抱きしめたりするときに、やっとその人の温度を感じる。『一人じゃない』ってわかる 恋愛依存のモデル・ゆめじさん(上)
恋愛依存のゆめじさん。高校失業後、東北地方から上京した。「歌舞伎町を目指すことでなんとか生き延びました」と話します。どんな歌舞伎町ライフだったのでしょうか。
公開日:2024/09/01 22:30
「歌舞伎町を目指すことでなんとか生き延びました。今の、トー横に身を寄せている子たちとは、時代が違っていただけだと思います」
モデルのゆめじさん(37)は恋愛依存を自称している。精神科に通っていたことはあるが、「依存症」に関する正式な診断名はない。高校卒業後、東北から上京した。歌舞伎町を目指した。性風俗店で働くことを決めていたのだ。いったい、どういうことなのだろうか。
「自分には価値がないと思っていたんです」
そう思うようになったのは、家族関係が一因にある。幼い頃に両親が離婚したため、父親の顔を知らない。その母親も子育てを主体的にはせず、祖父母に育てられた。そのため、ずっと寂しかった。中学のころにはすでに「死にたい」という思いが芽生えていた。寂しさと希死念慮の両方を満たすには、心中したいと思うほどの恋愛対象を探す心情につながっていく。
「価値があるとすれば女性であること。男の道具だったとしても、価値があるなら生きていけるかもしれない。だから、処女でしたが、高校卒業後に地元でデリヘル(デリバリー・ヘルス、派遣型ヘルス)の面接を受けました」
風俗で働こうと思ったのは、心中したいと思える相手を探す手段だったのかもしれない。
男性に慣れるために出会い系や風俗を経験
まずは、地元で男性に慣れようと思っていた。自身の価値を確認するかのように、出会い系サイトで男性と会った。また、デリヘルで働いた。そんな中で、初めて〝運命の人〟と思わせる男性との出会いがあった。
「覚悟は決まっていたんですけど、男の人が怖い。だから男性に慣れようと思って、出会い系サイトで何人かの男性と会っていたんですけど、待ち合わせをした時点で怖すぎて、血の気が引いちゃって。私、ガタガタ震えるって人だったんです。
でも、地元のデリヘルに来てくれた人は、ちょっと違っていました。運命の人、つまり、結婚するかどうかを考えるような、私の人生のキーになると人と思った初めての人でした。私がお願いをして、初めてエッチをしました。その男性は『そんな大事なことをしていいのか?』と言っていました。『この人なら大丈夫かもしれない。必要な人だ』って思って。はじめてひとりぼっちじゃない、孤独じゃないって思ったんです。だから、しばらくはその人に依存していました。夏休みに帰省したときにも会っていました」
上京し、歌舞伎町を目指す
短大進学のために上京したゆめじさんは、歌舞伎町のデリバリー・ヘルスで働いた。
「2軒ほどデリヘルで働きました。でも、器用なタイプではないので、しんどい。メンタルがボロボロになっていきました。なんで続いたのか?っていうと、私をスカウトしてくれた人のおかげです。白髪の方だったんですが、上品な方で。あの人がいたので、ギリギリ続いたって感じです」
風俗嬢の場合、利用客との関係は割り切る場合もある。しかし、ゆめじさんは考え方が器用ではない。スタンスがわからないでいた。
「割り切って、お客さんを財布だって思えることって、よほど成熟してない限りうまくいかないんですよ。『どうして来てくれないのだろう』とか思って、(利用客に対して)攻撃的になっちゃうんです。お店に来てくれる時、お客さんは、私のことを好きだって言うわけじゃないですか。でも、違うんです。わからないことだらけ」
性風俗で働くというのは、ある種の演技をするようなものだ。偽物の愛情を売り、性的サービスをし、お金を稼ぐ。お客さんとの関係は、リアルの愛情とはまったく違う。そのため、リアルと演技の区別をするものだが、愛情をうまく受け取ったことがないため、その状況に混乱し、振り回されてしまっていた。
「多分、本物の愛情がどういうものか。それを大前提で扱ったことがなかったから。偽物の思考実験的なことと本物の愛情は違うって、うまく選別ができないでいたんです。愛情に飢えていたから。その愛情が偽物でも近くに欲しい。でも、捕まえられるわけじゃない。振り回されていたと思います」
ゆめじさんは精神的な戸惑いを表に出すことはしなかった。むしろ、感情表現は苦手だった。だから、自分の心の外側に壁を作っていたのか、混乱ぶりを表出はせずに、接客は高圧的になった。愛情を求めていたのも関わらず、偽物の世界で生きるしかなかった。
「だから男の人から見ると、振り回されているんだろうけど、まだ当時は10代でしたし、成熟していいないので、戸惑いの方が大きすぎました。感情を出すのもそもそも下手なので、基本的に冷めていると思われていました。でも、私はずっとパニックでした。そこにうまくハマれない自分のこともすごく嫌でした。繊細すぎたんだと思います。気持ちがギリギリになると、店を変わっていたと思います。変えたと思ったら、すぐにまた限界が来て…」
創作投稿サイトにも依存する
限界が来たゆめじさんは、その後は、性風俗ではなく、キャバクラで働くことになる。客以外でも精神的に依存した男性がいた。ゆめじさんは高校生の頃から、創作物を投稿するサイトにハマっていた。そのサイトの投稿仲間だ。
「自分が撮影した写真や書いたポエムを投稿していたんです。そのサイトではビュー数が出るんですが、見ている人がいました。それが希望でした。希望とともに依存でもありました。コメントしてくれる人の中ですごく面白い人がいました。その人にも依存して、彼の影響で紹介された本を読んだりしました」
その男性とは合わなかったが、サイトで知り合った男性の中には、付き合った人が2人いた。一人とは二股をかけられていた、という。
「パンクファッションの子で、私も好きだったので、毎週、原宿でお茶していました。お付き合いをしていたんですが、二股をかけられていました。どうりで、彼の家に泊まれないわけですよね。なぜ泊まれないのか理由は言わない。だからどんどん病んでいきました」
もう一人は群馬県在住の男性。「都会が怖い」ということで、ゆめじさんが群馬県まで通っていた。
「月に何回か私が電車で会いに行っていました。彼の心が弱すぎて、家から出られない。私のほうが男前でした。だからか、一緒にいて成長できる人じゃないとダメなんですよね。基本的に。お付き合いをするとき、自分にないものを持っているじゃないとダメ。そこを学ぶためにお付き合いをするんです。文章は上手いから、仲間意識がありました。でも、群馬の子とは、『もういいかな』って思って…」
ゆめじさんは愛情を常に求めていた。しかし、何が足りないとも感じていた。
「愛情がもともと足りていないのもあるので、誰とお付き合いをしても、『なんでこの人が隣にいるんだろう』って。私が理解できないんですよ。結局は、会っている時にエッチをしたり、抱きしめたりするときに、やっとその人の温度を感じる。『一人じゃない』ってことがやっとわかる。その感覚に依存していたんです。そんなとき、だいたいの人に、毎回、『一緒に死んでくれるかどうか』を試すんです。そもそもその中学生の時から、私は心中相手を探そうと思っていたんです。一緒に死んでくれないとダメなんですよ」
(続く)