親が決めたレールの上で 患者家族、作家、薬剤師〜3つの立場から見た依存症〜(5)
第一志望の合格は叶わず、私立高校の進学コースに進学した筆者。父から「次は医学部」と言われたが、医学部は自分が心から目指したい進路ではなかった。自由に進路を選べない中、私は将来目指したい姿を思い描こうとする。

公開日:2026/01/13 02:00
私立高校の進学コースへ
父が望んでいたS高校には進学できなかった。内申点が足を引っ張ってしまったのだ。
中学校に入ってからは教室に登校していたものの、時々どうしても学校へ行けない日があった。テストの点数は悪くなかったものの、欠席があると授業態度で減点されてしまう。
公立高校に落ちたとき、真っ先に私の頭に浮かんだのは不合格を悲しむ気持ちではなかった。
「ああ、また父が飲んで暴れる」
高校受験に失敗したショックよりも、父の気分を害した罪悪感が強かった。実際にしらふの父は私と口を利かず、酔った父は私を責めた。
今になって思えば、受験というシステムがある以上、志望校に入れないのは仕方のないことだった。
ベストを尽くした結果なら、親に対して申し訳ないと思う必要はなかったはずだ。それでも当時の私は、父の期待に応えられなかったことを恥じた。
挫折から立ち直って前を向くには、まず自分の気持ちと向き合う必要がある。
当時の私は父の機嫌をうかがうあまり、自分が何を感じているかわからなくなっていた。
不合格だった事実より、自分の気持ちを消化する余裕がないのが辛かった。
気持ちの整理もろくにできないまま、私は高校入学を迎えた。
「なんで医学部に行きたいの?」担任からの問いに答えられなかった
公立高校に落ちた私は、私立高校の進学コースに入学した。合格実績には、東大や国公立大学の医学部が並んでいた。
父は進学コースの合格実績を見てから、目の色を変えた。高校がダメでも大学受験なら、と。
「大学受験でリベンジだ!医学部に入れ!」
S高校が医学部に変わっただけで、父からのプレッシャーは変わらなかった。
高校に入学してからすぐに、再び勉強の日々が始まった。入学後は、朝から放課後まで講習が入っていた。
進学コースと呼ばれるだけあって、私は授業についていくだけで精一杯だった。
朝は6時台のバスで登校し、朝の講習を受ける。授業を受けてから夜までは放課後の講習を受け、その後は図書室で自習。夜は22時ごろに帰宅する。
勉強は大変だったが、自分の努力が数字として評価されるのは嬉しかった。努力の甲斐あって、1年生の夏ごろから成績は伸びた。
一見順調だったが、親の決めたレールを走る生活には脆さもある。
秋ごろ、担任の先生と面談があった。進路の話になった途端、私は言葉に詰まってしまった。
「あなたはなんで医学部に入りたいの?」
――はて、私はなぜ医学部を目指しているのだろう?
父から「医学部を目指せ」と言われた理由は2つある。
1つは医学部が理系トップの学部で、合格すれば父が自慢できるから。
もう1つは、母の実家が病院で、祖父が医師だったからだ。私が医師になれば、父は娘の学歴を自慢できて、祖父にも顔向けができる。
しかしどの理由も「私が」医学部に入りたいと思う理由にはならなかった。
娘をコントロールしたい母
答えに詰まる私に、担任の先生は大学のパンフレットを渡した。
「まだ高校1年生だし、もっと他の学部も調べてごらん」
家に帰ってから、先生からもらったパンフレットを読んだ。私はそもそも薬学部と医学部のほかに、世の中にどんな学部があるのかもろくに知らなかった。
まず、理学部のページに目が留まった。医学部と同じ理系科目だが、資格の勉強がない分研究に打ち込める。
同じ医療職でも、看護師や検査技師という道もある。4年で卒業できるので、手に職をつけて早く社会に出られるはずだ。
もしかして、医師だけが選択肢ではないのだろうか。私は医学部以外の道を考えてもいいのだろうか。
許されるなら、私は父ではなく自分が決めた将来のために努力したい。
視野を広げようとした矢先、今度は母が私の前に立ちふさがった。
私が自分の望んだ進路以外を目指そうとすると、母はいつも否定する。
「その学部は資格が取れないから……」
「看護師さんは気が強い人が多い。看護学部はあなたに合わない」
母は父のように「医者になれ」とは言わず、うわべでは理解のある母親を演じた。一方で母が気に入らない進路に私が興味を持つと反対した。
私が再び「医者になる」と言うまで、母の反対は続いた。
今思えば、母の態度はダブルバインドだった。娘が自分の望んでいない道を選ばないよう、母は必死で私をコントロールしようとしていた。
成人した今の私なら、親が決めた道を押し付けられても反対できる。親の考え方が全て正しいわけではないと知っているからだ。
中学校を出たばかりの私は、親が敷いたレールを受け入れてしまった。両親の反対を押し切って違う進路を選べるほど、強い自分を持っていなかった。
なぜ母は、私に進路を選ばせようとしなかったのか。
答えは単純だった。母は他の育て方を、「子どもの意思を尊重する」という選択を知らなかったのだ。
母もまた、医療系の進路しか知らずに育った。実家は病院で、祖母も母に医療系の学部への進学を強いていた。
仕事だけではない。母が父と交際している間も、祖母が母の意思を無視して知り合いの医師とお見合いをさせたとも聞いていた。
親がレールを敷き、安定した進路へ進ませる。祖母や母にとっては、それが愛情だった。その気持ちにきっと偽りはない。
しかし、母が私の進路に干渉した背景には、きっと私のためではなく母自身が安心したい気持ちもあった。
もし私が母の知らない進路を選ぶとしたら、母は不安に駆られるだろう。医療職しか知らない母からすると、それがどんな仕事かも、食っていけるかもわからない。
その不確かさに、母は耐えられなかったのではないか。
子どもをコントロールして、失敗を未然に防ぐのは親にとって安心だ。しかし、子どもは自分の意思を持つきっかけを失ってしまう。
そして当時の私は、医師を目指す以外の選択肢を見失ってしまった。
言葉で人を助けたい
思い返せば、医学部は両親から強いられた目標だった。私自身が心から目指した夢ではない。
私自身は、理系科目よりも国語や英語が好きだった。何でも好きな学部を受験していいと言われていたら、文学部を目指していたかもしれない。
それでも、親が決めた枠の中で目指していたものもあった。
不登校や父のアルコール依存に悩んだこともあり、高校生になってから心や言葉というものに興味を持った。
高校生になってからは、心理系の新書や純文学の本を買っては読んでいた。
読んだ本のうち、『君も精神科医にならないか』(熊木徹夫/ちくまプリマー新書)の中にこんな文章を見つけた。
「言葉は精神科医のメスである」
この一文に、私は心を動かされた。
メスは使い方を誤れば人を傷つけてしまうが、使うべき人が使えば人を治す道具になる。
医師にならなければいけないのなら、精神科医になりたい。言葉を使って人の心を救う仕事をしたいと強く願った。
私は父の暴言に傷つき、母の優しい支配に苦しんだ。両親の言葉に傷ついてきた。同時に私を救ったのもまた、本に記された言葉だった。
親が決めたレールの中で、私は少しでも自分らしい道を選ぼうとしていた。
高校に入学したのが、もう20年ほど前になる。自由に進路を選べていたらどんな道を進んでいたか、今でも考えることがある。
親が私のためにと敷いたレールは、私には合わなかった。親の言うままに生きている間、ずっと自分以外の誰かの人生を生きているような気がした。
大学を卒業し、社会人になってからやっと「自分はどうしたい?」を真剣に考えられるようになった。
結局、私は医師にならず、母の意向で取った薬剤師の資格も今は使っていない。
高校生のころ思い描いていた将来と、今の姿はかけ離れている。
それでも「言葉を人に届ける仕事」という意味では、高校生の私が願った夢は叶っているのかもしれない。
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