「市販薬を飲んでも、生きることが大事だよ」主治医の言葉に励まされ、安全に生きる方法を模索する今
性同一性障害やうつ病、発達障害など複数の生きづらさを抱え、市販薬の過量服薬(オーバードーズ)に依存していった善太郎さん(31)。自殺未遂後、気の合う主治医と出会い、安全に生き延びる方法を模索しています。
公開日:2024/11/08 02:07
性同一性障害やうつ病、発達障害など複数の生きづらさを抱え、薬の過量服薬(オーバードーズ)に依存していった善太郎さん(31)。
精神保健福祉士の仕事も続けづらくなり、どんな風に自分のつらさと向き合っていったのでしょうか?
自閉スペクトラム症とも診断
精神科への入退院を繰り返しながら、5年間は精神科病院で精神保健福祉士として働いた善太郎さん。3回目の入院の時に、発達障害の一種「自閉スペクトラム症(A S D)(※)」との診断も追加された。うつ病は、躁状態とうつ状態を交互に繰り返す「双極性障害」と診断し直された。
※相手の考えを読み取ったり、自分の考えを伝えたりなど、コミュニケーションを取ることが苦手で、特定のことに強い関心を持ったり、こだわり行動が見られる発達障害の一種。知的障害がない場合もあり、うつ病など他の精神疾患を伴うことも多い。
「心理士さんが単純なうつ病ではなさそうと気づいて、検査をして診断し直されました。生きづらさがずっと続いていたので納得できました。それと同時に治療できる障害ではないので、これからずっと付き合っていかなければならないのだなと不安も感じました」
Twitterの病み垢で市販薬のODを学ぶ
その頃から、X(当時はTwitter)で同じようにメンタルに問題を抱えている人のいわゆる「病み垢」を見るようになり、そこで咳止めのオーバードーズを知った。
「自分もやってみたいと思いました。それぐらい追い詰められていたのだと思います」
Twitterに「飲むと体がシャキッとする。元気になる」と書かれていたその咳止め薬を20錠ほど飲むと、確かに元気になって気持ちよくなった。
「死にたいという気持ちがどうでもよくなって、楽になりました。やる気が出てきたように感じ、アクティブな気持ちになりました。これは使えるなと思いました」
その頃、人手不足だった職場で他の部署に応援に出るようになり、朝8時に出勤して帰るのが午後8時半になるような長時間労働が増えた。
「心身が疲れてしまうので、咳止めのオーバードーズをご褒美として仕事に行くようになっていました。復職している間は、3日に1回は夜にODしていました」
その咳止めにはカフェインが入っているので眠れなくなったが、薬が残っている状態で翌朝仕事に行くと頑張ることができた。
だがさすがにこんな毎日を続けてはいられない。2023年3月、精神科病院を退職した。
ドラッグストアでアルバイト 誰かを助けたかったが……
昨年8月からは主治医の紹介で、NA(ナルコティクス・アノニマス、薬物依存症の自助グループ)にもつながっていた。
「2週間に1回ぐらいN Aに通って、薬を3ヶ月ぐらいやめられた時期もあったのですが、やはりだめでした」
資格でも取ろうと1ヶ月間の猛勉強で医薬品登録販売業者の試験に合格し、1年の無職の期間を経て、今年2月からドラッグストアでのアルバイトを始めた。
市販薬を手に入れやすくするために資格を取ったのではない。
「逆に市販薬依存で困っている人に支援者としてアプローチできないかと願っていました。飲み過ぎたら体に悪いことは自分が一番よくわかっています。そして自分は医療職、支援者という立場を失いたくはなかった。困っている人のことを見守り、『飲み過ぎないでね』と手助けしたい気持ちでした」
ドラッグストアで働きながら、市販薬のオーバードーズに頼る生活が始まった。
ドラッグストアの裏で自殺未遂
ドラッグストアでの仕事も、ストレスは多かった。客は何かしらクレームをつけてくるし、店長や先輩とのコミュニケーションもうまく取れない。ちょこちょこ市販薬のO Dを繰り返していたが、今年2月、バイト先のドラッグストアの裏で風邪薬を飲み過ぎて、病院に運ばれた。
「その時は『もうどうでもいい。死んでやる』と思って100錠以上飲みました。でも次の瞬間、親に『死にたい。薬いっぱい飲んだ』と電話していました。死にたいはずだったのに自分から『病院行った方がいいかもしれない』と話し、車で迎えにきてもらいました」
この時の自分の気持ちを善太郎さんはこう振り返る。
「死にたいのだけれど、どこかで自分の辛い気持ちを誰かに知ってほしいという気持ちがあったのだと思います」
親に連れていってもらった救急病院に一泊した。翌日、かかりつけの精神科を受診したが、この日も自宅に帰ると咳止めをオーバードーズした。
「薬を飲まないと離脱症状が出て、ベッドから動けない状況でした。離脱症状を防ぐために飲んだのです」
気が合う主治医を求めて九州の病院に転院
こんなことをいつまでも続けてはいられない。薬をやめたい。
「薬を飲み続けるのもしんどいので、薬をやめて真っ当に生きたいと強く思いました。薬物依存の家族教室に参加した時に、講演に来た今の主治医が自分にすごく合っていると感じました。九州にあるその先生の病院に一度入院し、それ以降、通うようになりました」
入院中は、市販薬をやめることはできていた。
しかし、その頃、自分を可愛がってくれていた祖父が脳出血で倒れ、「このまま死んでしまうかもしれない」と不安が募った。発作的に病院内で自殺を図った。途中で見つかって助かったが、「○○が飲みたい!」「○○が飲みたい!」と咳止めの名前を繰り返し叫んだ。
そんな自分を見て、主治医は「○○を飲んでもいいから、生きるのが大事だよ」と声をかけてくれた。その言葉は孤独に陥っていた自分の心に強く響いた。
「薬を飲んでも生きていていいんだとホッとしました。それまで薬を飲んでいる自分はダメな自分だ、生きる価値がないんだと思っていたのに、そんな自分を認めてもらった気がして。すごく安心したんです」
それまで受けていた回復プログラムは中断し、1ヶ月半で退院した。
その後は、元々通っていた地元の精神科にも通いながら、2〜3週に1度はこの九州の主治医のもとに通い、薬物依存症について診察してもらっている。
市販薬を飲みながら生活して
そして今も毎日、咳止めを60〜80錠飲みながら過ごしている。精神科から出されている処方薬は一緒に暮らす母親に管理してもらい、飲み過ぎないようにしている。
母は市販薬を飲むことについては何も言わないが、40錠を超えると「まだ飲むの?」とそっと見守っている。父親は市販薬依存を受け入れられないようなので、彼の見えないところで飲んでいる。
「処方薬だけだと気持ちが保ちません。処方を変えている最中なので、新しい処方が合って、離脱症状を乗り越えられたら、処方薬だけでいけるのかもしれません」
市販薬をやめるのは怖い。でも市販薬に頼る生活をずっと続けたいとも思っていない。
「主治医は『50歳ぐらいになれば自然にやめられると思うよ』と言ってくれています。そうなればいいなと思っています」
ドラッグストアでの仕事はやめ、今、障害者雇用枠の応募で、子供支援に関わる仕事の面接を受けているところだ。
「元々やりたかった仕事にもう一度チャレンジしたい。やはり私は支援されるよりも、支援したいんです。医療資格を持つ者として、誰かの役に立ちたいという思いが強いんですね」
なんとか生き延びている自分を伝えたい
市販薬のO Dは、今を生き延びるためには必要だと思っている。でも支援者として生きたい自分は、子供達が市販薬のODを始めようとしたら、こう声をかけたい。
「きっと生きづらさがあるのだろうと思いますが、私のように依存症になってしまうかもしれないからやめた方がいいよと言うと思います。既に始めている人に対しては、その生きづらさを一緒に背負ってあげられたらと思います」
自助グループでは、今も使っていることを正直に話せている。でも覚醒剤など違法薬物をやめた先輩ばかりで、市販薬をうまくやめて生きているモデルはいない。どうしたらやめられるかは、自分が手探りで見つけていくしかない。
「毎日生きることが精一杯で、自分の先のビジョンはまだ見えていません。むしろ先を見ると不安が出てくるので見ない方がいいかなと思う。でも私はやはり誰かの役に立つ人になりたい。同じように苦しんでいる誰かに、自分の体験が少しでも役に立てばと願っているんです。いろんな生きづらさを抱えている自分が、薬を使いながらでもなんとか生き延びているよと知ってもらえたらなと思います」
(終わり)
なぜ市販薬に頼りながら生きている人がいるのか、取材を続けています。楽になるため、しんどさを忘れるため、楽しむためなど、市販薬を使った体験をお話しいただける方、市販薬に依存している人の支援についてお話しいただける方を広く募集しています。ご協力いただける方は、岩永のX(https://x.com/nonbeepanda)のDMかメール([email protected])までご連絡をお願いします。岩永が必ずお返事します。秘密は守ります。
コメント
娘の事を読んでいるようでした。
「市販薬を飲んでも、生きることが大事だよ」と
娘に何かあった時にこんなふうに心に響く言葉をかけたいと思いました。
やめなきゃダメと思われがちだけど、こんなふうな生き方もありなのかと気づかされました。
日常生活に支障がなければあり?
市販薬からの回復の難しさ。
今後もいろんな方々のお話を伺いたいです。