Addiction Report (アディクションレポート)

「被害に鈍感なままじゃ、暴力をやめられない」孤立した育児、世代間連鎖 “母”を知らない私が母になる(後編)

本稿は、前編に引き続き、暴力の連鎖を生き抜いてきた藤岡美千代さん(PTSDの日本兵家族会 関西支部代表)が、自身の痛みに向き合い、加害を見つめてきた半生を追う。前編はこちら

「被害に鈍感なままじゃ、暴力をやめられない」孤立した育児、世代間連鎖 “母”を知らない私が母になる(後編)
PTSDの日本兵家族会 関西支部代表・藤岡美千代さん

公開日:2025/12/11 02:00

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アルコール依存の父を自死で失い、母親の支配から逃げ、18歳で念願だった保育士になった藤岡さん。大阪で結婚し子どもに恵まれたが、娘を前に、振り切ってきたはずの過去と向き合うことになる。

(取材・文:遠山怜)

※本記事には、家庭内暴力・性的虐待など暴力に関する描写が含まれます。現在、支援を必要とされている方は、無理のない範囲での閲覧をお勧めします。


期待された母になれず、キッチンドリンカーに

我が子を前に、藤岡さんは自身の「空白」に向き合うことになる。親が子どもにどう接するのか、一日をどう過ごすのか、まったく分からなかった。当時、すでに夫とは藤岡さんへのDVが原因で離婚しており、初めての育児にひとりで奔走した。

「困った末に、保育園のスケジュール通りに過ごすことにしたんです。朝は何時に起きて、午前中は粘土遊びをしましょう、お昼を12時に食べて、1時間お昼寝をしましょう、その後は外に出て散歩しましょう――と、保育のマニュアル通りに生活しました。何が子育ての正解かわからず、良さそうなことは全部取り入れていました」

藤岡さんの内心の焦りとは裏腹に、保育士という仕事柄、周囲からは期待されていた。


「周囲からは『保育士の子どもだし、まともに育って当たり前』と思われていました。でも、何をしても育児に自信が持てなくて、あれこれ試しては自己嫌悪に陥っていました。そんなとき、母親の内心なんて知るよしもない娘が無邪気にじゃれてきて、カッとなって娘の体を突き飛ばしてしまったんです」


「すぐに我に返り、取り返しのつかないことをしたと思いました。自分もお父ちゃんやお母ちゃんと一緒や、って」

「暴力を振るう親の下に生まれたら、子どもがどれほど苦しい思いをするか、自分が一番わかっているはずなのに。『もう絶対に暴力は振るわない!』と決意しましたが、すぐにまた子どもの些細な言動にイライラして、良い母親になれない自分を責めてしまう。気づいたら、父と同じようにお酒を飲まずにはいられなくなってました。自己嫌悪を誤魔化すために、キッチンドリンカーになっていたんです」

転機になったのは、他でもない娘からのSOSだった。藤岡さんが保育園のプログラム通りに準備を進めていると、娘がこう尋ねてきた。


「ものすごい怪訝な顔で、暗い声で『お母ちゃん、今日はなにするん?』って聞いてきたんです。その表情を見てハッとしました。娘には、『今日はこれがしたい』『お母ちゃんに甘えたい』って気持ちがあるのに、それを無視してやることを勝手に決められて、押し付けられる。娘にとっては、全然楽しくないわけですよ。思えば、自分も親の機嫌ばかり気にして、ずっとこんな顔をしていた気がする。このままじゃダメだと思い、そこから虐待や暴力に関する研修を片っ端から受けるようになったんです」

暴力を振るう理由は必ず加害者にある

藤岡さんが第一子の子育てに明け暮れていた1990年代、日本にも児童虐待を扱う専門職向けプログラムが広まりつつあった。さまざまな研修に足しげく通うことで、藤岡さんの意識に変化が生まれた。


「それまで、自分が受けてきた行為を暴力だと自覚していなかったんです。父親が暴れても誰も止めなかったし、母親も手が出るのはしつけだと言い張ってましたから。何が被害で、どれが加害なのか自分の中でハッキリしていなかった。でも、被害に鈍感なままでは、自分の中に根を下ろしている“暴力の芽”みたいなものを止められない。そのために、親からされて嫌だったことを、少しずつ人に話すようになりました。今まで、あれはしつけだと自分に言い聞かせていましたが、自分の気持ちを誤魔化さずに見つめることで、何が暴力なのかわかるようになりました」

「それから、カッとなったらトイレに駆け込んで、ひと呼吸置くようにしていました。『あの子がちゃんとしないから』と娘のせいにしたくなるたびに、『あの子は悪くない。私の生い立ちがそうさせるんだ』と自分に言い聞かせてました。『ここで自分が変わらなかったら、あの子もいずれ私と同じように苦しむ』って」

自分はなぜ、暴力をやめられないのか。藤岡さんは自分が直面している理不尽さに、ひとつひとつ向き合うことにした。

「例えば、子どもがミルクが飲めずに吐くとイラっとしてしまう。『こんなに苦労して飲ませたのに、なんで!』と思う。でも、子どもの側からすれば、何か理由があってそうしているはず。息継ぎできなくて窒息しかけて吐いたとか、具合が悪かったとかね。そう考えたら、怒りがスッとおさまったんです。自分が怒ってしまうのは、相手の行動の意図が読み取れず、パニックになっているんだと気づいたんです」

「理屈がわかれば、工夫することができる。子どもがミルクを飲むのが下手なら、哺乳瓶を変えてみたり、抱っこの仕方を調整したりすればいい。これをしてみよう、それがダメならこれ、と選択肢を持つことで、暴力に頼らなくても済むようになったんです。虐待は『それしか知らない』から起きる。だったら、良い手本をたくさん取り入れればいい。学ぶことで、考え方や行動は変えられると気づいたんです」

「カウンセリングで自分の過去を振り返ることも、子育ての役に立ちました。親に自分の気持ちを尊重されたことがないから、自分の子育てでも、娘の気持ちそっちのけで『子育てはこうあるべき』と自分を追い込んでました。でも、子どもにとって一番大事なことは、親子で楽しく過ごせること。そう思うことで、はじめて子育てが“楽しい”って思えるようになったんです。子どもが無条件に可愛いって、こういうことかと」

アルコール依存と向き合う中で、見えてきた父の姿

同じ被虐待当事者や専門家との出会いもまた、アルコールに頼りきりだった藤岡さんの心を溶かしていった。執着を手放すなかで、自分と亡き父親の接点も見えてきた。

「たくさんの人と出会い、言葉を尽くして会話するうちに、アルコールはいらなくなったんです。それこそ昔は、食べ物にも異様な執着があったんですよ。冷蔵庫に入りきらないほど食材を買い込み、毎食、お腹いっぱいになるまで食べないと気が済まない。きっと、落ち着いてご飯を食べられずに育った影響でしょうね。食べ物があるうちに食べておかないと、次にいつご飯にありつけるかわからないから」


「そう考えたとき、父親の“奇行”の意味もなんとなくわかるようになりました。シベリア抑留を経験した父は、ずっと、“生き残った罪悪感”に苛まれていたんじゃないかと。思えば、父は豪雨の日に『あいつらが来る』と怯えたり、“心中ごっこ”に失敗した後は布団に突っ伏して泣いていましたから」

「食事の準備ができたときにちゃぶ台をひっくり返したのも、罪悪感の現れだったのかなって。ほかほかの白いご飯と、あったかいおかずが揃った食卓って、まさに平和の光景そのものじゃないですか。父と一緒に戦った仲間は、飢えて乾いて異国の地でむなしく死んでいったのに、自分はおめおめと生き延びて、戦争の苦労も知らぬ子どもがまんまとご飯にありつこうとしている。父には、その平和さが耐えられなかった。私が自己嫌悪を誤魔化すために飲んでいたように、父もまた、いたたまれなさを紛らわすために酔っていたんじゃないかと」

加害を理解するためのパズルのピース

暴力を振るうのは個人であり、本人に非があるとする一方で、背景には見過ごされてきた被害があると気づいた藤岡さん。フェミニズムの思想や女性史を学ぶことで、恐怖の対象でしかなかった母を、時代を生きた一人の人間として理解できるようになった。


近年、復員兵の戦争トラウマと後遺症を扱った書籍が多数刊行されている。

「母親のことは、親としてはどうかと思います。でも、私もシングルになって、母の苦労も少しはわかるようになりました。離婚した途端、男の人から『ひとりじゃ夜が寂しかろう』と色目を使われたりして、改めて世の女性の扱い方のひどさを実感しました。母は、女性の権利なんてなかった時代に母子家庭になったのだから、それはもう棘の道だったでしょう。母がひと月汗水垂らしてかき集めた賃金は、父の一日の日雇い仕事の報酬にも満たなかったですから。母がどれほど世の中に怒りながら生きてきたか。同じ女としては素直に尊敬します」

藤岡さんはいま、戦争トラウマを抱えた復員兵の子どもらによる当事者団体で活動している。最初は自身の経験を話すことに抵抗があったが、気持ちも変わってきた。


「自分の生い立ちなんて、人に話すようなことじゃないと思ってたんです。でも、代表発起人の黒井さんは、みんなに自分の経験を話すようにと勧めました。私はそんな、家庭のしょうもない話なんてと断ったんですが、黒井さんは『しょうもないことこそ話しましょう。大事なことですから』って。虐待の話なんて、くどくど話すものじゃないと辞退する私に、『何度話したっていいんです。何度でも話しましょう』と言ってくれて。それで話すようになったんです」


「で、いざ話してみると他の参加者から『私も経験がある!』『うちと同じ』と、声をかけられるようになって。あ、そうか、私の経験を話すことで、“みんなの問題”になるんだと、腑に落ちました」

(写真)同会は、2025年2月に国に対し、戦争被害と後遺症に関する全国調査を依頼した。当事者家族らの証言をもとに、実態を明らかにする試みを続けている。
(写真)「・オリーブガーデン・」(大阪市東淀川区)では、不定期でメンバーらによる当事者会を実施。

今後は、自身の経験を話す活動に加え、被害と加害を繰り返さないためにできることを模索したいと藤岡さんは語る。

「暴力を振るうのは加害者自身です。でも、加害者もまた、国や行政や制度といったもっと大きなものに傷つけられてきた。被害を食い止めるために、周りにできることはいっぱいあったはず。加害者に変化が求められるように、放置して見て見ぬふりを続けた社会もまた、変わらなくてはならないと思います」


「被害と加害の連鎖をみんなで終わらせましょうよ。そのために、被害の正体を知ることからはじめてほしいです」

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コメント

1時間前
とみー

自分の父親のことを思い出しました。

急にカッとなって怒る、特に妹に向けて暴言を言う父でしたが、父もそうして育ったのだろうなと、子供にどう接したら良いか分からなかったのだろうなと気付かされました。

ご自身の体験をこうして発信してくださることに心から感謝です。

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