過去を忘れることは無理だけど、過去を再解釈することはできる。 自分も世界も他者たちも、再解釈によって少しは救われるかもしれない。「失われた私」を探して(49)
この世界も、自分のことも嫌い。でも私はこんな自分で生きていかなければいけない。ただ、事実は変えられないけれど、解釈は変えられる。そうしたら、違う景色が見えてきた。

公開日:2026/05/05 00:09
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「失われた私」を探して嫌いな世界で、嫌いな自分と生きていく。
なんとかこの人生を変える方法はなないの?
私は、この世界が嫌い。
だけど、この世界で生きていかなきゃいけない。
私は、こんな自分が嫌い。
でも、こんな自分で生きていかなきゃならない。
どんなに世界が嫌いでも、私には世界を変える力がない。
どんなに自分が嫌いでも、別の自分になる方法なんかない。
じゃあ、どうすればいいんだろう?
そんなことを、ずっと考えながら生きてきた。
自分の居心地が悪いのは世界のせいだからと、世界を変えようとする人もいる。
自分が幸せになれないのは他人のせいだからと、他人を排除しようとする人もいる。
まぁ、確かにSNSでは、不愉快な他人をブロックして、自分の世界から閉め出すこともできるよね。
意見や価値観を共にするフォロワーたちと居心地のいい世界を作って、そこで平和に暮らすこともできる。
でも、現実世界では、そうもいかない。
不愉快な他人とも共存しなきゃいけないし、居場所のない世界とも折り合いを付けるしかないのよ。
でも、どうやって?
世界も他人も自分も、何ひとつ変えることができないのなら、私たちはこのまま一生、心を軋ませながら生きていかなきゃならないの?
答はなかなか出なかったし、今でも答を見つけたとは思えないんだけど、ただひとつ、変えられるものがあることに気づいた。
それはね、「事実は変えられないけど、解釈は変えられる」ということよ。
自分の人生の物語を、別の視点で解釈し直してみる。
はたして私は、本当にただの「被害者」だったのか?
私たちの人生は、いろんな事実の積み重ねで構成されている。
生まれ育った環境や、これまで生きてきた過程で体験したこと。
いいことばかりじゃなかったよね。
苦しんだこともあったし、傷ついた経験もたくさんあるでしょう。
そういうのを全部ゼロにするのは、記憶喪失にでもならない限り、不可能だ。
ああ、都合よく嫌なことだけ忘れられる記憶喪失になれたらいいのにねぇ。
でも、それは無理だから、私たちは過去の痛みを引きずりつつ、今日を懸命に生きていくしかないの。
起きたことは「なかったこと」にできないし、私なんか一日に二度くらいは過去の自分の愚行や罪状を思い出し、「ごめんなさい!ごめんなさい!」と布団の中で呻いちゃうわよ。
あるいは、ずっと昔に私を傷つけた人たちのことを思い出し、ご飯食べてる途中に急激な憤怒と恨みでカッカと身を火照らせることもある。
かと思えば、トイレで踏ん張ってる最中に、不意にめちゃくちゃ恥ずかしいことを思い出して「ぎゃあああっ!」と叫ぶこともあるわ。
もうほんと、生きてるのが嫌になる。
全部リセットして、1から人生をやり直したいわよ。
でもね、そんな罪悪感や恨みや恥を何度も何度も思い返して反芻しているうちに、気づいたことがある。
私が抱えているこの記憶を消すことはできないけど、別の物語として再構築することはできる、と。
つまり、私の身に起きた「事実」を別の視点から見てみると、思いも寄らぬ新解釈が生まれることもあるのよ。
たとえば、私が今でも恨みに思っている元夫との関係。
彼は気難しくてワガママで支配的で、気に入らないことがあるとすべてを私のせいにして当たり散らし、私を頭ごなしに全否定して自我も自尊心もズタズタに踏み潰した。
彼の思いどおりにしないと、びっくりするほど苛烈な嫌がらせが待っていたわ。
私の留守中に内鍵を掛けて何日も家から閉め出し、その間に家じゅうの食器を割ったりハサミで服をズタズタに破いたりして床にばらまいて、もう火山の噴火かってくらいの大惨事を引き起こしたわよ。
何をしでかすかわからない彼が心底怖かったし、私は完全に心が麻痺して、とにかく彼を怒らせないよう、機嫌を取ることしか考えてなかった。
そう、私はあの頃、心が死んでたの。
そんなわけで、今でも彼のことを思い出すたび、怒りで身体が震えてしまう私だけど。
でもね、そんな過去の傷で震え続けることにもいい加減ウンザリして来たので、この物語を再解釈してみることにした。
もちろん、彼のやったことを「なかったこと」にするつもりはない。
彼がやらかした数々の暴挙は、紛れもない事実だもの。
ただ、私の人生は、「事実」だけで構成されてるわけではない。
いくつもの事実をどう解釈するかで、まったく別の物語が生まれると思ったの。
たとえば、この物語を彼の視点で書き換えてみたらどうだろう?
彼の行動原理は「恐怖」だったのだろうか。
そう思うと、なんだか彼が憐れに思えて来るの。
「怒っている人は困っている人だ」という言葉がある。
そうね、確かに彼は困っていたのかもしれない。
ままならない世界に、ままならない人生に、ままならない自分に。
自分の中で膨れ上がる不満や怒りをどう処理していいかわからずに、でも抱えたままでは苦しくて仕方ないから、とりあえず一番甘えられる妻にぶつけて発散し、なんなら赦してもらい、「よしよし、大丈夫だよ」と肩を抱いて欲しかったのかもしれない。
もちろん、「甘えんな!」だけどさ。
でも私、彼を思い出すと、「怒っている人は怖がっている人だ」と感じてしまう。
たぶん、彼は怖かったのよ。
自分を拒絶する世界が、自分を疎外する他者がね。
彼は常に、自分が受け容れられていないと感じていた。
親にも受け容れられなかったし、職場でも私生活でも、自分の味方は誰もいないと思っているようだった。
だからこそ私は彼の理解者になりたかったし、彼もたったひとりの理解者として私を求めたんだろうけど、そんな2人の関係もどんどん悪化していく。
そうね、私が彼に反抗したり口論になったりするたびに、彼は唯一の安全地帯がガラガラと崩壊するような恐怖を味わったのかもしれないわ。
私に拒絶されると、彼は世界で独りぼっちになってしまう。
その凄まじい恐怖を想像すれば、その苛烈でヒステリックな怒りの爆発も腑に落ちるような気がするの。
彼があんなやり方で絶対的な服従を求めたのは、この世界で自分を保つための必死の防衛戦略だったんだ。
私の物語の中では、私は一貫して「被害者」だけど、彼の物語では違うんだろう。
もしかすると、彼の物語の中では、私も「加害者」なのかもしれない。
私もまた、彼を日々不安にさせ、孤独や無力さや劣等感を味わわせる存在だったのかも。
自分を理解して100%支持してくれる存在だと思ったのに、そうではなかった。
それどころか、自分を裏切って結婚生活を崩壊させた。
私が言うことを聞かないと彼の王国は崩れ去るのだということを、そしてそのことがどんなに彼を脅えさせるかを、私はまったく理解しなかった。
そうね、私たちはお互いに、自分の王国を守ろうとしていたの。
私は自分が壊されていくことに脅えたし、彼は彼で私の拒絶に激しく傷ついたのね。
でも、それは仕方ない。
人は自分で自分を守ってあげなきゃいけないんだもの。
彼は私に守って欲しかったんだろうけど、彼を守ろうとすると私が壊れちゃう状況だったし、私が自分を優先したのは当然よ。
でも、彼も私も、お互いの被害者であり加害者でもあった。
彼は彼で恐怖や不安に苦しめられていたけど、それを言語化することができず、ただただ怒りの暴発で表現するしかなかったのね。
それはたぶん、彼が「男」だったからかもしれない。
彼のような男は「怖い」って言えないのよ。
私がモラハラ夫と暮らして散々な目に遭ったという事実は、変わらない。
でも、彼の視点で物語を再構築し、あの当時の自分たちを再解釈すると、ずいぶん違った景色が見えてきたわ。
私は彼の所業を赦せる気がしないけど、それでも、彼に同情することはできるのよ。
みんな、必死に生きてて、山のように間違いを犯す。
彼もまた、そんな「普通の人間」のひとりだった。
もちろん、私もね。
そして、あなたも、あなたの加害者も。
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