Addiction Report (アディクションレポート)

「酒がやめられない」編集長と、「やめろと言えない」わたしの雑談トーク(7)どう飲むかは、どう生きるかなのだ

わかっていてもやめられない飲酒行動から、「自分をうまくコントロールしたい」気持ちと、「破天荒な生き方への憧れ」が見えてきました。

「酒がやめられない」編集長と、「やめろと言えない」わたしの雑談トーク(7)どう飲むかは、どう生きるかなのだ
深夜2時に作って食べたパスタ(岩永)

公開日:2024/07/19 02:00

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だらだらトーク

「お酒を減らしたい」Addiction Report編集長・岩永直子と、4年ほど前に「お酒をやめた」ライターの青山ゆみこ。お互いの生活や人生を振り返りながら、切実に「お酒との付きあい方」のヒントを探す雑談トーク連載7回目です。(まとめ:青山ゆみこ)

酒を飲むのは意思、欲望?

岩永 前にお話したみたいに、酒を飲むと頭がぼやけてしまうから、飲んでなければもうちょっと長い時間、原稿が書けたのに、ワインエキスパートの試験勉強ももっとできたのに、って思っちゃう。人生の残り時間を考えて、本当にこれでいいのかなっていうのは常にあるんですよ。

青山 不眠症に対処する意味では、頭をぼやかして飲む悪くないお酒もある。同時に、そうじゃない、自分から時間を奪っているように感じるお酒もあるんですね。

岩永 こうやって胃と十二指腸に潰瘍が8つもできて、ピロリ菌の検査結果を待ってる時でさえ、わたしは酒をやめようとしない。自分の飲酒欲求の強さを改めて感じて、自分の意思や理性で思い通りにできない部分があるというのは、結構怖い。自分をコントロールできてると感じてる時って、万能感とか自己効力感があるけど、自分なのに自分で決められないみたいな感じは、自分がちょっとダメって思っちゃう。いや、ダメというか、どう言葉で表現したらいいんだろう。

潰瘍を治すために薬を1ヶ月飲み続けていますが、その間もずっと酒は飲み続けています(岩永)

依存症は意思が弱いとかではありませんって発信しているにも関わらず、自分自身のことは、意思が弱いとか、コントロールできない人間だと、そういう批判的な目で見ている不思議があります。

青山 岩永さんの話を聞く度に、自分ががっつり飲んでた時のことをありありと思い出すなあ。冗談っぽく言っても、心底やめたかった。減らすだけでもよかった。もう少し良い飲み方をしたいと思ってるんだけど、そのことを人から言われると、反発してしまって、むしろ飲んでやるみたいな、意地になってた気がします。

岩永 そういうのありますね。

青山 なんで意地になるんだろ。

岩永 人にコントロールされることになっちゃうからじゃないですか。お医者さんの言うことも本当に聞かないですよね。学会発表なんかでもよくそういう議題が上がるんです。薬をきちんと飲まないとか、食事、生活習慣をコントロールしない患者について、コンプライアンスが悪いって、上から目線で言われる。そういうのを聞くと、患者の立場の一人としてはやってたまるかって気持ちになる。

無頼派? 村上春樹派?

岩永 横森理香さんの小説『ぼぎちん バブル純愛物語』は作家の白川道さんと付き合っていた当時、バブルの頃の話が、横森さん側の目線で書かれている作品で、最近、面白くて面白くて思わず一気読みしちゃった。白川さんは、かつては株の投資顧問で、有名なギャンブラーでもありました。彼のパートナーだった新潮社の名物編集者の中瀬ゆかりさんが、白川さんについて語る動画をついこないだ見たんです。

青山 白川さんは2015年に亡くなられたんですよね。

岩永 中瀬さんが豪胆で破天荒な白川さんに強く惹かれたことを話されていて、そういえばわたしも安定を求めない、破天荒な人に憧れる気持ちがどこかある。自分をコントロールしたい欲求がある一方で、コントロールするなんて小賢しいし、ちっちゃいつまんねえ人間だっていう思いもどっかにある。この無頼な人に憧れる気持ちが、コントロールできない自分をどこか肯定することを手伝っちゃってるのかもしれない。

青山 ちょっと破天荒な、破滅的な生き方をする人って、天才的で突出した才能を持っていて、作家だと、そういう人にしか描けない作品というものがありますよね。作品の中の光と闇みたいなものも含めて、その人の生き様そのものが文学になってるような。そういうものへの憧れ、わかる気がします。

同時に、わたしは若い頃から村上春樹のファンで、彼が描くストイックにこつこつ実直に生きる主人公や、エッセイで書かれているご自身の生活。毎日判で押したようなルーティンのなかで作品を生み出していることへの憧れもあるんです。一見、地味な生き方かもしれないけど、それって難しい、すごいことなんじゃないかと。

書き続ける、走り続ける、こつこつと……読み返す度に「自分はなんてダメなんだ」と落ち込みつつも憧れる、マイバイブル(青山)

岩永 白川さんのような特別な人たちは、そうしないと生きられない。こうやって頭で考えているような人間は、そっち側には入れないんだっていうことをわたしも重々承知なんです。そして、朝5時に起きて、毎日走って、1日に必ず何枚書くと決めて、本当にルーティンにしている人もすごいとは思う。その上でちょっと抵抗しちゃうけど、わたしが強く魅力感じてしまうのは、やっぱり壊れちゃってる側の人なんです。

青山 それはわかります。そっちのほうがおもしろそうだもん。

「飲まない」選択も冒険かもしれない

岩永 自分をコントロールしたい欲がある。一方で、このまま同じことを繰り返して、死んでいくのかなっていうのが、ちょっと寂しい気もする。もっと知らない世界を見てみたい、もっと違う世界に飛び込めたい……そういう欲が、人生が後半戦になって、だんだんと終わりが見えてきた頃から、特に強く思うようになってきた。そういう欲も、酒を飲む生活に影響しているのかな。

青山 このままじゃつまんない、というような?

岩永 すごく穏やかで、丁寧に人と関わって、それによって受け止めたものを、大切に愛でていく。そういうのってとても素敵なことだなって、頭では理解してるんだけど、想像もしてなかったことに強く揺さぶられるような思いを味わってみたいっていうのが、中年の危機なのかもしれないんですけど、そういう欲があります。ここを通り過ぎたら、もうちょっと落ち着くのかなって思ったりするんですけど。

青山 そういえば、わたしが小田嶋隆さんに実際にお会いしたのは、小田嶋さんがお酒をやめられた後なんです。たまたまお会いしてお話した時に、驚いたんです。ものすごく穏やかで、きちんとした方だったから。破天荒でどっか切れてて、新宿のゴールデン街じゃないと会わないような人だと思い込んでたのが、違った。お酒をやめた後に書かれたものを読むうちに、人生でいろんなものを失って、でもあんなに飲んできた人が、自分の人生の一部だったものを手放して生きるって、それはすごい冒険じゃないかと思うようになったんです。

白川さんみたいに、破天荒に最後まで生き続ける方もおられるし、でも一方、すごく激しいものを持っている人がそれを手放した時も、それを失い続けるということで激しさがあるんじゃないのかなと思っていて、わたしはそういうものにもすごく惹かれるんですよね。

岩永 確かに、自分の意思でやめたことについて、青山さんが「冒険」という言葉を使われましたけど、違う自分を発見していく面白みや喜びはあるんだろうと思います。それで自分が変わっていくことによって、違う自分に出会えるような喜びもあるんだろうなと思う。でも、酒を飲んだほうが楽ですよね。わたしのような簡単なほうがいい人は、安易に流れる。手っ取り早く、どうしてもそっちのほうを取っちゃうんだなあ。

人の気持ちは確率では動かない

青山 本当に言いたくないんですけど、正直な話、お酒をやめたほうが楽です。身体は楽だし、お金も使わないし。

岩永 皆さんそう言うんです。お酒をやめた人は今の人生のほうが全然いいよ、あなたもやめてみなよって、絶対に言う。

青山 これって体験なんです。派手な楽しさでは全然ない。なにかができたとか、充足感のある楽しさではない。ただ、自分の人生が変わったという変化の体験で、しかもあくまで個人的なことなんです。わたしが飲んできた理由も、やめた理由も、やめた後の実感も、わたしの体験。

だから、正論っていうのかな、健康のためにやめましょうなんて話はあんまり好きじゃないんです。ただ、あくまで自分として、やめた楽しさがあったことは伝えたいという気持ちです。

岩永 わたしはまだ、酒を介した人間関係とか、楽しさのほうが自分にとってメリットがあると思ってしまう。

青山 そうですよね。良いか悪いかでは語れなくて、お酒を飲むからこその楽しさもある。それも完全に同意します。

岩永 決定的に肝臓の数値がやばいとか、そういう問題が出てきたら手放すことによるメリットがあるのかもしれないけど、わたしは肝臓の数値もめちゃくちゃいいんですよ、この人、酒飲んでないのかっていうぐらい、良い。

青山 まじで、すごいな(笑)。わたしは40過ぎてから、健康診断の結果も典型的な感じでみるみる悪くなった。でも、数値で見せられなかったら、切迫感がなかった気がします。自分が懲りるのは自覚症状が出てきた、なにかに困った時だから。

岩永 例えば膵炎になったり、脳梗塞を起こしたり、取り返しのつかないことだってあり得ちゃうかもしれないから、数値の段階で手を打った方がいいという考えもあります。

でも生活習慣病だって、生活習慣を改めたとしても、それが効く人と効かない人がいる。高血圧の薬を飲んで、心筋梗塞とか脳血管疾患なんかのリスクを減らせるかもしれないけれど、それは確率の問題ですよね。なる人はなるし、ならない人はならない。なのに、治療を受けるか、自分にとって楽しみだった行動を抑制するかという人生の選択になっていく。

生活習慣や数値が悪いから、すぐさまなんとかしなくちゃいけないっていうのは、わたしは医療記者として疑問を持っているところがあるんです。危険の可能性が、自分を止めるかっていうと、それはすごい難しいんじゃないかな。

青山 例えば今、外に出たら、毒ガスが発生していて99パーセント危険だと言われたら外出を控えるけど、23パーセントでは、まあ、大丈夫じゃないと受け取るかもしれない。頭で理解することと、自分の行動を決める欲望って、どこか連動しないとも感じます。

岩永 人は遠い将来のリスクよりも、目の前の欲望に負けちゃう。負けても別に悪くないというか、それが楽しみで生きてるっていう、事実じゃないですかね。アリとキリギリスだと、夏に危機管理して食料を蓄えていたアリは冬に勝ち組になるけど、わたしはキリギリスなんで、なにも食べるものなくて死んじゃうんだろうな。

発達特性が関係する衝動性

岩永 素人判断で発達障害について語ってはいけないけれど、わたしはADHD気味なんですよ。部屋はすごく散らかっていて、片付けられない。同時にいろんな作業ができないし、衝動性も強くある。それが良いように働いてきた部分もあるけど、飲み食いの欲望に抗えない。飲んじゃえとか食べちゃえってなっちゃうのは、勢いみたいなもので、自分でもとめられないんです。

青山 そっかー、なるほどなあ。

岩永 深夜2時にパスタ食べちゃう。ダメじゃんって感じですけど。

我が家は散らかっているにもかかわらず、バイト先のスタッフや常連さん、ワインスクールの仲間たちが飲みに来る。この日はシェフと一緒にきた常連さんに店の名物の冷製パスタを作って出した

青山 よろしくないとわかってても、突き動かされるみたいな感じ?

岩永 「こういうのが自分だ」「これ食べずにいられるか」みたいに勢いで動いちゃうんですよ。翌朝は胃がもたれて後悔するんだけど。

青山 発達特性がある人で、例えばスナック菓子をずっと食べ続ける人がいますよね。コーラとか甘いものをひたすら飲んでしまうとか。そういう特性というか、衝動みたいなものがあるんですね。

岩永 お酒は理性を外して、その衝動性が全面に出てくるような助けになるというのは、別に発達特性があろうが、あるまいが、そうだと思うんですけど。わたしは「書く」と自分のことを客観視できるんです。青山さんと話したり、それがテキストになったものを読み返したりすると、改めて「あんまりよろしくないね」と実感させられます。こうやって振り返ることで、自分で「良くないな」ということが実感できる。

青山 時間差みたいなものもありますよね。落ち込んでる時はひりひりしちゃうけど、ちょっと冷静になって、言語化したもので、距離を置いて眺めることは悪くないのかもしれないですね。

(つづく)※連続3回更新、第3回は7月20日公開です

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