Addiction Report (アディクションレポート)

ギャンブルにどハマりし、貯金はすっからかん! ゆっくりゆっくり堕ちていった刺激的な日々 ギャンマネ(24)

バイト先の闇カジノでギャンブルにどハマりし、一晩に20万〜30万円賭けるようになった私。「前借り王」の今の夫と付き合うようになり、ゆっくりと生活がままならなくなっていきました。

ギャンブルにどハマりし、貯金はすっからかん! ゆっくりゆっくり堕ちていった刺激的な日々 ギャンマネ(24)
今の夫(右)と付き合い出した頃。ギャンブルにハマって、段々身なりに構わなくなっていった。

公開日:2025/03/24 00:01

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さて、闇カジノと東大医学部秘書というとんでもない両極端な世界のダブルワークを始めた訳ですが、そこにバイトに来ている連中は、ほとんどもれなく博打好きでした。

ただ、バニーガールやディーラーでも女性陣は、全くギャンブルをやらなかったですね。

高収入に惹かれて来ていた感じ。

やはりギャンブル依存症は性差のある病気だなと今振り返っても思いますね。

バイト先の闇カジノは、軌道に乗ってくると店を24時間ぶん回すようになり、早番、中番、遅番に分かれて働くようになりました。

そして前回書きましたが、アルバイト雑誌が「闇カジノは公序良俗に反する」となり、一切掲載できなくなったために、給料がどんと上がりました。時給2000円が月給50万円くらいになったと思います。

こうなるとみんな遊びが派手になりますよね。女の子たちはブランドショッピングなどをやっていたようですが、男の子達とこの私は一気に博打に走るようになりました。私もうちの夫も主に早番担当となったため、一緒に遊ぶことが多くなったんですね。

一晩で20万〜30万を賭けるように

最初は麻雀をやっていたのですが、そのうちカジノのカードゲームを教えてもらい、私はバカラにどハマりしてしまいました。そうなると早番が終わる深夜2時頃から、上野の仲町通りにあった別のカジノに通うようになりました。

初めてカジノに行ったときは、おっかなびっくり1BET2000円なんて可愛い金額で賭けていて、5万円使ったらもう大ショック「やっちゃった〜。ガックリ」なんて騒いでいました。本当に可愛いものでした。

そこからあっという間でしたね。

1BET2000円が2万となり、一晩で20万円30万円と使うようになりました。

そして最初は飲みに行ったり、カラオケに行ったりといった遊びもやっていたのですが、カジノにハマってからは、もう毎日毎日博打ばかりをやるようになりました。

私と夫は、まだ付き合ってもいませんでしたし、私はまだバリに移住するつもりでした。

ところが博打が激しくなるにつれ、バリに行くどころではなくなり、生活費の方が危うくなっていきました。ダブルワークで稼いでいるのに、貯金を切り崩す時もある。そして大きな転機がやってくることになったのです。

なし崩し的に今の夫のアパートに居候

早番がよく一緒になる仲間には、私と夫の他に留学名目で来ていた韓国人が2人いました。この2人は偶然2人ともホンという名字だったので、ホン1号2号とかホンブラザーズなんて呼ばれていました。ある日当時まだ友達だった夫からこんなことを言われました。

「りこさん、今日車ですか?ちょっと貸して貰えます?」と言うのです。

「車ですけど、どうしたんですか?」

「いや〜、ホンブラザーズが部屋を追い出されて、うちにくることになったんで、車で荷物運びたいんですよね」

「え?なんで?」

「ホンブラザーズは、ナポレオンのマスター(店のお客でスナックを経営していた韓国人)から部屋を又貸しして貰ってたんだけど、マスターどうも博打で行き詰まっちゃったみたいで飛んじゃったんですよ。しかもホンちゃん達は家賃渡してたのに、それを払ってなかったんだよ。そのせいでホンちゃん達が追い出されることになっちゃった」

「えぇ!ナポレオンのマスター飛んだの?」

「うん、居なくなっちゃったみたい」

「大変じゃん。じゃあ保険の関係があるから車は私が運転して手伝うよ」

と言うことで、ホンちゃんたちのアパートから、夫のアパートに荷物を運ぶことになりました。

結構張りが太いな〜なんて思っているお客さんが、ある日突然いなくなる。カジノではよくある話でしたが、仲間が災難に巻き込まれたのは初めてでした。

「ところで田中君は一人暮らししたんですか?」

と聞くと、「うん、親に追い出されて。こっちもうるさく言われるの嫌だし」とのことで、

「折角、一人暮らしになったのに、あっというまに雑居だよ」と笑っていました。

ギャンブルで2年も留年し、闇カジノなんてろくでもないところでバイトしている息子に呆れ果て、夫の親は家を追い出したようです。

うちの親も私が離婚してから一切連絡を取らず、4年ほど音信不通だったのですが、今になって振り返ってみると、親たちのこの塩対応のお陰で、私たちは回復できたのだと思います。

「親は頼れない」

という思いは、依存症者の我々にとっては最高の贈り物でしたね。

さて、深夜に荷物を運び出すともう明け方になっていました。

夫のワンルームマンションは浅草合羽橋にありました。

ここから当時住んでいた、中野区沼袋に帰ってまたすぐ湯島にある東大にまで来るのはあまりに億劫です。

それでなくともこの頃は、深夜2時に仕事が終わって、そこからカジノに行き明け方まで博打をやって、そのまま車中泊をしたり、医局に潜り込んで仮眠を取ったり、時々はフラフラになりながら着替えに帰ったり、とボロボロの生活を送っていました。

「田中君、私もこのまま泊まっていい?」「どうぞ」とのやり取りがあって、

私は、布団もなく毛布を敷き詰めただけの床にワンピースのままゴロリと横になり、数時間仮眠をして東大に行きました。

合羽橋から東大なら車でわずか20分です。

沼袋から東大に勤務すると眠くて事故りそうになっていたのですが、こりゃ楽ちんだということになって、なんと私もこのままこの部屋に居候させて貰うことになったのです。

半ば強引に。

8万円の家賃は4人で2万円ずつ折半することになりました。

男3人と女1人の6畳一間の雑魚寝生活。

そこから長い間、布団はないまま毛布生活でしたが、とにかく人口密度が高いので寒くもありませんでした。

家でもバカラやポーカー三昧

おまけにあまりに便利な地の利から、4人以外にも店の仲間達がしょっちゅう泊まりにくるようになったのです。最高で16人も泊まったことがあります。

ぎゅうぎゅう詰めで廊下から玄関まで人が寝ている状態。

そこで何をしているかといえば、カジノや雀荘には行かず、身内でバカラやポーカーをやるようになりました。

給料後で金がある時には他店に博打を打ちに行く。上野だけでなく、錦糸町や新宿、時には赤坂や六本木にも足を伸ばすこともありました。

当時は、誰も闇カジノに警戒心なんかありませんから、どこの店もオープンで華やかな都心の大箱闇カジノに行くと、元プロスポーツ選手や芸能人もいました。

もちろんSNSなんかない時代ですし、遊んでいる人も有名人よりも博打に心奪われていました。

そして給料日前に金欠になると、田中家に集まって身内で博打を朝までやる。なんせディーラーには事欠かないですから、店からカードをパクってきて、朝までそれこそ目がギンギンになるまでやっていましたね。あの頃は本当に寝ている暇がありませんでした。

身内の博打でも、しっかりお金のやり取りはあったので、従業員同士で数十万円単位でお金の貸し借りもするようになりました。

共依存魂が炸裂 「前借り王」と交際

こんな生活を半年もするようになると、私は少しはあった貯金もすっからかんになり、給料日に仲間達へのツケを払うともう1日で一銭もない。なんてこともありました。

夫はさらに借金だらけで、店の「バンスキング(前借り王)」と呼ばれていました。

そしてこのダメダメな田中君と遊んでいるうちに「この人は私がなんとかしてあげなくっちゃ」と共依存魂がさく裂しだして、私たちは付き合うようになりました。

「働けど働けど我が暮らし楽にならず」といった感じでしたが、あの頃は毎日が刺激的で、私たちだけでなくカップルが何組も誕生し、青春映画の中にいるようで楽しくて仕方がありませんでした。

東大のバイトがない時は、夕方までみんなで寝て、ゴソゴソ起きだすとみんなで近所の銭湯に行く。昨日の博打で勝った人間が銭湯のコーヒー牛乳を奢る。なんていう、のんびりした日もありました。

時には、競艇で重賞レースがある!なんていうと、朝まで身内ポーカーをやった後、

休みを取った人とそのまま旅打ちと称して、全国の競艇場に出かけて行きました。岡山から徳島あたりまで平気で行ってましたね。

「まだ私は大丈夫」 ゆっくりと深刻なギャンブル依存症に

今、振り返ってみても博打との蜜月時代は、この最初の半年から1年くらいまでだったのではないかなと思います。

消費者金融に借金はしていましたが、まだなんとかお金も回っていました。

足りなくなればまた新しい消費者金融のカードを作ればいい。そんな風に考えていました。当時は総量規制なんてありませんから、サラ金もいくらでも貸してくれました。

すでに300万円くらいの借金を自転車操業していたと思いますが、それでも「いつでも返せる」と根拠なき自信を持っていました。

博打ほど刺激的で楽しいことは他にないと思っていましたし、刹那的に生きる仲間達との時間が痺れるような感覚をもたらしてくれました。社会のアウトローとして生きる、しがらみもなく女一人何やっても食べていけるんだなと、離婚後の自由と将来とかひかれたレールの上を歩くような人生から思いっきり外れた、何とも言えない解放感を味わっていました。

「こんな日々が長く続く訳がない」心のどこかでそう思いながら、「この毎日がいつまでも続きますように」と願っていました。

そして私たちは、どんどん博打以外の身の回りのことに構えなくなり、金銭的にも破滅に向かって行きました。

けれどもだんだんだんだん徐々に徐々に堕ちていくので、事態の悪化に気がつけませんでした。「まだ、大丈夫。まだなんとかなっている」自分ではそう思っていましたが、身なりに構えず、勤務態度もおかしくなり、東大の先生方が異変に気づく頃には、私たちは深刻なギャンブル依存症になっていました。

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コメント

1日前
QOO

田中さんがギャンブルにのめり込んでいく様子が読んでいて、頭の中でドラマのように映像化される。恐々賭けていた金額が一気に上がるというギャンブラーからよく聞く話だが、本当にそうなんだなと。以前見た映画の中で、たくさんの外人と一緒に過ごす主人公を思い出しました。あれっ?このシーン知ってるって。

ギャンマネを読んで、もう一度あの映画観たいなぁと思いました。

2日前
なっち

親は頼れないは最高の贈り物

私も息子に「親は頼れない」

と言う最高の贈り物をしたいと思いました。

そしてどんどん依存症へ進んで行く様を読んでいて、この病気の怖さも滲んでいました。

続きが気になります!

2日前
匿名

赤裸々と落ちていく様が描かれていてめ、ギャンブル依存症の恐ろしさがわかります。

2日前
まり

面白いです!

今世紀中に、こんな朝ドラヒロイン

うまれたら良いなぁ。

2日前
さち

りこさんの共依存魂がこれから炸裂していく続きを早く読みたいなと思いました!

何とも言えない解放感。とか徐々に徐々に堕ちていく。とか、ギャンブル依存症の怖さがひしひし感じられます。

5日前
よねっち

『親を頼れない』のは最高の贈り物!

私も自分の子供にそうきっぱりと話してあげたい。私なりに大切に育て上げたので、やりたい事を自由に世の中に羽ばたいてほしい と思いました。

『親なんか頼るもんじゃない』と、交際時からギャンブラーの夫もよく言ってました。当時の共依存魂の私は、まだ若いのになんてしっかりした考えの人なのかしら…と感動してました。

5日前
めぐみ

「そういえば闇カジノにバイトで入った理由はバリだった!」と、途中触れられるまで完全に忘れてました。

ラストはもう移住どころか一回の渡航もままならなくなさそうな状況…!

でもりこさんの筆致を見るに、バリ島にもですが、この職場にも相当居心地の良さというか愛着?所属感を感じていたのかなと。(目の前で人が殴られて吹っ飛ぶ職場でもありますが笑)

2人はどうなっていくのか、待ちきれないので一旦「三代目ギャン妻の物語」を読み返しつつ、次回を待ちます!

5日前
匿名

リコさんの体験のすべてが皆の希望になる!こんな凄まじいところから、今じゃどれだけ多くの人を救い、勇気づけ、立ち上がらせてきたことか!まさにリコさんの人生そのものがリカバリーカルチャー!是非映画にして下さい!書籍化ドラマ化映画化楽しみにしています。私、リコさんの人生知れば知るほど怖いものなんかなくなってきました!りこさんありがとう!

5日前
匿名

私にとっては、りこさんの「ギャンマネ」ほど刺激的なものはありません。今回もまたドーパミン大量放出!

ただ、終わりの方はちょっと怖くなり、こちらまで暗い靄の中へ引きずり込まれるような、そんな感覚になりました。

この先どうなるのか、怖い!でも知りたい!

5日前
匿名

すごい…!

続き待ってます!

5日前
シバ

過去に、りこさん自身も親御さんに手放された経験があったのですね。

「親は頼れない」という思いは最高の贈り物。

私自身はこれからも、この言葉を肝に銘じて行動していきたいと思います。

5日前
くま子

ギャンブラーの最初の頃を思い出しました。最初はゲームから始まり、専門学校へ行くとパチンコ。そこから5年かけて闇金まで落ちました。

まだ大丈夫と自分に思い込ませているうちに深みにハマるんですね。

自分もこのくらい…と放っておいて、気がつくと自分の気持ちが大変な事になってる!って事最近ありました。

妙に納得です!

5日前
まりえ

共依存魂が炸裂 「前借り王」と交際

このタイトルに思わず声を出して笑ってしまいました。

笑いあり、でも徐々に確実に堕ちていくギャンブル依存症の怖い部分が描き出されていますね、、、

5日前
こうじ

闇カジノと東大医学部秘書という両極端なダブルワークは、なかなかできるとこではない気がしました。幅広い活動とも言えるし、一色に染まらないとも言えるし、とても印象に残りました。共依存魂、ギャンブル依存症は性差のある病気ということも、残りました。嵐の前の静けさというのか、若いふたりの幸せが、逆に切なく感じた回でした。

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