その恋は傷だらけでも、きっと生きるために必要だった 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(6)
高校2年生になり、同じクラスの男の子と付き合い始めた私。成績ではなく自分を見てくれる人と出会えて幸せをかみしめるが、成績は停滞してしまう。間違いばかりの日々だったが、当時に戻れたとしても私は迷わずに同じ道を選ぶだろう。

公開日:2026/01/27 02:00
同じクラスの男の子に恋をした
勉強の日々は続いたが、高校1年生の夏ごろから学校生活に変化があった。同じクラスに好きな人ができたのだ。
彼とは、席替えで隣の席になったことがきっかけで仲良くなった。最初は他の友達と昼休みを一緒に過ごしたり、講習がない日に遊びに行ったりしていた。
話が合い、次第に2人で過ごす時間が増えるうちに、私は彼が自分にはない魅力をいくつも持っていることに気付いた。
彼はいつも自信に満ちていて、人前に立つときも堂々としている。生徒会や合唱コンクールの指揮者も進んで引き受けていた。
彼は裏表のない性格で、自分の気持ちに正直に振舞える人だった。自己主張をするからこそ、人と対立することもあった。
私は成績以外に自信を持てるものがなく、人と話すのも苦手だ。人の機嫌ばかりが気になる私にとっては、彼の敵をつくりがちなところさえ格好よく見えた。
私も彼のような、芯を持った人になりたいと思った。
2年生になる前に、思い切って告白した。直接言葉で伝えられる自信がなかったので、手紙を書いた。
私は自分に自信がないが、それでも彼が好きだということ。彼の明るくてまっすぐな性格を素敵だと思っていること。
付き合えなかったとしても、気持ちを伝えたかった。
今までは私のことを友達としか思っていないようだったが、告白をきっかけにその後の関係を考えてくれた。
春休みの間に、彼から直接返事をもらった。高校2年生の春、私に彼氏ができた。
上がらない成績、それでも幸せだった
彼は国立大学の工学部を目指していた。私達は、付き合い始めても今まで通り勉強を続けようと誓いあった。
2人で過ごせるのは学校から最寄り駅までの帰り道と、月に1度のデートだけ。それ以外は、授業や自習に励んでいた。それでもあこがれの人と付き合えて幸せだった。
成績はキープしていたものの、私は1年生のころほど勉強に身が入らなかった。勉強する必要性を感じなくなってしまったのだ。
私はそれまで夢のためにではなく、親に自分を認めてもらうため、自分の存在価値を示すために勉強していた。
ところが、成績に関係なく自分を認めてくれる人があらわれた。彼は私を、一人の人間として見てくれていた。
必死に勉強しなくても、医師にならなくても、私を認めてくれる人がいる。
それなら別に、医学部へ行かなくてもいいのではないか?
当時は心のどこかにそんな気持ちがあった。
決して努力をしなかったわけではない。しかし勉強の目的はいつしか医学部へ入るためではなく、親や先生から怒られないためになっていた。
医学部にそこまでの熱意は持てないが、他の選択肢は認められない。だったら、医学部に向けて努力するポーズさえしていればいい。
成績は下がっていなかったものの、医学部へ入るには学力がまだまだ足りない。
「このままだと、医学部には受からない」
2年生の面談で、担任の先生から面と向かって言われた。
ショックだったが、それでも別れて勉強に専念しようとは思わなかった。
自習するために学校に残っていても、彼と売店や外のベンチで過ごす時間が増えた。
幸い成績は目に見えて下がってはいなかったので、両親は私の変化に気付かなかった。
もし私が本気で医師になりたかったら、彼と距離を置いて勉強に専念したかもしれない。
しかし、当時の私にとっては彼が一番大事だった。
自分の価値を認めてくれるのは彼だけ
最初は浮かれてばかりいたが、次第に彼とギクシャクすることが増えた。
カップルにケンカはつきものだが、彼と衝突するたびに私は何も手に付かなくなった。
ケンカの理由はお互いにあった。私側の理由として、自分の価値を全く信じられないことがあった。
私には成績以外に誇れる要素がない。自分より明るく可愛い子が彼と仲良くなったら、私は敵わないと思い込んでいた。
自信がないからこそ、彼と他の女の子が話していると不安になった。
私の嫉妬は、「ヤキモチ」という微笑ましい言葉で済ませるにはあまりにも激しかった。
一度嫉妬にさいなまれると、しばらく彼と口を利けなかった。自分でもどう振舞ったらいいか、わからなくなってしまった。
彼とうまくいかなくなったもう1つの理由は、私に相手の顔色をうかがう癖があったことだ。
一緒にいる間、いつも私は彼の機嫌が気になっていた。
自分のせいではなくても、彼がイライラしていると私は気が気ではなかった。メールの返信が来なければ、「何か気にさわることを言っただろうか?」と心配した。
それは私がアルコール依存の父にとっていた態度と同じだった。
父の機嫌を損ねると、酔ってから怒鳴られる。人の機嫌をとる癖は、穏やかに暮らすために私が身につけた処世術だった。
家庭では父の機嫌をとって乗り切っていたが、それ以外のコミュニケーションがわからない。
好きな人とどのように関係を築けばいいのか、わからなかった。
彼から「一度距離を置こう」と言われるまで、私にとって彼が世界の全てになってしまっていた。
彼は恋愛だけでなく、学校や友達、イベントも大事にしていた。彼と私の「好き」には温度差があった。
彼にとって、私は世界のほんの一部でしかない。お互い好きで付き合っているのに、気持ちの重さには大きな差があった。彼にとって、私の好意は重すぎたのだ。
「恋愛にうつつを抜かして、勉強をおざなりにしてしまった」と言えば、ありふれた話かもしれない。
愚かに見えたかもしれないが、それでも当時の私は彼を支えにして必死に生きようとしていた。
彼と別れていたら、勉強を続けて医学部に合格していただろうか?私はそうは思わない。
恋愛はきっかけにすぎなかった。もし彼と付き合っていなくても、きっと他の何かに依存していた。
そうでなくても、父や母の顔色をうかがって医学部を目指していた私は、心から医師を目指す人たちには敵わなかっただろう。
アルコール依存の父と、父に共依存する母に育てられ、進路も自分の意思で決められない。勉強する以外に、自分の価値を認められない。そんな中で彼との恋は、唯一自分の意思で選んだ道だった。
傍から見てどんなに下らないものに見えても、人が何かに依存するときは切実な理由がある。
ままならない人生で、なんとか今日を生き抜くために何かにすがる。
高校生の私にとっては、それが恋愛だった。
成績の代わりに、彼から得たもの
距離を置いたものの、彼は別れる選択をせずに付き合い続けてくれた。
自分の間違いを謝罪して改めた上で、私たちは互いにとって心地いい関係を模索した。時にはケンカしながら、お互いの考えをよく話し合うようになった。
彼は自分の意見も伝えた上で、私の主張も聞いてくれた。私はそのとき初めて、人は対等な関係を築けるのだと知る。
私は家庭で、自分の意見を伝える経験をしてこなかった。酔った父からの支配や母の共依存を前に、何も言えなかった。
両親のような方法でなくても、人はコミュニケーションを取れるのだ。彼との付き合いは、私に希望を教えてくれた。
成績という物差しだけで見れば、彼と付き合ったのは合理的な選択ではなかったかもしれない。しかし、今の私があるのは間違いなく彼のおかげだ。
彼とは高校を卒業しても付き合いを続け、私たちは今夫婦として暮らしている。
昨年には娘も生まれ、今は2人で子育てに追われている。
実家で暮らしていたころ、私にとって家族とは自分を縛り支配する存在だった。
彼は家族という関係を、鎖から絆に変えてくれた。
関連記事
連載「患者家族、作家、薬剤師〜3つの立場から見た依存症〜」
