東大奢られ時代に突入! 格差を痛感し、実入りのいいアルバイトで運命の出会い? ギャンマネ(11)
東大医学部秘書になり、お医者さんたちに高級な食事、医局旅行などを奢られまくった私。格差を痛感し、実入りのいいアルバイトを始めたところ、そこには運命の出会いが待っていました。
公開日:2024/07/29 08:30
連載名
ギャンマネ東大医学部の秘書生活が始まった1990年当時はバブルがはじけたばかりでしたが、まだまだ余韻が残っており、まさかその後30年以上も不景気が続くとは誰も夢にも思っていない頃でした。
「まぁ、株も土地もあがりすぎたから、小休止だよね。そのうちまたあがるよね」
こんな気楽な感じでいたと思います。
その上、当時の医学部はまだまだ製薬会社さんの接待がうるさくない頃だったので、色んな美味しいものを先生方と一緒にご相伴にあずかったり、先生方のポケットマネーでも当時の有名高級店に連れて行って貰いました。
貧乏人育ちのこの私が、今でもどこに行っても臆せずにいられるのは、ひとえにあの東大驕られ時代のお陰だと思っています。
政治家の会合で有名な料亭「金田中」、高級すき焼き店の「ざくろ」や「江知勝」、うなぎの「野田岩」、お寿司はオークラの「久兵衛」、焼き鳥なら「門扇」などなど、現在では閉店してしまった名店もありますが、こんな高級店にしょっちゅう連れて行って貰っていました。しかもあの頃の価格は、現在とは全く違います。先生と二人で焼き鳥を食べて、支払いが8万円なんていうのを横目で見て、内心ぎょっとしてました。
「りこ、今日はオークラの久兵衛で行くか?」なんて言われると「えぇ!嬉しい。行きたぁい!」と大喜びをしていました。まるでハタから見たら愛人ですが、そんなエロな要素はもちろんどなたにも1ミリもなく、多分あれは恵まれない子供がいたら「お腹いっぱい食べさせてあげたい」という気持ちになるのと同じ様な感情だったのではないかと推察しています。
中には、若い20代の私と同世代のお医者様もいて、こんな高級店に躊躇なく来られて、医局秘書にすぎない小娘に驕れる、この世にはお金の心配をせずに生きる暮らしが本当にあるんだなぁとしみじみ感じました
バブルで浮いた浮いたの金持ちは沢山見ましたが、色黒でぶっとい喜平のネックレスをして、クロコダイルのセカンドバックを持ったアルマーニ男達のような得体の知れない感じが全くなく、この人達は生まれたときから金銭感覚が違うんだなと自分の境遇が悲しくもありました。
そのうちあまりに驕られ慣れていき、面倒くさいので、自分のバッグや財布は車や医局に置いたまま、何も持たずに手ぶらで行くようになると「いや、一応財布くらい持って、払う気はある振りくらいしたら?」と突っ込まれたこともありますが、万が一そんな振りをして実際払えと言われたら困るので、高級店に行くときは絶対払わない姿勢を明確に示していました。
医局旅行も桁違い
驚いたのは医局旅行でしたね。箱根に1泊とか、軽井沢に1泊して、ゴルフをして帰るっていう企画なんですが、これは単に当時の教授がゴルフ好きだったからですね。あれ教授がテニス好きならテニスになったでしょうし、釣りが好きなら釣り、下手すりゃ将棋好きな教授なら将棋大会にでもなったんじゃないでしょうか。
それくらい教授というのは「天皇」という感じで、ご本人は全くえばってもいませんでしたが、周りがとにかく腫れ物に触るように気遣っていました。
この医局旅行がですね、ゴルフ代別に1泊で会費が8万円とかなんですよ。なんでそんなにするんだ?と思いますよね。高級旅館、高級ホテルというわけでもなく、普通のプリンスホテルとかそんな感じだったと思うので、(あっ、プリンスホテルさんすみません。もしかしたら違ったかも)恐らく東大医学部ご一行様ということで、どこかで誰かにぼったくられていたのだと思います。
デパートの社員旅行は1泊1万円位で、それすら「金がないから行かない」という人達がいたので、その違いに私はビックリ仰天しましたが、先生方は「当たり前だ」とばかりに誰も動揺したりせず「高けぇよ。ぼったくられてんじゃねぇの?」などと、文句を言う人もいませんでした。もちろん私は「センセェ、私も行きたぁい」と先生方に甘え、驕ってもらって参加していました。
でもですね、医局旅行にはずらっと高級外車が並ぶんで、こればっかりは誤魔化しがきかないじゃないですか。ベンツ、BMW、アウディやサーブなんてのが集合して、さながら外車展示場の勢い。しかもですよ、まだナビも携帯もない時代だっていうのに、テレビ付の車に乗ってる若い先生もいて、当時まだこんな言葉はありませんでしたが「親ガチャ」を痛感させられましたね。「神様、生まれ変わったら金持ちの医者の子供にして下さい」東大時代は本気で何度もそう祈りました。
面白いことに、国産車に乗っていたのが、なんと私と教授と次期教授に本命視されていた助教授のみ。教授はそれでもクラウンでしたが、助教授は私のインテグラとどっこいどっこいのHONDAアコードに乗っていたんです。一度「先生なんでベンツに乗らないんですかぁ」とお聞きすると、「そんなもん乗り回してたら感じ悪いし、足引っ張られるから」と、ボソっと答えられたので、なるほど!本気で教授を狙う人は、嫉妬されないように、こういうところにも気をつけないといけないんだなと思いましたね。
どうでもいい末端秘書の小娘には、みんな優しくしてくれますけど、医者同士では白い巨塔ばりのさや当てや、足の引っ張り合いやライバル視なんかがあったみたいです。
東大医学部にもあった!下世話な噂話
段々慣れてくると、こういう背景も分かってきて面白かったですね。医局の中にも生え抜きの天才達で、東大もしくは東大系列の病院で教授を狙う人達と、やがては開業医になる私大出の先生達とハッキリ分かれ、私がしょっちゅうご馳走になって、ゴルフだスキーだと遊びに連れて行ってもらっている先生方は、もちろん私大出身の開業医ジュニアでした。
出世争いをするわけでもなければ、誰かと張り合う必要もない、鷹揚で遊び好きで、美味しいものや、おしゃれなもの、そして空港でのワンランク上のラウンジサービスとか、金持ちだけが優遇されるこの世の色んな隠れた仕組みをとことん教えてくれました。
しかも医局旅行やスキー旅行、新年会や忘年会、歓送迎会など、色んなイベントがあって、先生方が医局内外で恋に落ち、噂になったりするのも、学生時代のようで楽しかったですね。
大人しそうで、真面目そうで、全く派手でもない、ルックスも至って普通の東大理三の先生が実はめちゃくちゃモテるプレーボーイで、私が医局で一番可愛いと思っていた女医さんが付き合っているけど、今は女医さんの方がふられそう、なんて話しを聞いて「ひぇ!人は見かけによらないよね」と皆で面白がったりしていました。こういう噂話は医局内の秘書も医者も大好きでしたね。東大出も案外下世話です。
一度、このプレーボーイ先生とゴルフで一緒になった時、とにかく運動音痴でゴルフもめっちゃ下手くそな私が、壁のようにせりあがったグリーンバンカーに捕まってしまい、5打、6打と打っても出なくてパニクっていたら、そっと戻ってきてくれて「誰にも見えないから、僕が出してあげますよ」と代わりに打ってくれました。「なるほど、プレイボーイの所以はこういうとこなんだな」と納得しましたね。
時給の高いアルバイトで踏み込んだ競馬の世界
こうして学生時代からデパート時代と、Discoで夜遊びばかりしていた私でしたが、東大時代には、ゴルフに出かけ、高級料理を食べ、おしゃれなBarで飲み明かすなんて遊びを覚えていきました。
もちろん当時の夫は、最初は夜遊びに文句を言っていましたが、そのうち諦めたのか、私が言われても気にならなくなったのか、恐らくその両方だったと思いますが、お互い勝手にするようになっていきました。
こうして東大時代は人間関係には特に問題もなく、仕事も先生とのおしゃべりがメインという楽勝状態だったのですが、いかんせん非常勤職員なんて給料があまりに安い。
こればっかりはたまらず不満で、私はアルバイトニュースを買ってきて、土日に時給の高い仕事をすることにしました。
それが後楽園の場外馬券場で、大井競馬の馬券を売る仕事だったのです。よりによって時給の高さに目がくらみ東大とは正反対のバイトを選んだ私。ここで運命を変えるような出会いを経験するのです。
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コメント
どんな場所でも順応して楽しむリコさんの姿を見習いたい!って思う回でした。
自分の過去には全くなかったような世界になんだかワクワクしました。
世の中には生まれた時からお金持ちの人がたくさんいて、その生活たるや凄いものだったんだなぁと。
読んでいて、その頃のリコさんが浮かんできて、この先が想像できるようなできないような、、、
本当に書籍化できたらいいな。
セレブな世界の中で、どこに行っても臆さずいられるりこさんが形成され、
からの〜後楽園場外馬券売場とは!
川の流れに引かれて行ったりこさん、続きはどうなる!?
今でもどこに行っても憶せずにいられるのは…りこさんのこの文章には、私自身もたくさんの共感と気づき(忘れかけていた…)がありました。超バブリーなあの時代、CAだった私は(同じフライトのメンバーほぼ全員)ステイ先では毎回のように美味しい物を同乗したキャプテン(機長)に奢ってもらっていました。皆まるでりこさんのように(笑)煌びやかな場所にもずいぶん連れて行って頂きましたし、りこさんがおっしゃっていたように、確かに色々な世界を見させて頂いたな〜と改めて感謝の思いにもなりました。同時に、家庭を持って子育てを経験して改めて、これが自分の旦那様だったらちょっと複雑かも〜とも思いました。家族ぐるみでお付き合いしてきたキャプテンと20年ぶりの再会でつい先日その方のフライトに家族で乗り食事をした時に(この時もごちそうして下さった(笑))「今振り返ると、CA 全員分キャプテンが払うとかないですよね」と私が言ったら「毎日じゃないから大したことないですよ」とおっしゃっていました。やはり、りこさんが言うように世の中には本当にこういう方がいらっしゃるんですよね。私もあの時代の経験が確かに随所で活きている…ということに、りこさんのお話から改めて感じることが出来ました。それにしても、りこさん、ものすご〜い広い世界で生きてきて、天から地までの数々の経験が、すべて活きていて、皆に還元されているんだな~と感じました。まだまだこの先もずっ〜と続いていく、りこさんの人生、きっともっともっと深いものになっていくんだろうな〜と更に楽しみになりました。書籍化ドラマ化トオル様がまた近づいてきました~!りこさん、いつも皆を楽しませてくれて勇気づけてくれて本当にありがとうございます。
センセェ、久兵衛でお寿司、あたしも食べたぁい!と思わずつられて言ってしまいそうになりながら、待ちに待った運命の出会いにドキドキしています。
語尾伸ばす系のイケイケ具合を想像しながら、楽しく読ませていただきましたぁ。
昔の病院あるあるで、共感がいっぱいです。
教授と呼ばれる偉い人がいて、何でもありだったなと。
田中さんの過去の経験豊富さに驚きました。そして、この後の展開が待ち遠しいです。
ギャンマネ面白い!私は1990年当時32歳。あの時代の雰囲気を思い出します。バブルはじけたと言っても、まだまだ余裕と希望がある時代、職場で遊ぶのが当たり前、「職場旅行」たのしみでした。このころ、「ダービースタリオン」という競馬ファミコンゲームが大流行。私はゲームからリアル競馬も始めました。私は溺れなかったが、こどもたちも「ダビスタ」大好きにしてしまったのは、失敗だったかも・・・・・あのころはそんな心配もしていなかったなあ。
どんなに世がバブルに浮かれていても、そこに格差の闇が見え隠れしていても。それらを満喫しながら、一方で必ず的確に周囲を観察しているその視線に毎回驚かされています。表面だけじゃなくて、中身を見抜いてて。愛しながら、底に冷徹とも言える冷静な視点を感じます。
まさに、タフラブの原点を読むよう。
田中紀子さんのギャンマネ、いつも本当に面白いです。
私が知ってる田中さんは、もうすでに依存症支援をバリバリとやられていたので、こんな時代があったんだなぁ~ととても新鮮にも感じます。
続きがとても楽しみ!!
現在56歳の私も、当時は田中さんのような医局秘書ではなかったものの、超有名K大学病院卒の開業医のもとでオペ室ナース兼助産師などしていた時は大きなオペ終了の時など、今考えても五つ星高級ホテルの豪華な料理ばかり院長先生にご馳走様になってました。
病院に出入りを許された製薬会社のプロパーは、毎年開催する納涼会や新年会の開催場所やビンゴの商品に半年近く前から計画を立案したりで大変そうでした。それでもパーティ企画するほうも招待されるほうも互いにWin-Winの旨みがあったのでしょうから。飲み会で上司や先輩方にお酌して回ったり、二次会や三次会に参加することに疑問を呈する人はいなかったですし。
今は上司が飲み会誘うと「それって時間外手当て出ますか?」って聞く子もいるそうだから。良くも悪くも悲しいかな人付き合いは希薄になってますから。
約30年前 地元アルバイト雇用優先として JRAが高時給バイトを大募集!
我が家の大学生弟に来た採用通知を見た母は黙ってハガキをビリビリに抹殺。学生の弟からギャンブルを遠ざけたいと言っていた。
私の夫は大学生からJRAの保育アルバイトをしていた。子供好きの優しい人だったが…。
りこさん、高時給にはウラがありそう。競馬バイトに行かないで!と言いたくてたまらない。
"恵まれない子供がいたら「お腹いっぱい食べさせてあげたい」という気持ち"という表現にちょっと笑ってしまいました。田中さんはそういう人に出会い、愛される「才能」に恵まれたんですね。にも関わらず土日にちょっと危うげなバイトを始めてしまう・・・これからの展開がますます楽しみです。
焼き鳥2人8万円のくだりで、私の理解の範疇を超えました。同じ時代、私が隣町のフリーマーケットまでチャリをとばしていた頃、東大医局ではそんな世界が広がっていたとは!
大黒摩季の「あなただけ見つめてる」がリリースされていた時代に、逆行するように自分の求めるまま様々な分野に飛び出していくリコさん。やりたいことをやりたいと言えるのって、素敵ですね!
ほぼ同年代なのに、全く違う人生の私。
なんか自分が損した感もありますが、こんな生活の人たちもいたのか〜、住む世界って様々だなと、自分が無縁だった暮らしぶりを楽しく読ませてもらいました‼️