Addiction Report (アディクションレポート)

アルコール依存症のコミックエッセイを読んで当事者として考えた話(1)

自分がアルコール依存症ではないかと悩んだり、きっぱりお酒をやめてはみたものの、消えないモヤモヤを抱えている時に、「ヒントをもらった」と感じた、アルコール依存症の家族が描いたコミックエッセイがありました。

アルコール依存症のコミックエッセイを読んで当事者として考えた話(1)
できれば考えたくないことを、絵の力ですっと読ませてくれるコミックエッセイ。尊い

公開日:2024/07/31 02:00

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30年間、ほぼ毎日かなりの量を飲んでいたけれど、4年ほど前に「お酒をやめた」わたし。春に上梓した『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)の主要なテーマの一つも「アルコールとの関係性」でした。

自分はアルコール依存症ではないかと悩んだり、きっぱりお酒をやめてはみたものの、消えないモヤモヤを抱えていた時に、読んで「ヒントをもらった」と感じたコミックエッセイがあります。

もちろん関連書籍はたくさんあります。なぜコミックエッセイなのか。

難しく考えなくても、ページをぱっと開いただけで、絵ですっと頭に入ってくれるコミックは、考えたくないことを前に思考停止しようとするヨレヨレの頭にも、心強い味方になってくれるからです。

とりわけ、依存症グレーゾーンだったわたしにとって「アルコール」は、まさにそういう存在だったのです。2回連載の1回目。(青山ゆみこ)

似ているからこその同族嫌悪なのか

 酒飲みの中には、酔ってしでかした失態や、家族やまわりに見せてきた醜態を、武勇伝のようにおもしろおかしく語る人が少なくない。どこか得意げにさえ見える。

飲める年齢になって以来、365日の350日が二日酔いという感じで30年近く念入りに飲んできたわたしにも、多分にそういうところがあった。

酔って失ったものの多さを、笑い飛ばすしかない。言い訳かもしれないが、そういう「とほほ」な気持ちもあったと思う。

そんなわたしが4年ほど前に酒をやめた。
すると、やめた後、もっとも「ウザい」と感じるようになったのが、そうした酔拳の使い手たちによるくだらない酔いどれトークだった。見るのも聞くのも、イラッとくるのだ。

ていうか、ついこないだまでの自分やんか! 

なぜか心が異様に狭くなってしまう。
自分に似ているからこその同族嫌悪なのだろうか。

限りなくグレーだったとはいえ、アルコール依存症の当事者側にいた身なのに、本当に申し訳ない。いまもってアルコールの問題を抱えている人に対して、どこか厳しい目で見てしまう自分もいる。

いちおうはやめられたものだから、やめられない人に「なぜ!?」「意思が弱いの?」「本気でやめようと思っていないのでは?」と、ちらりと湧き上がる否定の気持ちが止められないのだ。

繰り返し、ついこないだまで、やめたいのにやめられず、かなり悩んでいたというのに……。

しかしながらである。
「依存症」というくくりでいくと、これが例えば、薬物依存で困っている人の当事者や家族の話を聞いた時は、気持ちがガラリとかわる。

「やめたくても、自分では無理なんだよね。本人も周りもつらいよね」と、心配や憂いのため息しか出ない。

はたまた、ギャンブル依存の人の話を聞くと、「そこまでやめられないって、やっぱり病気だもん、うんうん、仕方がないよ」。
摂食障害で食べ吐きをする、過食で自己嫌悪に陥るなんて人を前にしたら、「コントロールできない自分に振り回されて、どんなに自分を責めてしまうことだろう」と、ひたすら胸がきりきり痛む。

そして、よく事情を知りもしないのに、「薬物に手を出してしまうほど、生きる上で大変な困難があるんだ」なんて、勝手な憶測を膨らませ、余計なお世話で同情までしている自分もいる。

ていうか、お前は何様なのだ……(恥ずかしい)。

できればもっとシンプルに、依存症は病気として、そうなってしまった理由や背景があるならそのことを知って、ウェットになりすぎずに理解したい。

Addiction Reportで、お酒を巡って岩永直子さんと雑談トークを続けている理由の一つには、アルコール依存症に対して、もっとフラットな感覚で向き合いたいという挑戦のような気持ちも実はある(岩永さん、勝手にすみません)。

彼女を理解することは、かつての自分を理解することにもなるんじゃないかな、なんても思っている。

それにはやっぱり、誰かの話を聞くことって大事だ。Addiction Reportでさまざまな当事者のインタビューを読みながら、いつもそう感じている。

当事者の家族の実話コミックエッセイ

まだ結構な量を毎日飲んでいた頃、ネットで「アルコール依存症」「コミック」で検索すると目に入ったのが菊池真理子さんの『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)だった。

「夜寝ていると、めちゃくちゃに顔を撫でられて起こされる。それが人生最初の記憶……」 幼い頃から、父の酒癖の悪さに振り回されていた著者

「化け物」というぎょっとする単語が入ったややハードなタイトルに一瞬怯んだが、パステル調の表紙の色と、丸くやわらかな線が心にやさしそうで、これなら読めそうな気がした。

普段はやさしくてどこにでもいそうな普通のお父さんなのに、「普通と違ったのは酒に弱かったこと」。弱いのに、飲み友達に誘われると飲んでしまう。

毎晩ひどく酩酊する父を、どう見てきて、どう関わってきたかが、当事者家族の目線で描かれている作品だ。

お父さんは、アルコールが入って暴力的になる訳ではないけれど(一度だけひどいことがあったものの)、ろれつがまわらず、服も脱がずに床に倒れ込むように酔い潰れるという日常。

お母さんを早くなくし(新興宗教の信者で、菊池さんが中2の時に自ら命を絶った)、お父さんは一人で、菊池さんと妹を養った。ただ、お酒の面では家族に心配と迷惑をかけ続け、ついには病に倒れてしまう。本ではその後の子どもとしての心境までが語られている。

表紙のように、ギャグ漫画っぽく憎めないかわいい絵で描かれているお父さんだが、現実に酒飲みを知っている人には、かなり困った存在であることが伝わってくるだろう。

自分は「当事者」で、「当事者の家族でもある」という気づき

わたしは読みながら、2つのことを感じていた。

ひどい酔っ払いのお父さんの姿に自分を重ねて「ああ、これはわたしだ」と胸がざわついた。

同時に、アルコール依存症者を家族にもつ人の痛みのようなもので、胸がキリキリもした。

酒には仲間を集める作用もあるのか、当時、わたしのすぐ近くにも、酔うとかなり厄介な人間がうじゃうじゃいて、特に同居する家族には、こちらも酔いながらだが神経をすり減らしていた。

酔った人は、まわりの人がどう思うか、気にできない。自分のことしか、いや、それさえも考えられない。

例えば、気分がよくて声が大きくなるにしても、その声が周りの人には「怖い」かもしれないとは、アルコールの影響を受けた頭は働かない。

酔っ払った人のそばにいると、「何が起きるかわからない」「自分に何かが降りかかってくるかもしれない」という感覚は、やはり「恐怖」に近いと思う。

自分の存在を軽く扱われるようなことに、薄らと心も削られる。

菊池さんの「嫌な気持ち」が身体で理解できた。

読みながらわたしは、普段は心の奥底に蓋をしていた気持ちがあれこれあふれ出してしまい、しんどくなったら閉じて、読めるページだけ読んだりしながら、お父さんの気持ちになったり、菊池さんの気持ちになったりしながら、最初は飛ばし飛ばしで読んだ記憶がある。

今は、渦中とは異なる感覚で読めている。そうしたことでも、自分や家族の飲酒の問題の変化を実感している。

皆さんも、どうぞ無理しないで読んでくださいね。

誰かの語りで、自分の遠い記憶を振り返る

『酔うと化け物になる父がつらい』を読んでいて、また別で思い出したことがある。

そういえば、うちの父方の親戚には、何人か「酒癖が悪い」と陰口をたたかれていた人がいた。

ひとりの伯母は、異様なまでに「構ってちゃん」だった。わたしも同行した親戚が何組が集まっての家族旅行があった。
その旅先で、彼女は息子夫婦の仲が良いことに嫉妬して、ウイスキーを一本一気に飲みほして、風呂に水を張り、酩酊状態で「誰にも相手をされなくなったから死ぬ」などと修羅場を演じたこともあった。

中学生のわたしは、ほんとに死ぬんじゃないかとびびったが、周りの大人は「はいはい」という感じだったので、プレイみたいなものだったのだろう。ひどい。

また、ひとりの伯父は、わたしが子どもの頃に会うといつも赤ら顔で、傍らにはいつもビール瓶があった。彼は普段にこにこと優しいけれど、突如、声を荒げて怒鳴り散らすことがあった。やっぱりよく理解できなかった。

若くして糖尿病を患い、強制的に酒をやめることになったが、仕事も失い、いつも布団の上でテレビを見ていた姿ばかり記憶にある。

対して、わたしの父は酒で乱れることはなかった。毎晩、帰宅すると缶ビールを2本。母が用意した肴でちびちび飲んで、少し口数が多くなる程度で、いたって常識的な飲み方だった。

年に数回、中学や高校の同窓会だとか、仲の良い友人と飲んで帰ってくることはあっても、ひどく泥酔しただらしない父を見たことはない。

父が酒飲みを非常に嫌っていたせいで、母は一滴も飲まない。父が飲ませない。飲めたかもしれないけど、飲んだ姿を見たことがない。

ちなみに父は贅沢もせず、質素倹約で真面目な人だった。家父長制の権化のように家族を支配しようとしたので、心理的な面では「やや難あり」だったが、暴力的な面はなく、ほとんど声を荒げない。

そういえば、そんな父は、どこか自分の姉にも似たお金にもお酒にもルーズな娘をどう思っていたのだろう。ずいぶんと心配をかけたはずだ(もう他界したので、時々思い出して謝っている)。

家族だからこそ簡単に切り離せない

『酔うと化け物になる父がつらい』では、飲んで吐いた父の世話までしてしまう自分に、娘の菊池さんが苦しむ姿が描かれている。

また、そんな化け物のようなお父さんが病気でこの世を去ったあと、複雑な気持ちを整理できない心中も吐露される。

飲んで化け物になる人に対して、受け入れがたい気持ちと、それが家族だと簡単に切り離せないという難しさが切なく届いてきて、当事者であり、当事者家族でもある、両方の立場で読めるわたしは、いろんな意味で自分を責めつつ、同時に救われるような気もした。

依存傾向のある家族をゆるせない気持ちと、だからといって簡単に割り切れるものじゃないってこと。

わたしの父がすぐ近くで酒癖の悪い人たちを見ていて、自分が飲まなかったのは、わたしたち家族へのやさしさだったのかな。父も当事者家族だったからかも。

そんなことに初めて思い当たったりもした。切ない。

(つづく) 

後編(2)はこちら↓

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コメント

2ヶ月前
はな

自分の気持ちを内省して、それをこんな風に文章に出来るってすごい。

どちらもとても簡単にできるものではないのに、青山さんの表現を読むと、すんなりとそれが理解出来る。

そして理解出来るからこそ、波紋を起こすような1滴となって私の心を震わせます。

娘が薬物の問題を抱えて本当に大変な日常を送っていたし、その影響は簡単になくなってしまうものではないけど、私の中には豊かな世界が広がりました。

続きが楽しみです。

2ヶ月前
キャサリン

私にはアルコール依存症のおじさんが二人いる。

一人は叔母の連れ合い。暴力以外あらゆることで周りに迷惑をかけ続け、亡くなった時には不謹慎だが、みんなホッとしたものだ。葬儀はまるでご苦労さま会のようだった。

もう一人は父のいとこで子どもの頃可愛がってもらった。十数年振りにある依存症のイベントで偶然再会した時に「35年ソーバーやねん」と話され、アルコール依存症だったことを初めて知った。でもそんなおじがとても誇らしかった。

だから、青山さんと岩永さんのお話を興味深く拝読している。

特に青山さんのほんのちょっと当事者&当事者家族の視点にとても惹きつけられる。

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