地獄を抜けたら、そこは砂漠だった。 依存症から解放された私は、ちっとも幸せになれなかった。「失われた私」を探して(19)
ウリセンへの恋も冷め、平穏無事な生活に戻った私。ようやく地獄から抜け出せたと思ったのに、そこに広がるのは砂漠でした。
公開日:2025/02/05 02:38
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「失われた私」を探してダイエット薬の思わぬ副作用!?
憑き物が落ちたようにウリセンを見限ったあの日。
ウリセンへの恋は、大方の人々が予想したとおり、何の実りもなく終わった。
薄っぺらな嘘を並べて金をせびる彼に、ついに愛想を尽かす日が来たのだ。
まぁ、嘘をついてるのは最初から察してたし、それまでも何度となく別れようとしたのだが、メールが来るとついつい我慢できずに会ってしまう。
そしてまた、ずるずると苦しい関係が続いてしまうのだ。
やめようやめようと心に誓いながらやめられないのは、買い物依存症の時とまったく同じだった。
ところがそんな依存症的泥沼恋愛が、ある日突然、憑き物が落ちたように終わったのである。
きっかけは、なんとダイエット薬であった。
年齢のせいもあって肥り気味になってきた私は、「サノレックス」という食欲減退薬を服用し始めたのだ。
おかげであまり食べなくなったのだが、代わりに眠れなくなった。
眠れないのは困るので友人の医師に相談したところ、
「あー、その薬ね、覚醒剤みたいなもんなんで、不眠の副作用があるんですよねー」
「え、待って!私、毎日、覚醒剤飲んでるの!?」
「いや、覚醒剤ではないんですが、化学式がよく似てるんですよー。だから痩せるんですよね。ほら、あの人たち、食べないし寝ないじゃないですかー」
「えええーーーっ!!!」
「気になるなら服用をやめた方がいいと思いますよ」
「いや……痩せたいから続ける!」
こうして、覚醒剤ではないけれど覚醒剤によく似たダイエット薬を服用し続けた次第であるが、これがなかなか興味深い薬だった。
食欲は確かに減退するのだが、一応、空腹感はあるのだ。
だから「お腹空いたなー」と思って出前のメニューを開くものの、「食べたい!」と思う物が何ひとつない。
元々食いしん坊なので、出前メニューを前にすると「あれも食べたい、これも食べたい」という欲求が抑えきれず、ついたくさん頼んでしまって毎回後悔する私なのであったが、メニューを見ても少しもそそられないのである。
こんな現象は、中村史上、初めてであった。
しかも、減退したのは食欲だけではない。
ウリセンからメールが来ても「どうでもいいや」という気持ちになってしまい、返信すらしなくなった。
あんなに「やめよう、やめよう」と自分に言い聞かせてもどうしてもやめられなかったのに、じつにあっさり、「もう会わなくていいじゃん」という結論に達してしまったのだ。
凄い!
覚醒剤、じゃなかった、サノレックス、恐るべし!
さっそく件の友人の医師に報告したところ、
「ええーー?そんな効果はないと思うけどなぁ」
「でも、ほんとなんだもん!ほんとに突然、どうでもよくなって、あの男と縁切っちゃったんだもん!」
「そーですかー。まぁ、よかったじゃないですかー」
要するに、私の恋愛は、食欲のようなものだったのだろうか?
食べ過ぎた挙げ句に満足感どころか気持ち悪くなって後悔するのはわかっているのに、「欲しい!欲しい!」という欲望に背中を押されて理性を失ってしまう。
そのとめどない欲望が抑制されたら、ウリセンに対する異様な執着も消えてしまったのか。
そんなら一生サノレックスを飲んでれば、バカみたいな恋愛にハマることもなく平穏無事な人生を送れるんじゃないか……なーんてことも考えたけど、サノレックス依存になったらますます厄介な気もしたので、ウリセンと別れられたことで満足することにして早々に服用も切り上げた。
めでたしめでたし……なのか、ほんとに!?
依存症から抜け出したら、退屈な日々が待っていた。
私は平穏無事には生きられない人間なのか?
その後、また別のウリセンにハマったりもしたが、恋愛感情を抱くより早くそいつにウンザリしてしまい、泥沼に落ちることもなくあっさり気持ちが離れた。
その次の男も、さらにその次も、あんな激しい気持ちにはなれなかった。
もう恋なんかできないのかもしれない、と、少し淋しい気持ちになった私である。
恋をしていた時はあんなに苦しくて、早くここから解放されたいと願っていたのに、いざ恋をしなくなると何だか砂を噛むような味気なさを覚える。
私の幸せって、いったい何なんだ?
イタ恋も買い物もホスト遊びも美容整形も一段落して、何十年ぶりかの平穏な日々を送っているというのに、何がそんなに不満なんだ?
依存症に苦しんでいた頃は、毎日が地獄だと思ってた。
この地獄を抜け出せば、きっと天国のような日々が待ってると信じてた。
でも、地獄から抜けてみたら、そこはなんと、砂漠だったのだ。
何をしても楽しくない、以前のように夢中になれない。
破滅の恐怖もない代わりに、脳髄が焼き切れるほどの快感が一切ない世界。
もしかして世間の人々は、これを「幸せ」と呼んでるの?
昨日と同じ今日が、今日と同じ明日がやって来るだけの単調な日々を?
だとしたら、私、そんな幸せいらない!
……なんと罰当たりなことだろう。
私は本気で、以前の地獄を懐かしみ、切望したのである。
だってねぇ、あの頃は生きてる実感があったんですよ。
借金に追い立てられ、自己嫌悪にのたうち、平穏無事に生きている人たちを羨みながら、それでも!それでも、私は生きてたんだ!
苦痛も快感も、生きてる証じゃないか。
何事もない安寧にどっぷり浸かってる無痛の日々なんて、私にとって何の価値もないんだよ!
自分は「依存症」という病にしか生きる実感を持てない人間なんだ……そう思った時、私はひどく打ちのめされた。
そして、そこでふと思い出したのが、ずっと昔に夫と交わした会話である。
当時、私は買い物依存症の真っ只中。
買い物に金を遣い過ぎて住民税も滞納し、徴税係の人から呼び出し喰らってたっぷり油を絞られた、その帰り道のことだった。
「私がだらしないばかりに、こんな嫌な目に遭わせちゃってごめんね」
喫茶店のテーブルに頭をゴツンとぶつけて謝罪した私に、夫はこう言ったのだ。
「いいのよ。それがあなたの生き方なんだから」
「いいわけないっしょ!こんな女と結婚しちゃって後悔してるんじゃない?」
「してないわよ」
「嘘だね!絶対後悔してる!」
すると夫は小さくため息をついて、
「あのね、あなたとわたしの幸せは全然違うんだと思うの。わたしは平穏な人生こそが幸せだと思ってる。昨日と同じ明日が来て、毎日が無事に過ぎていくことが幸せなの。でも、あなたは違うでしょ?昨日と同じ明日が来るなんて耐えられない人でしょ?いつも嵐みたいな毎日の中で、ヒリヒリしながら生きてるのが好きなのよ」
「べ、べつに好きでやってるわけじゃ……」
「ううん、好きなのよ。自分じゃ気づいてないかもだけど、あなたはそういう人」
「じゃあ、私たち、まったく合わないんだね」
「そうでもないと思うのよ。たぶんあなたはこれからも刺激を求めて飛び回りながら生きていくんだろうけど、いつか、疲れて飛べなくなる日が来ると思うの」
「来るかなぁ?」
「来るわよ、きっと。その時にね、わたしはちゃんと家にいて、疲れて帰って来たあなたがゆっくり休めるようにしてあげたいの。わたしまで飛び回ってたら、帰る家がなくなるでしょ?だからわたしは家にいて、毎日平和な日々を過ごして、あなたが平和を欲しくなった時にそれを分けてあげるつもりなの」
「え~、それって退屈じゃない?ずっと家にいるなんて」
「ううん、わたしはそれが好きなんだもん。あなただって、いつか平和が欲しくなるわよ」
「そうかなぁ?」
そんな会話を、私たち夫婦は十年以上も前に交わしたのだった。
そして夫の予言どおり、いよいよ私に「飛べない日」がやって来たようだ。
でも、これが幸せだなんて思えないんだよ。
飛べなくなってもまだ私は、あんたみたいに平穏無事を愛する人間にはなれないんだ。
ねぇ、どうすればいいの?
どうすれば私は真っ当になれるの?
どうすれば、「何事もない安心安定の日々」に価値を感じられるようになれるの?
夫よ、教えてくれーー!
だが、その問いに対する答は、思いも寄らない形で私の人生に転がり込んで来た。
「まだ飛びたい!飛べるはず!」と翼をバタバタさせていた私は、ある日突然、病に倒れて死にかけたのである。
それが、私の大きな転機となったのだ。
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