「『そうなんだ』が一番難しい」 リストカット当事者から見た“理解の壁”
近年、当事者がSNSなどを通じて、自らの経験や生の声を発信する試みが広がっている。一方で、『当事者の声だけでは、社会の理解につながらないかもしれない』と慎重になっている人もいる。
今回、話を伺った寺田美波さん(仮名・37歳)も、そのひとりだ。

公開日:2026/01/22 00:00
現在、2児の母である美波さんは、幼少期に家庭内虐待やいじめ被害を経験し、その後も長く後遺症に苦しんできた。心の痛みに飲み込まれないために、手がかりとしてきたのが自傷行為だった。
「個人的には虐待や貧困よりも、自傷行為の方が、はるかに人に伝えづらい。受け取ってもらうには、経験値がいるから」
本稿では、十数年間、当事者として、時には理解者として、自傷に向き合ってきた美波さんに話を伺った。
(取材・文:遠山怜)
「知ること」が突破口になる
美波さんは現在、飲食店の仕事を掛け持ちしながら療養生活を続けている。2人の子どもがいるが、数年前、元夫の不倫が発覚し体調を大きく崩した。
元夫とは離婚に伴う協議が続いており、心身の回復を優先するため、現在は別居という形を取っている。子どもと会うのは2週間に一度だ。

「私は母親の感情のはけ口にされて育ったから、『母と子は一緒が一番』とは思えないんです。ご飯が食べられない。眠れない——母親が抱えているストレスを、子どもは拾っちゃうから。あの子たちには、『これはパパとママの問題』『あなたたちのせいじゃない』とは伝えているけど、年齢的にも理解するのは難しいかな。それに早く良くなって、子どもたちの側に戻りたいから」
医師には複雑性PTSDと診断され、自身でも病気について調べ、治療を進めている。同じような境遇にいる人の役に立てば、とSNSで情報発信もはじめた。
「配偶者の不倫をきっかけに、コントロールを見失っている人は意外と多い気がします。フラッシュバックに襲われたり、感情が爆発してしまったり。私のように、PTSDに罹患している可能性もあるから、『それって性格の問題じゃなくて病気かもよ』と伝えられたらと思って」
「その延長線上で、過去の虐待被害やトラウマについても、発信するようになりました。自分が渦中にいた時、なぜつらいのか理解する手掛かりがなく、苦しんできたように思います。だから、『虐待』『トラウマ』というキーワードを発信することで、似たような境遇にいる人の理解を助けるヒントになったらいいなと」
(脚注)複雑性PTSD:長期にわたり反復的なトラウマにさらされることにより発症する精神疾患。症状はフラッシュバックや過覚醒に加え、感情の調整困難、自己否定感、対人関係の障害など多岐にわたる。
悲鳴を堪える方法は、体が教えてくれた
美波さん自身もまた、長らく出口を探していた。両親は、父親の暴力が原因で早くに離婚。
母親は精神的に不安定になっており、今考えれば、何らかの福祉支援が必要な状態だったかもしれない。しかし、当時、子どもがその発想にたどり着くことは難しく、母親の鬱屈した感情は、美波さんに向けられた。
「母は些細なことで激昂して、暴力を振るいました。私が泣いたり痛がったりすると、余計にヒートアップしてしまう。だから、3、4歳の頃には、泣くのを堪えるために、自分の皮膚をかきむしっていた記憶があります」
当時、それが「自傷」だという認識はなかった。ただ、耐え難い感情をやり過ごすために、体が本能として動いていた。
日常生活は次第に立ち行かなくなり、その影響は学校生活にも及んだ。
「母親からネグレクトされていたため、同級生に目をつけられることが多かったです。ひとたび“格下”とみなされると、いじめはどんどんエスカレートして、性暴力を受けたこともあります。当時はご飯を食べる、眠る、お風呂に入るといった”生活の基礎”があることも知らなかった。だから、人と普通に接しているだけで、どうしてこんな扱いをされるのかわからず、苦しかった」
ストレスが限界を超えるたび、家出をし、自分に刃物を向けるようになる。無我夢中でやっていた行為が、「リストカット」だと知ったのは高校生の頃だった。
当時、ネット上にメンタルの悩みを扱う掲示板があり、サイト経由で過食嘔吐やオーバードーズも知った。ネットの情報を頼りに、いつしか自覚的に自傷行為に及ぶようになった。
死にたい衝動を、生存本能で落ち着ける
美波さんにとって、自傷行為にはどんな意味があるのか。
「物事を悪い方に考える癖が抜けず、『死にたい』と思うことがあります。根本にある『自分はいない方がいい』という思いが振り払えない。今回の不倫騒動みたく、過去のトラウマを刺激する出来事があると、余計に抑えが効かなくなるというか」
現在は、病院の医師や心理士と連携しつつ、不安発作やフラッシュバックへの対処法を探っている。しかし、突発的な衝動を抑えるのに、効果的な代替法がなかなか見つからない。
「私の場合、血を見ると冷静になれるんです。なんでかなって考えたんですけど、多分、身を危険に晒すことで、生存本能にスイッチが入るのかも。頭の中が『死にたい』って暴走しているのを、『ダメダメ、しっかりしなきゃ』とブレーキがかけられるんです」
事実、美波さんのように、身体を傷つけることで「気持ちが落ち着く」「頭が冴える」と感じる当事者は少なくない。
一説には、頻繁に自傷を行う人の一部では、苦痛を緩和・鎮静する脳内物質エンケファリンの血中濃度が高いという報告もあり、生理反応が気分の変容に関与している可能性もある。※1
「PTSD症状が緩和されれば、自傷は必要としなくなると思うんです。実際、騒動が起きる前は自傷も落ち着いていました。今はまだ手放せていないけど、きっと回復するはず」
タブーが理解を遠ざける
知人からは、自傷について相談されることも多い。
誤った偏見に苦しんでいる他の当事者のことを思えば、自傷についても発信したい。
しかし、SNSではあえて触れないようにしている。過去、周囲の人に何度となく説明を繰り返してきたが、会話が噛み合わない。
「『他にも方法はある』と言われれば、『あれこれ試したけど、効かなかった』と説明したし、『死にたいからやってるんでしょ』には、『死にたい気持ちを抑えるためにやってる』と答えてきた。でも、相手はそこで何も返せない」
「何も言えない代わりに、『いや、だからなんで?』『とにかくやめてよ』と話が元に戻ってしまう。経験者がそう言うなら、そうなんだねとはならない。相手のベースには、『どんな理由であれ、そんなの間違っている』があるのかな」
虐待やいじめ被害も同じく偏見やレッテルを貼られやすいが、反論できる余地は残されている。しかし、自傷にはそれがない。
「多分、第三者から受けた被害は、わかりやすい分、『そうなんだ』で納得しやすい。当事者が説明すれば、受け入れられることもある。でも、自傷は、当事者が事情を説明しても、『やめて』で否定されてしまう」
「自傷は人の倫理的なタブーに引っかかりやすいのかな。『人を殴ってはいけません』と同じように、『自分を傷つけてはいけません』という道徳観念がある。だから、相手が『共感はできないけど、そういうこともある』とは、なりにくいのかもですね」
ストレスの解消法という意味では、飲酒に近い位置づけなのではないか、と美波さんは考える。しかし、飲酒と違い、相手の理解を助けるとっかかりが少ない。
「刺青とかピアスとか『自分の体を傷つける』行為に親和性がある人は、話が通じやすいかも。『刺青もリスカも一緒じゃん』といえば、納得してもらいやすい。似たような経験があるかないかで、反応がわかれる気がします」
“価値観の揺さぶり”が理解を妨げる
当事者と周囲を隔てる溝は、知識だけでは埋まらないのではないか。これまでのやり取りを振り返ると、慎重にならざるを得ない。
「こっちとしては、周りの人を不安にさせようとか、全然思ってないんですよ。でも、自傷行為は多くの人にとって、世界観を揺さぶられる行為なんだと思います。『自分の命は大事』みたいな価値観を、変えるように迫られていると感じるのかな。だから、自分が信じる世界を壊されないように、『あなたは間違ってる。そっちが変わってよ』と、改善の矛先をこっちに持ってくる。もしくは、答えが思いつかないことに焦って、やめさせたくなるのかも」
自傷に関心を持っても、背景にある要因に目がいかず、すぐさま当事者に変わることを求めてしまう。
「それって、当事者の伝え方の問題というより、相手の状態次第だと思います。知識があるかどうかより、“自分の理解の及ばない世界がある“ことを受け止められるかどうか。どう伝えたらいいかとは思います。あと、若い子だと、目にしたものに引っ張られやすいだろうし」
美波さん自身は、知人から「死にたい」「切りたい」と相談を受けても、なるべく深刻に受け止めないようにしている。

「『そうなの。でも、つらいんだからしょうがないよね』で軽く受け止めるようにしています。『ええ!切ったの?やめて!』『死ぬなんて言わないで』って周りが騒ぐと、本人は余計につらくなるんですよ。だから、『そうなんだ。じゃあ、ガーゼと消毒液は用意しておこう。切っちゃったら、その時はその時』と、慌てずに対処法を伝えておく」
「前に、『死にたい』と連絡をくれた子に、『つらいならしょうがないよね』と返したことがあります。そしたら、相手は泣いて喜んでくれて。『今まで、死にたいって言っても否定されてばかりで、誰も受け止めてはくれなかった』って。受け止めてもらったら、死にたい気持ちが一気になくなったって」
「自殺はダメ、自傷は良くないって、本人が一番わかってる。わかった上で口をついて出たものを否定されたら、余計に苦しい。それに、『相手に迷惑かけてしまう』と思えば思うほど、本当につらい時にSOSを出せなくなる。『そういうこともあるよね。でも大丈夫。いつかはやめられるから』でいるくらいが、相手も楽になるかなと」
「答えの出ない問題に一緒に悩む」という寄り添い方
もし、自傷に悩む人を見かけたとき、周囲はどうすればいいのか。「わからない」をともに味わうことも、ひとつの理解ではないかと美波さんは考える。
「もし、相手に自傷をやめさせたい、そのために何かしたいと思うなら、話を聞いてあげてほしいです。リストカットだからと特別視しなくていい。あれこれ試したけどダメだった、どうしよう?を一緒に深掘りしてほしいです。手詰まりになると、『でもとにかくやめて』と言いがちだけど、行き止まりで悩んでもいいんじゃないかと。すぐに答えや結果を求めずに、『なにがあったの?』に向き合うことも、寄り添いなんじゃないかと思うんです」
※1 Coid J, Allolio B, Rees LH : Raised plasma metenkephalin in patients who habitually mutilate themselves. Lancet, 1983; 2 (8349): 545–546
