金魚鉢の中の人生は嫌! 「先の見える不安」に襲われてついに家出を決行! ギャンマネ(17)
バリから帰国し、鬱々としていた私。ある日、胸が痛くなって病院に駆け込んだものの、大病が見つかったのは付き添いの夫。夫の療養中、「先の見える不安」に駆られて、ついに家出を決行します。
公開日:2024/10/21 09:51
連載名
ギャンマネさて、60日間のバリ滞在から日本に戻り、私はすっかりふぬけ状態になっていました。
切ないバラードやレゲエを聞きながら、一人涙を流す、
こんな自己憐憫にどっぷりと浸り、苦しさにうっとりする、まさに病気爆発状態でした。
胸が苦しい...心筋梗塞?
そんなある日、いつものように車で東大に出勤しようとしていたら、
目の前が砂の嵐になり視界不良。その上胸がぎゅうっと苦しくなり、運転が出来なくなってしまったのです。
丁度、東大の鉄門(赤門に対して、医学部のほうにある門をこう呼びます)に入ったばかりのところで、慌てて車を駐車します。
発作が少し治まったところで、這々の体で医局に転がり込み、先生に事情を話しました。
すると助教授達が集まってきて、「それは心筋梗塞かもしれないからすぐに診て貰え」とのことで手配をして貰いました。
幸い助教授の一人が、胸部外科に同級生がいるとのことで、急遽診察して下さることに。万が一のことを考え、当時の夫も呼び出し来て貰うことになりました。
こうして慌てて診察を受けたのですが、私は全く何でもない。
一体、あれは何だったのか?と不思議になるくらいどっこも悪くない。
先生も首をかしげながら「神経痛かなぁ?」と仰有ってました。
私は「27歳の若さで神経痛になるんかい!」と心の中で一人ツッコミを入れていました。
そしてどういうわけだか気のいい先生は、「折角来たのだから」とついでにと引率してきた元夫にも聴診器をあてて下さったのです。
大袈裟に騒いでわざわざ仕事を休んで呼び出された夫を、気の毒に思ったのかもしれません。
まさか‼️夫の大病発見!
そして先生の顔が一気に曇ります。
「あれ?」となって、看護師さんが呼ばれると、そこからもう元夫は車椅子に座らされます。
そして、心電図だとか胸部レントゲンだとかを撮られたあげく、なんと夫は大動脈弁閉鎖不全という病気になっていて、このままだと心臓の上の部分の大動脈が破裂するので手術が必要だと言われたのです。
我々も驚いたのなんの。こんなことってあります?
でも、本当の話なんです。
今でもあの出来事は不思議でなりません。
だって私が発作を起こしたんですよ。元夫は、元気そのもの。むしろスポーツをやり過ぎていたくらいのスポーツマンでした。
大体引率に来た元夫を、「ついでに診てあげましょう」なんてことあります?
私はこの経験以外一度もないです。
それもこれも東大秘書といういわば身内的立場だったからだと思います。
こうして元夫のとんでもない大病が偶然すぎる偶然で見つかったのです。
まさに神ってる・・・当時そんな言葉はありませんでしたが、そう思いましたね。
この病気、自覚症状が全然ないらしく先生に
「ここから急性大動脈解離になると突然死する」と言われ、本当に驚きました。
うちの医局の先生方も、あまりの結末に
「お前さんはやっぱり何か持ってるなぁ・・・」と驚いておられました。
結局、この病気にめっちゃ強いゴッドハンドと呼ばれる先生が、当時の女子医大病院にいるということで、そこを紹介して貰い元夫は無事手術をして生還することができました。
こうして元夫が入院生活を送る間私は、
「嫁として至らなかったことがあったにせよ、そんなことはもうチャラだ。
これで私と結婚した意味は充分にあったよね」こう思って非常に満足していました。
なんたって「命を救う」って、これ以上デカい貢献ってないじゃないですか。
夫も夫の家族もさぞかし感謝していることであろう、こんな風に思っていました。
夫の退院後、別に看病なんかは必要ありませんでしたけど、一応晩ご飯を作ってみたり一時的には家事もせっせとやったりしました。
それなりに病人の看護っぽく気も使ったつもりです。
「50歳になった時が想像ついちゃう」先の見える不安に襲われて
そして1994年、それは30歳になる直前の夏のことでした。
その日、目が覚めた時にふと思ったのです。
「私、50歳になった自分の暮らしが想像ついちゃうわ」
そして全身に鳥肌が立ちゾッとしました。
横を向くとガラス扉がついた本棚があり、自分が寝ている姿が映ります。
「きっと50歳になっても、こうして夫の横で、ぬるま湯みたいな暮らしをしているんだろうな」
そう思ったら「もうこんな暮らしは嫌だ」と、突然我慢がならなくなりました。
よく世間の人は「先が見えない不安」と言いますが、それは当たり前です。
わからないことをやっていく、見えない道を歩いて行くから、ハラハラドキドキわくわくする。人生という冒険が苦しいし怖いけれど、その分楽しめるわけですよね。
でも本当の恐怖は、先がわかっちゃうような生き方です。
これが延々繰り返されるんだなぁと思うことほど、怖いことってないですよ。
子供の頃見た地獄絵図だってそうじゃないですか、同じ事が永遠に繰り返される。
私にとって、「こんな金魚鉢の中で、夫の庇護の元で暮らしていく人生なんか嫌だ!」
という衝動が起こったのです。
家出を決行!一人暮らしへ
そして私は家を出て行く決断をしました。
丁度、その頃バブル絶頂期にドカンと貰った決算ボーナスを頭金にして買った、
中野のはずれのワンルームマンションが空き室になっていました。
バブル当時マンションは「持ってりゃあがる」と言われ、わずか22,3歳の小娘が勧められるままに買ったワンルームマンションを私は持っていました。
もちろん価値はその後激落ちしましたが、人に貸していれば自分の手出しがなかったので、そのままにしていた物件があったのです。
「そうだ!あの物件ちょうどいいから自分で入ろう」と思い、近所に住んでいた当時の親友に電話をかけて手伝わせ、夫が仕事に行っている隙にここから逃げ出すことにしたのです。
自分の車に、布団と若干の洋服、あとはバブル時代に買った、ロレックスやヴィトンのバッグなど金目のものを詰め込んだら、もういっぱいです。
本当に最低限のものを持って、詳しくは忘れましたが「もう帰りたくない。放っておいて下さい」といった主旨の手紙を残して、出て行くことにしました。
そしてその日から、生まれて初めての本格的な一人暮らしが始まったのです。
本当に何もなかった生活。
カーテンもないので、バリの更紗を縛り付け、数少ない洋服をローテーション。
でも、あれほど解放された気分はあとにも先にも二度とありませんでした。
家電、古着...助けてくれた周りの人
翌日私は早速東大の先生に
「近々、離婚するつもりで、家を出てきちゃったんです。いらない家具家電があったら下さい」
と触れ歩くことにしました。
さすがは東大の医師達です。ホント東大出なんていうと、逆に色んなスティグマがあるようですけど、私にとって、あんな優しい人達はいなかったです。
みんな突拍子もないことを言い出した私に驚き、心底心配してくれました。
バリに2ヶ月逃亡し、その後も行ったり来たりしていると思ったら、突然ぶっ倒れた挙げ句夫の心臓病を発見する、かと思ったら今度はその夫と離婚?
今思えば、東大医局にあるまじき、いや社会人にあるまじき、人間性だったと思いますが、私とは正反対の真面目で固い人生を歩まれる先生方は、それでも見捨てることなく、同じ医局の仲間として私のことを大事にして下さったと思います。
「ちょうど奥さんが炊飯器買い換えたいって言ってたからやるわ」
「一人暮らしの頃の冷蔵庫、使ってないからあげるよ」
「折りたたみの机いる?」
なんて本当に沢山のカンパや、「スリッパくらい買ってあげるよ」などと雑貨類も揃えてくれて、あっという間に必要な家具家電は全部揃いました。
この炊飯器はその後10年くらい使わせて貰いました。
その上、「大丈夫?お腹すいてない?」なんて言ってくれて、
お中元かなんかに貰ったのでしょう「かに缶」の詰め合わせを持ってきてくれた先生もいました。これが私が生まれてはじめて食べた「かに缶」となりました。
しかし、いかんせん給料の安い東大の非常勤講師。
馬券売りのバイトをあわせても、この給料だけでは食べていくのが大変です。
そこで、「先生方、沢山もらい物しますよね?要らないものがあったら下さい。フリーマーケットで売って生活費にします。」とお願いしました。
当時は、バブルがはじけ不景気時代に突入しましたが、まだメルカリやヤフオクもない時代。フリーマーケットが大ブームで、土日になるとあちこちで開催されていたんです。
すると先生方が、これまた大量のブランド服や、ベルト、ネクタイ、アクセサリーなんかを下さったんです。
中にはその場で「今、医局秘書のRicoさんがそっちに行くから、洋服とか雑貨とか要らないものまとめといて」なんて、元女子アナの奥様に電話して下さる先生もいて、有難いのなんの。
見ず知らずの秘書が突然自宅に尋ねてきたのに、TVで見たことのある美人の奥様は「こんなものでも良いんですか?」なんて言いながら、沢山のブランド古着を出して下さいました。
私は「はい!もうなんでも頂きます。ありがとうございます!」と貰って行くと、
「逆に助かります。今度まとめておくのでまた来て下さい」とまで言って下さり、私はまたちゃっかりお邪魔したりしました。
こうした戦利品が、時にはフリマで8万円とか10万円くらいにまでなり、私は当面の生活費を稼ぐことができたのです。
さて、このあたりでギャンマネ第1章を終わります。
第2章に入る前に、次回はこの連載でお伝えしたかった「お金の心配をしない生き方」について、ここまでの学びをまとめたいと思います。
どうぞお楽しみに!
関連記事
連載「ギャン妻が教える お金の心配をしないですむ方法」
- ギャン妻が教える お金の心配をしないですむ方法(1)
- 「ジョシダイセイ」ブランドで目指すは下剋上! ギャンマネ(2)
- タクシー争奪戦、DCブランド買い漁り...「金持ち池」と「貧乏池」のどっちに落ちる? ギャンマネ(3)
- 「コミュニケーションお化け」の才能が開花! バブルの競争社会で学んだ「仲間づくり」 ギャンマネ(4)
- 「前例がない」なんて知ったこっちゃない! 上司と直談判して本社異動 ギャンマネ(5)
- 優秀で地味な同僚が揃う本社で寿退社を目指せ! ついに出会った最初の結婚相手 ギャンマネ(6)
- 小金持ちの実家付きエリート先輩社員とついに結婚! 帝国ホテルの結婚式で浮かんだ嫌な予感 ギャンマネ(7)
- 23区内のマイホームにマイカー、夢の新婚生活!のはずだったのに...ギャンマネ(8)
- 新婚早々、まさかのセックスレス? ギャンマネ(9)
- 東大医学部の秘書に転身! 本物の「セレブ」と出会い広がる視野 ギャンマネ(10)
- 東大奢られ時代に突入! 格差を痛感し、実入りのいいアルバイトで運命の出会い? ギャンマネ(11)
- 場外馬券売り場のアイドルに? ギャンブラーのおじさんとなぜか生まれた心の交流 ギャンマネ(12)
- バリ旅行で貢ぎ魂がスイッチオン! 「リゾ・ラバ」の島の魅力にハマって ギャンマネ(13)
- だまし合い、助け合いをもう一度! ハマったバリを再訪し、珍道中の始まり始まり ギャンマネ(14)
- 「弱けりゃ助け合って生き延びる!」 私がバリの人間関係に強烈に惹かれた理由 ギャンマネ(15)
- 貧富の差の陰でクスリも蔓延していたバリ 「帰りたくないけど、帰らなきゃ......」ギャンマネ(16)
コメント
地方と東京で、規模が違うけど
20代にバブル世代真っ只中だったので、懐かしく最初から読ませていただきました!
怖いものはなくて、キラキラしていて、好きな事にお金使い放題で、
アッシー君、メッシー君、みつぐ君に面倒を見てもらい、
毎日楽しい事を思い出しました!
っと、同時に、遊んできたバブル世代、
頭悪かったな〜弾けたな〜
就職氷河期世代やゆとり世代、Z世代に
「面白いから、読んで!」って教えた感想は。。。
「意味分からない!」っと
同じような感想を言われてしまいました(泣)
世代の過ごし方って、
同じバブル世代にしか響かないのかな??
確かにぬるま湯に浸かってる人生はつまらない!
いろんな意味で神ってる回。
その時に元夫の病気が発覚していなかったら、もしかして今のリコさんはいなかったかも。
ここが潮時だよ、とマジで神さまがお知らせくださったんじゃないか。
そんなことを思いました。
いやはやなんという人生。
面白すぎる第一章の最終回。
この回だけで一冊本が書けそう。
「先の見える不安」とは!今の私は先が見えないことが不安で堪りません。でも、同じことが延々と繰り返されることは確かに恐怖です。目が覚めて、ああ、また今日も何も変わらない、と嘆いています。現状を変える勇気と行動力を持ちたいです!
どんな人も安定が1番と考えるのに、先が見える事が不安になるとは。
驚きでした。
でも、私も過去好きな人でもないけど、振り向かせる事に力を注ぎ、振り向いたら急に冷める。そして別に嫌いじゃないんだけど別れるみたいな事ばっかりしていたなと思い出しました。
どこか田中さんの生き方に共感してしまいます。
まだまだ今後の展開が楽しみです。
今なら考えられない事が次から次へと起こる事に、時代もありますが、やはりりこさんの持っている何かがあるんだと改めて感じました。
人生なんとかなる!
って思えちゃいますね!
毎回凄すぎるエピソードに仰天しながら読んでますが、田舎でバブル崩壊後に世の中に出た私からすると、異世界の物語の様です。
やっぱりリコさんは、神様に導かれているんだなーと、しみじみ。
普通の人なら安定した暮らしを喜んで、先が見えて安心ってぬくぬくするよねーと。そういう人ばっかりしか周りにいないから、凄いなぁと思いました。
続きが楽しみです!