10名のリアルを取材した菊池真理子さんのノンフィクションコミック『うちは「問題」のある家族でした』
ギャンブル依存症、マルチ2世、児童虐待、貧困、DV、きょうだい児、ヤングケアラー、陰謀論、反医療……といった「問題」を抱えた家族。
漫画家の菊池真理子さんが10名のリアルを取材した、社会派ノンフィクションコミック『うちは「問題」のある家族でした』(KADOKAWA)から、改めて「家族の問題」を考えた。
(ライター:青山ゆみこ)
公開日:2024/12/09 02:00
ギャンブル依存症、マルチ2世、児童虐待、貧困、DV、きょうだい児、ヤングケアラー、陰謀論、反医療……といった「問題」を抱えた家族。
漫画家の菊池真理子さんが10名のリアルを取材した、社会派ノンフィクションコミック『うちは「問題」のある家族でした』(KADOKAWA)。
親や配偶者、子どもとの関係に悩む人たちが、自分の家族の「問題」とどう向き合い、乗り越えてきたのか。そもそもなにが「問題」なのか。
一人ひとりの体験が、問わず語りのようなモノローグの再現ドラマとして紐解かれていく。
作者は、アルコール依存症の父によって家族が壊れていく様子を、子どもの立場から当事者目線で描いた『酔うと化け物になる父がつらい』の菊池真理子さんだ。
菊池さんには、依存症者の家族として抱いた疑問を発端に、アルコール依存症の回復途中にいるアーティストに話を聞きに行ったり、断酒会に参加したり、薬物依存症の専門医を訪ねたりして取材した『依存症ってなんですか?』(秋田書店)というコミックルポルタージュ作品もある。
Addiction Reportでも以前、「依存症を知るコミックエッセイ」として紹介した。
菊池さんは母が新興宗教信者だったという「宗教二世」でもある。
※宗教二世とは、特定の信仰をもつ親のもとで、その教えの影響を受けて育った子ども世代。
そんな彼女の最新作が、ギャンブル依存症、マルチ2世、児童虐待、貧困、DV、きょうだい児、ヤングケアラー、陰謀論、反医療……といった「問題」を抱えた家族9ケース、10名に取材した社会派ノンフィクションコミックだ。
親や配偶者、子どもとの関係に悩む人たちが、自分の家族の「問題」とどう向き合い、乗り越えてきたのか。
そもそもなにが「問題」なのか。
一人ひとりの体験が、問わず語りのようなモノローグの再現ドラマが、菊池さんの漫画で紐解かれていく。
読んでいると胸が痛むようなエピソードも正直多い。
ただ、丸みのあるソフトなタッチの作画にどこか安心して、湿っぽさのないスピード感のある展開から、どんどんページを捲ってしまうことも添えておきたい。
●アダルトチルドレン(AC)の物語としても読める
アメリカのアルコール依存症の治療現場から生まれた「アダルトチルドレン(AC)」という言葉は、いまは機能不全の家庭全般で育った人を指すようになった。
精神疾患、貧困、依存症、ドメスティック・バイオレンス(DV)などのさまざまな事情のある家庭で育ち、生きづらさを感じている人たちだ。
『うちは「問題」のある家族でした』で描かれる家族のなかでも、親に問題がある章は、アダルトチルドレンの実例エピソードとしても届いてくる。
例えば、ケース6で紹介される「夫から妻へのDV」の「にさご・ちまこ」さん夫妻の場合では、主に描かれるのは夫婦のやり取りだが、二人の小さな子どもが描かれているコマがある。
親の事情に子供が巻き込まれる。そのしんどさが子どもたちの泣き顔からも伝わってくる。
わたしがこの依存症専門オンラインメディア「Addiction Report」にライターとして参加するようになったきっかけは、自分のアルコール依存傾向に対して、問題意識があったからだ(断酒5年目)。
ギャンブルや薬物依存症の家族会や自助グループに参加する度に、そこで耳にする体験談にはアダルトチルドレンの要素が少なくないとも気づく。
生育環境で身についてしまった思考や行動のクセのようなものが、自分を生きづらくさせるってこと。
わたし自身のお酒への依存の背景には、そんなことが確かにあった。
●「ギャンブル依存症」安井昌子さんの場合
ケース7「ギャンブル依存症」の章では、会社員の安井昌子さんの息子が、いつの間にかギャンブル依存になっていく姿が、「母親」の視点から描かれている。
「幼馴染みだった夫
男女の双子と次女の子ども3人
平凡だけど
幸せだった家庭は
一瞬で崩れ去りました」
菊池真理子『うちは「問題」のある家族でした』より
きっかけは大学生になった息子さんが始めた「ブックメーカー」だった。
本書のコマには『ブックメーカー はじめての投資』という表紙の本が描かれている。
ブックメーカーとは、スポーツ競技や大統領選挙、アカデミー賞などさまざまなものを対象に、結果に対して賭けを受け付ける業者や企業。
イギリスでは合法でアメリカでは州により合法だったりもするが、日本では違法。ただし、海外で合法に営業しているブックメーカーを罰する法律がない。
安井さんが吐露する。
「今となっては自分の無知を呪いますが、まさか書店で攻略法が売られているようなものが、罰せられないだけで違法のギャンブルだなんて思いもしませんでしたーー」
そこからギャンブルがやめられず、借金を重ねる息子。
家族が尻拭いしてしまう、「もう二度とギャンブルはしません」という誓約書を書かせたりするものの、大手企業に就職した半年後にヤミ金に手を出してしまう……。
家族はどん詰まる。
ある日、心療内科で手にしたチラシから、安井さんはギャンブル依存症の家族が通う自助グループの存在を知る。
「自助グループって…傷の舐め合いをするとこでしょう?」
ちょっと気持ち悪いと感じつつも、「もうここくらいしか行くところがない」
家族の全員が苦境に立たされるなか、すがるように参加した「ギャマノン」で、自分と同じような体験を聞き、自分も話せるようになった安井さん。
さらには、より具体的なサポートを学ぶ「全国ギャンブル依存症家族の会」にも参加するようになり、ギャンブル依存症がWHOでも認められている脳の病気であると知る。
困りごとが起きたときの対処法も学び、自らも「依存症家族としての回復」プログラムに取り組むようになっていく。
家族が時には距離を置き、時には共存の道を模索しながら、時間の経過を経て、息子さんは当事者の仲間の中で、安井さんは家族の仲間の中で、お互いに回復の道を歩んでいることが語られる。
正しい知識と仲間の大切さ。
そんな言葉では伝えきれない深いメッセージが、家族の物語からすっと読み手に届いてくる。
問題の起きた場では、「正しくない誰か」をつい責めたくなる。耳にするのもちょっとしんどい。
ただ、この本からは誰かを糾弾するような声の大きさや、正論を押しつけて責めるような声高さをあまり感じない。
それは、「問題のある家族」当事者である菊池真理子さん自身が、理屈ではわかっていても、どうにもならない苦しさがあることをご存じだからだと思うのだ。そんな優しさを感じる。
●問題が「目に見えない」からむずかしい
話が飛んで恐縮だが、少し前に乳がん検診でマンモグラフィーを撮ったところ、「白い影が映っている」ということで、再検査となった。
2週間ほどドキドキしながら過ごし、乳腺外来のある専門病院でエコーを受けると、結果的に大きな問題はなかった。
エコーを撮影している間、モニターに映像が映し出され、先生はその映像を見ながらライブ実況中継さながらに、該当する影について患者のわたしに説明してくれる。
そのことに、なにか感動するような気持ちがした。
例えば、内臓や脳の病気だと、こんなふうに「問題」が可視化されて、医師と患者であるわたしたちは言葉で「問題」を共有することができることが多い。
でも、「心」の問題は、「見えない」ことにも苦しさがある。「病」かどうかさえも、なかなかわからない。脳の病気であるギャンブル依存症だってそうだ。
病気の線引きがすぐにはできないから、「気持ちで解決できる」と信じ込んで、家族も本人も頑張った挙げ句、どんどん困った状況に追い込まれてしまったりもする。
脳の暴走や、心の病は見えないけれど、一つのヒントとして「身体反応」が手がかりになるのではないだろうか。
ケース1「反医療」で紹介される黒川麻耶さん(薬剤師)の場合は、高校生の頃にリストカットや、薬のオーバードーズをするようになる。大人になって受けたカウンセリングでは「自傷は嗜癖(アディクション)の面もあるかもね」と告げられて、腑に落ちるというコマがある。
ケース8「ヤングケアラー」町田優美さん(会社員)の場合は、中学生の頃、朝起きられなくなり不登校気味になり、なんとか入れた高校にも体が動かず通えなくなってしまう。
うまく言葉にできない身体反応や行動がそのまま絵で描かれているから、困りごとが「心」と「体」に関係することに、言葉にしないまま受け取ることができるようにも感じた。
●気づけないのは、「自分の家族が当たり前」だから
『うちは「問題」のある家族でした』で描かれる当事者語りから、「問題」に気づくまでは「問題ですらない」ことに改めて考えさせられた。
ケース4「貧困」で紹介されるライター・ヒオカさんは精神疾患のある父と、その父にいつも暴力を振るわれている母がいる家庭で育った。
勉強ができたので県立の進学校に通い、「将来は留学」を希望して教師に告げたところ、「父親の年収100万」という家庭事情を知った教員が、慌てて奨学金などを勧めるという場面がある。
ヒオカさん自身は、自分の家族が経済事情に問題を抱えている「貧困家庭」だとは思っていなかったことがよくわかるエピソードだ。
「自分の家族が当たり前」なので、「問題」には気づけない。
「他の家族の当たり前」を知ることでしか、自分の家族の異質さを意識することはできないんじゃないだろうか。
問題は親子間だけでなく、夫婦間や兄弟姉妹間など、いろんなところに転がっている。
外では犯罪になるようなことすら、「当たり前のこと」としてまかり通ってしまう家がたくさんある。
そのこともこの一冊で可視化されている。
また、菊池さんがあとがきで「家族の問題って、本当に家族だけの問題なんでしょうか?」という問いも投げかけている。
「実は原因のいくつかは、家族の外にあったりしないでしょうか?
家族だけが抱えているせいで、問題が大問題にまで発展しちゃったのかもしれないし、本当は問題じゃないことだって、あるかもしれません」
だから、本書のタイトル『うちは「問題」のある家族でした』の“問題”はかぎかっこつきなのだ、と。
家族の問題は、家族じゃない人が一緒に考えないと、困っている家族はずっと困ったままなのではないか、とも。
自分の家族のなかでは当たり前すぎてスルーしてしまっていたことに、この作品を読みながら、「これって問題なの?」と初めて気づく人がいるかもしれない。
わたし自身は、文字だと遠い世界に思えていた「マルチ2世」「児童虐待」「ヤングケアラー」などの章を読んでいると、断片的に「自分にも似たような体験がある」と記憶を掘り返すような読書体験となった。
ふと思う。「問題」のない家族なんてあるのだろうか、と。
本書では、問題は異なれどすべてのエピソードに共通しているのは、現在は安全な場所に身をおいて、訳もわからず困り続けたり、我慢したりはしていないという点だ。
それぞれが自分の人生を生きている、希望のある物語として語られている。
自分の問題を整理した人の体験談を聞くのがいちばん早い。
でも、誰にも話をしたくない。聞く気力もない。そんなときに人に会うって結構パワーがいる。わかる。
『うちは「問題」のある家族でした』は、そんな人にもそっと話しかけて、ふっとヒントをくれるような一冊になるように思う。
あとがきでは、本編漫画では描ききれなかったエピソードとともに、菊池さんが取材した人たちへの手紙のようなものが添えられている。
事情は違っても、同じように家族の困難を乗り越えた「仲間」への心のこもったメッセージに胸があたたかくなる。
また、巻末には、取り上げたテーマに関する書籍や、相談、発信を行っている団体の一部も紹介されていて、たった今困っている人が、この一冊をきっかけに「家族以外」の誰かにつながることを願っている著者の思いにぐっとくる。
あなたに届きますように。
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コメント
漫画好きだけど最近読んでなかったです。ポップな表紙が目を引きます、うち以外の家族ってどんな感じなのだろう、それが漫画で読めるなんて!すぐ手に取って読みたいです。
読みます!
私も普通の家庭で育ったと思ってたけど、幼い頃から母は病気で度々入院していました。
高校生の頃は母が入院中、毎日料理を作ってました。
自分的には特につらいと思って無かったが、普通とは言えない環境だったのかな
読んでみたい一冊です。
読んでないけど、読む前から何となく苦しい。でも、問題のない家族っているのか?という問いは物凄く共感する。
少なくとも、私は問題のある家族の中にいた。でも気が付かなかったです。
家族の問題は、家族じゃない人が一緒に考えないと、困っている家族はずっと困ったままなのではないか。
ほんとにそうだ。
自分自身もそうだったが、「これこれこういうところがしんどいんですよね」と話す人の多くは、いやいや、
そこじゃなくてこっちの方が大変なコントだよ、という大きな問題を抱えていることに気づかなかったりする。あまりにもそれがあたりまえのことで日常化しているから。
困りごとのカテゴリーは違っても、同じように困ったことを抱えていた誰かの経験が自分の問題に気づかせてくれる。
そして、菊池さんの本は、自分以外の人の経験を運んでくれ、誰かと繋がることが怖くないことを教えてくれる。
青山さんのちょっとだけ当事者と、客観的な視線。
最後の言葉通りに、私も、あなたも、この記事を通して菊池さんの思いに繋げてくれる。