ホストから美容整形へ。 新たなワクワクが、私の人生に現れた。「失われた私」を探して(10)
ホストと別れ、あっという間に美容整形にハマっていった私。それは買い物、ホストとの恋愛よりも強い自己肯定感をもたらしてくれました。
公開日:2024/09/21 08:23
自己肯定感が欲しくて、いろんなものに手を伸ばした。
でも、「自己肯定」って何なのよ?
ヒアルロン酸注射で「尖った顎」を手に入れた私は、瞬く間に調子に乗った。
これよ、これ!これが欲しかったのよ!
もしかして私、美人になれるかも!
ティーンエイジャーの頃から、自分の顔が嫌いだった。
だが、「美容整形」という手段を検討したことは、ついぞなかった。
というのも、「美容整形」なんてものは芸能人がするものだと思い込んでいたからである。
お金もかかるし、リスクも高い。
そして何より、「あの人、整形よね-」なんて周囲から陰口叩かれるのが怖い。
今なら「整形よね」なんて言われても「はい、そうですよ」とケロリと答えられるが、若い頃の私にはそんな図太さがなかった。
中学高校と女子校に通った私は、女というものが同性に対してどんなに辛辣であるか、よく知っている。
男には立ち入れない共感の絆も強いが、その分、ジャッジも厳しいのだ。
特に私たちの世代までは、「美容整形」に対して「それ、チートじゃん」という根強い抵抗感がある。
30代の頃、約15年ぶりの同窓会に行ったら、当時ブスだったクラスメイトが妙にかわいくなっていて、「あれ、絶対に整形だよね」と友人たちと囁き合ったことがあった。
今思えば、あの嘲笑は何だったのかと本当に不思議なのだが、おそらく「ブスのくせにズルしやがって」という嫉妬混じりの感情だったのだろう。
べつに違法行為ってわけじゃなし、ズルでも何でもないのにね。
そんなわけで、自分の顔に不満を抱きつつも「美容整形」という選択肢を考慮して来なかった私であるが、そうやって無知蒙昧な偏見の中でじめじめと生きてるうちに、時代は大きく変わっていたらしい。
安価かつ低リスクの「プチ整形」の登場によって「美容整形」は一気にカジュアルな存在となり、一度プチ整形を経験してしまうと次の本格的な美容整形へのハードルがグンと下がるのであった。
雑誌の対談で美容整形外科医と知り合って「プチ整形」の威力を実感した私は、若い頃の忌避感なんぞどこへやら、あっという間に「美容整形」にハマっていった。
加齢のせいで重くなっていた二重まぶたをくっきりさせ、ヒアルロン酸注射で涙袋を作り、たるんできた皮膚を糸で吊り上げ……などなどしているうちに、自分の変化が楽しくて仕方なくなって来たのだ。
「美容整形」は、お手軽な「自己肯定」手段である。
自分の容姿や中身に大満足して自信満々に生きているごく少数の人々を除いて、たいていの人間は、自分に足りないものを数え上げては溜め息をつきながら生きているものだ、と、私は思う。
もっと魅力的な容姿が欲しいとか、もっと冴えわたった頭脳が欲しいとか、運動神経や音感や美的センスなどの天賦の才能が欲しいとか、ないものねだりをしては他者を羨み、己の不甲斐なさに落胆する。
そして、何とか足りないものを埋め合わせようと、必死に足掻く人生だ。
少なくとも私にとって、シャネルやエルメスは一時的な自己満足を与えてくれたし、若い美形ホストとのかりそめの恋愛も「このまま女として終わっていくのか」という不安を紛らわせてくれた。
そうやって、その時その時の「欲しいもの」は、私に決定的に欠けている自己肯定感の埋め合わせだったのである。
際立った容姿も頭脳も才能もなく、そのくせ自分が凡庸であることにどうしても我慢ならない私は、束の間の自己肯定感を求めて次から次へと手を伸ばした。
シャネルやエルメスを身につけると自分が大物になった気分が味わえたし、若いイケメンに愛されているという錯覚は私の価値を大いに引き上げてくれた。
が、所詮それらは幻想であり、本当に欲しいものの代替品に過ぎないから、酔いが醒めると無惨な夢の廃棄物と化して、私をますます絶望させるのだ。
でも、本当の「自己肯定」なんて、どうやったら手に入るのよ?
そもそも「自己肯定」なんてもの自体、幻の概念なんじゃないの?
自分を幸せにできるのは自分だけ。
人が何を言おうと、自分が納得しないと意味ないのよ。
「美容整形」もまた幻の「自己肯定」の一時的手段に過ぎないことは、最初からわかっていた。
でも、本物の自己肯定感なんかどうせ手に入らないのだから、その場しのぎで何の問題があろうか。
要は、たとえ束の間であろうと、私がどれだけ高い充足感を得られるか、なのである。
その点、結果があからさまに目に見える「美容整形」は、これまでで最も強い陶酔感を私にもたらしてくれた。
何十万円もするシャネルの新作を着ていても、鏡に映っているのはぼってりした丸顔の冴えない女だ。
イケメンホストと手を繋いで歩いていても、ショーウィンドウに映る若作りのイタいババアにハッとする。
そのたびに慌てて目を伏せ、恥ずかしさに身悶えしたものだ。
だが、美容整形によって日に日に若返り確実に綺麗になっていく自分からは、もう目を背ける必要がなくなった。
たかが容姿、と嗤う人はいるだろう。
軽薄なルッキズムだ、と批判する人もいるだろう。
でも、私が自分に満足してるんだから、それでいいじゃない?
あれこれ言う人たちが、私に何をしてくれるっていうの?
自分を救うのは、自分だけ。
救われる手段を選ぶのも、自分の意志。
他人から見てどんなにバカげた行為でも、自分にとって意味があれば充分なのよ。
人の目に脅えて萎縮していた若い頃の自分に、こう言ってやりたい。
あなたは自分を幸せにするために生きていいのよ、と。
あなたの人生に必要なものは、あなた自身が決めるのよ。
その代わり、自分が選択した以上、何があっても自分で引き受けましょ。
それが、真の意味での「自由」なの。
自由には、必ず自己責任が伴う。
でも、他人の言うとおりに生きてても、誰も責任取ってくれないわよ。
他人ってのはね、びっくりするほど無責任なものなのよ。
なら、自分で決めて自分で責任取った方が納得できるじゃない?
間違った選択をしてもいいの、失敗しても構わない。
そもそも失敗しない人間なんて、この世に存在しないわよ。
どうせ失敗するんなら、自分の選んだ道で失敗しようじゃないの。
誰のせいにもできない分、自分の肥やしにするしかないからね。
買い物依存もホストも、自分で選んだ道だった。
だから、派手にすっ転んでも、あっけらかんと笑っていられた。
美容整形も、同じだ。
自分がしたくてやっている。
それが、私のささやかな「誇り」だ。
自分の人生を、自分らしく生きているという誇り。
もしかすると、それが私の求める「自己肯定感」ってやつに、最も近い感覚だったのかもしれない。
関連記事
中村うさぎさん連載「失われた私」を探して
- 中村うさぎさん連載 「失われた私」を探して(1)
- 「死ぬまで踊り続ける赤い靴」を履いてしまった者たち 「失われた私」を探して(2)
- 不倫、ゲイの夫との結婚......歌舞伎町で再び直面した運命の岐路 「失われた私」を探して(3)
- 興味本位で入ったホストクラブで人生二度目の有頂天を味わった瞬間、「ホス狂い」が始まった 「失われた私」を探して(4)
- それはまだ「色恋」ではなく「戦闘」だった。 ホスト沼にハマった私の意地と矜持の代理戦争とは。 「失われた私」を探して(5)
- ホスト通いが呼んだ結婚生活の危機!? 夫の予想外の反応に戸惑いながら、「結婚とは何か?」を考えた夜 「失われた私」を探して(6)
- 夫を泣かせ、金を使い果たし、ボロボロになった私にさらなる試練が待ち受けていた。 その名も「色恋地獄」。 「失われた私」を探して(7)
- ゲームから色恋へとフェーズが変わったホス狂い。 溶かした金と流した涙は自分史上最大となる。 「失われた私」を探して(8)
- ホストとの終幕は、とんでもない騒動に! そして、私が新たに見つけた道標とは? 「失われた私」を探して(9)
コメント
頭も心も体ももってかれるような感覚というか、すごい映画を見た後に「あぁ…」しか言葉が出ないような感覚というか、、、そんな読了感です。
整形を経験して、まわりまわって他者からのジャッジに解放されるという、中村さんの連載を読んでるからなるほど!と納得しました。
我々は「現実の自分」を直視できないのである
本当にそう、薄ら自分でも分かってはいるけど受け入れられない、痛みを伴うから反射的に避けてしまう感じ。だから私は12ステッププログラムが必要で取り組んでいるのだなと納得。お金で獲得したものを自分のアイデンティティとしたい気持ちもものすごく分かります。だってインスタントだし、他者から一目置かれる感じがするから〜。
自分の人生を、自分らしく生きているという誇り。勇気をもらえた!
もう、他人と比べて生きるのはやめよう。うさぎさん、ありがとうございます!
「他人ってのはね、びっくりするほど無責任なものなのよ」
わかっていても他人の目にどう見え自分を意識してしまうものです。
けど、中村うさぎさんにきっぱり、はっきり言ってもらうと、やっぱそうだよね、って思える。
自分らしく生きる誇りってこういうことよ、と見せていただきました。
かっこいいなあ。
私は他人の目を気にしずきてばかりいる時に、「他人の人生生きてる」と言われ、ずっとそんな生き方してきたなとハッとしました。
自分の人生に責任取りたくなかったし
おぶさってる方が楽だったから
ただ生きてるだけって感覚だった。
「自分がしたくてやっている。
それが、私のささやかな「誇り」だ。
自分の人生を、自分らしく生きているという誇り。
もしかすると、それが私の求める「自己肯定感」ってやつに、最も近い感覚だったのかもしれない。」
失敗も成功も自由も責任も自分が選んで生きてきたこと、これからも生きていくこと。カッコいい。この連載を通していろんな依存エピソードを包み隠さず教えてくれた中村さんの言葉だから、身震いするほどかっこいいです。