笑いで紛らわせてきた子供時代の寂しさ 「自分で解決する癖」が裏目に
複雑な家庭環境で育ってきた田代まさしさん。一人で問題を解決しようとする癖はどんな人生から生まれてきたのでしょうか?
公開日:2024/02/04 02:12
仕事のプレッシャーや孤独を感じるたびに、薬物を使うことを繰り返してきた田代まさしさん。
「生い立ちのせいにはしたくない」と言うが、複雑な家庭環境で育ってきた。
田代さんの根底にあるどうしようもない寂しさや一人で問題を解決しようとする癖は、どんな人生から生まれてきたのだろう。(編集長・岩永直子)
過酷な子供時代 寂しさを紛らわせるためのギャグ
——結構大変な家庭環境で生きてきましたね。田代さんがお腹にいた時には既に父親は家を出ていて、母親が再婚した後は生活費の負担をかけないよう実の父親の愛人と暮らすことになりました。そこも追い出されて実の父親の元に行ってもうまくいかず、家出して一人暮らしを始めています。安心できる場所は家庭になかったのでしょうか。
でもそれを気付かれないように周りにすごく気を遣う子供でした。いじけたりせずに、逆に明るい子供になろうと思って、学校に行ってもすごくギャグを披露していました。
——同情されることが嫌だったのですね。
嫌だった。
——それが田代さんのギャグの原点だったのですか?
そうですね。笑いが、そういう嫌なことを忘れさせてくれました。
——今振り返ると、その頃、寂しい思いをしていたのですか?
たぶん、人間誰しも寂しい・楽しいは背中合わせ。明るい・暗いも背中合わせ。寂しいのをごまかすために楽しくしようというのは誰もが経験することだと思います。それに耐えきれなくなる人もいれば、気付かれないようにごまかすのが当たり前になっていく人もいる。
俺は少しずつ、それが当たり前になっていったのだと思います。
——誰かに助けを求めたり、寂しいよと打ち明けたりすることはできなかったのですか?
誰にも相談はしなかった。俺は性格的に人に弱さを見せたくないし、すごく痛くても「大丈夫」って言うタイプだから。
——人に頼らず自分でどうにかするという癖が身についていたのですね。
それは確かに身についていました。
「自分で解決しなければ」が裏目に
——芸能界で、ギャグを言い続けることに思い悩んでいた時、誰かに相談できずに追い詰められたのもそういう癖からでしょうか?
そういう時に相談できる人がいたり、薬を使った時に「俺、使っちゃったよ」と相談できる人がいたりしたら、たぶん違う人生を歩んでいたのでしょうね。でも、自分で解決しようとするから、それがどんどん裏目に出ていったんですね。
——それは幼少期から身についた自分の身の守り方ですよね。
そうだね。ただ、それを薬物を使った理由にはしたくないんだよね。今も。
——それはなぜですか?
うーん。依存症になる人たちは弱い人だけではないから。弱い人しかなりません、というものではない。どんな人でも起こり得ることですから。
——でもご自身の場合は、そういうことも背景にありそうですか?
振り返ってみると、そういう生い立ちが関係しているのかもしれない。生い立ちが俺をそういう人間に形成していったのかなと思うけれども、俺はいろんなところで「実はこういう不幸な少年時代を過ごして」とは話したくないんですよ。講演では1回もそういう話をしたことはないです。
——なぜなのでしょうね?それは自分を強く見せたい気持ちがまだ残っているのではないですか?
うーん。そこが俺のダメなところでもあるんだけど、「マーシー大変だったね。じゃあしょうがないよ」とは思われたくないというか……。それが自分のやったことの理由にはならないと思っているし。
ダルクでの分かち合い
——ダルク(薬物依存症回復支援施設)でも、子供時代の話はしないのですか?
しない。むしろ、なんか面白いことを考えて話そうとしてしまいます。
例えば、今日ミーティングのテーマはフリートークでした。新年に向けての希望などを話してくださいと言われて、仲間の一人が、「暮れに売人が薬を売っていると聞いて、自分は買いにいってしまいました」と打ち明けたのです。
それを聞いて僕は、「さっき、仲間が大胆な発言をなさっていましたけれど、僕は正月に滑っちゃいました」と言ったんです。ダルクでは再使用のことを滑るって言う。だからみんな「え?!」って驚いたのですが、そこですかさず「子どもの心に帰ろうと思って、公園の滑り台で滑っちゃいました」と言ったんです。
——ダルクのミーティングでもギャグをかましてしまうのですね。
急に思いついたりするんですよ。で、みんなが「なんだよ〜」と笑ってくれる。幼稚園ぐらいからずっとそうやって生きてきたから。幼稚園の時もギャグを言うと、カトリックの先生に「あなたの目には悪魔がいます」と言われていましたからね。それでもめげなかった。
そのめげない気持ちは薬を止めるために使えばいいのですが、それができないのが依存症の怖さなんだな。
——ダルクで自分のことを正直に話すことがまだあまりできていないのですか?
いや、そんなことはないですよ。例えば、僕は覚せい剤を溶かす水はボルヴィックだったのですが、買い物行ったらボルヴィックが売っていて「ああこれで溶かしてたなと思っちゃいました」とミーティングで吐き出す。
家にいる妻にはそんなことは言えない。「まだそんなこと思ってるの?」と言われるかもしれないから。
でも仲間たちに「ボルヴィック見て、スイッチ入りそうになりましたよ」と話すと楽になる。
「使った人のいる場所に行くのは良くない」と思って、最初はダルクに行くのを断っていたんですよ。余計負の原理が働きそうな気がして、「そんなところ行きたくないです」と。
最初に探したのは仲間との違い、今は同じところ
ダルクに来るようになって、最初はみんなとの違いを探していたんです。「俺はこの人たちとは違う。こんなに酷くない」と違いを探していたのが、ミーティングを重ねていくと、だんだんみんなと同じところを探すようになっていく。「あ、この人と一緒だ」「この人とも一緒だ」って。
そういうことが重なると、だんだんフェローシップ(仲間意識)が芽生えてきて、「こいつもやめているんだから俺も頑張らなきゃ」と思うようになる。
こいつも頑張って通ってやめているんだから、俺ももう1日ぐらい頑張ろうという気持ちになっていく。そういうシステムなのだとだんだんわかってきました。
——それは今回のダルク通いで初めて気づいたことですか?
いや、もっと前にも気づいていましたが、それでもまた使ってしまいましたね。今回捕まる前には5年以上やめていたんですよ。
今回の再使用のきっかけは、メディアの報道
——今回の再使用のきっかけは何だったのですか?
僕はファンの人から写真を求められて断ったことがないんですよ。忙しい時も「ちょっとごめんなさい。時間ないんです」と断ったことはない。「写真いいですか?」と言われたら、必ず「いいよ」と言う。
だって、写真撮ってほしいと思われる気持ちが大切だと思っているから。応援してくれようとしているのだと思いますよね。
でもある時、一緒に写真を撮った人が、歌舞伎町で人をピストルで殺した事件があったのです。そして指名手配になった。で、僕と撮った写真をフライデーに持ち込んだ奴がいた。
殺人犯とマーシーが写っていると言う。それで「懇意にしていたらしいからコメントをいただけますか?」と電話が入ったんです。俺は誰とでも撮っているし、その後にその人が何をするかはわからない。「あなた、写真撮った後、人殺しませんよね?」って聞けないでしょ?
——聞けないし、その後、人殺すかどうかは本人だってわからないですよね。
だからフライデーに「そういう話でもいいのですか?」と言ったのですが、「言い訳があるなら載せてもいいですよ」という。「じゃあ、写真見せてください。どの人かわからないし、何年ぐらいのことかもわからないので」というと、「いやお見せすることはできません」と言う。
「じゃあ、載ってから対応を考えます」と言ったのですが、当時、働いていたダルクはN P Oで国から補助金も出ていますから、ブラックな組織との付き合いがあってはならないなどの規定がある。
創設者の近藤恒夫さんも当時まだ生きていらっしゃる時に、「俺はお前を信じているし、俺もみんなと写真を撮る。でもダルクには色々な関係があって、黒い組織と関係あるのかとされると困る。お前のことはこれからも面倒を見るから、対処する形を取らせてほしい」と言われたのです。
それで今まで給料が出ていたのがなくなりました。それでも生きていかなければならないし、子供達にも仕送りができない。ハローワークに通っても仕事がない。仕事をくれるところはだいたい、反社の人たちの寄り合いだったりする。そうすると薬を渡される可能性が高くなる。
そういうことでだんだん「なんだ、ダルクも結局は切り捨てるんだ」と疑心暗鬼になってきた。本当はそんなことはなかったのです。近藤さんも事務局長の篠原義裕さんもすごく親身になって考えてくれる人ばかりなので。でも自分の中で「あんな仲間の手助けをしている人でも仲間を切ることがあるんだ」と考えるようになってしまった。
心に穴が空いて、そんな時にたまたま「薬があるよ」と言われて、「1回ぐらいいいか」と今回の逮捕につながったわけです。
心の隙間に入り込む誘惑
——そういう心の隙間ができたところに、薬の誘惑が入り込んでくる。やはり寂しさとか、人から裏切られたという気持ちが薬に自分を引き寄せていくのですね。
裏切られたわけではないと自分でもわかっているんです。でも依存症って薬を使うための言い訳を作るのが本当に上手なんです。
例えば先ほどの話も自分はダルクのせいにしましたけれど、本当はダルクのせいじゃない。最終的に決めたのは俺なので。
——冷静になると気づく。
そうです。「なんだ。見捨てちゃうんだ」と、薬を使うための言い訳を無理やり作るのが依存症なんですよ。
——でもそのきっかけは寂しさだったり、孤独だったりするわけですね。
それは確かなんです。しかし、それを埋めるために薬を使うことを許してはくれないでしょう?だから色々な言い訳を考えるのですよ。
——フライデーの報道は結局、事実だったのですか?一緒に写真を撮った人は本当に懇意な人だったわけではなく?
全然。たまたま一緒に写真を撮っただけの人です。
——そういう意味では今回の再使用は報道被害ですね。ありもしないことを書かれて、追い込まれた。
そうですね。
——そういう寂しい時や再び使いたくなった時に今の奥さんや、周りの親しい人に正直に話すことはできないのですか?
例えば仲間なら、例えばボルヴィックみて使いたくなったと言ったら、「俺は○○だった!」とわかってくれるけど、そういう専門的な話は使ったことのない人だとわからない。吐け口にならないんですよ。仲間同士で話すのはそういう意味があるんです。
回復しようとしている人を応援する文化を日本にも
——今、俳優の高知東生さんや橋爪遼さん、元プロ野球選手の清原和博さんや歌のお兄さんの杉田あきひろさんら著名人が、自身の回復体験を表で話す活動を始めています。ご覧になったことはありますか?
高知くんはVシネマの監督をやっている時からの知り合いだし、回復施設に繋がった時に会いにいってます。他の人は接点がないですね。
——高知さんのそんな姿を見て、どう思っていますか?
何かのイベントで高知君と会った時に「ダルクに繋がってよかったね」と伝えました。最初からつながる人はなかなかいないから。自分が捕まった時に高知君が「田代さんはすごく頑張っていたのに残念です」と言っているのも見ました。
——アメリカなどだと、依存症に苦しむスターがリハビリ施設に入って「こうやって回復しましたよ」と話すとそれを賞賛する文化があります。日本ではやっと始まったばかりですが、どう思いますか?
欧米では立ち直ろうとしている人たちに手を差し伸べる文化がありますよね。そういう施設も多いですし。教会がミーティングの場所を無料で与えることもしている。立ち直ろうとしている人たちに拍手を送る。すごくいい文化だなと前から思っていました。
「でもここは日本ですから」と言われたらそうなのですが、いつか日本もそうなるといいなと思います。そのために何か俺が力になれることならしたい。今回の取材もそうですけれども、現状が良くないなら誰かが抗わないと。このままで終わってしまうから。
▶「「本当に反省しているんですか?」 世間の疑いの目、足を引っ張るメディアやSNSに晒され続けること」に続く
【田代まさしさんインタビューシリーズ】
- 3年やめていても囁く悪魔「ちょっと休憩しませんか?」 田代まさしさんが語る薬物の本当の怖さ
- 笑いで紛らわせてきた子供時代の寂しさ 「自分で解決する癖」が裏目に
- 「本当に反省しているんですか?」 世間の疑いの目、足を引っ張るメディアやSNSに晒され続けること
- 目指すのは「今日一日」やめること 回復に役立つのはつらい刑務所暮らしではない
【田代まさし(たしろ・まさし)】歌手、タレント
1980年、鈴木雅之とシャネルズとしてデビュー。デビューシングル「ランナウェイ」がいきなりのミリオンセラーを記録して以降、数々のヒット曲に恵まれる。その後、志村けんさんにギャグセンスを認められ、お笑いにも進出。「バカ殿様」や「志村けんのだいじょうぶだぁ」などでお茶の間の人気を不動のものとするが、2001年から覚醒剤などの使用の罪により3度の刑務所服役生活を余儀なくされる。2022年10月福島刑務所を出所後は、保護観察所と日本ダルクに定期的に通いながら、依存症で苦しむ仲間たちの為に、ライブ、You Tube、講演など、精力的な活動を続けている。
コメント
依存症と言う病気の恐ろしさ、回復の難しさ、そしてそれに巻き込まれた家族の悲しさ、色々な感情が入り混じった気持ちでいっぱいになり、心が潰れそうになりました。
生い立ちの厳しさ、心のさびしさ。胸のうちを話されたことに、長い間の生きづらさが伝わります。ダルクで回復されつつある姿に心からのエールを送りたいた思います。こうやって回復できていく日本の文化が醸成されることを強く期待します。
正直に話せる田代さん素敵です
応援したいです
回復し続ける大変さよくわかります
色々な困難や寂しさを乗り切こえ前に進んで行って欲しいです
正直に話せる仲間の大切さもほんとに必要だと思います
これからの活動を期待してます