Addiction Report (アディクションレポート)

「美容整形」が私にくれたもの。 それは、美醜のジャッジから解放される気楽さだった。「失われた私」を探して(11)

プチ整形から、メスを使った本格的な美容整形にハマった私。「お綺麗ですね」という声に答えるうちに、他者からの美醜の評価に動じなくなっている自分に気づきます。

「美容整形」が私にくれたもの。 それは、美醜のジャッジから解放される気楽さだった。「失われた私」を探して(11)
撮影・黒羽政士

公開日:2024/10/06 06:02

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美容整形はとても安直な自己肯定手段だから、気をつけなくてはいけないの。

束の間の陶酔感、かりそめの自己肯定感を求めて、「美容整形」という冒険に乗り出した。

プチ整形によってその威力を実感したら、次はメスを使った本格的な整形だ。

目、鼻、唇、顔の輪郭、シワやタルミの解消……ありとあらゆる施術をしたけれど、もっとも劇的な変化を私にもたらしたのは、「フェイスリフト」と「豊胸」だったと思う。

「フェイスリフト」は、耳の周りの皮膚を切り取って、顔の下半分の皮膚を上に引っ張り上げる手術だ。

頬や顎周りの皮膚が引き上げられるため、きゅっと引き締まったシャープな輪郭が手に入る。

エラボトックス注射で下ぶくれの顔が細くなり、ヒアルロン酸注射で尖った顎を手に入れた後も、当時40代後半だった私の顔は加齢のせいでたるんでいた。

それを「フェイスリフト」でぎゅっと引っ張り上げて、若返らせるのだ。

術後1週間くらいは顔が腫れ上がって、人生で一番のブス期だった。

腫れ上がった自分の顔が面白くて、何枚も写真を撮った。

ずっとこの顔だったらどうしようと不安になる時もあったけど、腫れなんてものは時間が経てば引くものだということも理性ではわかっていた。

そして、1週間後の抜糸時、私の顔は見違えるほど若く美しくなっていたのだ。

ああ、あの時の陶酔を、今でもありありと思い出す。

すごい!これ、本当に私なの!?

そう思った瞬間、ハッと我に返った。

いや、違う。これは私ではない。

本来の私の顔ではなく、作られた顔だ!

そう、ここが重要なのだ。

整形して美しくなると、一瞬、自分が美しくなったと勘違いする。

この美しく生まれ変わった顔は、紛れもなく自分自身の顔だと思うのだ。

が、冷静に考えれば、これはあくまで整形外科医が作った顔であり、私の本来の顔ではない。

私は「美人」の仮面を被ったに過ぎないのである。

だから、ここで鏡に映った自分を「これが私よ!」などと自惚れてはまずい。

それは、金で買ったただの「仮面」なのだから。

その事実を忘れてしまうと、整形美人は果てしない自己陶酔の罠に落ち、生まれた時から美しかったような顔をして他者を見下し、どんどん傲慢で鼻持ちならない人間になっていく。

実際、整形した人が自分の顔に自惚れてひどく嫌なやつになった例を、私はいくつも見てきた。

自意識というものがいかに人間を変えるかという、それはそれは醜く恐ろしい例だ。

我々は、金で手に入れたものを自分のアイデンティティに組み込んではならない。

自慢げにエルメスのバッグを持ち歩いたって本来の自分が大物になったわけではないし、ホストにチヤホヤされたからってそれは自分の魅力のおかげじゃない。

ただ、「大物気分」や「モテモテ気分」を金で買っただけ。

それと同じで、美容整形で美人になったとしても、美人自意識なんか持った途端に堕落する。

これはあくまで金で手に入れた「偽の顔」だと自覚してなきゃ ダメなのだ。

我々は、いともたやすくアイデンティティを書き変える生き物である。

それも、自分に都合のいいアイデンティティに。

美しくなった途端に周囲を見下し始める人間、金や地位を手に入れた途端に威張り散らす人間。

彼らは元のアイデンティティをあっという間に手放し、まるで別の人間に変わってしまう。

その一方、逆にマイナスの変化に対しては、我々は滑稽なほどアイデンティティを書き変えない。

若さを失った者たちは自らの老いと衰えを受け容れず、それこそ美容整形やバイアグラで必死に若さを取り戻そうと足掻く。

金や地位を失った者たちも、かつての栄光にしがみつき、いまだ大物のように振る舞おうとする。

我々は「現実の自分」を直視できないのである。

常に「理想の自分」を目指し、都合よくアイデンティティを書き変え、都合が悪くなると現実を否定するのだ。

美容整形は簡単に自己肯定感が手に入る手段だから、この罠に陥りやすい。

それは、私にとって大いなる脅威であった。

かりそめの自己肯定感を味わうのはいい。

どうせ本物の自己肯定感なんて一生手に入らないのだから、たとえかりそめでも自分を好きになれる瞬間は非常に大切だ。

けど、それが「かりそめ」であることを忘れてはならない。

でないと、私は自分を見失ったモンスターになってしまうぞ、と。

「お綺麗ですね」という社交辞令に「整形ですからね」と答える私の真意とは?

そんなわけで、美しく生まれ変わった顔を見た瞬間の私の心境は、とてつもなく複雑であった。

嬉しさと恐ろしさが同時に押し寄せたのだ。

危うく自分の顔にうっとりと酔いしれそうになった私は、その圧倒的な陶酔感にたちまち恐れをなして、己に言い聞かせた。

いいか、これは私の顔じゃない。

私の整形手術を執刀したタカナシクリニック院長の作品だ。

つまり、私が美しくなったのは私の手柄ではなく、タカナシ院長の手柄。

それを、ゆめゆめ忘れるでないぞ!

以来、私は、「お綺麗ですね-」などという社交辞令を浴びせられるたびに「整形ですからね」と返すようになり、相手を居心地悪くさせる偏屈なおばさんになった。

せっかく褒めてやってんだから素直に喜べよ、と、相手は思ったに違いない。

だが、喜んではいけないのだ。

喜んだ途端に、私は道を踏み外す。

だから、「なんだ、あの女」と思われようが、私は自分を勘違いさせないように偏屈ババアを貫くぞ!

こうして、顔を褒められることに危機感を抱き、しつこく「これ、タカナシの手柄だから。私を褒めないでタカナシを褒めて」と言い続けたおかげで、そのうち周囲の友人たちは誰も私の顔に言及しなくなった。

言及するとしても、「ふーん、フェイスリフトするとこうなるのかー」的な美容整形に対する感想だけを述べるようになったのである。

ただのあまのじゃくだと笑われるかもしれないが、じつはこの考え方は、私の自意識に大きな変革を起こした。

私は、自分の顔を手放したのだ。

それまでは「私の顔は私自身」と思っていたから、褒められると調子に乗って痛い目に遭い、貶されるとドドーンと地の底まで落ち込んだ。

が、整形して自分の顔が「他人の作品」になった途端、褒められても舞い上がったりしないし、貶されても「あら、今回の仮面はいまいちだったかしら」と笑っていられる。

つまり、顔を褒められたり貶されたりするたびに、自己評価が大きく変動するという面倒臭さから解放されたわけである。

これは、私にとって大きな収穫であった。

人は他人の評価に振り回され、自分を好きになったり嫌いになったり、めまぐるしく心が揺れ動く。

それが仕事の能力なら次の機会に挽回しようとも思えるが、生まれつきの容姿の問題だったりすると、どうしようもないではないか。

だって、この顔は私の責任じゃないもの!

顔がまずいのも背が低いのも、DNAの問題であって、私の選択の結果ではない。

だから、容姿を批判されることは、自分の根本的な成り立ちを否定されているような気分になり、しかも自己責任案件ではないので無力感にいたく苛まれるのだ。

親を恨んだところで、何の意味もないしね。

だから、整形後は褒められても貶されても「これは私の顔じゃないし、所詮、他人の作品である」と思うことによって、私の自己評価はあまり変動しなくなり、まるで他人事のように落ち着いて受け止められるようになった。

そのことが、私を「他者の中で採点されながら生きる苦しみ」から大いに救ってくれたのである。

自分の顔を、他者の評価から切り離す効果。

これが、私にとっては「美容整形」の一番の恩恵であった。

美しくなりたくて整形したけど、それによって美醜の評価から解放されたのよ。

ネットで「美人作家ベスト10」なんてやられても、私の名前は一切挙がらない。

それは、私が美容整形をしているからだ。

私は美醜の「治外法権」を手に入れた。

ああ、なんて晴れ晴れと自由な気分なの!

私が欲しかったのは、「美しさ」ではなく、他者の無責任で心ないジャッジから解放されることだったのかもしれない、と、その時思ったのだった。

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中村うさぎさん連載「失われた私」を探して

コメント

14日前
キャサリン

私は美醜の「治外法権」を手に入れた。

思いがけない言葉だ。

美容整形は、解放だったのか。

それも、他者の無責任で心ないジャッジからの。

言われてみれば確かにそうだけど、そこに到達できる人はいないんじゃないか。

ますます中村うさぎさんが好きになった。

14日前
はな

中村うさぎさんの記事を読むと、私はどうなんだろうといつも自分に向き合うきっかけをいただきます。

掴みどころなく気体のように思い悩むことが、掴めそうな小さな固体になってそこかしこに散りばめられているよう…。

それが本当に興味深くて面白いです。

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