叔父の犬を通して知った、父の深すぎる愛情 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(9)
震災から数ヶ月経ち、学校も再開して少しずつ日常が戻ってきた。叔父の飼っていた犬を預かることになり、父は犬に愛情を注ぐ。父の深すぎる愛情は長所でもあり、またアルコール依存への引き金でもあった。

公開日:2026/03/24 02:00
叔父の犬との暮らしが始まった
ライフラインが復旧し、両親の仕事や学校も再開したころ、叔父たちは仮設住宅に転居する。石巻から離れた住宅地に戸建てを買い、家が完成したらそちらで暮らす予定だった。
仮設住宅に犬は住めない。新しい家が建つまで、叔父が飼っていた犬は私たちの家に残って暮らすことになった。叔父たちと犬は、しばらく離ればなれになる。
叔父たちが仮設住宅へ移る当日、叔父は犬の頭を撫でて車に乗り込んだ。犬が叔父をじっと見つめた。
車にエンジンがかかり、叔父たちの車が仮設住宅へ出発する。犬は普段ならすぐ犬小屋へ戻ってしまうが、その日は違った。じっと車の去った方向を見つめ、動こうとしなかった。
これから離れて暮らすことを、犬は悟っていたような様子だった。
叔父たちが仮設住宅へ移り住んでから、父は犬の世話を焼くようになった。
避難してきた当初、犬は毛玉だらけで臭いも強かった。ライフラインが止まっていたので、汚れていても洗えなかったのだ。
水道やガスが復旧してから、父は犬用のシャンプーとトリミング用のクシ、ハサミを購入して犬を洗った。毛玉のかたまりを念入りにほぐし、整える。一度のシャンプーでは汚れが落ちきらず、何度も洗い流した。
黒ずんでいた毛は、洗ううちに元の茶色に戻ってきた。定期的にシャンプーをするうちに、毛艶があらわれた。毛玉だらけだった毛は指通りがよく、高級じゅうたんのような手触りだ。
「震災の前よりキレイになった」
仮設住宅から会いに来た従兄弟が、犬を見て驚いていた。
犬のシャンプーと朝の散歩は、いつからか父の仕事になった。朝は早く起きて、仕事へ行く前に犬を散歩に連れていく。「朝が早いから」と、夜は酒を飲まずに床についた。
叔父の家では、庭の一部を柵で囲って放し飼いにしていた。「もうおばあさんだし、散歩はたまにでもいいよ」と言われていたが、父はまめに散歩へ連れて行った。
父は犬に対して献身的な姿を見せる一方で、傍から見ると首を傾げるような行動もしていた。
父が飲み会へ行った日のことだった。母がふと、外から父の声がすることに気付いた。
職場の人と一緒に帰ってきたのかと、母は家のドアを開けて父を探した。父はスーツ姿で犬の首に腕を回して話しかけている。
犬は戸惑ったような表情で、かがむ父の隣に座っていた。
父の依存は治ったわけではない。寄りかかる先が、酒から犬に変わっただけだった。
叔父の犬を預かっている間も、父は穏やかに過ごしていた。しかしあるきっかけで、父は再び酒を飲んで家族に当たるようになった。
叔父に心筋梗塞が見つかったのだ。
叔父の病気がきっかけで、父は再び不安定に
叔父が胸の苦しさを感じて病院を受診したところ、病気が見つかった。幸い命に別状はなく、手術をすればおおよそ普段通りの生活を送れるという。
叔父は病院から十分な説明を受けて、手術の予定も決まっている。私たちにできるのは、手術の成功を祈ることだけだった。
父は心配で、いてもたってもいられなかったらしい。叔父の病気がきっかけで、父は再び酒を飲み始めた。酔うとしきりに叔父の病気を気にしていた。
ある日、父と母が物を投げ合うほどの喧嘩を起こした。
二階で勉強していると、リビングから泥酔した父の声が聞こえた。
母が答えを持っているわけではないのに、父は何度も叔父の病気について母に問い詰めていた。
母は薬剤師として働いていたが、叔父の病状を詳しく知っているわけでもない。母が何を答えても、父は納得せずに声を荒げた。
「兄貴は本当に大丈夫なのか!?」
今思えば、あれは父の八つ当たりだった。叔父への心配を自分で処理できず、身近な母にぶつけていたのだ。
母がやめてほしいと言っても、父は聞かずに母を問い詰める。母は父をなだめようと必死だったが、父からの怒号に耐えられずついには爆発してしまった。
「私に当たらないでよ!!」
普段は大人しく、決して声を荒げない母が叫んだ。続いて物を投げる音がした。重い物でないことは分かったが、音は二階にいる私と弟の耳にまで届いた。
父の怒鳴り声と、母の泣き叫ぶ声はしばらく続いていた。もはや2人が何を言っているのかもよくわからなかった。
理性的な話し合いではなく、むき出しの感情をぶつけ合っている様子だった。
「父や母が包丁を出してきたらどうしよう」
「これ以上ひどくなるようなら、警察に通報しなければ」
父や母の罵声が聞こえるたびに、足がすくんだ。止めに入る勇気はなかった。
夫婦喧嘩がいつ、どのように収束したのか覚えていない。私はあまり眠れず、ぼんやりとした頭で翌日に模擬試験へ向かった。
私と弟はそれぞれ受験を控えており、父が八つ当たりをした日は志望校を決める試験の前日だった。大事な試験なのは分かっていたが、まるで身が入らなかった。
幸いにも、叔父の手術は成功した。叔父の体調が落ち着くと、父の八つ当たりもなくなった。それでも根本的な問題が解決したわけではない。
父はいつ、どんな理由で暴れるかわからなかった。
成績はこちらの努力で改善できるが、父の機嫌はこちらの努力だけではどうにもできない。受験勉強よりも、家で過ごす時間が苦痛だった。
自分が子どものころ、父はよき父親だったのではないか
新居が完成して、叔父たちは仮設住宅から引っ越すことになった。
犬は再び、叔父たちと暮らせるようになる。長く過ごした家族の元に戻れるのだから、犬にとっては幸せなことだろう。
私たちが学校へいる間に、父は犬を叔父の新居へ連れて行った。犬が尻尾を振りながら、叔父の足元へ駆け寄る。
「一度もこっちを振り向かなかったよ」
犬を見送ってから、父がさみしそうに呟いていた。
犬がいなくなってから、父は再び酒を飲み始めた。一人で晩酌しては、犬小屋があった庭の方を時々眺めていた。
それからの父は、震災前と同じように酒を飲んで私たちに絡んだ。
私が娘の世話をするようになってから、ふと思うことがある。
私や弟が生まれて間もないころ、父は誰よりも子どもの世話をしていたのではないだろうか。
父は人とコミュニケーションをとるのが苦手だったが、手を動かして家族に世話を焼くことをいとわなかった。
しかし犬にせよ子どもにせよ、一方的に尽くす関係はいつまでも続かない。みな父とは違う意思を持っているからだ。
私たちは成長すれば父の手を離れて生きるようになる。犬は叔父の元へ帰り、父を忘れて暮らす。
家族に寄りかかれない父は、酒にすがって生きるしかない。
父に酒をやめさせようと、酒を我慢させても原因は変わらない。家族に尽くす以外の生き方を見つけてもらうしかなかったのだ。
昨年生まれた娘を、父には会わせていない。
父に子どもを会わせれば、可愛がってくれるかもしれない。きっと震災のときのように、まめに娘の世話を焼いてくれるだろう。
しかし子どもが自分の意思を持つようになったら、父は娘をコントロールしたがるかもしれない。
かつて私たちにしたように、世話した恩を着せて、自分の望む進路を強いるとしたら。それが娘にとって良いとは思えないのだ。
父が自身の病と向き合い、生き方を顧みる日が来たら、父を娘と会わせるつもりだ。
ただし、その日が本当に来るのかはわからない。
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