緊急入院、心肺停止、からの身体障害者。 でも、そこには大きな意味があった。「失われた私」を探して(20)
突然病に襲われ、一人では歩くこともできなくなった私。夫の言葉で生きる意味に気づきます。

公開日:2025/02/20 08:14
連載名
「失われた私」を探してひとりで生きていけることが目標だったのに、
ひとりじゃ歩くこともできない身体になってしまった。
最初は夏バテだと思っていた。
食欲がなくなり、食べられないからどんどん痩せて体力も衰え、少し歩いただけで息切れして電柱にしがみつく始末。
しまいには階段の昇降もできなくなって、ついに病院に行ったら、そのまま検査入院になった。
入院した途端に症状が悪化し、全身が強張って激痛が走るようになり、手足が捻れて歩けなくなった。
まるで壊れた操り人形のように、自分の身体が言うことをきかない。
そして、病名も確定しないまま、ある日突然、心臓が止まった。
医師と看護師の素早い蘇生処置で一命を取り留めたものの、手足もうまく動かないしろれつも回らないし頭もボケてるしで、よいよいの老人みたいになってしまった。
半年ほどで退院したが、自力でトイレにも行けない車椅子生活。
夫なしでは何もできない身体になって、心の底から絶望した。
若い頃からずっと、「自立」が私のテーマだった。
経済的にも精神的にも誰にも頼らず、ひとりで生きていける人間を目指していた。
ようやくそれが達成できた時、自分を誇らしく思ったものだ。
なのに、50代半ばで病に倒れ、夫にトイレの世話までされる生活なんて、なんという皮肉な人生だ。
神は私に喧嘩売ってんのか?
夫の献身的な介護に感謝しつつも、申し訳なさと悔しさで死にたくなった。
実際、夫の目を盗んでこっそり首を吊ろうとしたのだが、腕に力が入らないためドアノブにかけたタオルをしっかり結ぶことすらできず、失敗に終わった。
飛び降り自殺も考えたけど、足が立たないからベランダの柵を越えられない。
練炭自殺にしろ服毒自殺にしろ、ひとりで何ひとつできない身体では、密かに材料を揃えたり目張りをしたりという作業すら不可能なのだ。
障害者って自殺もできないんだな、と、思い知った。
自殺は、一人前に足腰が立つ人間の特権である。
ひとりで生きていけないうえに、ひとりで死ぬことすらできない。
自分の無力さが憎くて憎くて、頭を壁に打ちつけたりもした(痛かった)。
私にとって、生きることは「罰」でしかなかった。
こんな惨めな思いまでして生きる意味ってあるの?
私は私なりに、頑張ってきたのよ。
最初の結婚が破綻した時、他人に幸せにしてもらおうなんて考えた自分が間違ってたと反省した。
これからは、自分で自分を幸せにしようと決意したのよ。
それが「自立」ってことでしょう?
誰にも媚びず、誰にも屈せず、誰にも頼らず、自分の力で幸せになるの。
なのに、すべてが水の泡になってしまった。
今の私は、ひとりで何もできない役立たず。
自分も他人も幸せにできない厄介者よ。
ああ、こんな自分が許せない!
早く死んじゃえばいいのに!
そんなふうに、ひたすら自分を呪い続ける日々が続いた。
私の人生には何の意味もない……それが、当時の私の結論だったのだ。
意味もなければ、価値もない、と。
ところが、意味はあったのだよ。
そりゃもう、とてもとても大きな意味が、ね。
あなたが私にくれたもの、私があなたにあげたもの。
生きる意味は、そこにあるのだと悟った日。
ある時、夫に介護されながら、私は訊いた。
「ねぇ、なんでそんなに尽くしてくれるの?私にはそんな価値ないよ。いい妻でもなかったし、自分ばっかり楽しんで家で待ってるあなたをほったらかして、何もしてあげられなかったのに」
「うーんとね」と、夫が答えた。
「これは、あなたの貯金のおかげなの」
「貯金~?知ってると思うけど、貯金なんて一円もないよ」
「その貯金じゃなくて、あなたが今までしてきたこと」
「???意味がわかりませんが???」
「あのね、あなたは自分で気づいてないけど、わたしはあなたにいろいろ貰ったの。あなたがわたしにしてくれたこと、いっぱいあるの。その貯金を返すために、わたしはあなたの世話をしてるのよ」
「私、あなたに何もしてあげてないと思うけど?」
「ううん、あなたは知らないうちに、周りの人にいろんなものを与えてるの。お金は全然貯まらなかったけど、それがあなたの貯金なの。だから、あなたが死にかけた時、あなたに何かを貰った人は皆、あなたに返そうとしてくれたのよ。わたしも、そうよ。あなたがくれたものを、今、こうやって返してるの」
夫が何を恩義に感じてるのかは全然わからなかったが、その時、私は思ったのだった。
そうか、これが生きる意味なのか。
何か偉業を成し遂げたわけでもないし、褒められるような人生を送ったわけでもない。
でも、私はひとりで生きてるんじゃなかったのだ。
私の生き方が誰かに影響を与え、その誰かの人生がほんの少し変わった。
そして私も、誰かから貰ったものを自分の養分にして生きてきたんだ。
私たちはそうやって、お互いに何かを与えたり貰ったりしながら、こつこつと人生を築いてるんだ。
独りで生きていけるなんて、傲慢だった。
私たちは、望もうと望むまいと、互いに繋がりながら生きている。
無力だっていいじゃないか。
誰かに頼ったって恥ずかしくなんかないんだ。
その代わり、知らないうちに他の誰かを支えてることもあるんだから。
あなたが生きていることで、救われている人もいる。
あなたがしていることに、意味を見つける人もいる。
それが人間という生き物であり、生きる意味とか価値とかは、すべてそこに集約されるのだ。
ただ生きてるだけで、私たちは、誰かの人生の一部になってるんだよ。
あなたの生き方は、あなたのメッセージだ。
あなたの人生が、周りの人々に、あなたという人間を伝えてるんだ。
そのメッセージをどう受け取るかは人それぞれだけど、良くも悪くも、あなたは彼らに記憶され、何かしらの反応を引き出し、それを受けてあなた自身も変わっていく。
あなたは彼らの一部となり、彼らはあなたの一部となるの。
だから、あなたの人生は、あなたひとりのものじゃないのよ。
病気にならなければ、こんなことにも気づけなかった。
夫に介護される身にならなければ、彼の中の自分も見えないままだった。
たったひとりで生きてる気分で、誰かと繋がってることなんか考えもしなかった。
「自立」を目指した私は、危うく「孤立」するところだったのだ。
「スティッフパーソン症候群」なんて百万人にひとりという変な病気に罹ってさ、満足に歩くことすらできなくなって、本気で死のうとしたりもして、でも、私は還って来たよ。
新しい自分を携えて。
神は私に喧嘩を売ってるわけじゃなかったみたい。
そこにはちゃんと、大きな「意味」があったんだね。
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コメント
依存の反対は繋がりだと聞いたことがあります。
自分がどうにもならなくなって初めて、私も真の意味で繋がりを持てたんだな、とうさぎさんの文章を読んで思いました。ありがとうございました。
今日眠りにつく前に、うさぎさんのこの回を読めて良かったです。体も心もゆるみ、安堵感に包まれました。
私の命は私だけのものじゃない、とよく言いますけど、その言葉の意味がより深く自分に響きました。これまでは、自分が死んだら家族が悲しむから自分の命は自分だけのものじゃないと考えてました。そういう側面もあるけど、でも家族に限らず、誰かと反応しあったり何かを意図せず交換っこしあったり、その連続というか、原子や分子が二重結合だのなんだので手を出し合ってくっついたり離れたりするように、ただそれだけで意味や価値がある尊いものなんだな、と感じました。恩返しとか恩送りとかそういう考え方とも一緒なのかなと思っています。あと、神様は人間を互いに助け合うように創造した、とか。
誰にも頼らず生きることを私も目指してました。お金だけが私の味方!と思い、仕事にどっぷり依存してました。でもそれってとっても独りよがりで、傲慢で、自分を孤独に追い込む生き方で、自分の首を絞める結末が見えているというか、、、それを学ぶために私は仕事依存や共依存になったんだろうなと思います。
まさか、こんなに素敵な結果になると思いませんでした。
ずっと連載を読んできましたが、まぼろしもギフトを与えられました。
ありがとうございます。
母が「障害者は自殺も出来ない」と同じ事言っていた事を思い出しました。病気の母は決して絶望して言っていた訳ではなく、その後には「だから生きるしかないんだ、病気と友達になって」が続くんですけど、子供ながらに強い人だと思った覚えがあります。
私も母のように強い人になりたいと思っていたけど、今は無力で弱くて誰かに頼りたいと思う、ありのままの私で良いんだと、自助グループに繋がって、仲間に出会って思えるようになりました。
母とは違うけど、私は今幸せだと思っています。
私も本を通して、うさぎさんからたくさんの愛を貰いました。
今もこうして文章が読めることが幸せです。
全ての文章が刺さりました。
迷惑かけたことしかなかったんじゃないかと思う自分の人生。
それでも誰かが自分から何かを受け取ってくれているのだとしたら、それは本当に幸せなことですね。
うさぎさんの言葉、人と繋がっていると信じることができなくなりそうな時のお守りにしようと思います。