Addiction Report (アディクションレポート)

親父に別れる【8】自己破産させるしか手がなかった

ギャンブルで債務地獄に落ちた父へ、ついに「整理屋」が声をかけてきた。これでいよいよ、人間の終わりだ。整理屋への手数料をわたしに用意するよう、電話してきた父の話を聞き終わり、受話器を置いたわたしは、しかし、弁護士事務所へ電話をする。

親父に別れる【8】自己破産させるしか手がなかった
撮影・黒羽政士

公開日:2026/06/17 02:00

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親父に別れる

貧乏とは、ある欠乏をいうのではない。むしろ、べたべたと粘着質に、いつまでもくっついてくるものとしか思われない。わたしが育った実家は、テレビも風呂もエアコンもない家だったが、家族5人が一緒に寝た部屋はスカスカというのではなく、むしろ、雑多なごみと、へんにヌルヌルした空気に充満していた。

夏場、台所ではいつもナメクジが這っていた。流しの下では、夜、ネズミがうろちょろしていた。旧式のネズミとりを仕掛けていた。わたしが小学生のときだった。ドブネズミがひっかかっていた。父親が水に沈めようとしていたところ、初めて動くネズミを見たわたしは、「逃がしてあげよう」と言ったようだった。

ギャンブラーで、半分やくざな生活をしていた父だが、そのときは、なんだ男のくせに情けない、とは言わなかった。わたしを連れて、家の近くの東大駒場キャンパスに行き、ケージを開けてネズミを放した。「あとは、こいつの運だもんな」。そう、わたしに言った。

「蟻がかわいそうだね」

こんなこともあった。

小学校にあがる前のことだ。わたしは家の前で、洗面器に水を張り、近くでつかまえてきた蟻を数匹、落としていた。洗面器のなかで泳ぎ、縁を這い上がってきた蟻を、わたしは指ではじいて、また水に落とした。なんの意味もない。幼児は、残酷な遊びをするものだ。

そのとき父親が外から帰ってきた。わたしの行動をしばらく見ていた。年端もいかない幼児である。しかるでもなく、さとすでもない。「かわいそうだね」。ひとこと言って、向こうへ行ってしまった。

こんなことで、親父の、なにか内面を語ろうというのではない。いやいやながら、この長い連載を書かされて、そのつれづれに、思い出すままを書いたまでだ。

話を戻そう。ギャンブルと、たびかさなるサラ金からの借金とで、いよいよ立ちゆかなくなった父の前に、「整理屋」が現れた。これで、「運」の尽きである。もう、洗面器から這い上がるすべはなくなった。指ではじかれるだけである。

どうにも立ちゆかなくなった父は、折り合いの悪かったわたしにまで電話をかけてきた。整理屋へ払う手数料だけでいいから用意してくれないか、というのである。親父の話を聞き、わたしは、数百万の手数料を用意する代わりに、弁護士を立てて借財を整理する決心を固めた。

ギャンブルの借金に免責はない

闇金からの、法定外の高利を払う必要はない。弁護士費用や、債務の返済は、この際、すべてわたしが引き受ける。その条件として、わたしの決めたことに一切、口出しをしないでほしい――。あえて「自己破産」という言葉は使わず、そう父親に説明し、同意させた。父としても、同意するほか仕方がなかったであろう。もうどこにも、カネを借りられるあてはなかったのだ。

多重債務者と、それへの暴力的な取り立て、家族の悲劇は、当時、マスメディアも盛んに取り上げる大きな社会問題になっていた。父親にすべて書き上げさせたカネの貸し手は、武富士やアコムなど大手消費者金融の全社、名前も知らない中小のサラ金、おそらくはヤミであろう個人の名前まで、すべて十五者ほどだった。借財は、ここに書いてもにわかに信じられない額にふくれ上がっていた。

事業の失敗などで自己破産をした場合は、借金のかなりの部分が免責となる。総額の1割を返済すればよしとされていた。しかしギャンブルだけは例外だった。これは悪質な借金で、免責は認められない。

弁護士事務所で会った、まだ若手に属する弁護士は、新聞記者というわたしの職業、および、そのころからわたしが雑誌に書き始めていたアンダーグラウンド音楽などのサブカルチャー記事に、多少の興味を持ったようだった。わりあいと親身に相談に乗ってくれた。

わたしや兄や、伯父や叔母など親族からの借金は、すべて債権を放棄する。その他いくつかの条件をのむことで、1割とはいかないまでも、サラ金ほかから借りていた債務の大きな部分を免責とする和解に落とし込む戦術を、弁護士は提案した。そのほかに手はない。

親族は債権を放棄した

祖父も、母方の親戚も、兄も、もちろんわたしも、親族は債権をすべて放棄した。貸し倒れである。事情を説明しに、わたしが頭を下げて回った。もっとも、父の実兄で、わたしの伯父にあたる男は、債権放棄を最後まで拒んだ。親族は債権放棄するのが免責の条件だと説明しても、「おれは返してもらう」の一点張りだった。この男には、わたしが隠れて、個人的にカネを払った。裁判所には、この伯父も含め親族全員が債権放棄したように報告した。

まったくの余談になるが、この伯父は、祖父の死にあたり、かなりの高額であった渋谷の不動産など、遺産をすべて独り占めにする遺言書を、行政書士とはかって秘密裏に作った。少し認知症の入っていた祖父に飲ませていた。その理由が、「弟(わたしの父のこと)は、ギャンブルでの借金で家族に多大な迷惑をかけている。遺産を相続させる必要はない。取り立てがくるかもしれず、危ない」というものだった。

きさまに迷惑などかけていない。わたしが全額、払ったではないか。

いざというときに「悪人」になる

祖父は、意に沿わない遺言書を無理に伯父に作らされたことを、気に病んだらしい。いよいよ死期が迫ったことを知ると、長男である伯父ではなく、次男の父に、改めて遺言を残したいと告げた。父や母が住んでいる家と土地は、父の名義にして相続したい、という内容だった。

この場合、どうすればいいんだ――。父が、わたしに相談してきた。悪いことに、このとき、わたしは仕事でニューヨークに住んでいた。父からの相談を軽く受けとめ、ネットで遺言書の書式を調べ、あとは祖父にサインしてもらえと、FAXで送ったきりにした。とくに、フォローはしなかった。

ギャンブラーの父に法律の知識があるわけもない。署名や日付に、遺言書としては若干の瑕疵があった。その点を突かれ、祖父の死後、伯父(父の兄)は、すべての財産を独り占めした。

君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。                                                                                                        (夏目漱石『こころ』)

この男——父の兄でありわたしの伯父は、祖父の死後、数年もたつと、まだ父と母が住んでおり、名義だけは自分自身のものに書き換えていた、あばらや同然の家から、法律をたてに父母を立ち退かせようとした。このとき父は、伯父の家の前で「腹を切る」などと物騒なことを言っていたが、父はどうでも好きにするがいいさ、母親だけはわたしが守らなければならない。わたしは、また別の弁護士をたてて争い、それなりの〝戦果〟を得て示談させた。弁護士費用は、馬鹿にならないものだった。

「自己破産なんかしなくていい」

つい、話が前後した。

父を自己破産させるために、弁護士を立てて法的な手続きを進めている最中、父の様子が変わってきた。気乗りしない、非協力的な態度に出てきた。自己破産をすると、債務が一部免責されるその代償に、消費者金融などから今後は融資を受けられなくなる。カネを借りられないということに、どうやら気付いたようだった。

「自己破産なんか、しなくていいんじゃないか」。ふてくされた態度でわたしに漏らすようになってきた。つまり、ギャンブルも、借金も、やめる気などなかったのだ。

それから数カ月が過ぎた。自己破産の手続きはうまく進んだ。親族全員が債権放棄をした(とみせかけた)ことによって、消費者金融などからの借財は、それぞれの社に3割を支払うことで決着がついた。

弁護士費用も含めれば、それでも莫大な金額がかかった。新聞社の、そのころは比較的恵まれた生涯賃金を考えても、人生が「詰む」ような額だった。そんなカネ、とても工面できなかったが、それはまた、のちの話だ。

ただ、これでもう、おやじの借銭に苦しめられることはないという喜びの方がずっと大きかった。30年以上にわたる、家族全員を苦しめた、泥を飲むような経験、思い出すたびに内臓が苦しくなる記憶ともおさらばできる。安心して眠れる。

だが、そんな安心は、そう長続きしなかった。

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