依存症の履歴書 患者家族、作家、薬剤師〜3つの立場から見た依存症〜
アルコール依存の父を持つ筆者。大学時代には自身が憎んでいた酒を飲みはじめ、母もスピリチュアルに傾倒する。ドラッグストアに薬剤師として就職してからは、市販薬に依存する人々も目にしてきた。
依存症に何かと縁のあった、筆者の履歴を紹介する。

公開日:2025/11/08 02:00
酔うと暴れる父、見ないふりをする母
子どものころ、酒を飲んだ人間はみな父のようになると思い込んでいた。
普段の父は物静かでまめな人だった。平日は仕事で家にいなかったが、土日には家族分の昼食作りや習い事の送迎を進んで引き受けていた。しらふの父は穏やかで、めったに声を荒げることはなかった。
ひとたび晩酌が始まると、そんな父は一変する。父は毎晩お湯で割った焼酎を飲みながら、家族に言いがかりをつけていた。
「何のために俺が働いてんのか、分かってんのか」
「感謝が足りないんじゃねえのか」
なぜ父が怒るのか、幼い私には理解できない。母も父をなだめようとしたが、火に油を注ぐだけだった。どうにもならない居心地の悪さと、父の口から漂う酒臭さばかりが記憶に残っている。
翌朝になれば、父は元の物静かで優しい人に戻っていた。
母は父のことを「お酒さえ飲まなければいい人」だと言う。父が酔っている間だけ、私たちが我慢すればいいと思っているようだった。どれだけ父が暴言を吐いても、母は父の酒癖を咎めない。
自分で何とかしようと、私は父に何度も「お酒を飲まないで」と頼んだ。その度に父はしばらく酒を控えるものの、気づけばまたいつもの焼酎ボトルを開けている。それを何度も繰り返して、私は「また父に裏切られた」と傷ついていた。
「自分には生きる価値がない」受験の失敗から生まれた罪悪感
父は酒癖の問題だけでなく、学歴に対するコンプレックスも抱えていた。父自身は地元の私立大学を卒業しており、就職してから学歴を比較されて悔しい思いをしたらしい。
私が中学生になると、酔うと私の進学先について口を出すようになった。
「医者になってお父さんに自慢させてくれ」
「育ててやった恩は結果で返せ」
私の将来を案ずるというより、見栄から私を医学部へ入れたいようだった。
母の実家が病院だったので、母も私が医療系の道へ進むことを望んでいた。私は文系に興味があったが、医学部を受験するために理系を選択した。
私が医学部に合格すれば、父は機嫌が良くなり酒をやめてくれる。無邪気にも私はそう信じて、勉強を続けた。
医学部を受験したが、受験に失敗して薬学部へ進学した。
当時はひたすら、教育にお金をかけてくれた両親に対して罪悪感があった。私が受験に落ちたせいで、父をアルコール依存から救えなかったと思い込んだ。実行する勇気はなかったが、死んで詫びるべきだとさえ思った。
自身はバーへ、母親はスピリチュアルの世界へ
県外の大学に合格したので、進学とともに一人暮らしが始まった。父の酒癖はその後も変わらず、次第に実家から足が遠のいた。
受験勉強に燃え尽きてしまい、大学進学後は勉強に身が入らなかった。大学の勉強には興味が持てなかったが、塾講師のアルバイトにのめり込んだ。
アルバイト代でバーへ通い、あれほど憎んでいた酒を飲むようになった。
「医学部に落ちた自分には価値がない」という罪悪感、興味がない勉強を続けるフラストレーションをアルコールは一時的に和らげてくれた。バーへ通ううちに店のスタッフや常連と仲良くなり、家にも学校にもない居心地の良さに心を奪われた。アルコールではなく、酒を通して繋がった関係に依存していた。
大学3年生になったころ、Facebookで偶然母のアカウントを見つけた。母はプロフィールにブログのリンクを貼っていた。てっきり日記でも書いているのかと思いブログを覗くと、私は母が自宅でスピリチュアルなサービスを提供していることを知った。
控えめな性格で、人の顔色をうかがっては気疲れしていた母。酔った父になじられながらも、「普段はいい人だから」と何も言わなかった母。子どもが一人暮らしを始め、広い家に取り残された母。私が酒に救いを求めたように、母もまたスピリチュアルにすがるようになったのだった。
ドラッグストアで見た、数々の依存症患者
なんとか大学を卒業し、ドラッグストアに就職した。研修を終えたのち、OTC医薬品(※)を販売する薬剤師として繁華街の店舗で働いた。
(※)処方せんなしで購入できる医薬品のこと。OTCはOver The Counterの略。
店舗では時々、市販薬に依存する人々を目にした。大柄な男性が、咳止めシロップを毎日買って店の前で一気飲みする。手首が傷だらけの女の子が鎮静剤を買っていく。スーツを着て目が据わった男性が、毎日カフェインの錠剤を手にレジに来る。
「用法用量を守って使用してください」
注意だけするものの、私は薬の販売を止めなかった。薬剤師として薬の不適切な使用を止めるべきなのは分かっていた。
彼らも自分の使い方が間違っていることは分かっているはずだ。その店舗では私以外の社員も、注意だけして販売していた。もし私が販売しなくても、彼らは近隣のドラッグストアで買うだろう。
今思えば、薬に依存する人々と父を重ねていたところもあった。「止めても無駄」と思い込んで、形式だけの注意をした。本来ならば薬剤師として、薬を過剰に使い続けるリスクを説明すべきだった。
ドラッグストアに勤める薬剤師として、彼らにできることはあったのか。薬の販売を通して、彼らの依存を後押ししてしまったのではないか。ドラッグストアを辞めた今でも、時々考える。
ZINEを通して、一人ではないと気付いた
しばらくドラッグストアで働いていたが、2021年に広告代理店のメディカルライターに転職した。コロナ禍に錯綜する情報に混乱する人々を目の当たりにして、薬剤師として正しい情報を発信できる仕事がしたいと思ったからだ。
仕事にはやりがいを感じてはいたが、生きづらさが変わらず心に深く根を張っていた。仕事に行き詰まっても、誰にも相談できない。男性の上司にあたると、委縮して頭が真っ白になってしまう。
抱え込んでしまった末に、適応障害による休職を繰り返した。
休職中、たまたまお気に入りの本屋でZINEというメディアを知った。ZINEとは、個人で自由に制作できる冊子のことだ。人の作ったZINEを読むうちに、自分でも制作してみたくなった。自分の抱える生きづらさを、誰かに伝えたい。
私は「毒親育ちが大人になってから」というZINEを制作して、自分の生い立ちを文章にした。アルコール依存症の父とスピリチュアルに傾倒する母に育てられ、大人になってからもなお生きづらさに悩んでいることをありのまま書いた。
「毒親育ちが大人になってから」は2023年11月の文学フリマで35部ほど売れた。イベント後、何人かの読者からSNSやメールで感想をいただいた。
「私も父から教育虐待を受けていました」
「自分には救いの言葉だった、出会えて良かった本」
私のように親との関係に苦しむ人は、私だけではなかった。自分の文章が誰かの心を動かしたと知り、私もまた救われた。
今は子育てをしながら、フリーランスの作家・ライターとして活動している。「毒親育ちが大人になってから」、続刊「毒親育ちの恋愛事情」はシリーズ累計400部を突破し、多くの読者へ届いた。そしてZINEをきっかけに、ご縁があってこの度エッセイを連載させていただくことになった。
患者家族、作家、薬剤師――この連載では3つの立場から、依存症について考える。
