴れ始めた。手に汗を握るような思いで「点を入れないでくれ」と祈った。
結局、モロッコは1点を守り抜いた。
「試合終了の瞬間、ダーっと叫んで、首の皮一枚つながったとホッとしました。賭け金は3倍に膨らみました。そこでやめたらいいのに、同じサイトにカジノもあったので、また自分が得意だと思っているバカラに戻りました」
順調に増えていって、その年の年末には3000万円まで勝ちが積み重なった。
オンラインカジノは一気に勝った金を引き出せないシステムになっている。上限が3万ドルぐらいなので、それで借金をいったん返済した。
「ゲレンデを買おうか、マンションを買おうかと高揚感もありつつ、ギャンブルが止められないという恐怖もありました。何も努力をしていない人間が3000万円を手にしてもいいのかという葛藤を持ちながら、これは俺が今までギャンブルで痛い目に遭ってきたご褒美なんだ、もらうのは当然だとも思っていました」
帰省の高速バスで「ちょっと賭けようかな」
3000万円をオンカジで儲けたという思いは、友之さんを増長させた。
「商店街を歩いていても、肩で風を切って歩いている気分です。『この一帯で俺が一番金を持っている』とニヤニヤして、人にぶつかられても怒らない。ウキウキしていました」
そんな2023年の年末、東北の実家に帰省することになった。
「3000万円を持って帰省するのですごくワクワクしていました。高速バスで帰ると、乗っている時間、暇があります。『暇だからちょっと賭けようかな』と思いました」
3000万円に増やす過程で、1回に賭ける金額は1万ドル、130万円ぐらいになっていた。バカラで賭けて結果が出るのは約30秒。帰省のバスの中でも130万を賭けて、「これが勝ったらやめようと思っていました」
最初は負けた。減ってしまうとトントンにならないと気が済まない。そこから繰り返し賭け続けた。
「3000万円が2500万円になり、2000万を切る。実家に着いた頃には1000万円ぐらいになっていました」
それでも「3000万円に戻したい」と気持ちが止められない。実家でご飯を食べながら賭け、食後にテレビを見ながら賭け、寝る時に布団の中でも賭けた。
結局、翌朝7時まで賭けを繰り返した。12時間賭け続け、朝7時、残金はゼロになった。
自助グループにつながる
(夢であってくれ……)
そのまま布団で寝て、3時間ほど経って目が覚めてログインしたら、残金はゼロのままだった。3000万円をあっという間に溶かした。現実だった。
また300万円を借金し、失った金額を取り戻すために賭け続けた。1月頭、300万円まで勝ちを重ねた。「300万円を残して、勝ち逃げをしたい」と切実に思った。ネットで検索すると、ギャンブル依存症の自助グループ「G A (ギャンブル・アノニマス)」を見つけた。
「G Aに行って色々な人の経験を聞くと、自分に当てはまってこれは病気なんだなと理解しました。それでも『300万円勝ち逃げしているのだから、俺はこの人たちと違う』と思い込んでいました」
その日、自宅に帰ると「俺はギャンブルをやめられる」という過信からか、またオンラインカジノに手を出した。勝ち逃げしたはずの300万円を全て溶かした。300万円の借金が残った。
「天井を仰ぎながら、あああ…とカスカスの声が出ました。その頃、田中紀子さんと高知東生さんの『たかりこちゃんねる』を見ながらギャンブルをしては『俺はここまではひどくない』と自分を慰めていたんです。でも全て溶かしてから、俺もこの人たちと同じなんだと実感しました」
2023年の年明け、田中さんのXでのつぶやきを見ていると、正月早々、子供のお年玉をギャンブルに突っ込んだ親に対して「ここに相談してください」と電話番号が書いてあった。
「そこに電話したら、ギャンブル依存症問題を考える会につながりました。僕の回復への第一歩でした」
借金が減らない焦り…オンカジでスリップ
でも、そこから順風満帆にやめ続けられたわけではない。「一緒に自助グループに行こう」と言われて、GAに再びつながってからも、2回スリップした。
「振り返るとずっと借金に囚われていました。自分がギャンブル依存症であるという認識はあるのです。でも、『自分には借金があるのだから、返すにはGAに行くよりウーバーイーツで働かなければいけない』と思って、ちゃんと通えていませんでした」
最初は2週間に1回しか通えていなかった。借金もコツコツ返していたが、1ヶ月ぐらい経った3月頃、ウーバーで頑張って稼いだ30数万円を10分ほどで全額溶かした。
「借金が全然減らないストレスがありました。『30万あれば増やせるだろう』と思ったのに、10分で溶けて吐きそうになりました。GAの仲間に泣きつきました」
その後、しばらく週1回は通っていた。それでも「自分には借金がある」という不安や焦りに囚われていた。5月の頭に、またウーバーイーツで頑張って稼いだ30万円と確定申告で戻ってきた還付金30万円の計60万円を数十分で溶かした。オンカジだった。
「借金の残高が全然減らない焦りがあって、ふとした時にギャンブルをしたい衝動が襲ってくる。『これをしないといけない。するしかない』という強迫観念に追い込まれていました」
親にも彼女にもギャンブルで作った借金のことは話していなかった。自分一人で不安や焦りを抱え込んでいた。
「5月に賭けた時は手が震えていて、体が受け付けていないと気づきました。もうやばい、本当に病気なんだと思いました。ギャンブルに自分は太刀打ちができない、負けを認めました」
やっと「止めるためにはなんでもする」という気持ちに辿り着いた。
仲間との交流で自分を見つめ直す
そこからは今日まで、ギャンブルに手を出していない。
「結局、仲間に言われていた通りになりました。『お金に囚われていたらダメだよ。G Aに来て正直に思いを吐き出さないとダメだよ』と言われていたんです」
そこからはG Aに参加する回数も週1回から週3〜4回に増えた。回復のためのプログラム「12ステッププログラム」に真剣に取り組み、ミーティングの後で仲間と話す「フェローシップ」も始めた。「一緒に辞めていきたい」と思いが強まって、自然とギャンブルは止まった。
借金は現在、奨学金も含めると700万円ぐらいになっている。回復に向き合う過程で、「もう収支が破綻しているから自己破産した方がいい。借金の問題は棚上げして、回復にちゃんと向き合おう」とアドバイスを受けた。今、手続きを続けている。
今はオンカジをやりたい気持ちもほぼなくなった。
「仲間とのつながりが大きかったです。やめている人の話を聞くことで不思議と止まっている。再びやりたい気持ちにならないように、仲間の輪の中に常にいることと、承認欲求や自己顕示欲が強い自分の性格の欠点を見つめ続けたい」
オンラインカジノにハマりやすい環境や広告
振り返ると、有名サッカー選手が広告に出ていたり、手続きも簡単で24時間365日スマホで賭けられたり、オンカジに引き込む環境がいくつもあった。
「入金がすぐ反映されるので、簡単に始められてしまうし、逆に出金には時間がかかる。依存症の人はやりたい気持ちが前のめりで待てませんから、借金しては溶かすループにハマってしまいます。そして短時間で大金を失う。めちゃ怖いです」
今は彼女にもギャンブル依存症だったことを話した。お笑い芸人としてもポツポツ仕事を始めた。
「後輩とかに見栄を張ってまたギャンブルに手を出さないためにも、正直に生きたい。やめたいと思って助けを求めたら手を差し伸べてくれる人は必ずいます。今、同じようにギャンブルから抜け出せなくなっている人は、助けを求めて、差し伸べられたその手をつかんでほしいですね」
(終わり)
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コメント
どれだけの人が、回復施設からの復帰でギャンブルをやめ続ける事が、出来ているのだろうか?
社会復帰をしたら、開放されたように又、ギャンブルをしてしまわないのか?