父に依存する母、居場所がない子ども 患者家族、作家、薬剤師〜3つの立場から見た依存症〜(3)
酒を飲んで家族を傷つける父。母もまた生きづらさを抱え、父に依存していた。心の問題は親から子どもへと連鎖する。家庭に息苦しさを感じる日々の中で、私が居場所を見出した先は本の世界だった。

公開日:2025/12/12 02:00
「お酒を飲まなければいい人だから」
父の酒癖は、いくら私が「飲まないで」と言っても変わらない。
私は酒をやめない父だけでなく、次第に母にもいら立つようになった。
母は優柔不断で自己主張ができず、悪く言えば頼りない人だった。いつも困ったような愛想笑いを浮かべていた。
母はうわべでは父の酒をたしなめるが、一方で父の尻ぬぐいを積極的に引き受ける。
父が酔いつぶれたら服を着替えさせ、まともに歩けない父を寝室まで運んでいく。
父が嘔吐すれば、母は黙々と吐瀉物を片づける。
父が飲み会の日は、母は子どもを家に残して、帰ってこない父を探し回る。
父が酔って暴れた翌日も、母は腫れ物に触るような態度をとった。
これほど父に苦労させられているのに、母は父の暴言を強く咎めることはない。
「お酒を飲まなければいい人だから」
母は父がしたことを、全てこの一言で片づけてしまう。
私には、母が本気で父の酒をとめようとしているようには見えなかった。
父が酔った自分の行動と向き合わなければ、反省する機会を持てない。
現にしらふの父へ酔ったときのことを問いただしても、「覚えてない」の一点張りだった。父が酔った自分の行動を振り返り、家族に謝ったことは今まで一度もない。
なぜ母は、酔った父の行いを咎めないのか。子どもの私には理解できなかった。
「なぜ、子どもが困っているのにお父さんをとめてくれないのだろう?」
「お母さんは、私のことが大事じゃないのだろうか?」
最初は「お父さんのお酒をとめてほしい」と母に繰り返し頼んでいたが、次第に私は母に期待するのをやめた。
母は父の方が大事なのだ。どうせ、私たちのことを助けてくれない。
期待して失望するより、最初から何も望まない方がいい。
これ以上、傷つきたくない。
次第に私は両親とのコミュニケーションを諦め、自分の気持ちを話さなくなった。
母の生きづらさ
私は大人になってから、母もまた満たされない子ども時代を過ごしていたことを知った。
「お母さんは、おばあちゃんに怒られてばかりだった」
母が自分の子ども時代について話すとき、いつも能面のような表情になる。
幼い母にとって、祖父母は怖い存在だったようだ。
母の実家は病院で、祖父は内科医として働いていた。
祖父は努力家で患者さんに信頼される医師だったが、一方で気難しい人でもあった。母の実家では祖父が絶対で、誰も祖父には逆らえなかった。
祖母は病院の事務を手伝いながら、母を含め4人の子どもを育てた。特に長女として生まれた母を、祖母は厳しく育てた。
母は勉強が苦手だったが、それでも祖母の強い勧めで私立の中学校へ進学した。成績が下がると、打ち込んでいた吹奏楽部も辞めさせられたらしい。
母は薬学部へ進学し、薬剤師として就職した。薬剤師という仕事も、「結婚してからも働けるから」と祖母が決めた道だった。
母は相当な努力をしたはずだ。薬剤師になるには薬理学や医療に関する法律などのさまざまな知識を頭に入れ、国家試験に合格する必要がある。
祖父母の期待に応えようと、母は幼いころから苦手な勉強を続け、国家試験をクリアして薬剤師になった。
それでも母は一向に満たされなかったようだ。
やがて母は、大学時代に知り合った父と結婚する。母は高圧的な祖父を嫌い、一見穏やかな父をパートナーに選んだ。
父もまた、アルコール依存症という困難を抱えた人とは知らずに……。
母は認めてほしかったのかもしれない
私が大学生になってから見つけたブログに、母は自分の幼少期を振り返って次のように書いていた。
「私は小さいときから自己肯定感が持てず、劣等感のかたまりでした」
確かに母は、いつもどこか自信がなさそうに見えた。
ショッピングモールで買い物をしていれば、店員さんにすすめられるままに服を買ってしまう。職場でも理不尽に押し付けられた頼みを断れず、いつも残業していた。
酔った父から暴言を受けても逆らえない母を、私がかばうこともあった。
そんな母は、酔った父の世話を頑なに続けた。
誰かのケアをすることは、とても労力のかかる仕事だ。一方で「頼りにされている」という実感は、自分を肯定してくれる。
自分で自分を認められない人にとって、誰かから必要とされることは心地がいい。
母はきっと、満たされない心を埋めるために父と共依存の関係になっていた。
母自身も気付かないうちに、母は父が変わらないことを望んでいたのではないだろうか。
アルコールに依存する父の世話を焼くのは、母が傷ついた自尊心を取り戻すために選んだ方法だったのかもしれない。
居場所は本の世界だった
アルコール依存症の父。父に依存する母。
家にいると、両親に振り回されてばかりだった。
私は家にいるだけで疲れるようになっていた。
幸い、小学校では同じクラスに友達がいた。それでも学校から家に帰ってからは気が塞いでしまう。
子どもが自分の意思で、家庭と学校以外の居場所をつくるのは難しい。
子どもの私が居場所を見つけた先は、本の世界だった。
幼いころから絵本は読んでいたが、最初は親が選んだ本をなんとなく見ているだけだった。小学校に入学してからは、図書室で自分の好きな本を読むようになった。
初めて借りた本は、『わかったさんのシュークリーム』(寺村輝夫 作・永井郁子 絵/あかね書房)だ。表紙の文字がシュークリームの生地になっていて、美味しそうだった。たまたま図書室で見つけて、かわいいイラストに一目ぼれした。
「わかったさん」シリーズは、ファンタジーの世界で女の子がお菓子を作る物語だ。1冊読んだらすっかり熱中してしまい、図書館で全てのシリーズを借りて読んだ。
毎週のように図書カードに自分の名前を書いてカウンターへ向かった。
図書カードはやがて、息苦しい家から逃げ出すためのチケットになった。
本を開けば、自分の好きな世界へ行けた。
エメラルド色の海、動物の友達、見たことのない財宝。物語の世界には何でもあった。
特に好きだったのは冒険ものだ。住み慣れた家を出て、未知の世界へ出かける主人公に自分を重ねた。
本は私を裏切らない。いつでもどこでも、私を息苦しい家の中から連れ出してくれる。
大きくなったら、本の主人公みたいに自分一人でどこか遠くへ行ってみたかった。
やがて私は本の世界にこもり、空想の世界にふけった。
私は親への不信感から、やがて他の人とも心を通わせることを諦めてしまった。
誰かと過ごす時間より、一人で過ごす時間を好んだ。
今思えば、親以外の人ともっとコミュニケーションをとるべきだったとも思う。
人との対話を避けてしまったために、私は大人になってからも人との対話に苦手意識を持つようになってしまった。
一方で、本の世界に引きこもるのは悪いことばかりではなかった。本のおかげで、絶望せずにいられた。
子どものころから本を読んだ経験は、今こうして文章を書く力の源泉にもなっている。
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