「酒がやめられない」編集長と、「やめろと言えない」わたしの雑談トーク(3)なぜ、「やめたい」のに、「やめられない」のか。
「お酒を飲む」ことにくっついている人間関係や、誰かと食べる楽しさ。二人がお酒に求めているものは「アルコールだけ」じゃない。だからきっぱり「やめる」ってむずかしいのかもしれません。
公開日:2024/06/12 02:01
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だらだらトークやめたいわけではなく、できれば「適量を健康的に楽しく飲みたい」。
そんな超難問に解決策はあるのか?
「お酒を減らしたい」Addiction Report編集長・岩永直子と、3年ほど前に「お酒をやめた」ライターの青山ゆみこ。お互いの生活や人生を振り返りながら、切実に「お酒との付きあい方」のヒントを探す雑談トーク連載3回目です。(まとめ:青山ゆみこ)
自分一人でお酒をやめるのは難しい
青山 楽しみが飲むことしかなくなったとき、わたしはあえて選択肢としてお酒をやめることを選んでみたんです。でも、一人じゃ無理だとわかってたので、パーソナルトレーニングに通い始めて、トレーナーさんに励ましてもらいながら。せこい話ですが、2カ月で30万とかする本気なコースに申し込んだので、これで成果が出せないともったいないじゃないですか。お金って大きいですね、大きな負荷がかかったんだと思う。あと、当初は2カ月限定の禁酒という感覚だったから、意外ときっぱり止められたんです。終了後は思う存分飲むぞって祝杯を楽しみにして。そしたら、劇的に身体的な数値が変化しました。どんなふうにトレーニングして、食生活を変えたのかは『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)にかなり詳細に書いています。かなり徹底してやりました。やりすぎたかなって感じですけど……。今思えば、「健康的である」ことに依存していた気もしますね……。
岩永 お酒をやめる以外の選択肢はなかったですか? 減らすとか。
青山 いやいや、やめることになる1年ぐらい前から、それこそ心療内科でも減酒の相談をしてました。でも、「買わなければ飲まずにすみますよ」とか言われて、それができないから相談してるんだけど……って。だから、岩永さんおっしゃった「減らしたい」という気持ちはすごく分かる気がします。自分に置き換えて乱暴な言い方をすると、都合よく飲みたい。快適に飲みたい。やめたいわけではない。だってお酒を飲むのも、お酒に合う料理を食べるのも、その時間を誰かと共有するのも好きだから、その機会をなくすということは、今までの人生30年間当たり前にあった楽しみを奪われることになる。そんなの嫌ですよね。でもこのままじゃ良くないというのもわかっているから、減らしたいだけだと。週2回とかでいいから休肝日をつくるとか、わたしもそうしたかったけど、どうしてもできなかった。飲めるのに飲まない選択を選ぶってことがあり得ない。どうやったらそんなことができるのかと思ってました。
酒場に通い続けるために酒を減らしたい
岩永 BuzzFeed時代に、ゲイのカップルが主演のドラマ『きのう何食べた?』で、二人が麦茶で夕食を食べているのは不思議だっていう記事を書いたことがあるんです。「夕飯の時にお酒飲みますか」ってアンケートして。そうしたら、圧倒的大多数が「普段は飲まない」「機会があった時だけ飲む」という回答だったんです。わたしみたいに毎日飲むっていう人は少数派で、「え、世間ってそういうものなの?」って。うちは親も晩酌をしていたから、お酒とともに楽しむのが夜ご飯なんだってずっと思い込んでいた。でも、そうじゃなかった。そのとき自分の特殊性に気づいたんです。わかったところで、やっぱり私はビールとかワインとか楽しみながら飲んで食べたい。それを続けるには酒の量を減らさないといけない。それだけだってわかってても、うまく減らせない。
青山 いやあ、減らすって難しいですよ〜。
岩永 コラムニストの小田嶋隆さんがご自身の断酒について書かれた『上を向いてアルコール』で触れてましたが、酒場だからこその人間関係ってありますよね。行きつけの居酒屋で、店主さんと話しながら飲んだり、常連さんと話したり、「お、また来てましたね」みたいなやり取りで、ほっとする時間。それは失いたくない。けれども毎日この量を飲んでたら、それさえもできなくなっちゃうかもしれないっていう怖さがある。酒場に通い続けるために、酒を減らすって、すごく複雑な話になっちゃう。ちょっと八方塞がりっていうか、どうすればいいのか分からないなあ。そうやって迷ってても、わたしは飲んだらたくさん飲んじゃうし。
青山 わたしも以前はまさに、365日飲まないご飯なんてなんてありえないという人間だったんです。うちは夫婦ふたりなんですが、夫も飲むのと食べるのがなにより好きな人なので、いま私が飲まなくなった状況を、「我慢してるんだな」「飲めなくてかわいそう」って思ってるんじゃないかな。そう想像するのは、飲んでた頃の自分が、飲まない人のことを「我慢して、かわいそう」と信じ込んでいたからなんです。
自分に大事な人間関係とセットの酒
青山 岩永さんもおっしゃった酒場での人間関係。それもすごくわかります。わたしの人生のほとんどはお酒が絡む時間でできていたので。あのね、なくなった初日それは別に感じないんです。むしろ、やめられたことにほっとしたような喜びが勝って。「今日、わたしはお酒飲まないでも過ごせている1日目」「今日で2日目」って、断酒ハイになってるので、むしろそのときは幸せだった。でも次第に断酒ハイが落ち着いて、お酒のない自分がデフォルトという生活になってくると、禁酒したことで上がってたテンションも下がって、むしろ、自分が今まで持ってたものっていうのがなくなった、すごく楽しみに大事にしてた仲間たちに会えなくなる。そのことを突きつけられる。みんなに会おうと思ったら、飲みに出かけなきゃいけないんだけど、もうやめたから行けないんだと気づいたときに、ものすごいショックでした。一番辛かった。だから、わたしは簡単に人にお酒やめろって言えないんです。結構辛いよって思ってて……。
岩永 わたしの行きつけの居酒屋に、一人で来てるおじいさんとかいるんです。きっと長く通ってて、でも周りの人と喋るわけでもない。ただ、いつもお決まりの席に座って、じっと飲んでる。例えばあの人があの場をなくしたら、すごく寂しいだろうなって思うんですね。わたしもそうだけど、なんとなく空間を共有しながら飲んでるっていう時間がとても居心地がいいので。それがなくなると、結構きついなって本当に思ってしまって。わたしは地域生活とかつながりがないんですよ。子どもがいないと、地域とつながるチャンスっていうのはほぼなくて、仕事以外の人間関係って、居酒屋つながりしかないんですよね。
青山 うんうん。
岩永 親友が若いうちに死んじゃったんで、友達もほとんどいない。あとは酒つながりか仕事つながりっていう……。自分の人間関係を客観的に俯瞰して見てみると、なんと寂しい人生なんでしょうか。でも、どこか、それでいいかなと思っている自分もいるんです。じゃあ、もし酒つながりが失われると、私は本当に仕事だけになっちゃうんだなあって。
青山 かつての自分の話を聞いているかのような……。
酒抜きでも友達はできる?
青山 わたしも酒場のお友達とか知り合い以外は、誰もいないです。そう、いなかった。お酒をやめたらおしゃべり仲間もいなくなっちゃった。毎日、話し相手は夫しかいない。でも、夫はお酒を飲んで楽しい人だから、やめたあとは、「敵」みたいな存在に感じてしまったり。どうなんでしょうね。他の依存症の方もそうなのかもしれないけど、依存していたものをやめた後の苦しさというのはこれなのかな、というふうに思うんですけど。それまでの自分とは違う生活、違う人生の過ごし方が馴染むまでのしんどさはやっぱりありましたね。友達が本当にいなくなる。でもね、新しい友達ができましたよ。
岩永 できますか? 青山さんが友達できたというのは Zoomでつながる「オープンダイアローグ」とかですか?
青山 ルールや原則を守って行う対話の「オープンダイアローグ」の場もありますけど、ほとんどの友達とは、ただのおしゃべり会みたいな場ですね。それまでは「飲みに行く」のがきっかけになってたけど、集まる理由があればお酒がなくても人に結構会えるんだなと気づいて。わたしね、お酒がなければ、人と人は腹を割って話せないってずっと思い込んでたんです。でもお酒なしの日常のなかで、人って小さく思いを打ち明け合えたり、結構楽しいとわかってきて。
岩永 確かに昔はお茶飲んで、いつまでもしゃべっていましたよね。そうか、わたしは忘れてしまってるんだな。なんか、思い出してきました。
青山 わたしもやめて2年、3年と過ごしてるうちに、お酒がなくても人と話してて楽しく盛り上がれるし、飲まなくても深い話ができると気づいて。お酒がないとできないと思っていたことの大半が、そうでもなかったなあと。
岩永 酒の場がある程度なくなったとしても、友達ができるというのは、今お聞きして、「そうか」という感じがありました。それを求めているのかな、わたしは。
酒に合う「おいしさ」も手放したくない
岩永 単純に、お酒と料理と合わせるのがおいしいでしょう。「ほどよく飲む」ということを身につけたいのは、それを手放したくないというのもあります。わたしの思う「ほどよく」って、「完全に断酒する」と「このままでいく」の間を取るという感じ。でも、この「間」が結構幅が広すぎるから、なにかきっかけがないとできないのかなあ。
青山 わたし、お酒をやめて3カ月ほど経った頃、メンタルの調子を崩して、めまいも出てきて、そもそも外に出歩けないという感じになったんです。わたしがお酒をやめ続けられてるのは、めまいがあるからだと思うんです。メンタルの調子が低めなりに安定してきて、自分なりに運動したり体調も上向き始めたかなという、お酒やめてからそろそろ2年が経つって頃に夫の誕生日が来て。その日、飲まなくなってから初めて夫と外食をしたんです。ガブガブ飲んでた頃によく行ってたビストロに。料理を食べてたら、なんか急にワインを飲みたくなって、ちょっといいワインを頼んでみたら、一口、二口でぶわっと酔いが回ったんです。でも、おいしかった。ああ、そうか、わたしはまた飲めるんだってわかった瞬間の嬉しさというか感動は、今も忘れないですね。だけど、飲まない生活がもうデフォルトになると、ごく当たり前に飲むことを選択しなくなってる。もうこれは習慣ですね。
岩永 コントロールできてるってことですよね。わたしの理想する飲み方ですよ。
青山 うーん。よく言われることだけど、「コントロールしようと思ってる限りは、コントロールできない」ってこと、いまは感覚ではわかります。わたしが飲まないでいられるのは、飲むことを忘れてるからなんです。以前のわたしは、ご飯を食べる時に、必ずどんなお酒を合わせたらいいかな、むしろこのワインが飲みたいから、今日はこのメニューにしようって考えてたけれど、それすら忘れちゃってて。お酒がない状態の食生活が、デフォルトの日常になっちゃった。不調になって以来、夫がご飯を作ってくれるようになったんですけど、この料理にロゼを合わせたらおいしそうやな、日本酒を熱燗で飲みたいなって思うときが最近はたまにあります。そんなときは我慢せずに飲む。やっぱりおいしい。でも一口とか、二口で、それ以上は飲みたいとは思わなくて。飲むのを我慢してるわけじゃなく、飲む必要がないっていうのかな。うまく言えないんですけど。
岩永 なんだろう、それって身体の声をきちんと聞けるようになった雰囲気なんですかね、自分の脳をきちんとかぎ分けるっていうか。
青山 飲みたいという声が聞こえてこないと、飲まないって感じかなあ。今は全然聞こえてこないから、飲まないってだけなんです。なぜかなあ。
(つづく)
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コメント
おお、今日もまた、わかるわ〜、の連続。
特に「飲みたいという声が聞こえてこないと、飲まない」すっごくわかる。
たまに相手に合わせて飲んじゃうと、自分に嘘をついてる、あかんや〜ん、ってちょっと凹む。
しかし、2ヶ月30万のパーソナルトレーニング、好きだ、そういう決断。