借金膨れ上がるも“1円パチンコ”で問題先延ばし…「居場所」求めて続いたギャンブル依存
宮本雄二さんは社会人生活が始まると、以前にも増してギャンブルにのめり込んでいく。どのように回復の道へとつながったのか。
公開日:2024/09/01 01:45
大学時代に競馬にハマり、その後はパチンコにもハマっていった宮本雄二さん。社会人生活が始まると、次第に借金もするように…自助グループにどのようにしてつながったのか聞きました。
社会人になり借金も、自死が頭よぎることも
ーー大学時代にハマったギャンブルに社会人になってからも、のめり込み続けたのでしょうか。
基本的には大学時代からずっとギャンブルをやってはいた。ギャンブルにお金を突っ込みすぎて、次のバイトの給料日まではギャンブルを我慢する、なんてこともありました。
でも、働きはじめたら稼ぎも増えた。となると、自然とギャンブルに使うお金も増えていきました。しかも、社会人になると借金もできるようになる。
どんどんとハマった沼が深くなっていった、という感じです。
32歳から35歳にかけての2〜3年がギャンブルのピークでした。気付けば、借金は300万円くらいにまで膨れ上がっていました。
ーー借金のことは、当然ご家族にもバレてしまうわけですよね。
僕の場合は合計3回、借金が妻にバレているんです。特に3回目はどうすればバレないか、とにかく必死でした。
借金が200万円を超えたあたりからは、自分でも狂っているなと思い始めていました。自ら命を断つという選択肢も、何度も頭をよぎりました。もう死んだ方が楽なんじゃないかって。
最後の最後、借り入れの限度額もギリギリで、いよいよどうしようもなくなった時に、今でも不思議に思うのですが、僕は1円パチンコを打ちに行っていたんですよ。
毎晩毎晩、家には居場所がなくて帰れない。でも、負けた分を取り返そうとまた借金をして、すぐになくなってしまうのも怖い。なんとも言えない気持ちで、ひたすら問題を先延ばしにしていました。
最終的にはどれくらいの借り入れがあるのかも含め、全てを正直に打ち明けて土下座して、謝りました。妻が受けた心の傷やショックは相当なものだったと思います。
ただ、ギャンブルや借金のことを妻に打ち明けて謝ったタイミングでは、僕自身はまだそれほど苦しいと感じていなかったんです。むしろ、隠し事がなくなってスッキリとした気持ちで(笑)。
これでまたスタートラインに立ったから、もう一回ちゃんと稼いで借金を返していけば何とかなるだろうと思い込んでいました。そんな心理状態だったので、なんで妻はずっと不機嫌なんだろうと不思議に思っていた。
冷静に考えると、だいぶ認知が歪んでいますよね。あれだけ周りの人たちを傷つけていながら、もうギャンブルや借金のことはなかったことになっていたんです。
一度はGAに行くも「俺はまだ大丈夫」
ーー自助グループであるGA(Gamblers Anonymous)につながったのは、どのようなきっかけからだったのでしょうか。
借金のことを打ち明けてしばらく経った頃でした。妻が僕に「GAというのがあるらしいから、とにかく行ってほしい」と教えてくれたんです。
妻にギャンブルや借金のことを謝ってから、彼女がパソコンでずっと何かを調べていたことには気が付いていました。何かの記事で自助グループを知って、紹介してくれたのだと思います。
ただ、初めてGAに参加した時はたぶん自分としても底尽きを経験していない状態で、そこで話されている内容がほとんど入ってこなかったんです。
別に居心地が悪いわけではないのですが、「俺はまだ大丈夫だ」「俺より酷い人ばかりじゃないか」という感じで。30歳の頃に兄が自死してから2年間はパチンコをやめていた時期もあったので、別にパチンコに行かなければいいだけだろうって。
GAにはもう行かなくてもいいかな、と足が遠のいていきました。
ーー再びGAへと通い始めるまでには何があったのですか?
そうやってしばらく普通に生活している中で、どうしても気がかりだったのは妻の機嫌がずっと悪いということでした。なんでだろう、どうしたら許してくれるんだろうとずっと考えていたんです。
次第に家に帰りづらくなってしまって、もう仕事をするしかないかと。残業ばかりして、ワーカホリックになっていた時期もありました。
でも、そんな心理状態でどれだけ仕事をしても、上手くいくはずがない。当時は何人か部下を持つ管理職になっていたのですが、認知の歪んだ、人間としても薄っぺらい自分が上手くマネジメントできるはずもなく…あらゆる問題が一気に噴出したんです。
そんな時に居場所になっていたパチンコにも、もう行けない。「じゃあ、俺はどうすればいいんだ」とかなり悩みました。
以前GAに行ってから1年ほどが経っていたのですが、途中には引っ越しもしていたので、心機一転もう一度新しい環境でGAへと足を運んでみようと思ったんです。
どこにも居場所がない状態でGAへ行ってみると、ギャンブルをやめ続けていることをお祝いされている仲間がたくさんいて、なんだか羨ましかった。自分もお祝いされたいなと。
既にその時点でパチンコへ行かなくなってから1年が経過していたのですが、その場で「今日から俺も1からやり直します」と伝えて、新しい人生の一歩目を踏み出すことを決めました。
それまでとにかく周りに流され続けてきた人生でしたが、ようやく自分でスタートラインを決めることができた。もう流されて生きていくのも限界でした。
「どうやったら取り戻せる?」途方に暮れて愕然
ーーギャンブル依存から回復するまでで特にしんどいと感じていたのは、いつ頃のことだったのでしょうか。
一番しんどかったのは、ギャンブルでつくった借金がバレた直後ではなく、底を尽いて浮上しはじめた頃でした。
落ちていく過程では、自分の間違った行動でこんなことになっていると気付けないんです。だから、「俺は悪くない」って思っているんですよ。でも、底を尽くと、いよいよ自分を変えないといけないことや、現実を直視せざるを得ない。
「こんなことになってしまって、どうやったら取り戻せるの?」と途方に暮れてしまって、愕然とするんです。
僕の場合は借金もありましたが、何よりも妻や子ども、さらには職場の部下をどれだけ傷つけてきていたのかという事実に向き合うのが一番辛かったですね。
とにかく自分の言動を省みるのが辛いですし、嫌でした。
ーー先ほど自死という選択肢も考えたとおっしゃっていましたが、行動に移さずに済んだ背景には何があったのだと思いますか。
僕の場合は妻に全部吐き出すことができた。これが大きかったと思います。あそこで吐き出すことなく、徹底的に隠し通して、さらに嘘を重ねていたら…どうなっていたかは分かりません。
全てを打ち明けて、一度自分自身にブレーキをかけることができたのだと思います。
ーー宮本さんご自身は、なぜ自分がギャンブルにハマったのだと考えていますか?
たぶん、僕はずっと居場所がほしかったんですよね。我が家は「条件付きの居場所」で、無条件に受け入れてくれるような形ではなかった。
“いい子”にしていれば、受け入れてくれる。親も自分のことを愛してくれていたとは思いますが、やっぱり「条件付き」だった。
大学時代までは野球をやっていたんです。練習は嫌いでしたが、ピッチャーをやっていたこともあって、投げるのは楽しいし、試合で注目を集めるのが気持ちよくて。あとはバイトも時々バカみたいなことを仲間としながら、飲み歩いたり、楽しかった。
でも、社会人になって働き始めてから、こういった居場所がなくなっていったことも少なからず影響していたように思います。そんな中で、パチンコが自分にとって安心できる居場所になってしまっていた。
パチンコ屋へ行けば、誰にも邪魔されない。逆に言えばパチンコくらいしか、落ち着くことのできる場所はなかった。しかも、そこで遊んでいれば時々勝ってお金も手に入る。
常に勝つようなゲームだったら、とっくの昔に飽きてしまっていたと思います。時々勝てるからこそ、それがちょっとした希望で、パチンコ屋に足を運び続けていたのだと思います。
一生治らないからこそ、「一生仲間とつながり続ける」
ーー自助グループやそこにいる仲間たちとつながったことの意義については、どのように捉えていますか。
GAへ行って、ようやく生きる指針が見つかったという感覚です。この仲間たちの輪の中にいれば、安心してこの先も生きていけそうだなという。
それまでは、「とにかく自分は他の人たちよりはマシなんだ」と根拠のない自信を持っていた。自信過剰な一面がある一方で、別に自分で会社を起こすわけでもなければ、良い父親をやっていたわけでもない。
でも、GAの仲間たちと出会い、この先もこの仲間たちと一緒に進んでいけばいいんだと思えたんです。単なる安心感を超えて、自分にとっての道標を手にすることができました。仲間たちとつながってさえいれば、自分のギャンブル依存もこれ以上悪くなることはないと感じています。
ーー完治することはなくても、仲間たちと回復し続けることはできる。
はい。最初に「ギャンブル依存症は一生治りません」と言われた時は、絶望を感じましたよ。もう治らないなら、GAになんて行かなくてもいいんじゃないかって。
でも、違うんですよ。一生治らないからこそ、自助グループに一生通い続けて、仲間とつながり続けないといけない。
これってある意味、老後も安心だなと思えるようになってからは、一生付き合うことができる仲間を手にした喜びと安心感があります。
ずっと無条件に存在してもいいと肯定してもらえるという感覚がほしかった。だからこそ、仲間たちとのつながりはとても大切なものになっています。
コメント
すごく共感しました‼︎
私もギャンブラーの夫との生活に底をついて、ギャマノンに行って、別居して、自分に向き合わざるを得なくなったときが1番辛かった。
底をついた時よりも、自分の現実を見た時が苦しいというのは本当にそうだなと思いました。
そして私の共依存も一生治らないと聞いて絶望したけど、一生ものの居場所と仲間を得られたことに安心と幸せを感じました。
自助グループって本当に素晴らしいですよね。
私の息子もギャンブル依存症です。
多額の借金もあり、鬱症状、自殺企図もありました。
人格や人相まで変わってしまった時もあり、大切で可愛い息子が何故そんな事になったのか母親の私は悩み苦しみました。
今、私はギャマノンや家族の会に繋がり正しい対応を学び、息子のことは愛を持って手放し(タフラブ)、距離を保ち息子と接する事が出来ています。
しかし、息子も宮本さんのように底つき体験をした後の今が一番つらい思いをしているのかなと思うと胸が締め付けられます。
私は黙って息子を見守る事しか出来ませんが、息子の足を引っ張たり、追い詰めたりする事のないよう、ギャマノンや家族の会に繋がり続けたいです。
宮本さんのように回復し続けておられる方のお話は希望が持てます。
感動しました。人生の痛みやつらさ、楽しさや喜びを分かち合える仲間と出会えたなんて、本当にすばらしい。
私も、ときには友人に気持ちを打ち明けたいと思います。
お互い、人生に良きことがありますように。