「酒がやめられない」編集長と、「やめろと言えない」わたしの雑談トーク(1)わたしたちは、なぜ「飲み始めた」のか。
「ごく当たり前に結構飲むようになった」という二人が飲み始めたきっかけは、新聞社の記者時代、アパレルのデザイン職時代と、それぞれの20代前半の職場環境にありました。
公開日:2024/06/10 02:06
連載名
だらだらトークアディクション専門メディアに関わりつつ、自身もまた「アルコール依存症の限りなく黒いグレーゾーンにいるのではないか」とも自問するAddiction Report編集長・岩永直子。
同じく、念入りな酒飲みだったけれど、3年ほど前に「お酒をやめた」というライターの青山ゆみこ。春に上梓した『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)の主要なテーマの一つも「アルコールとの関係性」でした。
やめたいわけではなく、できれば「適量を健康的に楽しく飲みたい」。
そんな超難問に解決策はあるのか?
お互いの生活や人生を振り返りながら、切実に「お酒との付きあい方」のヒントを探す雑談トーク連載を始めます。(まとめ:青山ゆみこ)
酒にびっちょり浸された職場環境
青山 今日は二日酔い、してないんですか?
岩永 ないです。今日はない。原稿の締切があるので飲めない。わたし、原稿書きとか取材中とか、仕事中は飲まないんですよ。頭が働かなくなるから。
青山 岩永さんの口から、「仕事しながら飲むことはないから大丈夫」ってフレーズを何度か聞いていて、実は驚いてたんですよ。アルコール依存症かどうかの判断基準みたいなものとして、「朝から飲まない」とか「仕事中に飲まない」とかあるでしょう。だから、ごく当たり前に「飲まないよね、仕事中は」って思ってたので、岩永さんのなかに「仕事中に飲む」って選択肢があったことに、実はすごくびっくりしてた。
岩永 わたしは記者人生の振り出しが読売新聞だったのですが、新聞記者って、新人時代なんかは支局という小さな場所で修業するんです。支局では夜9時を過ぎるくらいになると、ビールをプシュってあけて、飲みながら原稿を書いている先輩とか「デスク(記者の原稿を手直しする人)」が、結構いたんです。
名物記者なんて呼ばれる人が、日本酒を脇に置いて酔っ払いながら原稿を書いたりしていたという伝説をよく聞いていました。わたしの頃も、泊まり勤務とか夜勤になると、締め切り過ぎたら酒盛りするのが当たり前。泊まりっていうのは、夜中になにか事件が起きたら飛び出すために待機してるはずのに、結構ベロベロになるまで飲むっていうのが常態化してて。
青山 なんと……。
岩永 読売だけかもしれないけど、新聞記者の世界は酒にゆるいところがあったんですよね。支局から本社に異動してからも、最終版が上がってしまうと、ビール片手に原稿書いてる先輩たちをたくさん見てましたね。だから私が酒をたくさん飲み始めたのは新聞記者になってから。大学時代はそんなに飲まなくて、むしろ周りでたくさん飲む男子を止めてたりしたぐらいです。
青山 飲みながらも仕事ができてしまう新聞記者がいたような時代って、今から遠い感覚の気がするんですが。それは2000年くらいまでの話?
岩永 わたしは1998年入社なんです。11年目で医療部に異動したんですが、少なくとも、社会部にいた2008年頃まではそんな感じでした。
青山 結構最近ですね。昭和の遠い昔というわけではないんだなあ。
岩永 今、わたしが週末アルバイトで入ってるイタリアンレストランに、記者仲間が来てくれるんですけど、彼らはみんな本当によく飲む。体質的に飲めない人以外は、ガバガバ飲む人ばっかり。だからシェフは喜びますよ、「たくさん飲んでくれる人たちだな」って。
青山 いいお客さんだから(笑)。
岩永 経済的にもそれほどキュウキュウしてないし、飲みニケーションが盛んだった世代の人は、飲んで語り合うのが大事な人間関係づくりの時間なんですよね。今の若い人は確実にそういう状況が変わってきていて、家族と過ごす時間を大事にする若手が増えているから、ちょっと環境とか時代がなせるわけだっていうのもあるかも。青山さんはどうでした?
青山 雑誌編集者時代も、原稿を書いたりするときはお酒は飲まなかったですね。飲むと文章がなんだか夜中のポエムみたいな、あとから読むと恥ずかしいダメ原稿になるんですよ。だから夜中12時とか、どんなに遅くなっても、仕事が終わってからしか飲み始めない。飲むともう仕事できない。岩永さん、今は原稿を書くときは飲まないの?
岩永 飲みながら書いた記憶は、新人記者時代の支局の頃だけなんです。まだ若かったし、原稿が下手くそだから、飲んでいいものが書けないって気づいて。それからは、基本、仕事中には飲まないって決めました。そもそも酒は頭をちょっとぼやかしたくて飲むって感じなので。
一人でも誰かとでも、楽しく飲む酒は楽しい
岩永 青山さんは何歳ぐらいから飲むようになったんですか。
青山 大学生になってから。でも、実家暮らしで門限もあるから、「友達のところに泊まりに行く」と親にちょっと嘘ついて、友達と朝まで遊んだりする、たまの週末くらい。がっつり飲み始めたのは、働き出してからですね。社会人になると、「仕事で遅くなった」と親に言い訳できるから、門限があってないものになって。それからは「きちんと毎日飲める」ようになった。そういう意味では、「大人になって獲得した自由とともに、酒を得た」っていう感覚がありましたね。
岩永 わたしは就職と同時に実家を出て、誰の目も気にすることなく飲める状況になってしまったんです。
青山 それ、すごい幸せですよねえ。
岩永 そこで一人飲みも覚えちゃった。取材先である警察署が住んでいた家の近くで、その周りにある焼鳥屋さんとか、イタリアンレストランで一人飲みするようになったら、その楽しさに目覚めちゃった。でも酒量が決定的に多くなったのは、完全にストレスからなんですよ。わたしは医療を取材したくて新聞記者になったのに、10年間ずっと社会部にいて、ほとんどの期間、事件担当をやらされてて。それがすごくストレスで、夜回り前とかベロベロになるまで飲んで、ベロベロに飲んだ後に、ベロベロのまま警察官の家に行くとかやってたんで、今考えたらすごい失礼な……。そういう意味では仕事中に飲んでたな! 飲んでたってことが今判明しましたわー。事件担当のストレスを頭ぼやかしたかったんじゃないかな、わたし。そこからがすごい酒量がガッと増えたんだな。
青山 結構切ない話ですね。
岩永 ただ、やっぱりその前に支局の環境がありましたね。上司のデスクも支局長も大酒飲みで、その人たちが毎晩わたしを酒場に連れてってくれて、そこから酒飲みになった。それまではたしなむ程度ぐらいしか飲まなかったですもん。
青山 でも、それはつらくて飲んでるわけじゃなかったんですね。
岩永 そう、上司も豪快に飲むし、はははって楽しく飲んでた。なんかね、一人で飲むのと、そうやって誰かと飲むのとは、ちょっと違うような気もするんです。当時はまだ昭和な時代が濃厚に残ってたので、酒を飲むのはコミュニケーションという感覚がありましたね。新聞記者って、先輩に武勇伝とか失敗談を聞かせてもらいながら、新聞記者の流儀みたいなものを覚えていくところがあったんです。わたしはたまたま先輩たちからそういう話を聞くのがとっても好きで、楽しかったんですよ。先輩たちと手っ取り早く、砕けた感じで話せるし。楽しいから毎晩のように飲みに行ってた。
青山 話のネタも面白そうだし。
岩永 今の若い人って、そういうことをすごい嫌うらしいですね。「なぜ仕事終わってからもそんなに拘束されなくてはいけないんだ」って。だから、わたし自身は自分から若い人を誘うことは絶対しませんけれど、誘われるのはすごく嬉しくて、誘われたら断らないよって公言してました。あと、新聞記者って先輩が全部奢るっていうのが基本なんです。まだ給料が少ない若い時代にご馳走してもらえるのも嬉しくてついていくんです。わたしも先輩になったら、後輩に奢ってましたね。
青山 2000年頃の雑誌編集の世界も、似たような「奢り奢られの伝統」みたいなものがありましたね。わたしも先輩にはほんとよく飲ませてもらいました。今はどうかわからないけど。
飲むことに「飲まれていた」若い頃
岩永 初めて記憶を吸っ飛ばすまで飲んだのは、記者2年目なんですよ。パッと朝起きたら、自分が住んでるマンションの玄関に倒れてる。「あれ、鍵がない?」って思ったら、ドアに鍵がさしっぱなしになってて、もちろん覚えがない。記憶がなくなるまで飲むっていうのをやったのは、その頃からですね。
青山 何歳ぐらい?
岩永 25歳ぐらいですかね。
青山 思い出したんですけど、わたしは雑誌の編集をやる前、新卒でアパレルに4年半ほど勤めていて、最初営業部に配属されて、その後企画部に異動になって、入社2年目でたまたま服飾デザイン職に就いたんです。デザイナーって接待される側になることが多くて、繊維会社が生地を買ってほしいとか、商社が海外発注してほしいとか頼んでくる。まだ24とかそんな年齢なのに、立場上ちやほやされちゃうんですよね。でも、ちやほやされてるだけだってわかってなくて。
岩永 まだ若いし。
青山 バカだから、接待の場なのに「仕事」とか考えずに、遊びで飲みにいくときと同じ感覚で、吐くまで飲んじゃってたんです。若い女の子なのに飲みっぷりがいいっていうんで、おじさんたちもまた喜んで、いいお酒をご馳走してくれるんですよ。調子に乗って記憶がなくなるくらい飲んで、翌朝、二日酔いでしんどくて、うーうーってなってるところ、同席してた先輩たちから前夜の愚行を聞かされて、上司にもめちゃくちゃ怒られて……。
岩永 ほおお。
青山 自分で「飲める量」がまだよくわかってないというより、わたしはなぜか「飲むと、吐くよね」って信じ込んでいたんですよ。なんでだろう。だから、そもそも「吐くまで飲む行為がよろしくない」とは理解してない。上司に神妙な顔で「もう大人やろ」って呆れられたときに、初めて「そっか、飲んで吐くのはすごい恥ずかしいことなんだ」と知って、落ち込んだ。でも、反省が根本的にずれてたんじゃないかな。「量を飲むのがまずい」というより、「仕事とか、表向きの時は、泥酔しちゃいけないんだ」と。
わたしも学生時代から一人でも飲みに行く人だったので、自分の時間に関しては、どれだけ吐こうが記憶を飛ばそうが、「別に誰にも迷惑かけてない」という気持ちでした。仕事の人との場はそこそこで控えて、「お疲れ様でした!」って別れた足で、ソッコーで行きつけのバーで飲み直してました。ああ、好きなだけ飲めて幸せだ〜って。
「若い女性が飲む」と面白がられる風潮
岩永 わたしも仕事相手と飲むことってものすごく多いんですけれども、最初が事件担当だったでしょう。警察のおじさんも国税のおじさんも、検察のおじさんも、みんなよく飲むんですよ、本当に。
それこそストレスが溜まっていたからか分からないけど、わたしが最高潮に飲んだのは国税のおじさんと、2人で6本ワイン開けたりしてたとき。ウイスキーも1本、2本とか平気で。お互い泥酔してるから、昨日何を話したとか覚えてない。情報を取るために一緒に飲むのにね(笑)。もしかしたら相手の優しさかもしれないですけど「一緒に泥酔したね」って、どこか「恥を一緒に共有する」ことで、仲良くなっていってた気がします。そういうことも酒が増えていった背景かもしれないなあ。
青山さんがおっしゃったように、「若い女性が飲む」ことが、珍しがられたり、面白がられたり。そういう期待を相手から感じるから、こっちもよけいに「わたしよく飲むんですよ」みたいになっちゃう。女性ならではの、「酒飲むってすごいね」っておじさんに言われる、そういう感じありましたよね。
(つづく)
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コメント
若い頃、ランチで飲んだり夕方からオフィスで飲んだり、してたなぁ…偉い人の部屋の冷蔵庫にいいワインとチーズが入っていたりして。2000年代半ばのことです。
「きみ、いける口なんだって?」「いやぁ、そんなことないっすよ〜」みたいなおじさんたちとの一連の会話で、自分が認められたみたいに嬉しくなってた、当時のバカな自分を思い出しました…(赤面)
お2人の対談は読みやすくおもしろくて、まるで私も対談に参加しているような気持ちでした!
若い女性が飲むことが、珍しがられたり、面白がられたり、、、私もこれを体感し、新卒入社したメーカーでお酒を飲み始めました。目上の人と少し仲良くなれたような感覚や、先輩の話を聞くのは楽しかったです。でも、もともとお酒に弱いのもあり、酒が残る体で、深夜まで続く接待、夜の電話会議、終わらない仕事、出張や移動はきつかったなぁ、と思い出しました。
毎日手っ取り早くリラックスできるお酒と程よい距離を保つのは、今の現代社会誰しもが抱える悩みなのかなとも思いました。
お2人の対談がすっと私の中に入ってきて、私もそこに参加させていただいているかのような錯覚をおこしました!
若い女性が飲むことが、珍しがられたり、面白がられたり、、、私もこのことを身をもって知り、新卒で入社した会社で周りと仲良くなるためにお酒を飲みました。先輩の話を聞くのはとても楽しかったけれども、元々お酒に弱いのもあり、酒の席の多さ、深夜まで続く接待、終わらない仕事、出張や移動などをお酒が残る身体でこなすのはキツかったです。
今は投薬の関係でお酒を断っていますが、手っ取り早くリラックスでき、人と仲良くなるきっかけにもなるお酒とほどよい距離を保つのはなかなか難しいよな〜と思いました。
お二人の対談、しかも連載!嬉しいです。
2008年は、まだ飲むほどキャパが増えるという風潮でしたよね。
私は当時高校で、元々持っている分解酵素の差が酒の許容量に関係すると習いました。
「沢山飲んだってキャパは増えないんだぁ」と、晩酌後そのまま器用に椅子で寝てる父を眺めてしみじみ実感したのを覚えています(笑)。
依存の観点で言えば、「この位までは嗜みの範囲」→「コントロールが効かない」へ変化する部分にこそ、個人差がありますよね。
これからは、「飲酒のコントロール継続性にも個人差がある」と習うのが当たり前になるといいなぁと思っています。
めちゃ楽しい対談ですね!
飲みニケーション・・・これ今や死語ですかね(笑)
私はもっぱら生中専門でしたが、楽しかったな!
年齢重ねてからはストレスがかかったら「やってやれっか!」とプシューしてました。キッチンドリンカーだった時代もあったし。酒飲めない人は人生損って思ってた。
続きが楽しみです。
まさかの編集長?!と親近感がグッと上がる記事でした。
私の職場も飲みニケーションがっつりで、飲める私は重宝されました。
人間関係でずっと生きづらさを抱えながら生きてきた私が、誰にも気を遣わずに飲むだけで楽しく重宝される経験はたまらなったです。
お酒のお誘いを断ったり、行っても飲まないと『つまらない』と言われ。
別に構わんが、依存症の人が飲みたくなる気持ちを痛感しました。
アルコールの対談。私も働き出してからお酒を飲むようになった。いつの間にか、良い時も、嫌な時もお酒が必要になって、友達と飲みに行かない時は家で1人で飲んでました。
記憶がなくなるのは、当たり前の出来事になり、今日はほどほどにしようと思ってもお酒の量がコントロール出来ない事がありました。今思えばアルコール依存だったとわかるけど、その時は分からなかった。
ストレスと言って飲んでたなと。
凄く共感します。
続きが気になります。
なんという素敵なお二方の対談〜!!
続きがどうなってゆくのか、楽しみが増えました!
大好きなお二人の対談!朝からめっちゃテンション爆上がりです。
読みながら昔の記憶がバーっと蘇る。
大学時代から30歳手前で仕事をやめるまで、ほぼ毎日ほんとによく飲んだ。
お酒を飲むことがコミュニケーションだとされていた時代だった。
おっしゃる通り、若い女性がお酒を飲むことが面白がられた時代でもあった。
その期待に応えよう、と勝手に思いこんでいたふしもあった。
お酒で問題をおこす女性たちや、おじさんたちも結構いた。
今考えるとなかなか恐ろしい。よく無事に今までこれたなあ、とお二人のお話を読みながらブルっとする。
続きが楽しみ。