ブラック職場な上、ダメ人間の吹き溜まり? そんな公立病院でもやっぱり本領発揮!ギャンマネ(35)
第二子妊娠中に公立病院の事務職のバイトを始めた私。でも、そこはブラック職場な上、ダメ人間の吹き溜まりのような場所でした。ついつい、そこでも本領を発揮してしまいます。
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公開日:2025/10/24 02:00
連載名
ギャンマネさて、未来がなさそうな歯医者をさっさと辞め、妊娠5か月になっていた私。しかし仕事をしないわけにはいきません。ハローワークに行ってみると、とにかくすぐ来てほしいという某公立病院の事務職バイトがありました。
「妊娠中なので、半年くらいしかいられないが、それでもいいか?」と聞くとそれでもいいとのこと。今ならわかります。ヤバいにおいがプンプンする職場です。でも私は喜んで行きました。「よかった~!なんとかこれで食いつなげる」と思いました。
そしてここは本当に闇カジノとは全く逆の意味で、やばい職場だったのです。
2ヶ月働いて2ヶ月休んで.......別名義で働くことも
まず行ってみて驚いたのは、契約が2か月ごとになり、2か月働いて2か月休んで、また2か月働くというシステムだったんですね。これ、なんのためかわかります?そう!社会保険料を節約するためなんですよ。働く人は社会保険料どころか、失業保険すら入れない。いくら公立病院で税金を節約するためとはいえですよ、こんなのあり!?って感じじゃないですか。今の私ならカンカンで内部告発するところですよ。なるほどね、だから働き手がいないわけねと納得です。だからこそ妊娠中の女を雇ったわけですよ。
そして更なる驚きは、2か月じゃ仕事にならないから、誰か別名義を借りて、間の2か月間も働けないか?と言うんです。つまり、私が連続して働くとなると社会保険料がかかるけど、そこに名義貸しをしてくれる人を挟めば、私が連続して働いても構わないというんですよ。これを公務員が堂々と提案してくる時代。今からたった25年前ですがそんな時代だったんですよ。
だからネット社会ってのは弊害もありますけど、発信や告発が簡単にできるようになったんで、確実に労働者としては良いことも、守られていることもあるなと思っています。
さすがにバツが悪そうに話してきた係長ですが、当時の私はそんな不正なんかどうでもいい。出産半年前でも雇ってくれるならなんだってやったりますよ!という勢いがあるので、「あっ、じゃあ、ちょうど無職の母がいるんで、母名義でも大丈夫ですか?もう65歳すぎた年金暮らしですけど」と言ったら、係長は愁眉を開き、安堵の模様。
「うん、大丈夫。大丈夫。じゃあ、お願いね」とのことで、まんまと不正雇用されることになったんです。もう、当時の書類も廃棄されていることでしょうけど、あの頃同じような雇用制度で泣きを見ていた、バイト社員は多数いたでしょうね。
なんといっても時は2001年、アメリカのITバブルが崩壊し、世界的にも不景気ド真ん中(というか日本はずっと不景気ですが)。そしてこの時代から、あの小泉政権が始まったんです。と言えば、あの時代の空気感、こんな労働者泣かせの政策がなぜ良しとされていたか、お判りいただけるのではないでしょうか。
公務員は働かない? まさにやる気のない人だらけ!
さて、このヤバい職場のもう一つのヤバさは、本当に働かない人だらけだったことです。今は違いますが、よく昔は「公務員は働かない」と言われたものですが、本当に全然やる気がないし、いかにやらずに済ますかを毎日考えているんですね。「これが実体かぁ」と私も痛感しました。
以前勤めていた東大も公立だったわけですが、医局で秘書をやっていたので事務方のことはよく分からなかったですし、先生方はもうめっちゃくちゃ働いていました。使命感もお持ちでしたし研究熱心。その割に言っちゃなんですが、東大の給料なんていくら医者だからって聞いてびっくりなくらい安いです。なんせ当時の何もモノを知らない(今もですが)私ですら、国民として先生方に申し訳ないと思ったくらいです。
ところがそのモノを知らず、なんとか楽して稼ぐ方法はないかと、若い頃から思ってきた私ですら、「お前ら、ふざけんなよ!」と思ったくらい、ここでは働かない人がいたんです。ただ私は、下っ端も下っ端の期間雇用の妊婦ですから、そんなことは言ってもどうにもならないじゃないですか。だから私はここでも人々を観察して、何とか職場環境を良くしようと本領発揮することにしたんです。
そもそも私は、この職場にいた公務員の様に、「仕事中ダラダラ過ごす」「やることがあってもやらない」ということができない、「時々さぼってもいいけど、やるべきことはちゃんとやっておきたい」というごく当たり前のタイプです。となると、ここでは私にどんどん仕事が集まって来ちゃうわけです。
だからなんとかこの仕事を働かない人に振り分けなくちゃならないんですね。もちろん、ちゃんと人並みに普通に働いている人もいましたが、とにかくやる気がない、もしくは能力がない人が半分くらいいたんです。
働かないおっさんを教育係に仕立てて
まず隣の席にいたAさん。この人は確実に税金泥棒と呼んでいいレベルのおっさんで、なんと仕事中に本を読んでいるんです。そして何かを振られても「私は、ちょっと」と言って絶対に引き受けない。そしてそんな人なので、係の人、課の人全員が諦めてもう何も言わない。
ですがこの私、何と席が隣だったので、働かないことも、係の人のため息も知っていたんですが、この孤立していたおっさんにどんどん話しかけたんです。そして聞けば一応妊婦の私に仕事を教えてくれるということも分かったんです。
そこで私は分かんないことは、このおっさんに聞くことにしました。だって何の仕事もしてないし、誰も話しかけないからいつでも聞けるじゃないですか。当時は今ならあり得ない、くだらない入力作業とか沢山あったんですよ。それを「これはどこに入れるんですか?」「この数字はこっちでいいですか?」なんて聞いているうちに、なんか仲良くなっちゃったんですね。何の仕事もしてないから、私の教育係にちょうどいい、それを自分で開拓したんです。
そして一度なんか私が苦労して入力した数字を、このおっさんに確認してもらっているうちに、おっさんが間違って全部消してしまった事件が起きたんです。エクセルを閉じる時、「保存しますか?」と聞かれたのに、おっさんはなんと「いいえ」を押してしまったわけです。
さすがに焦ったおっさんが、「ごめん、ごめん!」と言って、1日かけて全部入れ直してくれたんですね。初めて仕事をしている姿を、係の人たちが驚き、こっそり盗み見る......みたいな事態となりました。
ホームページ作成まで一手に引き受けて
そしてもう一人は、とにかく能力がないというか、若手なので仕事のやり方が分かってないのに誰も面倒を見てあげないから、ただ毎日オロオロしている人がいたんです。こんな人を見ると、この私、放っておけるわけがないじゃないですか。
なぜ私が緊急投入されたか、それもここに理由があったんですが、この病院の院長先生の方針でホームページ(HP)を作ることになったんです。まだ当時はそんな時代ですよ。画期的なWindows95が出て5年しかたってないんですから。
で、私が配属された係がそのHP作成係を仰せつかったんですが、誰もそんなことできない。それを若手に「やれ!」と係長が押し付けたんです。
院長命令がでたので、各科の先生方が原稿を持ってくるんですけど、何にも進まない。先生方がイライラする。この渦中に、何かやってる感を出すためにでしょうか?バイトの私が投入されたんです。この内幕が分かってきて私はこっそり、若手社員に尋ねます。
「Bさん、HPの作成に取り掛からなくていいんですか?」。Bさんは小声で「どうすればいいかわかんないんです」と泣きそうです。でしょうね。そんなことだろうと思いましたよ、あたしゃ。さぁこっからが本領発揮です。「なんのソフトで作るんですか」「ホームページビルダーとかっていうのを渡されました」「了解です」。
その日家に帰って、システム会社に勤めていた夫に「どうやったらHPが作れるか?」を聞いたところ、「ホームページビルダーの本を読め!」と、単純な答えが返ってきました。それでも「なるほど!」と思った私は、解説書を買い次の日から彼と、頭を突き合わせてHP制作に取り掛かったんです。
係の中にちょっとだけシステムに詳しい人がいて、その人も巻き込みました。そして1ミリも進まなかったHP制作がちょっとずつ進んだんですね。その若手男子社員にめちゃくちゃ感謝されました。
つまらない仕事でもちゃんと向き合って楽しむ
そんなことをやっているうちに先生方は私を社員だと勘違いしたらしく、原稿だとか質問だとかをどんどん私にしてくるようになったんです。
係の人も「先生たち、田中さんを正職員だと思っているよね~」と暢気に笑っていて、私はダメだこりゃと思いましたが、長くいる職場じゃないのでどうでもよく「そうですね」なんて一緒に笑っていました。
私は思うんですけど、つまんない仕事を「つまんない」と思って、ダラダラやっていると本当につまんなくて自尊心が下がるだけです。ダメな人間に染まっていくのもしかり。そして人はガミガミ言っても行動変容なんて起こさないです。
その場と時間をできる限り楽しむのには、自分が工夫するしかないんですよね。ブラック企業や、向かない仕事ならさっさと辞める方が良いと思いますが、この時の私の様に「今はここにいるしかない」という場合は、仕事にちゃんと向き合った方が絶対楽しいです。
私は「今は、できなかったスキルを身につけるために、給料もらいながら通っている職業訓練校にいるんだ」と思うようにしていました。そうすれば掃きだめのような職場でも、なんとか身を置いていられます。
こうして私はいよいよ第二子出産の時を迎えます。
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コメント
りこさんのおっしゃるとおり、仕事に限らず何事も、物事を前向きに捉えられるかどうかはとても大事ですよね。
最近は、それもひとつのスキルだと感じています。
それにしても、この逆境さえも前向きに受け止められるりこさんは、本当に別格だと思います!
毎回読むのを楽しみにしています。
しかしながらよくもまあこれだけの波瀾万丈な人生経験を積んでこられたものだという驚きとともに、その世渡り上手でおせっかいで周りの人達をどんどん巻き込みながら、そのくせご自分の隠れていた能力が次々と引き出されるのは驚嘆に値します。
これ本にして出版されると思いますがバカ売れすること間違いなしです。
パソコンっていうか、家庭用コンピュータって呼んでた時代の記憶がよみがえりました。
検索窓から欲しい情報にヒットするのも一苦労な時期がありましたよね。2000年代になると中学校技術の時間にHTMLに触れる授業が始まってましたが、習ってもないHP制作に、本一冊とちょっと詳しい人と新人を引き連れて立ち向かう行動力、すごいです。
いやぁ~面白いなぁ。
さすが田中紀子さん!どこに行っても人を助けてるし。尊敬します。
