Addiction Report (アディクションレポート)

お守りに「ダルク」の連絡先をしのばせて…医療用麻薬に依存する母に渡した精一杯の愛情

母親の薬物依存と約40年に渡り対峙してきた、医師のおおたわ史絵さん。「早く死んでほしい」と思うほど追い詰められた母親との日々を振り返り、何を思うのでしょうか。

お守りに「ダルク」の連絡先をしのばせて…医療用麻薬に依存する母に渡した精一杯の愛情
総合内科専門医で、プリズンドクターでもあるおおたわ史絵さん(撮影・白石)

公開日:2024/10/29 02:00

関連するタグ

医師のおおたわ史絵さんは、自身が中学生の時から始まった母親の薬物依存と約40年に渡り対峙してきた。医療用麻薬「オピオイド鎮痛薬」に依存する母に対し、「はやく死んでほしい」と思うほど追い詰められた。

回復することがないまま亡くなってしまった母のことを、そして依存症とともにあった40年を、おおたわさんは今、どう感じているのだろう。Addiction Reportは、おおたわさんにお話を聞いた。(ライター・白石果林)

腹痛緩和のために使用した「オピオイド」に依存

ーーお母様が医療用麻薬である「オピオイド鎮痛薬」を使い始めたのは、おおたわさんが中学生の時だったそうですね。

はい。母は以前から盲腸の手術後遺症である癒着性腸閉塞に悩まされており、頻繁にお腹の痛みを訴えていました。その痛みを和らげるために、鎮痛剤や睡眠導入剤をよく服用していたんです。

私の父は医師でしたから、母の苦しみを何とか緩和してあげたいと考えていました。ちょうどその頃、日本でオピオイドが発売されたのです。父がそれを母に試してみたところ、よく効いたそうです。

当時、アメリカではオピオイドが一般的に使用されていたこともあり、父はそこまで疑問を持つことなく母に処方していました。あとになって依存症者や過量摂取による死者が多い薬だと知った時には、母はすでに依存状態に陥っていたんです。

最初のうちは週に1回の使用でしたが、徐々に数日に1回となり、ついには毎日打つようになってしまいました。自宅兼診療所という薬が手に入りやすい環境だったうえに、母は元看護師。父がいない時でも自分で注射することができたんです。

ーーおおたわさんやお父様は、薬物に依存するお母様とどのように接していましたか?

オピオイドの注射回数が増え、父は「そんなに打つものじゃないよ」と注意していましたが、母は耳を貸そうとはしませんでした。私自身も母の様子がおかしいとは感じていましたが、それが薬物依存だとは気づいていなかったんです。

オピオイドを使うと、母の機嫌はとても良くなりました。もともと母は感情の起伏が激しい人だったから、私はいつも母の機嫌を伺いながら接していた部分があります。皮肉なことに、オピオイドを使って機嫌が良くなった母の方が、私にとっては接しやすかった。

例えば、学校の文化祭の準備で「みんなで小物を買いに行くからお小遣いをちょうだい」とお願いする時も、母の機嫌が良いタイミングを見計らって頼んでいました。

自分の過去について話す女性
2024年4月、文庫版『母を捨てるということ』を発売した(撮影・白石)

だだ、オピオイドの効果が切れたあとの揺り戻しがすごかった。さっきまで「いいよ」と言っていたことが全部だめになるんです。友達と遊ぶ約束をしていても、理由もなく「行くな」と言われ、遊びに行けなくなったことが何度もありました。

家族で買い物をしている時も、薬が切れると機嫌が悪くなり「早くしてよ!」と怒り出す。子どもながらに、「薬が切れる前に用事を済まさなきゃ」と、常に駆り立てられているような気持ちでいました。

オピオイドを1日に4〜5回打つように

ーーお母様が依存症だと気づいたのは、いつごろでしたか。

私が母の薬物依存に気づいたのは、医学部5年生の時でした。病院実習中のある日、鍵のかかった薬品庫で、厳重に管理されている薬を見たんです。その薬は1つ使用するごとに必ず帳簿に記録しなければならず、他の薬とは明らかに扱いが違っていました。それこそが、母が使っていたオピオイドでした。

私が担当医師に「あの薬はそんなに特別なものなんですか?」と尋ねると、「鎮痛効果が高く、使うと多幸感があるっていうんで依存症になる人があとを絶たない。病院関係者が盗むこともあるから、厳重に管理されているんだ」と教えてくれました。

そんな薬を、当時の母は1日に4〜5回打っていた。父に薬を要求し、渡さないと暴力を振るうようになっていました。その時初めて「母は依存症なんだ」と気づいたんです。

ーー依存症だとわかってから、病院に行きましたか?

父の知人である精神科医に相談しました。すると、「自宅が診療所だと薬物が手に入りやすいので、入院させましょう」と提案されました。母は閉鎖病棟に入院することになりましたが、その病棟には依存症患者はおらず、重度の統合失調症や双極性障害など、精神疾患の患者ばかり。

鍵付きの部屋で自由に出歩けない環境なうえ、「散歩したい」といった要望は受け入れられず、母は腹を立てる一方でした。

当時は依存症の治療方法が確立されていなかったので、「2週間薬物を使わなかったので大丈夫でしょう」と母は家に帰された。帰宅するなり「私をあんな場所に閉じ込めて!」と、父と私に激しく怒りをぶつけ、物を投げて暴れました。結局、入院前よりも薬物の使用量が増えてしまった。

そんなことを何回か繰り返して、「誰に相談してもだめだ」と途方に暮れました。それからは自分たちで薬を隠したり、母から薬を取り上げようと何度も取っ組み合いになったりしました。でも母の状態は良くなるどころか、悪化していったんです。

ーーご著書『母を捨てるということ』のなかで、おおたわさんがダルクの連絡先をお守りにしのばせてお母様に渡すシーンがとても印象的でした。

当時やっていたラジオの仕事で、薬物依存症患者のための回復施設「ダルク」の取材をしたんです。「ここに通えば母も回復するかもしれない」と思ったのですが、本人に真正面から伝えても通うわけがないし、怒らせるだけだと思いました。

だからお守りの中にダルクの連絡先を書いたメモを入れて、「どうか気づいて」とかすかな期待を込めて渡したんです。わざわざお守りにしのばせるなんて、今思うと母への愛情があったんでしょうね。でも結局、最後まで母が中身を見ることはありませんでした。

母親には何も告げず、父親と入院

ーー最終的に、依存症を専門にしていた竹村道夫先生のところにたどり着いたそうですね。

はい。インターネットで必死に探してようやく見つけたのですが、正直「ここもだめだろう」と期待はしていませんでした。ただ、うろ覚えですが竹村先生の患者さんのブログにこんなことが書いてあったんです。

「竹村先生、あなたはニコニコ仮面ですね。依存症者に対し怒るのではなく、ニコニコしながら病気と戦ってくれる人です」

この言葉に心を動かされました。父と私はこれまで、依存症と真っ向から戦い、怒り、失敗してきました。だから、「ニコニコ戦うとはどういうことなのだろう」と興味を持ったんです。

母は「依存症」という言葉を聞いただけで怒るので、私はひとりで原宿の病院に向かいました。予約なしの受付だったので、名前が呼ばれるまで3時間以上待合室で待ったことを覚えています。原宿にはカフェやブティックなど時間をつぶせる場所がいっぱいあるのに、順番を逃して診察を受けられなくなるのが怖くて、そこを離れられなかった。

竹村先生と対面するなり、「お父さんと一緒に入院しなさい。依存症は本人だけじゃなく家族も病んでいる状態。まずは本人から離れて、依存症について知識を得ることから始めましょう」と言われました。

「なんで私たちが入院するの?」と思ったけれど、今までの医師とは全く違うアドバイスをくれる人に出会えたのだから信じてみようと、その場で入院の手配をしてもらいました。

父も私も医師として働いていたので調整が大変でしたが、すべてを放り出してでもなんとかしなきゃいけない状況だった。入院当日、母には何も言わずに父とふたりで家を出ました。

ーー実際に入院してみて、いかがでしたか?

私たちが入院したのは、群馬県の赤城高原にある病院でした。そこには、依存症当事者用の病棟と家族用の病棟がありました。

私と父はそこで、グループセラピーに参加しました。アルコール依存、薬物依存、摂食障害など、それぞれのグループに分かれてミーティングをします。ミーティングでは自分の状況をただ話すだけ。他の人の話を聞いても意見を言わないのが原則です。私たち以外にはカウンセラーがひとり同席し、話を聞きながら進行してくれました。

依存症家族の話を聞き、「境遇も使用した薬物も違うのに、みんな同じような苦しみを抱えている」と思いました。

「本人を見捨ててしまったことに罪悪感がある」

「殺す以外の方法が見つからない」

「あと何十回裏切られればいいのか」

「家族なのに、どうしたらいいかわからない」

まるで自分をうつした鏡のように思えました。気持ちを共有できたことが本当に嬉しかった。母のことを誰にも話せなかった私にとって、目から鱗が落ちるような体験でした。

この経験から私は、依存症家族から相談を受けた際は、「家族会」に参加することを提案しています。

(続く)

【おおたわ史絵】総合内科専門医 法務省矯正局医師

内科医師の難関 総合内科専門医の資格を持ち、多くの患者の診療にあたる。近年では、少年院、刑務所受刑者たちの診療にも携わる数少ない日本のプリズンドクターである。テレビ出演や講演活動も行う。近著に薬物依存で亡くした母との経験を語る「母を捨てるということ」(朝日新聞出版)、塀の中の診察室での奮闘の日々を描いた「プリズン・ドクター」(新潮社)がある。

関連記事

コメント

コメントポリシー

投稿いただいたコメントは、編集スタッフが確認した上で掲載します。掲載したコメントはAddiction Reportの記事やサービスに転載、利用する場合があります。
コメントのタイトル・本文は編集スタッフの判断で修正したり、全部、または一部を非掲載とさせていただいたりする場合もあります。
次のようなコメントは非掲載、または削除します。

  • 記事との関係が認められない場合
  • 特定の個人、組織を誹謗中傷し、名誉を傷つける内容を含む場合
  • 第三者の著作権などを侵害する内容を含む場合
  • 特定の企業や団体、商品の宣伝、販売促進を主な目的とする場合
  • 事実に反した情報や誤解させる内容を書いている場合
  • 公序良俗、法令に反した内容の情報を含む場合
  • 個人情報を書き込んだ場合
  • メールアドレス、他サイトへのリンクがある場合
  • その他、編集スタッフが不適切と判断した場合

編集方針に同意する方のみ投稿ができます。以上、あらかじめ、ご了承ください。