タクシー争奪戦、DCブランド買い漁り...「金持ち池」と「貧乏池」のどっちに落ちる? ギャンマネ(3)
バブル前夜、「エセお嬢」だった私は、「貧乏池」に落ちるのが怖くて、叔父さんのハイヤーやDCブランドで見栄を張ります。そしてついに、一人目の夫と出会うデパートの就職も勝ち取りました。
公開日:2024/04/08 02:00
連載名
ギャンマネさて、時代がとんでもなくきらびやかになっていく、バブル前夜に女子大生時代を迎えた私ですが、あの頃というのは本当に想像もできない位の金余り時代だったのです。
「バブルへGO!」という映画をご覧になったことのある方もいらっしゃるかと思いますが、あれはほぼほぼ真実です。
ですから、金持ちの男の間を上手く泳ぎ回っている美貌に自信のある女子か、バブル景気でにわか成金となった娘、あとは実家が金持ちの本物のお嬢ならまだしも、私のように「エセお嬢」を演じていた、多くの一般ピープルには大変なことも沢山ありました。【プロデューサー・田中紀子】
タクシーに値踏みされ、ディスコで夜明かし
映画の中にもありましたが、とにかくタクシーが捕まらない。
それも今のように運転手さんの高齢化が進み、人手不足になったため......などという理由ではありません。運転手さんにとって客はよりどりみどりで、乗車拒否なんて当たり前の時代だったのです。
例えば道路にタクシーが止まっている。時間はすでに深夜3時過ぎ。終電後のラッシュが一段落した頃です。恐る恐る我々女子大生が「乗れます?」と尋ねると、運転手さんはぶっきらぼうに「どこに帰るの?」と聞く。「中野です」と答えると、「な~かの~ぉ!?。ダメだね」と、こんな感じです。
もうね~、その値踏みされる感じが、若い女子には怖いのなんのって。
これはどういう意味かというと、「六本木から中野なんていう近場(といっても当時3000円くらいはしたと思いますが......)なんか行ってられっかよ!」ということです。
深夜ならもっと長距離か、よくバブルの風物詩としてタクシーを止めるのに、万札を2~3枚ひらひらさせて「これでおつりいらないから乗せてよ」の合図を送ったというのがありますが、まさにあんな感じでした。
普通の女子大生が、その日上手いことヤンエグと知り合いになれなかったり、タクシー会社の裏電(オープンにしていない秘密の電話番号)を知っているおっさんに出合えなければ、帰ることもできなかったのです。
そんな時は、風営法違反を知りながらこっそり営業しているDiscoで時間を潰すしかありません。始発まで粘るようなのは貧乏人しかいないので、黒服からもろくに相手にもされませんし、みな疲れ切って半分寝ていました。
フロアーもがらんとしていて、その光景がいかにも「敗残者」という感じがして、実に惨めな気持ちになったものです。
「貧乏池」と「金持ち池」のどっちに落ちる?
そんな話しをたまたましたら、当時絶好調で我が一族の出世頭となっていた証券会社の重役をやっていた叔父が、なんと私と叔父の娘(つまり従姉妹)が遊び歩くのにハイヤーを回してくれたのです。
Discoで遊んだあと、タクシーを捕まえるのに必死になっている若者達を尻目に、ハイヤーに悠々と乗り込み、叔父がいる赤坂のとんでもなく豪華な、舞台があってスモークが炊かれるようなクラブで合流した際には、本当にドーパミンがドバーッと出るような優越感に浸りました。私が「なんてったってアイドル」を唄ううしろで、証券会社の若手社員が踊ってくれ、私のあまりのパフォーマンスの素晴らしさに(?)、店内にいた別の組の芸能人達もやんややんやの大喝采を送ってくれました。
ホステスさんは、見たことのある時々TVにも出ていた女優さんで、最後にこのクソ夜中に女優さんと高級寿司を食べて帰った時には、私は「男は出世しなくちゃならん。そういう男を絶対に捕まえなくては」と改めて誓いました。
首尾が上手くいかなければ、惨めに始発までウダウダと時間を潰し、力のある叔父の機嫌がよければハイヤーを乗り回して遊ぶ。この両極端の2つの価値観を生きているのもまた現実なのです。
余談になりますが、一部報道で水原一平さんが「エンゼルス時代の自分の年収は1300万円くらい。翔平のライフスタイルに合わせようと無理をしていた。それを翔平に知られるのも嫌だった」と語ったとされており、真偽のほどはわからないですが、これには私「わかります!惨めさと優越感。それらがごちゃ混ぜで、メンタルがおかしくなりますよね!?」と叫びそうになったものです。
ちなみにこの今思えば接待費を私物化していたと思われる叔父は、バブル崩壊後の証券会社の損失補填問題で失脚し、自身も投資で失敗したあげく、最後は自殺未遂、それがもとでのちに60代の若さで亡くなりました。
考えてみると、若い女の子が電車を使うのも当たり前だし、当時の金余り時代に男達が接待費などをジャブジャブ使っていた方が異常なのですが、あの頃の私は狭い1本橋を渡りながら、自分はこの先「貧乏池」と「金持ち池」のどっちに落ちるんだろう?と怖くて仕方がありませんでした。
なんせあの当時は、普通ではいられない、普通ではあまりに物価が高すぎて貧乏暮らししかできないのです。貧乏の辛苦をなめきっていた私は、生涯にわたってあんな惨めな思いは絶対に嫌だと、まさに恐怖に震えていたと言っても過言ではありませんでした。
DCブランドのビニール袋で見栄を張る
そして浅はかな私は、「自分をより高い女に見せよう!」と決意し、当時分割払いで有名な、日本でいち早く日本オリジナルのDCブランド(デザイナーズブランド)を手がけ、売り上げ絶好調のデパートの渋谷店にバイトに行くことにしたのです。もちろん社員割引で洋服を買うことを目論んでのことです。
こういう短絡的思考と行動力、今もこれが私の短所であり長所でもある気がしています。
この目論見は見事にあたりました。
なんせこの私、商売家のプライバシーもないような家に生まれ育ち、小学生の頃から店番をしていたのです。接客なんかお手のもの。バイトでありながら、めちゃくちゃ売り上げをあげていきました。
そして当時は、社員割引が17%もあって、例えばセールになるとDCブランドが50%になり、さらにそこから17%も値引きしてくれるのです。これは私にとって夢のようなお話でした。
調子に乗った私は、当時付き合っていた、税理士を目指す地味な田舎から出てきた4畳半風呂なしトイレ共同アパートに住む彼氏にも、山本寛斎のスタジャンを貢いであげたりしていました。そしてこの彼氏が就職し貧乏から抜け出すと、まんまとふられました。
あの頃DCブランドの洋服というのがとんでもなくお高かったんです。スーツなんか買ったら10万円を超えることなど余裕でありました。
なのでDCブランドは一般ピープルの憧れの的。ゆえにそこのブランドの袋(当時は紙袋ではなくビニール袋で二つに折って脇に抱えて持った)が大人気で、鞄の代わりにこのDCブランドのビニール袋に荷物を入れて見せびらかして歩くという、金持ちなんだか、貧乏なんだかわからん、という不思議な現象が流行していたんです。
清水の舞台から飛び下りる気持ちでNICOLEのトレーナーを買いました!みたいな貧乏学生は、当然のことながら、NICOLEのこのショッピングバックを、それこそボロボロになるまで使い込んでいました。そうまでして全員が見栄を張りたがった時代だったのです。
でも見栄を張って上を目指せば、「誰でも成り上がれる。成功できる!」そんな夢が信じられるようなエネルギーある時代であったことも事実です。
このDCブランドの聖地のようなデパートに潜り込んだ私は、こんなブランドビニール袋などいくらでも手に入ることになりました。NICOLEでもBIGIでも、当時DCブランドのトップランナーであった、Y‘sやcomme des garconsでも、私の大好きだったジュンコシマダでも、どんなお高いブランドものだって、ビニール袋だけなら手に入ったのです。
こんなことに有頂天になっていた、真に貧乏根性の身についた私。
店に、同級生が遊びに来ると、このビニール袋を分けてあげては喜ばれ、得意になっていました。
しかも私は、ここでもまた頑張ってバイト代も目一杯稼ぎました。そしてそれを全部洋服代に使ったのです。ですから周りの人にめちゃくちゃ可愛がられたと思います。そもそもこのバイト、若者相手なので日中なんかヒマでしかたないのです。そういう時間にDCブランド店をウロウロしてても、誰にも怒られなかったんですね。
むしろ私のもうすでに当時発症していた買い物依存症を、フロアの全員が知っていたので、「新作入ったよ~」なんて接客してくれて、社員のブロック長やフロアー長も、売り上げになるので快く社割にしてくれたのです。
時には、「現金がない」というと、一括払いにしてくれたり、分割払いにまでしてくれる社員さんもいました。自分の借金になってしまうのにですよ!その位売り上げには貪欲な会社でした。
デパートにそのまま就職
こうしてボディコンシャスなDCブランドで着飾り、夜は六本木で遊び歩き、ブランドのビニール袋を見せびらかしているうちに、就活の時期になり、そのまま何も考えずにそのデパートに就職してしまいました。
当時の就活なんて本当に簡単です。圧迫面接なんてあり得ません。どこでも入れました。私も渋谷店のバイトの面接をしてくれた人事に電話をして、「卒業したらこのまま就職したいんですけどぉ~」と甘ったれた声を出したら、当時の人事の係長が「あっ、明日丁度短大卒の子達の就職面接あるよ~。来る?」と言われ、「わぁ、行きたい~」と言ったら急遽面接に突っ込んでくれました。
履歴書を持ってこいと言われたので、友人と沖縄に行った時のピース写真を切り抜いて貼り付けていったら「楽しそうな写真ですね~」と人事部長に言われました。当時は「はい!」と元気よく答えましたが、あれはもしかしたら嫌味だったのかもしれません。
面接会場では「短大時代何をやっていたんですか?」と聞かれて「御社でバイトして、売り上げとカードの獲得を頑張りましたぁ」と言ったら、もうそれで決まり。「是非、入社して社内結婚で旦那さんを見つけて、ずっと我が社に貢献して下さいね」とセクハラまがいの講評を受けて、入社が決まりました。
こうして、私はこの後本当にこの会社で1回目の結婚相手に巡り会うことになったのです。
(次号に続く)
コメント
デパート時代のお話。ニヤニヤしながらりこさんと同僚だったら楽しかっただろうなぁと読みました。でも見てるとハラハラもしただろうな〜と妄想しました。夜遊びしながらも将来「貧乏池」と「金持ち池」のどっちに落ちるんだろう?と怖くて仕方なかったと…バブル期にふと同じ様に考えた人もいたんじゃないかな
一見煌びやかで充実してる様に見えますが、葛藤もあったんですね。それでもやっぱりリコさんは昔からエネルギッシュだなぁと読んでてクスッとしました。
「いかにして優越感を得るか、勝ち組に入れるか」私も学生の頃はこればっかり考えてたので、共感!
りこさんと同年代なので某デパートのバーゲンにはよく並びました笑
当時のエネルギッシュなりこさんとも是非お会いしたかった〜
同じ時代を生きていたとはいえ私はバブルはどこか他人事のような環境の中にいました。
今後のおはなしが今からたのしみです。
私の方がお姉さんだけど、終電がなくなり、始発まで時間をつぶした時の虚しさとか分かります。お嬢様になりたかった。前回りこさんがあげられてた短大のひとつに通っていた私は、まさにエセお嬢様でした。読んでいて青春の痛みを感じました。
次回も楽しみ!
本当にバブルの時代は華々しかったですね(私は中小企業入社後3年ほどたった時期で地方でバブルの恩恵を殆ど受けることはありませんでしたが・・・)。とにかく、りこさんの波乱万丈の物語を聞けて本当に楽しいです。次回も期待して待ってます。
バブルを知らない世代ですが、当時の情景がすごく伝わりました。衝撃的で、刺激的!夢物語みたいな時代ですね。
貧乏池と金持ち池の話の、周りと比較して必死について行ってた感覚、分かりるな、同じだなぁと思って読みました。
あっという間に読み終わってしましたので、早く続きが読みたいです!!
前回のレノマのセカンド
今回のDCブランド全盛期
同じ時代を過ごしてたリコさん!
見栄っ張り思考が染み込んだ10代から20代でした
短絡的でした
楽しかったけど、あの時代は疲れましたね
でもその思考が未だ、どこらからに残ってる
そして水原さんの気持ち、見栄を張らずにはいられなかっただろうなぁ…
ちょっとわかる気がする
続きが楽しみです
同世代ですが、破天荒過ぎてビックリします。
その土台があるから、今型にはめないアドバイスが出来るのかと思いました。
続きが楽しみです。
バブル後の青森の片田舎で育った身なので、本当にこんな世界が〜?!と読んでいて面白いです。
こんなに煌びやかな世界で生きていて、他人には羨ましいと思われてきたりこさんにも陰の部分があり、それをテンポよく伝えてくれるから面白い!
素敵すぎる↓
履歴書を持ってこいと言われたので、友人と沖縄に行った時のピース写真を切り抜いて貼り付けていったら「楽しそうな写真ですね~」と人事部長に言われました。
情景が浮かびます
今から思うとバブルはなんだったんだろう
ディスコのパサパサのスパゲッティやピザ食べたなぁ
この先,お嬢はどうなるのかなぁ
懐かしいあの浮かれぽんちだった時代にタイムスリップしたような感覚で読ませていただきました。大都会東京のど真ん中で、キラキラの青春を送ってらしたりこさん、本当にパワフル!
いろんな経験をされてきたりこさんだから、今いろんな人の相談に乗れるのですね。
一平さんの自分の年収よりも 派手な世界に自分を合わさないといけないと無理をした、辛かった…のくだりがささりました。
世の中の虚像と周りを意識した自分の現実の差
りこさんはキラキラでかわいい写真だけど 今回の記事で 自分のOL時代を思い出し少し切なくなりました。
買ったけど使いもしないビトンバックの 紙袋を着替え入れに大活躍させてたあの頃…
一平さんの自分の年収よりも 派手な世界に自分を合わさないといけないと無理をした、辛かった…のくだりがささりました。
世の中の虚像と周りを意識した自分の現実の差
りこさんはキラキラでかわいい写真だけど 今回の記事で 自分のOL時代を思い出し少し切なくなりました。
買ったけど使いもしないビトンバックの 紙袋を着替え入れに大活躍させてたあの頃…
ビックリ!
私の過ごした青春と違い過ぎます。だから気になる。
りこさんがここまでに来た経緯、早く読みたいです。
楽しみにしてます。
私の時代はすでにバブルは崩壊していましたが、就職してからは、バブルの時はあーだったこーだったと話は聞いてましたが、りこさんの時代が手に取るようにわかり、読んでいてワクワクしました。りこさんはどんな時でも全力でパワーがあり、りこさんの世界観に引き込まれていきます。次が楽しみです。早く読みたいなぁ〜。
平成生まれ、就職時はまだリーマンショックの煽りを受けていた私からしたら、本当に映画や漫画の様な世界観で、またしても一気に読んでしまいました!
この時代、りこさんと同様に、キラキラしい自分を演出しているけど、本当は普通な自分にギャップを感じていて、でもキラキラした世界に留まりたくて必死に生きていた若者は多かったんじゃないかなと思います。
また、本文中に水原一平さんに触れる部分がありましたが、私も大手企業に務める人達が集まる社会人サークルに入っていた時、全くおなじような感覚に陥っていた事を思い出しました。
大きなお金を稼ぎ出すような何かがある自分じゃない事は分かっているのに、大手企業に就職できて、それなりの年収を貰えていた自分。
そこに対して変なプライドがあって、サークルのメンバー達と同等の生活水準になんとなく合わせた生活をするようになりました。
そしえ次第に、よりサークルメンバーから好かれたい、恋人も作りたい、サークルの中心メンバーとして賑やかな和の中で皆から認められたい欲が止まらなくなり、必死に旅行やイベントに参加してどんどんお金をつぎ込み、しまいには借金もするようになりました。
その時は必死すぎて、自分の状況を現実的に考えられず、完全に浪費依存に陥っていたと思います。
今になってしまったけど、そんな自分に気付くことが出来て良かったと思います。
ギャンマネを読むと、過去の自分を振り返る事ができて、楽しいだけではないものを頂けます。
次回も楽しみにしています!
どんな環境にも屈しない生きる力の逞しさ、またたくさんの人を巻き込んでいく勢い、田中紀子さんの魅力を再認識する過去のエピソード!あの時代背景をこんなに詳細に記憶していて、しかも面白く語れる才能にも、読んでいて笑ってしまいました!田中紀子さんの人間としての魅力は、こんな時代を生き抜いて更に築かれていったんだなっ〜と感じました。水原一平さんが語った思いに共感している田中紀子さんのセリフ、一平さんに聞かせてあげたい!どうかこのアディクションリポートが水原一平さんや今依存症で苦しんでいる当事者や家族に届きますように!
周りの評価が自分の評価で、周りがいいと言ってくれないと自分に価値がないと思ってしまう。
そうじゃないと知る事ができたが今までの思考を変えてくのは簡単ではない。けど、少しずつ変えていく努力をしてます。
田中紀子さんの生い立ちを知り、現在、ギャンブル依存性を考える会の代表として精力的な活動の下地を作った一つではと納得する。
興味深いです。
就職が簡単で羨ましいと思いました。高校時代に授業が始まる時に突然「今日、バブルが崩壊しました」と言われたのが未だに忘れられません。
親や親族が公務員だったし、親が厳しかったためにバブルは遠い国の物語でした。高校時代にバブルを経験してた子もいたようですが。
お嬢様ブームは岡崎京子の短編や松苗あけみの「純情クレイジーフルーツ」で読みました。
こちとら氷河期で第二次ベビーブームで今ではFランク大学と呼ばれている大学も倍率がすごくて、推薦試験ですら2倍4倍で闘わないといけなかったし、女子大生ブームなどなかったし、割に合わなかったです。
そこそこ良い学校に行ってもみんな就職に苦労していたし。
羨ましいと思ってしまいました。
ただ、アルコール病棟で知り合ったバブル世代の人は良い思いをしたけど、地獄に叩き落とされた人がいて、ある意味可哀想と思いました。
ただ、第二次ベビーブームで氷河期世代は頑張らされたのに、国の不良債権みたいになってたり、高度経済成長期のブラックな労働をさせられたり、イッキ飲みの悪習が残っていて、上の世代の負の遺産の被害を受けて、依存症になっていたり、メンタル病んでるのが多いので、なんだかなぁです。
とにかく就職に関しては羨ましいです。
私が生きてきた世界とは全然違うことにもびっくりするし、リコさんの価値観がどのように形成されていったのかがすごく分かりやすいです。
それをこんな風に客観的に見られるのがすごいです。
もう一度、自分のことをきちんと振り返りたいなと思います。
面白すぎてどんどん読めちゃう
そして、続きが早く読みたいです😍