アディクションは抑圧から自分を解放する手段 シラフでクレイジーになれる方法を探して 倉田めばさんインタビュー(4)
薬をやめてから、ずっと抱えてきた性別への違和感が前面に出てきた倉田めばさん。性別適合の治療を受け始めて、心が解放されていきます。一方で、大阪ダルクやOD俱楽部でのピアサポートも始め、「回復者」がまだ苦しんでいることに気づいていきます。

公開日:2025/10/05 05:00
自助グループにつながり、薬をやめていたものの、幼い頃からずっと違和感を覚えてきた性別の問題と向き合うことになった倉田めばさん。
トランスによって解放され、薬物依存に苦しむ仲間たちのために薬物依存からの回復を目指すダルク創設などに動いていきます。
ロングインタビュー第4弾です。
(取材・文 岩永直子、ヘアメイク・一部撮影 赤坂真理)
性同一性障害と気づく
——40代の初めに自分は性同一性障害だと気づいたのですね。結構、遅くに気づいたのですね。
医療の現場で性同一性障害の治療が始まったのが1995年です。埼玉医科大学が性転換治療の臨床研究を倫理委員会に申請した。1997年に日本精神神経学会が「性同一性障害に関する診断と治療ガイドライン」を発表したのもその時期ですからね。
そのニュースを見て「やっぱり自分はそうだろうな」と思うところから始まっているんです。
だからと言って、それからすぐ病院には行かなかったけれど、女装クラブに行ったりなどはしていました。
——最初に女装した時、鏡に映る自分の姿はしっくり来たんですか?
「なんか最悪」とか思っていました。たぶん、女装する人に対する自分の差別感があったんですね。自分が女装するにもかかわらず、女装している人に対する嫌悪感があった。だから、そういったイメージが自分の中に張り付くことに非常に嫌悪感がありました。だから、やっと望みの自分になったという感じではありませんでした。

違和感は5歳ぐらいからありました。ただ、最初は休みの日に女装クラブに行って女装するとか、自分でメイクできるようになってからはパートタイムの女装で行くつもりだったんですよ。趣味の女装ですよね。
——当時のパートナーには隠していたんですか?
いえ、最初から話していて、彼女は化粧も教えてくれました。男性として生きて、パートタイムで女装をするだけだったら、そのままでも行けたと思います。でも、やはり女性ホルモンを入れるとなると、体の構造も変わるし、男性としての機能がやっぱり損なわれていく。
そのうち、女装後にメイクを落として男性に戻る時の失望感が強くなっていったのですね。
——これは自分じゃない、という感じですか?
男性の自分も自分なんだけど、どちらが自分が座り心地がいいかというと、女装してる時の自分の方が自分らしい気がする。それにだんだん気がついていったというか、気がつかざるを得ない感じでしたね。
それに、男性としての体が受け入れられなくなっていった。そうなると、やっぱり体を変えるしかないと思うようになりました。
トランスジェンダーも自分にとってはアディクション
——トランスが自分の心を救ったと話していましたが、具体的にはどんな気持ちになったのですか?
ホルモン剤を入れて、胸が膨らんできた時にすごい救われてね。それはもう、奇跡のような出来事でしたね。少しずつ膨らんで、2年ぐらいで止まるのですが、ずっと痛い。ちょっとブラジャーを触っただけでも、反応してしまうくらい痛いんです。
——膨らみ始めて、触ったり、風呂に入る時などに見たりとかしますよね。どんな感じでしたか?
なんでしょう。その時の自分の気持ちというのは、ほっとしたし、生きづらさじゃないけれど、5歳の頃から抱えていた重荷から解放された気がしました。
もう1つ言えば、薬物をやめて回復していくと、回復者として自助グループの色々な役割をこなしたり、あるいはダルクを創設して運営していったりするストレスがある。回復して、今度はいろんな社会の期待に沿おうとする。
結婚して、男性として、夫として、期待に沿おうとするそういうプレッシャーから、女装は自分を解放してくれたんです。今度はもう薬を使ってそこから逃れるわけにはいかないので。女装とホルモンが薬物の代わりになった。
だから、そういう意味で私にとってはトランスジェンダーもアディクションなんです。
回復は嘘っぱち
——トランスジェンダーがアディクションということですが、それは赤坂真理さんが表現する「安全に狂う」方法であったということですか?
そうです。自分が大阪ダルクを創設して運営しなくちゃいけないとか、結婚相手や家族に期待される自分を見せなければいけないプレッシャーから結果的に解放してくれる手段でした。
回復の姿は嘘っぱちだとわかっていましたから。
——嘘っぱちとは?薬をやめることは自分が望んだことでしたよね?
薬をやめても、何か気持ちいいわけでもいないし、やめたことで満足感があるわけでもない。ダルクでリーダーシップを取って、薬をやめ続けて、結婚して、世間から客観的に見た回復の理想の姿は、全て私にとっては虚像ということに気づいていました。
薬をやめたけれど、私はまた無理しているなと自覚していました。薬を使う前のあの頃と形は違うけれど、またあそこに戻っていっている感触がありました。
だから回復というのは嘘だと、回復というのは自分の首を絞めるものだと、その頃から思っていた。
——回復って、世間一般の常識とか、いい人生と思われているモデルケースみたいなものを自分に当てはめることになっちゃっているんですかね?
薬物依存者にとって、薬物の体験は非常に大事なことです。でも、すごい体験をしているにもかかわらず、診察室や回復施設、自助グループにたどり着いた時には言葉を失っている。回復した時の言葉も、回復のプログラムの中で自分が学んだ言葉しかないというのが不幸で悲しいことなのかもしれない。
依存症の人は、12ステップのプログラムを使って人生の精読をしているわけです。そんなに本を読まなくても、自分の人生を精読できるのは、依存症者の特権です。
でも、その中から得た言葉に今度は束縛されて、演じるようになっていく。回復のイメージをなぞるようになっていく。そしてそれが、プレッシャーになっていく。「回復に殺される」というのはそういうことです。
アディクションは抑圧から自分を解放する手段
——そんな回復の姿を演じる自分の息苦しさから解放してくれたのが、女装やトランスだったりしたのですね。
ミニスカートを履いて外歩いたら、アドレナリンが出るからね。
——トランスするとか女装するっていうのは、本来の自分が望んでいる自分に自分を近づけることなんですか?

従来のトランスジェンダーの文脈の中では、今度はそれが定番のストーリーになっている。そういうナラティブをみんな語るわけです。
でも、私に固有のものかもしれないけれど、それもあるけれども、トランスジェンダーとしての現象自体は、やっぱりアディクションだったということです。
アディクションっていうのを、私はあまりマイナスな言葉として捉えていないわけですよ。何かの必要性として捉えている。自分が捉われている状態とか、抑圧だとか、そういうものから解放されたい、自由になりたいと思った時に使う手段のように考えています。
——確かにアディクションという言葉をニュートラルに使っていますね。
みんなそうですよ。薬物にしろ、アルコールにしろ、抑圧から逃れるためにみんな使っている。
——でも薬物にしろ、アルコールにしろ、依存症になるまでやってしまうと、命の危険も起きてくるわけですね。だからこそ「安全に狂う方法」を手に入れることが必要になる。
命綱だったものが、ある時を境に自分の首を絞める綱に変わるということはよくある。
私の場合は、一度、薬に依存して、大変な状態になって、回復のプログラムををやった。だけど、やっぱりまた新たなストレスとか抑圧感にとらわれて来た時に、今度はどういう風に自由になっていくかという問題に直面しました。
新たなアディクションに向かうこともあるだろうし、もっと別のやり方、赤坂真理の『安全に狂う方法』と同じように、シラフでどうやってクレイジーになっていくかという話ですね。
——その一方で、大阪ダルクを創設して代表を務めていましたね。
今年の3月まで代表をしていました、一応今も関わっていますけれど。
表現活動も「安全に狂う」方法に
——そしてトランスの他、表現活動もシラフでクレイジーになっていく方法の一つになっていくわけですね。
性同一性障害と診断されて、私は声が低いことが気になっていたんです。講演や司会など、人前で喋るのが仕事なのに、女の格好をしているので低い声だから、声を出すのが非常にプレッシャーになってきた。
そこで相談したら、「甲状軟骨形成術」という声を高くする手術があると言われて、手術をしたんですね。
そうしたら、今まで窓が全開だったのが、3分の1ぐらいしか窓が開いてない状態で声を出すことになって、どれが自分のキーなのかわからなくなった。声を出すこと自体、戸惑ってできなくなっていました。
その時に、自分で詩を作って朗読する集まりに行きだしたんです。手術が終わって退院して10日ほど経った頃でした。自分で詩を書いて読んだら自分の声がわかるんじゃないかと突然閃きのように思い立って、詩の会に行くようになるんですけどね。
そうしたら、なんか面白くなって毎回行くようになって、そこでお題が出て、20分で詩を書いて朗読するようなことをやっているうちに声も自然に出るようになっていました。
——詩の創作と朗読も、抑圧から解放される手段の一つだったのですね。
21歳ぐらいまで詩を書いたり、演劇をかじったり、8ミリフィルムを作ったりしていました。
アートに関心はあったけれど、自分はできないとか、才能がないと思ってやめていたんですね。写真は表現というより、食っていく手段として始めただけで。だから、その声の手術の後くらいから、表現やアートをもう一度やってもいいんじゃないかと自然に思えた。
——じゃあ表現はアディクションのような手段ではなくて、ほんとに素直に自分の底から湧き上がる何かだったのですか?
私の表現の方法は、何かテーマを絞るというより、とりあえず人前に立ったり、書き始めているうちに、色々出てくることがたくさんあります。
だけど、表現を始めてみると、やはりアディクションや、トランスジェンダーについてのことだったということは結構ありますよ。あらかじめそれについて表現しようとする意図はあまりなくっても。
——でも、何かを和らげようとか、何かの代替とかではないのですね。
代替ではないです。自分はこれまでアーティストと名乗ったりすることができなかったのですが、できるようになっていきました。
——ここまでくると、薬物をやりたい気持ちはもうなくなっているんですか?
薬をやりたいという気持ちはないです。最後まで残ったのは自傷です。2年ぐらい前まで、まだ時々やろうかなと思っていました。
——今は、もう自然に薬物や事象ではない方法を見つけたのですかね?それこそ安全に狂う方法を。
そうです。やはり私にとってアートは安全に狂う方法の一つです。
——「狂う」ってどういう意味で使われていますか?
狂うというのは、これをやってはいけないとか、自分の中で押しとどめてるもの。
例えば、以前は、人前でダンスを踊ることができなかったのですが、今は普通にやっています。
全部、自分の中で鎧と言えば鎧だし、やっぱり今でも完全に鎧をなくしてるわけではないけれど、そういうものを外していくことが、パフォーマンスアートではできると思います。

——パフォーマンスアートはいつ頃から始めたのですか?
詩の朗読から2年くらい経ってからですね。昔、一緒に演劇をやっていた人がパフォーマンスアートの分野で有名な人だったんです。彼と再会して、ちょっとやってみようと思って、やり始めました。2010年が初舞台です。はっきり覚えています。やり方もわからず、舞台にただ立っていた。
——鎧をつけることは、誰でも当たり前にやっていると思いますし、社会の中で生きていてしょっちゅう外していたら、傷ついて大変なことになってしまうと思います。それでも時折、こんなふうにパフォーマンスで自分を曝け出すことはどんな意味を持つのでしょう?
終わった後の満足感が半端なく違うんです。それはもう、薬をやるとかそういうレベルではない。自分の出番前は、「逃げ出したい」といつも思っているし、泣きたい気分です。でも終わった後は、うまくいこうがうまくいかなかろうが、私の中でいつも解放感とカタルシスが訪れる。言葉も降りてくる。
若者のODと大人の盗撮は似ていると、ある依存症を専門にやっている先生とお話ししていました。社会や職場、家庭の期待に応えて役割を演じている。でもそこで追い詰められて、出口がない時に、気がついたら盗撮していたみたいな話です。
放っておけば、私たちもそっちの方に行く可能性はあると思います。私の場合は、薬を使えばいいのでしょうけれど、今は薬が使えなくなっていますし。
——それで、「安全に狂う方法」の一つがパフォーマンスアートなんですね。
そう。シラフでクレイジーになるためにやったんです。パフォーマンスで壊れる。
「安全に壊れる」も全く一緒で、パフォーマンスアートの中で、いい具合に壊れていく自分が少しずつ出てくるわけです。
——表現を続けていると、日常生活にも影響は出てくるのですか?
それは変わる。例えば講演をするときに、初めは何を話すか事細かく準備する。でもパフォーマンスでそれをやると、つまらなくなるんです。だからアウトラインだけ作って、あとはもう適当に。そうなると、出たとこ勝負に強くなる。即興感覚が養われる。日常生活でも、なんとかなるやろ、みたいな感じになっていきます。
——それは、めばさんが悩まされてきた社交不安障害にも効きそうですね。
明らかに効くと思います。
O D倶楽部を作った理由
——めばさんは、市販薬のオーバードーズをする人の自助グループ「OD倶楽部」も主宰していましたね。あれはどうして作ったのですか?
少しずつ市販薬のODのことが話題になり始めた頃、若い女性が相談に来ても、刑務所から繋がってくる覚醒剤の中高年男性のミーティングに違和感しかない感じだったんですね。
「じゃあここ行きなよ」という場がないなと思ったし、ODのピアサポートってどんなものだろう?見たこともないなと思って、やってみようと思ったんです。
でも対面だとあまり来ない。参加者は一人から3人ぐらいまでで、0人の時もありました。
1ヶ月ぐらい経った5、6回目でオンラインも加えたハイブリッドにして、だんだん参加者が増えてきました。今年に入ってからは、15人とか17人とかそれぐらいに増えました。
最初は人数少ないし時間があるから、私がコメントを出していましたが、できるだけ言いっぱなし、聞きっぱなしに自然になってきましたね。
口を挟まないから、死にたいと言う人もいるし、病院を出たら自殺するという人もいる。10代から80代まで参加していますが、中核は30代、40代。救急車で搬送されるような量をODしている人ばかりでなく、ほろ酔い状態に抑えている人や、常用量を飲み続けている人もいます。本当に人それぞれです。
今のODの問題は10代、20代の女性だと言われていて、その世代が来やすいようなOD倶楽部であるべきなんじゃないか思っていたころもありました。10代、20代の人たちが来やすい場を、数ヶ月前までは思い描いていたのですが、今のOD倶楽部とは別個に作ればいいと思っています。私はその世代の人間でもないし。
——覚醒剤と市販薬ODの使用者像は明らかに違うのですか?
薬の種類としても全く別ものだし、今自分が置かれている苦しみから逃れたいからやるという意味でODは最強のものなのだろうと思います。快感もあるけれど、どちらかといえば苦しみから逃れるために使う割合の方が強いのではないか。大麻と比べたら一目瞭然です。
——大麻にもそういう人はいますけれども。
結構いますが、自身の気持ちよさや「飛び感」が欲しくてやる人も大麻は多いです。
——めばさんは、市販薬のODを「一時停止」と表現されていますね。
そうです。一時停止したい気持ちは、アルコールにもあるし、覚せい剤にもあるけれども、それをちゃんとキメてくれるのがOD。人生を一時停止させるボタンを確実に機能させてくれるのがODだと思います。
苦しんでいる「回復者」と一緒に考えたい
——これから新たにやりたいことはありますか?
私のところに相談に来るのは、薬を長くやめている人や、自助グループに通って、仕事にもついて、ちゃんとお金も稼いで、家庭守っているような人です。でもそのいわゆる「回復者」がいかに苦しんでいるかはあまり知られていない。
それが回復に殺されるということだし、回復に本当は絶望してるのに、絶望してると言ってはいけないと思っている仲間が実はすごく多い。
そういう相談を受ける時には、「回復にちゃんと絶望しなさい」と伝えています。
——我々も結構、「回復を応援する」と書いているので、簡単に書いてしまうのを反省しました。
それは、ビギナーの回復を支援してる人たちが、回復に殺されそうになってるわけです。ビギナーの回復のモデルでいなければならないと考えて、「回復者なんだから道端に落ちているゴミは拾わなくちゃならない」とか、そんな「良き回復者」を演じてしまう。そんな時、私はわざとゴミを捨てますよ(笑)。そういう道徳的な問題じゃないんです。
そんな風に、一定期間、薬物をやめている人は、世間に求められていると思い込んでいる回復者像に首を絞められていく。その人たちには別の何かが必要です。そういう人たちに何が必要なのかと考えなければいけない。
みんなそういう風に実はなっているのだとしたら、あるいはなっていても気づかないふりをして回復の仮面を被っているのであれば、それを外さないとやっぱり解放されないわけです。それこそ安全に狂う方法が必要なんですよ。
——社会に生きていると誰もが仮面をつけています。よほど親しい相手でなければ、素の自分はなかなか見せないですよね。そういう意味で仮面をつけることが別に悪いことではないですよね。
仮面を被ることは普通に処世術としてやれると思いますが。アディクトはそういう自分が許せない人種だと思います。
——ある意味、正直だったり、素直だったりするのでしょうか?
そうだと思います。そういう意味ではアディクトはピュアなんです。子供のようなところがある。
——逆に、仮面をうまくつけすぎるようになって、それをつけたまま死んでいくのは、すごく怖いような気もします。自分を出さないまま、無難に表面的に人付き合いして死んでいく。
それは無理なんじゃないかな。アディクトは10年やめても、20年やめても、再飲酒したり、薬を再使用したりする。自分はこのままではダメだと絶望感に襲われるようにプログラムができてるのかもしれません。
それはそんな深刻に考えないでいいじゃんと、通り過ぎることもできる。適当に薬や酒を飲みながら生きてる人たちはそんな風にはならない。だからといって、酒を飲んだり、ちょっと薬をやる勇気はない。怖いです。
そこで、そんな恐れから解放されるにはどうしたらいいかを今後は考えていきたい。
薬はやめて、酒も飲む必要もない。そんな危険を犯す必要はない。でもやっぱりしんどいのであれば、そんな回復の副作用のようなものから自由になってハッピーになれることを、みんなで一緒に考えていけたらいいよねと、相談に乗る。私にできることはそういうことなのかなと思います。
(終わり)
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