酔って暴言を吐く父を憎みきれない 患者家族、作家、薬剤師〜3つの立場から見た依存症〜
父のアルコール依存は、私が物心ついたころからすでに始まっていた。普段は習い事の送迎や家事を進んで引き受ける、まめで優しい父。酔っ払った父とはまるで別人だ。幼い私は「酒さえ飲まなければ、父は優しいままでいてくれる」と信じて疑わなかった。

公開日:2025/11/27 02:00
しらふの父は穏やかで優しかった
記憶の中にいる父は、いつも焼酎を飲んで私を怒鳴りつけている。しかし子どものころを振り返ると、なぜか思い出すのは優しい父の姿ばかりだ。
しらふの父は物静かで、いつも黙々と誰かのために働いていた。
父は平日に公務員として働き、週末は家事や私と弟の世話をしてくれた。私たちの習い事がある日は車で送迎をしてくれたし、週末の昼食は父の担当だった。
幼い私は、口数は少なくても家族のために世話を焼いてくれる父が好きだった。父を不器用で優しい人だと思っていた。
父と2人で映画館へ行った日を覚えている。ポケモンの映画を観に行き、キャラクターの描かれた下敷きを買ってもらった。その下敷きはしばらくの間、家でも学校でも大事に使っていた。
特別なことはない、ありふれた思い出。しかし私にとっては、穏やかな父と過ごした数少ない記憶だった。
優しい父と暴言を吐く父
優しい父は、ひとたび酒を飲むと豹変する。
夜になると、父は大きなボトルに入った焼酎をお湯で割って飲む。最初は静かに飲んでいたが、次第に酔いがまわると、私と弟を目の前に座らせて説教を始める。
「誰のおかげで生活できてると思う?」
「いい学校に入って、俺に恩返ししろ!」
私は父が怖くて、脈絡のない暴言をただ受け止めるしかなかった。
母は「お父さん、やめなよ」とたしなめるが、父は「うるさい」と言って聞かない。
父が一度酔うと、要領を得ない話を延々と聞かされる羽目になる。
母はやがて、父が酒を飲んでいても何も言わなくなってしまった。
住んでいた社宅の畳には、父が酒を飲みながら吸ったタバコの焦げ跡が残っていた。一歩間違えれば、火事になっていたかもしれない。
父が飲み会に行くと、自力で帰ってこられなかった。階段の踊り場や道中の東屋で眠ってしまい、その度に母が探し回っていた。
母が連れ帰った父は、一人で立てず玄関で倒れこんでしまう。
父の意識は朦朧としていて、うわ言のように「バカヤロー」「ふざけやがって」と呟いていた。しらふの父からは想像できない言葉ばかりだった。
小学生のころにアクション漫画を読んでいると、とあるキャラクターが気になった。
そのキャラクターはいつも優しく大人しいが、バトルが始まると冷酷になる。まるで同じ人物に、別々の人格が同居しているようだ。
漫画を読むうちに、どうやら彼のような性格を「二重人格」と呼ぶらしいと知った。
「まるでお父さんみたい」
子どもの私はそう思い、父が酒を飲まず穏やかな父のままでいてくれることを願った。酔った父を恐れていて、それ以上に父を好きでいたかった。
「お父さん、お酒飲まないで」
母は「お酒を飲まなければいい人だから」が口癖だった。
母も優しい人だったが、悪く言えば優柔不断ではっきりとものを主張できない性格だった。父が酔って暴言を吐いても、翌日になれば母は何事もなかったかのように振舞った。
しらふの父も、酔ったときのことには触れない。聞いても「覚えていない」と言うばかりで飄々としている。ましてや父から謝罪の言葉など聞いたことがない。
父が酔って私たちに暴言を吐き、私たちは父をなだめる。翌日には何事もなかったかのように家族で食卓を囲む。夜になると、また父が酒を飲む。毎日その繰り返しだった。
小学生になったあたりから、私は嫌気がさしてきた。
父に酒癖を改善しようとする意思は見られず、母も見てみぬふりをしている。
両親に変わる気がないなら、私が父をとめなければ。
酒を飲まなければ父は優しいままでいてくれて、家族はもっと幸せに暮らせるはずだ。
「お父さん、お酒飲まないで」
それから父が晩酌を始めようとするたび、私は父をとめようとした。
どうにかして父に酒をやめさせて、優しい父のままでいてもらおうと必死だった。
思うところがあったのか、私の言葉を聞いて本当に酒を減らした日もあった。しかし数日も経てばまた酒を飲み、私たち家族に絡んだり、暴言を吐いたりしていた。
大人になり依存症について学んでから、アルコール依存症の人に対して飲酒を咎めることは適切なアプローチではないと知った。依存症は、意志でコントロールできる段階を越えている状態だからだ。
当時、私は「アルコール依存症」という言葉すら知らなかった。子どもの私にできることは、父に「お酒を飲まないで」とすがることだけだった。
家族を信じられなくなった
次第に父は、日ごろの見返りに酒を飲むようになった。今まで通りまめに習い事の送迎や家事をするが、そのねぎらいとして酒を飲ませるように要求する。
「お父さん、日中がんばったんだからお酒くらい飲ませてよ」
私たちのために働いてくれていたのは、酒を飲む口実だったのか。私が父から感じていた愛情を否定されたように感じて、何も言えなくなってしまった。
それ以来、私はしらふの父も信じられなくなった。父が優しいのは酒が飲みたいからで、私達を愛しているからではない。
「何もしなくていいから、飲まないでよ」
しらふの父にそう言い返した日もあった。父は苦笑いするだけで、夜になれば変わらず酒を飲んで暴言を吐いた。母は父を刺激したくないからか、見て見ぬふりを続けた。
父が愛しているのは、家族よりも酒。
母が愛しているのは、子どもよりも父。
私は家族を信頼できなくなってしまった。
優しい記憶があるからこそ苦しい
月日が経ち、私は当時の父に近い歳になった。
あれほど嫌っていた酒も、成人してから飲むようになった。
今年の7月には娘が生まれ、子どもは可愛いだけでなく手がかかる存在であることも実感した。
私が子どもだったころの父を想像する。
今振り返れば、父は決して家族を愛していなかったわけではないと思う。
愛情がなければ、そもそも子どもの世話もしないはずだ。
父は家族のためを思って働き、家事や子どもの世話をしていた。疲れて家事や送迎を休みたい日もあっただろう。
また、父は仕事がうまくいっていないようだった。不器用ゆえに十分なコミュニケーションがとれず、職場でもあまり評価されていなかったらしい。
始まりはきっと、明日からも仕事や子育てをがんばるための一杯だった。
酒は父をストレスから解放したが、それはあくまでその場しのぎにしかならない。次第に父はアルコールに依存するようになった。
酒がなければ、父は今まで通りの父ではいられなくなってしまう。実際に酒を断っている間の父は、しらふでもずっとイライラしていた。
私が父の酒をとめようとしたとき、父は困っただろう。家族のため、酒に頼ってやっとの思いで日々を乗り切っているのに、その家族から酒を否定されるのだ。
軽い息抜きで飲んでいた酒は、いつしか父が優しい父を続けるために不可欠の存在になった。
職場でも家庭でも、不器用な父は自分を少しずつ殺して生きていたのかもしれない。
父が無理をしない生き方を選べていれば、もしかしたら今とは違う未来があったのだろうか。
当時の父や私たち家族がどのような道を進めばよかったのかは、今でも分からない。
しらふの父と酔って暴言を吐く父はつながっている。父は決して二重人格ではなく、どちらも同じ父の一部だ。
優しい記憶があるからこそ、酔った父からいくらひどい言葉をかけられても心から父を憎みきれなかった。父を諦めきれなかった。
親との関係は、成長するにつれて社会に対する信頼の基礎になる。
父との関係は、幼いころから今にわたって私の生き方に影を落とすことになった。
コメント
優しいお父さんも暴言を吐く彼も同じ人間、本当にそうですね。
