ゲームから色恋へとフェーズが変わったホス狂い。 溶かした金と流した涙は自分史上最大となる。 「失われた私」を探して(8)
ホストの色恋営業にあっけなく陥落した私。そこから地獄と天国が隣り合わせの日々が続きました。
公開日:2024/08/20 02:06
連載名
「失われた私」を探してホストと寝た夜から、地獄の日々が始まった。
だがその地獄は、常に甘美な天国と隣り合わせだった。
飢えた獣は簡単に罠にかかる。
ホストの色恋営業にあっけなく陥落した私は、たぶんものすごく飢えていたのだろう。
当時そんな自覚はまったくなかったが、今思い返してみると、そうとしか考えられない。
男に幻滅してゲイとばかり遊ぶようになってからは、毎日が楽しかったし心も安定してて、「なんだ、私の人生に男なんか必要ないじゃん」と本気で思っていた。
ところが、その一方で私は、男を諦めてなんか全然いなかったのである。
男に愛想を尽かしたつもりでいたけれど、心の隅では「どこかで起死回生を果たしたい」という想いがくすぶり続けていたに違いない。
自分でも知らないうちに、その未練の残り火は徐々に私の心を侵食していて、そこに不意に現れたホストが薪を投じた、というわけだ。
おかげで、消えかけていた火は一瞬にして燃え上がった。
そりゃもう呆れるほどの勢いで、ぼうぼうと燃え盛ってしまった。
それが傍目にどんなにイタく映るか、自分でもわかっていた。
わかっていたけど、止められない。
それが「恋」というものじゃないか。
その夜はキスだけで終わったけど、次に会った時にはホテルに行った。
ホストとの初めてのセックスがどうだったのか、じつのところ、あまり覚えていない。
いい年して私は処女みたいに緊張してたし、ホストはホストで終始ぎこちなく、双方まるで初心者同士のようだった。
今思えば、それは彼にとって、粛々と義務を遂行しているだけの行為だったのだろう。
だから、あれほどまでに熱のない稚拙なセックスだったのだ。
だが、当時の私は、そこまで分析できるほど冷静ではなかった。
どこか奇妙な感じは抱いたものの、自分のことで精一杯だったため、深く考える余裕もなく多くのことを見過ごしてしまったのである。
ただひとつ鮮明に覚えているのは、一緒にシャワーを浴びている時に、彼の顔をつくづく眺めて「やっぱ綺麗だなぁ」と感心したことだ。
セックスの善し悪しよりも、そっちの方が重要だった。
初めてシャネルを手に入れた時のような高揚感と陶酔感が胸に迫り、じーんと感慨に浸ってしまった。
それは欲しくてたまらなかったトロフィーを手に入れた歓びだったのかもしれないが、少なくとも私はそれを「恋」だと感じていた。
そこからは、天国と地獄が交互にやって来るジェットコースターのような日々が始まった。
彼の喜ぶ顔が見たくて、無理に無理を重ねて金を捻出し、ひたすらシャンパンやブランデーを空ける。
シャンパンコールに顔を火照らせ、隣に座って微笑むホストの横顔を誇らしげに見つめながら、この世のものとも思えない幸福感に浸る夜もあれば、あまりにも心のないセックスに傷ついてベッドの中で声を殺して泣く夜もあった。
その頃にはもう、彼のセックスが歴代最低レベルだと気づいていたが、それでも愛されている確認のためにセックスを求めずにはいられない。
ちっとも気持ちよくなんかないし、それどころか哀しい気分になって落ち込むのは目に見えているのに。
しまいには、彼が勃ってくれるだけでありがたいと思うようになっていた。
つくづく卑屈な女に成り下がったものだ。
だが、自分の性的価値に自信がない女は、卑屈にならざるを得ないのである。
決してモテてきたわけではないが、それなりに男から求められるのが当たり前の恋愛を経てきた私にとって、これは初めて味わう屈辱と焦燥であった。
だからこそ、あんなにも躍起になったのかもしれない。
求めれば求めるほど傷つき恥辱にまみれ、それを挽回したくてますます欲するようになる。
その堂々巡りは、まさに地獄そのものだった。
だが、あまりの苦しさに逃げ出そうとすると、ホストが飴を投げてくる。
久々に甘い言葉をかけられると、嬉しくて天にも昇る気分になる。
私は完全に犬だった。
もの欲しげに尻尾を振りながら、ホストが餌をくれるのを期待に目を輝かせて待っている犬。
そんな自分を吐き気がするほど憎み始めて、ついに限界に差し掛かった頃、その事件は起きたのだった。
ネットに書き込まれたホストへの怨嗟の声。
その瞬間、私は報復を決意する。
ネットの掲示板に「ホスラブ」というサイトがあった。
客たちがホストの噂話をあれこれ書き込むサイトで、私の担当ホストのスレッドも立っていた。
虚実入り交じる情報に一喜一憂しつつ、どうしても気になってチェックせずにはいられない。
そんなある日、「彼に本カノ(本気のカノジョ)営業されてるけど、本当に信じていいの?」という切実な悩みを書き込んだ人がいて、それを見た他の客たちが次々に「私も!」「私も!」と本カノの名乗りを上げ始め、ちょっとした騒ぎになってきた。
最初は面白半分で見ていたが、そのうちに彼女たちの苦しみや哀しみが手に取るように伝わってきて、「わかる!私もだよ!」と叫びそうになった。
誰もが「自分こそ本カノ」と信じたくて、だけど信じきれなくて、不安や疑心に苛まれ血を吐くような想いを吐露している。
それを見ると、対抗意識やら嫉妬やらといった気持ちは吹っ飛び、同病相憐れむの共感で胸がいっぱいになるのだった。
ああ、ここに私の分身たちが大勢いる!
みんな同じホストに惚れ、同じ痛みを抱え、同じ苦しみにのたうち回っているのだ。
そう思うと、今すぐ飛んでいって彼女たちを抱き締めたいとさえ思った。
男がとんでもない嘘つきやろくでなしであった場合、たとえ恋敵同士でも、女たちは共感力という特技によって結託するものである。
市川崑監督の名作「黒い十人の女」がいい例だ。
だが、もちろん中には「みんな嘘ついてる!」と糾弾する者もいて、「それじゃ、本当にみんなが彼とセックスしてるかどうか、クイズで確かめましょ!」という運びになった。
そこで出てきた問いが「彼のコンドームは何色?」というもの。
なるほど、うまい問いだ、と感心した。
彼はいつも黒いコンドームを使っているのだ。
普通は淡色の半透明のゴムが多いので、ナマコみたいに真っ黒なその異形が脳裏に焼き付いていた。
こればかりは、実際に目にした者でないとわからない。
すると、この問いが提示された途端に、パソコンの画面が「黒」という漢字で埋め尽くされたのだ。
「黒」
「黒」
「黒」
「黒」
「黒」
「黒」
それは、ちょっとした壮観だった。
思わず身震いしたほどだ。
全員が、あの真っ黒なナマコを思い浮かべ、パソコンに「黒」という文字を打ち込んでいる。
女たちの恨みと怒りと呪いを込めた「黒」の羅列。
打ち込んだ途端に、みんな悟る。
ここにいる全員が彼と寝ているのだ、と。
この瞬間、私は完全にホストを見限った。
私と同じように何人もの女たちを苦しめて、平気な顔でヘラヘラ生きている彼が許せなかったのだ。
もちろん同じホストを指名している客が何人もいるのは承知していたものの、彼女たちの生々しい声に触れたのはこれが初めてであり、その痛ましい慟哭は激しい衝撃を私に与えたのである。
それまでホストのことをあちこちで書いたり喋ったりして来た私であるが、彼と寝ていることはずっと秘密にしていた。
彼から硬く口止めされていたのだ。
「他のお客さんに知られたら大騒ぎになっちゃうから」と、彼は言った。
「そうね」と私は頷き、「もちろん、あなたの営業妨害になるようなことは言わないわよ」と約束したのである。
いかにも大人の対応、といった感じで。
だが、彼女たちの苦しみを知った今、大人もクソもあるものか。
公表してやろう、と、私は決意した。
それが私のリベンジであり、彼女たちに対する責務だ。
こうして機会を窺っていたところ、願ってもないチャンスが到来したのだった。
それは、正月に放映されるTV番組の収録中であった。
司会は、おすぎ。
私はその番組で爆弾発言をすることになるのである。
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コメント
生々しい言葉だけど、『あ、私も同じかもしれん』と思わせる場面がちらほら。こんな自己肯定感が低くなる行動を止められない焦燥感。読んでいてハラハラします。
求めれば求めるほど傷つき恥辱にまみれ、それを挽回したくてますます欲するようになる。
わかる。
人と人との関係に関わらず、こういう感情に絡めとられることってみんなにも大なり小なりあるんじゃないかな。
中村うさぎさんみたく突き抜けてはいないが。
「黒」が並ぶさま、圧巻。
ここまで書いちゃう中村うさぎさん、すごい。ダイレクトにボスッと音を立てて胸に突き刺さる。
次になにが起こるのか。
怖いけど、早く知りたい。
自分のことは突き放したように見ているのに、同じ状況の女性たちに対しては抱きしめたくなったと綴るうさぎさん。その姿を想像するだに、切ない気持ちでいっぱいです。
「他者に向けることのできる愛や慰めを、ほんの少しでも自分に向けられたなら何か変わるのかもしれない。」
この回を読んで、そんなことを思いました。