「こころから寄り添わない大人」に絶望、ひきこもって過食に…トラウマ乗り越えたカウンセラー【前編】
カウンセラーとして10年活動し続けている藤原秀博さん。助けを求める人の声に耳を傾け、寄り添います。
そんな藤原さんは、子どものころに、こころに傷を負う出来事がありました。ひきこもりや摂食障害を経験し、ダイエットをやめられなくなって…。
公開日:2024/03/14 02:00
藤原秀博さん(46)の毎日は忙しい。会社員をしながらカウンセラーとして活動し、摂食障害に悩む人が集まる「依存症オンラインルームE」を運営する。
助けてーー。そんな声が聞こえてくれば、耳を傾ける。自助グループのミーティングに初めて訪れた人がいれば、放っておかない。
2023年2月に新型コロナウイルス感染症に罹患してからは、後遺症で思うように身体が動かなくなった。それでも「より弱い人の気持ちが分かるようになった。動ける範囲で、できることをしたい」と、SOSを出す人に寄り添い続ける。
そんな藤原さんには、誰にも助けてもらえず苦しんだ過去があった。(ライター・吉田緑)
中2で集団暴行に…サラリーマンが「素通り」
「ここは、子どものころに苦しかった記憶がある場所なんですよ」。藤原さんは、子ども時代を過ごした横須賀市内を歩きながら、こう言った。
「あの出来事」は、忘れもしない。中学2年の夏のことだ。
藤原さんは負けず嫌いで、学級委員を務める優等生だった。いじめられている人がいれば、率先して守った。「人をいじめて気持ちを発散する人たちが許せなかったから」だ。
ある日、「不良」の同級生数人に目をつけられ、人気のない場所に呼び出された。顔も名前も知らない他校の生徒や高校生など、約20人が鉄パイプや金属バットを持って待ち構えていた。集団にはかなわず、殴る蹴るなどの暴力を一方的に振るわれた。
暴行を受けていたとき、サラリーマンと思われる男性の姿が視界に入った。助けてくれるかもしれないーー。その期待は、一瞬で打ち砕かれた。男性は、まるで何も見えていないかのように、その場を素通りした。
身体の傷は治っても、こころの傷は回復しなかった。勇気を振り絞って登校しても、教科書を読む手の震えが止まらなかった。声を出そうとすれば、過呼吸が起きてしまう。そんな姿をみた同級生から、さらにいじめられるようになった。学級委員としてリーダーシップをとっていたかつての自分は消え、常に「すみっこ」にいる生徒になっていた。
教員も見て見ぬふりだった。「まるで、鬼ヶ島に行くような感覚」だった。「なぜ、大人は助けてくれないのだろう」。人を信じられなくなり、不登校になった。
ひきこもりがちに…体重128キロになる
両親に助けを求めることもできなかった。藤原さんの父親は銀行員、母親は専業主婦だった。外からみれば、恵まれている家庭の子どもにみえていたかもしれない。しかし、藤原さんは、常に孤独と居心地の悪さを感じていた。
「父は『男は外で働き、家族を養うのが当たり前』『働かざる者食うべからず』という考え方でした。母は働かせてもらえず、足も悪かったので、常に父の言いなりでした。浪費癖があり、隠れて借金もしていたので、後ろめたさもあったのだと思います」
父親が褒めてくれたのは、よい成績をとるなど、外からみえる評価を得たときだけだった。優等生の学級員をしていたのは、認められるためでもあった。
「学校に行かない」という選択をすることは、許されなかった。藤原さんが中学生だったころは「登校拒否」とよばれ、不良漫画が人気で「いじめられるほうが悪い」などと言われていた時代だ。口が裂けても「行きたくない」とは言えなかった。母親には「集団暴行を受けたことを父に言わないでほしい」と頼んでいた。
ギリギリの出席日数で中学を卒業後、高校に進学した。しかし、高校1年になると体調を崩し、メンタルクリニックに通院するようになった。当時の主治医に両親と離れて暮らすことを提案され、祖父母と暮らすようになった。
「一年留年しましたが、ギリギリ卒業できました。高校時代は、なんの思い出も青春もありません。『行かなければならない』と言われていたので、休みながらも登校していました。親にも相談できず、誰が自分の味方をしてくれるのか。何もいいことがない。と思いながら生きていました」
徐々に家にひきこもるようになり、福祉系の専門学校に進学するも20歳で中途退学した。児童福祉に興味があったが、課題をこなす気力はなく、学校にも行けなかった。祖父の介護を終えた後は、横浜市内でひとり暮らしするようになった。しかし、バイトを始めても続かず、すぐに辞めてしまう。
「外の世界に行けば傷つく。だから、安全な家の中で生きていこうと思いました。なんとか外に出ようとチャレンジしては、またひきこもる。家の中にいるときは、過食に走っていました。そんな生活が25歳まで続きました。体重は128キロまで増えました」
やめられなくなったダイエット
そんな藤原さんは26歳でひきこもり生活から脱却し、警備関係の会社の正社員になった。自分のためではなく、父親のためだった。
「稼いだお金で還暦祝いをしてあげたかったんです。毎朝早くから会社に行くために玄関を出ていく父の背中を見てきて、生活を支えてくれたことに対する尊敬の念と感謝の気持ちがありました。サラリーマンになれば恩返しもでき、喜んでくれると思いました」
給料でふぐ料理と4万円のブランド時計をプレゼントすると、父親は号泣した。ところが、目標を達成すると「なぜ、働き続けなければならないのか」と疑問を抱き始めた。会社の人間関係もうまくいかず、常に自分に自信がなかった。そんなときに、ふと思いついた。
「ダイエットをすれば、見た目がよくなって自信を持てるかもしれない」
まず取り組んだのは、食事制限だった。内容は「まるで修行僧」で、めかぶやもずくを摂取した。4ヶ月で体重は40キロ減ったが、おいしいものを口にすると止まらなくなった。「こんなに苦しい思いをして痩せたのに、太ってたまるか」と再びダイエットにのめりこんだ。
内容はどんどん過激になっていく。下剤を乱用したり、脂肪燃焼のために約18時間走ったりする日もあった。公園を走り続け、子どもたちに「黒い忍者だ」と言われていた。
「誰も見ていないのに、体重計や体型とにらめっこする日々でした。今は『なぜ、あんなことができたのだろう』と思いますが、当時はとにかく我慢!根性!と言い聞かせていました。ただ、つまらない人生だ。なんのために生きているんだろう。とは、思っていました」
通勤時間も無駄にしてはならないと思った。スーツの下にサウナスーツを着て、15キロのおもりをつけて会社に向かった。徐々に人が寄りつかなくなっていったが、その理由はわからなかった。上司に、あることばを言われるまではーー。
(続く)
▶「こころから寄り添わない大人」に絶望、ひきこもって過食に…トラウマ乗り越えたカウンセラー【後編】
【藤原秀博(ふじわら・ひでひろ)心理カウンセラー】
ボトルボイス所属カウンセラー(https://bottlevoice.net/sodan-yoyaku/list/301)。ASK認定依存症予防教育アドバイザー。NPO法人YーARAN(横浜依存症回復擁護ネットワーク)理事。ナルミーランド副理事長。あすぷろ実行委員。2021年、全国初の「ひきこもり人権宣言」を当事者団体で発表。翌年に弁護士や精神科医などと「ひきこもり報道ガイドライン」も発表する。神奈川県で複数の依存症回復施設の開設に携わり、各所で講義も行う。著書に『現代引きこもり生活学のすゝめ~覚醒の十二章~』(日本デジタル出版協会、2018年)。「依存症オンラインルーム【摂食障害】Room E」(https://www.ask.or.jp/adviser/online-room.html)を運営。
コメント
ヒデさんは自分の痛みを人を助ける力に変えて行ける強く優しい人なんだなと思います。
「稼いだお金で還暦祝いをしてあげたい。」という気持ち、お父様どれだけ嬉しかった事だろう。
そして、私は太って体力が落ちていて悩んでいたのですが、この記事を読んでヒデさんの体験に励まされ、「まるで修行僧」からヒントを貰い、体力作り・減量を始められました。
本当にありがとうございます。
「現代ひきこもり生活学のすすめ」も読みました。
改めて想像もできないほどこんなに大変な思いをされていたのですね。。
ご自身がとても理不尽で辛い経験をされ、それを乗り越えた強さを持った人。
だからこそ人の痛みがわかり、寄り添ってくれる人間力のある方です。
常に相談者側の立場にたって適切なアドバイスをしてくれます。
私も救われました。
次の記事も楽しみにしています!
命の恩人であるhideさんを取り上げてくださって本当に嬉しいです。マスコミ嫌いの先生が丸々取材に応じるなんて正直驚きました。取材する側と信頼関係があるからこそ読める貴重な記事ですね。摂食障害って閉鎖的でいつも一部でしか取り上げられないから、私にとっては今までで一番興味深い内容でした。続編が楽しみです。
上司にどんな言葉言われたのか すっごく気になる
早く続きが読みたいです