Addiction Report (アディクションレポート)

誰のために、何のために書くのか? 他者からの評価に振り回されないために アディクト対談(6)

作家の赤坂真理さんがアディクションについて考察した『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』。この本に救われたと語る雨宮処凛さんとの対談の最終回は、他者からの評価に追い込まれながらも、自分は何のために書くのか語り合います。

誰のために、何のために書くのか? 他者からの評価に振り回されないために アディクト対談(6)
赤坂真理さん(左)と雨宮処凛さん(右)(撮影・後藤勝)

公開日:2024/10/22 08:00

関連するタグ

作家の赤坂真理さんがアディクションについて考察した『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』(医学書院)。

この本に救われたと語る作家で活動家の雨宮処凛さんとの対談の最終回、第6弾は、他者からの評価に追い込まれる経験をしながらも、自分は何のために書くのか、語り合います。

賞を獲ることへの固執

赤坂 (賞獲得のプレッシャーもあって自殺した)作家の見沢知廉さんは、小説でなければ生きられたのかな?

雨宮 小説以外にエッセイの連載もいっぱい書いていたので、小説で絶対賞を取るというプレッシャーがなければ生きられたと思うんですよ。

赤坂 前にも言ったように、見沢さんがおかしくなったのは、小説由来のところと、それ以前からの理由があると思います。特に、殺人はフラッシュバックを起こしたりしたのではないかな。ただ、小説は内面と差し向かいになりやすいのと、賞という要素は、心をかき乱されやすいですね。それが拍車をかけたっていうのはあると思う。

雨宮 そこに巻き込まれるとおかしくなるじゃないですか。

赤坂 はい、おかしくなりましたね。今思うと、「一番」を意識する心は、アディクション(執着)を最も起こしやすいんじゃないかと。そしてベストでなければ意味がない、みたいな思考になりやすい。実際多くのアディクションは、一番になりたくてそれに挫折することから始まる。それに賞は、がんばればいいってものでもなく、他者の評価による。むずかしいなあ。

雨宮 赤坂さんもそうなんですか?芥川賞?

赤坂 芥川賞ですね。二度候補になって、それから芥川賞を諦めたところもあります。暗黙の規定枚数に合わせて書けないとか、それに合わせて書こうとすると何かが死んでしまった。でもそれができる人もいますし、淡々としていられる人もいますし、たまたま合致する人もいます。

雨宮 それは病みますよね。

赤坂 自分の中で何かが死ぬぐらいなら、やめようと思いました。

雨宮 それは良かったですよね。賞に固執すると狂いますよね。

赤坂 でも執着ってなかなかコントロールできないんですよ。固執って、しちゃうもので、意志じゃない。だからアディクションもむずかしい病なんじゃないかな。

ついてしまったイメージに自縄自縛され

赤坂 アディクトの俳優、橋爪遼さんって知ってます?橋爪功さんの息子さんなんだけど、お父さんの名前を汚さないようにと子供の頃から言われ続けたのと、人気商売が苦しくて、薬物アディクションになったと言ってました。

雨宮 赤坂さんこそそうじゃないですか。しかもイメージがあるし。危ういキャラでいなければいけないとか、自縄自縛になるようなことはありませんでしたか?

赤坂 危ういキャラでいなければと思ったことはないです。ただナチュラルに危うかっただけ(笑)。私の自然として、危うかったし不安定だった。それは資質で、変えられない。いい悪いでもなく、不安定だからできることもあるけど、生きにくいは生きにくい。

ただ、そんな自分を取り扱う「方法」は、ある。それを知らなかった。私は、今の方が、狂ってるけど、病んでない。クレイジーだけど正気。それは安全に狂えたからです。その方法を書いたのが『安全に狂う方法』。

ただ、作家には、自分の作風と自分が区別つかなくなるような人がいるとは思う。俳優が役と自分の区別がつかなくなって侵食されるのと似てる。太宰なんかそのタイプなのかも。中上健次なんかも。逆に、公表の経歴がフィクションだったという作家もいて、「全身小説家」と評された井上光晴。晩年にドキュメンタリー映画で、経歴が作家の嘘だったと暴かれます。

私的な出来事は大したことないと感じられて、経歴を創作するんじゃないかしら。私なんかはどっちかっていうとこっちの方が理解できる。

雨宮 なるほど。

赤坂 小説って演技に似ているところがある。そこが収入とか名誉と関わってくると危ないことになるんだよね。狂うのは狂うで別にやったほうがいい。狂ったことを書きたければ書いてもいいけれど、自分の中の病んだ狂ったパワーをなんとかしようと思って小説を書くのはすごく難しい。小説にしてもいいんだけど、それで賞を取ろうとか。

雨宮 狂ったことで社会的地位を得ようとしても無理だと。

赤坂 無理というか、そこにこだわるとすごく難しいと思う。あと、個人の傷は、社会的賞賛でカバーされたりしない。社会的に成功すれば治るって思ってる人いるんだけど。

私も思っていたふしがあるけれど。

雨宮 狂ったキャラを作るとずっと狂い続けなくちゃいけなくなるから。

赤坂 そこと社会性や経済活動を結びつけようとするのはむずかしいですね。変われなくもなってしまう。そのイメージが資産だと思ってるから。あと「小説が書きたいんだけど書けません」という相談をよく受けるけど、80%ぐらいは「お金になりません」、と言っている。書くことはできるわけでしょう。それと評価は関係ない。それがお金になるかならないかは他人の問題だから、そこは気にしてもしょうがない。

狂わないようにするために、自分と距離を置く

赤坂 坂口恭平の本を読んで救われたことがあって、「作家であることは、書き続けることである」と。作品を書くことと評価とを切り離せば、書くことは、できる。生前、ゴッホは評価されませんでした。ならゴッホの絵は芸術じゃないんですか?と言えば、そうではないでしょう?

雨宮 でもきついですよね。ずっとド貧乏で、死後いくら評価されても。

赤坂 ゴッホは描くこと自体に喜びがあったのではと思う。どのみち他者の評価は、自分にコントロールできることではなくて、自分がやりたければやればいい。でもただ「やりたい」って言ってるだけのケースも多い。

坂口恭平の本『生き延びるための事務』には、イマジナリーな(想像上の)キャラクターのジムという存在が出てきて、坂口恭平本人を助けてくれる。「やりたい」という漠然とした希望ではなく、「それをやるには何をしたらよいか」を具体的な段取りとして、小さなステップにして出してくれる。本人は、それに則って小さな行動を積み上げていくだけ。自分のイマジナリーキャラクターが自分を助けてくれる。多重人格(解離性同一性障害)の具現化みたいでもあるキャラクターなんだけど。

演劇にはよくこういう手法がありますね。かたちのない「概念」を具現する存在がいたりする。演劇を使ったゲシュタルトセラピーもそういうことするんだけど、もとは坂口さんの持っていたある種の精神症状の産物ではないかと思います。それのポジティブ運用ではないかと。

あ、「べてるの家」の<当事者研究>もこんな感じですね。統合失調症当事者が、自分の幻聴を「幻聴さん」と名づけてそれと対話したりする。そうすると、否定的や破壊的なことを言っていた幻聴が、本人を助けるようなことを言ったりする。

雨宮 坂口さんは、それをうまくやって、生き延びる方向にいってますよね。演じることも。

赤坂 坂口恭平も大変だったと思います。すごい躁鬱で。鬱の時の死にたさのことも以前書いていたけれど、すごかった。あそこに落ち着くまでに死んでいないのが不思議くらい。幸運ですね。でも坂口恭平も「治そう」と思うことはやめたんだって。「坂口恭平を操縦しよう」と思ってから、今のようになった。だから自分に対してちょっと客観的なんだよね。自分操縦のような、リモート操縦のような感じ。

だから病まないようにするには、ちょっと距離を取ることと、何らかの方法を考え出す必要があるのだと思う。私は瞑想を発見し、他の表現技法も発見した。あと坂口恭平の言う「自分操縦感」は自分にもあってわかる。なんにせよ、彼にも具体的な「方法」「自分への処方箋」があった。

心をコントロールするために必要な「方法」

雨宮 『安全に狂う方法』を読んで思考の捉われはだいぶん良くなりました。その前からやってきたこととしては、自分の中の重くて面倒な感情を猫に受け止めてもらって軟着陸させています。また、自分にこだわりすぎないようにあえて社会的な問題に目を向けたら、健康になった。自分が無力ではないと思えたんですね。社会的な運動をすると少しは事態が動くこともあるじゃないですか。それが自分にとっては良かった。

無力ではない。生きる価値がないわけではないと思えて、それによって生きてこられたのかなと思います。あとは見沢知廉が狂い死にしたのを間近に見たのも、大きかった。

赤坂 私は自助グループ的なもので「創造性の回復プログラム」というのをやっていたことがあるんだけど、その中の問いに、「アーティストはみんなおかしくなって死ぬという思い込みがないですか?」というのがありました。そういう思い込みを外していきましょうと。そして思い込みに働きかけるワークがある。

雨宮 ああ、そのプログラム、見沢さんに受けさせたかった。元気な時から見沢さんは、「作家の理想の死に方は野垂れ死なんだ」と言っていたんです。それに捉われてしまった可能性もあるし、20代前半で刑務所に入ったので、社会的常識がないから税金納めることを知らなくて、本がすごく売れたのに全部使っちゃったんですよ。そして経済的にすごく困窮した。それも大きかったんです。

赤坂 その社会的常識がわからないという気持ちはわかる。

雨宮 社会性のある作家なんていないんですよ。

赤坂 (笑)社会性ある作家もいるとは思うんだけど。私がひとつ本の中で書いたのは、人間の心を扱うにはなんらかの方法が必要だということ。それなしに生きるのはかなり難しい。丸腰で生きるのは難しい。ごく普通に、難しい。

本を書くのは自分のため?人のため?

赤坂 あとはこの本を書いたのは自分のためではない。

雨宮 え?自分と同じように苦しむ人のため?

赤坂 こう言うと一見いい人のようなんだけど、自分の評価とか地位とか賞とか意識して書くと頭おかしくなりやすかったんですよ。なので、どちらかというと人のため。そうするのが自分のためでもあるという。純粋に自分のためだったら書きたくないですよ。私は人を殺すか自殺するかまで思いました、なんて恥さらしだし。でも人の心のいちばん突き詰めたところが、出ているところだから、文学的主題だとは思うし、書く価値はあると思うんですよね。そういう届け方は、しようとしてる。

雨宮 へええ〜そうなんだ!私は貧困問題とか社会的な活動をして、よく「人のためですよね」と言われるのですが、全部自分のためです。自分が死なない情報を得るため。それが人の役に立つこともあるかもしれませんが、結局は自分のためです。逆な感じが面白いですね。

赤坂 逆でもないと思う。私の言葉は、私と世界の間にある、って感じがするんです。一方、小説は「私」に属するって感じがしていました。

占星術で、一人面白いことを言った人がいて、月は従来、才能を表すと言われてきたが、月は欠損なんだよと。私の月星座は双子座で、知性、コミュニケーション、情報伝達、文筆、そんなことを表すので、ぴったりと言う人が多かったのですが、その占星術家によれば、そこに欠損がある。それは欠損であるけれど、自分のためには使えない力、でも人のために使うと決めた時にその才能が使えると言うのです。このことは何か響いた。そして見方を変えると、欠損ほど起点になるものはないんです。

自分にあることは、万人にもある

赤坂 それでも、転機がいくつかありました。話す仕事をすることが近年多いのですが、私は知性というか知識がないのがコンプレックスで。

雨宮 え?なんでですか?

赤坂 例えば調べ物とかがすごく苦手だし、調べても調べても自分の中に積み重なっていかないことがあるんですよ。ある種の識字障害かとも思う。読むのがむずかしい。

でも書ける。それをバレないようにすごく頑張っているわけ。バレないように頭の中で冷や汗をかいている。

野口冨士男というあまり一般に知られていない作家の講演をすることがありました。その作家のゆかりの土地が主催で。そこにに行って、どうか私に知性のないことがバレませんようにと祈りながら、何夜づけかで臨もうとしたわけです。

観客は近所の老人が多かった。この人たちは私のファンでもないし、野口冨士男のファンでもないと思う、それが何を求めて休みの日を使って来るんだろうと思って、文学がこの人たちの暮らしに役立てばいいなと思って話しました。、そうしたら、すごく何かが届いて、感謝をされたのです。観客にも主催者にも。ああ、こういうやり方があるんだとそのとき思ったんです。

人のためでもないんだけど、聞く人に幸せになってほしいなという気持ちで話したら、よかった。それと同じで、自分にあることは、もしかしたら万人にもある、というのが直感としてあって、自分がよくなったことを使ってもらえたらいいのかなという気持ちです。人のためというのともちょっと違うんだけど。人類苦しんでいるから、何かできればなという思いはある。

(自身の解決法を書いたとしても、マニュアルを示す本ではないですね。読んだ人も自分の方法を探さないといけないわけですが)

雨宮 ただ全員の処方箋的なものというか、ヒントのようなものがある。万人につながる。

赤坂 その「方法」をやってみて何が起こるかはあなたにだけわかる、という書き方をしています。

(少なくとも雨宮さんには効いた)

雨宮 私はこれで治りました、って宣伝みたいですけれど、薬機法に引っかかりそうですが(笑)

赤坂 よかった。

自分も「無敵の人」になっていたかもしれない

(対談してみていかがでしたか?)

雨宮 新しい発見がたくさんありました。

赤坂 何が新しかった?

雨宮 芥川賞の話とか、やっぱりそうなんだなと思いました。

(賞をそんなに欲しい時があったのだなというのは意外でした。他人の評価は気にしない方に見えていたので)

雨宮 小説だと編集者とか周りがすごく煽るんですよね。恐ろしいことですよ。

赤坂 あからさまに傾向と対策をやらせる編集者もいるにはいますね。「この枚数のものを書きましょう」とかね。それに乗っていける人もいるんだけど、ダメな人もいる。そこで自分がダメな方に入るとは思っていなかったので、そうか、ダメ組かと思っちゃった(笑)。

例えば賞があったら、とれる方じゃないかと思っていたのですが、外側が思い通りにならないばかりか「自分で自分は思い通りにならない」。思い通りの自分にしよう、自分になろうとするところに、苦しみは発生し、アディクションも発生する感じがします。

雨宮 今回の本は「文学者・赤坂真理の軌跡」のように読んだので、文学の苦しみも垣間見ることができました。

赤坂さん、「黒子のバスケ脅迫事件(※)」の犯人の気持ちがわかると書いていましたけど、私も「無敵の人(※)」の心理はわかるところがあります。

※漫画『黒子のバスケ』の作者に嫉妬を抱き、関係箇所に不審物を置いたり、脅迫状を送ったりするなどした一連の脅迫事件。

※失うものが何もないため、犯罪を犯すことにためらいがなくなる人。

赤坂 あの犯人は、自分がなりたくてなれないものを体現している人に出会ったとき、自分の人生が無意味だと感じてしまった。こういうことは多くの人にある。そこで自暴自棄になって凶行のようなことに走ってしまうことには、他の条件が重なってのことですね。そこで失うものが何もないと同時に、自分を支えてくれるものも何もないと感じるのが「無敵の人」。

雨宮 作家の人は作家になっていなかったら犯罪者になっていた、みたいな人がいっぱいいるじゃないですか。

赤坂 そう公言する人もいますよね。芸術家には多いとも言われますよね。

雨宮 自分自身も今の仕事をしていなかったら、無敵の人になっていた可能性は十分あると思います。

赤坂 そして猫がいなかったら。

雨宮 世を恨んだロスジェネで、フリーターで、生活が苦しければ猫を飼えないので、ちょっとした不運が重なったら、黒子のバスケの犯人のようになった可能性があると思いますね。

赤坂 私はホームレスも他人事に思えないところがある。

雨宮 それもあってホームレス問題に関わっているところがあります。

(赤坂さんは雨宮さんと対談してみていかがでしたか?)

赤坂 自分からハマるのではなく、向こうからやってきて頭にこびりついて離れないネットの言葉のようなものも「アディクション」とわかってくださったのがうれしかった。そこは伝えたかったところです。「とらわれ」がアディクションの本体で、アルコールや薬物やギャンブルといった行為は二次症状だと思うので。私の本でとらわれから解放されたのだったら、こんなにうれしいことはありません。あと、小説をめぐる病みやすさを言ってもらってすごく楽になった。

雨宮 この本を読んでまず思ったことがそれです。殺すか自分が死ぬかまで追い詰められた人間関係も、作家でなかったらそこまで煮詰まらないんじゃないかな。作家は常に矢印が自分と近しい人に向きがちな職業じゃないですか。もし赤坂さんが肉体労働とかをしていたら、そんなことにはなっていないと思うんですよ。

自分の感情に常に向き合う仕事って、本当にきついと思います。それを24時間、365日やっているのは、結構やばいよなと思います。

赤坂 四六時中、心のことを考えるのは、たぶん健康なことではないですよね。心を扱う職にはそれへの心のケアが必要、というのはこのごろよく言われるんですが、小説家もそうではないかと今思っています。作家でも自分と遠いテーマを書ける人もいるわけですが、体質のようなもので、私はそれはできなかった。私はすごく近いことを書くタチだったので、素材の80%ぐらいが使えなかったりする。あまりに近い人を傷つけてしまいそうで。だからすぐ「ネタがありません」となるわけ。あるんだけど、ない。そういう辛さはありましたね。取材して書けるのはいいなそうしようかな。

雨宮 自分の実存と関係ないことを取材するのは、精神的にすごく楽です。

赤坂 いい言葉だ。自分の実存と関係ないこと。取材対象はどうやって決めるんですか?

雨宮 なんとなくその時のテーマごとに、貧困の問題だったりロスジェネだったり。

赤坂 自分のためにも取材していた。

雨宮 そうです。

赤坂 ジャンルのキワにあるようなスタイルだと思うんだけど。賞とかが発生しにくいところですね。実は私もそこがいちばん得意で好きかなと思う。

雨宮 そうですね。見沢さんの姿を見て、賞にこだわらないことが私を支えていると思います。人の死で賞にこだわる危険性を突きつけられた。この欲望を持っていたら死ぬと思いました。

プレッシャーをケアする必要性

(賞は、他者評価なんですかね)

赤坂 なんだろうね。権威?

雨宮 権威ですよね。親も喜ぶ。地元の新聞に載る。人の欲望なんて際限がないから、書き手もあらゆることを望もうと思えば望めてしまう。上を見ればキリがない。

(作家とか芸術家はそういう世間の評価から離れているのかも思っていました)

赤坂 そんなことないよ。

雨宮 巻き込まれない人もいるだろうけど、周りが言うからじゃないですか?

赤坂 ああいうのはメンタルケア付きじゃないと。スポーツ選手と同じだよね。

雨宮 アスリートみたいに、プレッシャーに対するケアがないとどんどん病んでいくしかない。

赤坂 この間、喫煙でパリ・オリンピックに出場できなかった選手(※)もすごくかわいそうだった。プレッシャーでやっていたのだろうと思います。ストレスコーピング(ストレスへの対処)という考え方が体操界にはないんだと驚きました。

※体操女子の日本代表、宮田笙子さんが19歳でタバコや酒をやっていたとして出場を辞退。本人は「数々のプレッシャーがあり、そうした行為に及んでしまった」と話していた。

赤坂 作家は作家でそのストレスそのものを書いてしまう。それがまた周りを傷つけることもあって、ストレスになる。

雨宮 作家を苦しめたり、より追い詰めたりした方が書ける、という考え方の編集者はたくさんいそうです。文学界のそういうあり方って古いなと思います。

赤坂 私は、何度も書き直しを命じられるよりも、アイデアに対して反応がないとか、アイデアを即座に却下する担当者などの方が、つらい。しかし、そもそもフィクションって、人間にとってなんなのか? 何を書いていようが「小説は書かないんですか?」ときかれることがあります。その人たちがそんなに小説が好きかって言ったら疑問なのに、無意識の序列がある気がする。無意識だからこそ強い。自分がその考えにとらわれるのも「アディクション」なんだけど、アディクションを起こしやすい人は、そういうのに敏感で、反応しやすいんじゃないかと思う。自分がそうでしたね。アディクションって他の何より「考え」に対して起こすのが強いんだけど、そこ見過ごされがちですね。それで『安全に狂う方法』みたいな本を書いたわけです。「小説は書かないんですか?」は、言われないですか?

雨宮 私は逆に小説を書いていたことを知っている人が少ないので。

赤坂 小説のテーマはなんだったのですか? 今で言う「推し活」を実体験から小説にした『バンギャル・ア・ゴーゴー』は好きで、楽しく読みました。

雨宮 やっぱり実存系ですね。生きづらいとか。突き詰めれば死ぬしかない。ちょうど私が小説を書いているときに見沢さんが死んで、本当に危ないんだなと思いました。

赤坂 自意識そのものと向き合っちゃう感じだから。確かに小説家でなければこんなにこじれなかったのかもしれないというところはある。小説書いててよかったとも思うけれど。そこをわかってもらえてすごく嬉しかった。

雨宮 本当ですか?こちらこそ嬉しいです。ありがとうございました。

(終わり)

訂正:作家の中上健次の漢字を間違えました。訂正してお詫び申し上げます。

関連記事

赤坂真理さん、雨宮処凛さんアディクト対談

コメント

コメントポリシー

投稿いただいたコメントは、編集スタッフが確認した上で掲載します。掲載したコメントはAddiction Reportの記事やサービスに転載、利用する場合があります。
コメントのタイトル・本文は編集スタッフの判断で修正したり、全部、または一部を非掲載とさせていただいたりする場合もあります。
次のようなコメントは非掲載、または削除します。

  • 記事との関係が認められない場合
  • 特定の個人、組織を誹謗中傷し、名誉を傷つける内容を含む場合
  • 第三者の著作権などを侵害する内容を含む場合
  • 特定の企業や団体、商品の宣伝、販売促進を主な目的とする場合
  • 事実に反した情報や誤解させる内容を書いている場合
  • 公序良俗、法令に反した内容の情報を含む場合
  • 個人情報を書き込んだ場合
  • メールアドレス、他サイトへのリンクがある場合
  • その他、編集スタッフが不適切と判断した場合

編集方針に同意する方のみ投稿ができます。以上、あらかじめ、ご了承ください。