親父に別れる【9】世界に大問題なんてありはしない
父のギャンブルでの借財に、家族は苦しみ抜いた。家を出て、自由になったつもりのわたしにも、黒い影は追ってきた。新聞社で働き始めていたわたしは、ほとんど強制するように、父を自己破産させた。これでもう、地獄も終わったはずだった。

公開日:2026/07/17 00:05
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親父に別れる親父を自己破産させた。弁護士と債権者との交渉で、巨額の債務は一部免責され、だいぶ減額できた。とはいえ、その額は、20代だったわたしが払える額では、とうていなかった。
当時、わたしを、助けてくれた人がいた。わたしを信じもし、また、頼りにもしていてくれた人であった。その援助がなければ、とても払えない金額であった。
その人の恩義に、わたしは、報いることができなかった。その人の心は、やがて、わたしたちが住む世界ではない、遠いところへと向かっていった。徐々に昏くなっていった。「わたし、もうじき、だめになる」。そう言って、泣いた。もう、戻ってくることはないだろう。だれのせいでもない。親父のせいでもない。わたしの罪である。いまも、悪夢で目覚めることがある。夢のことは、話したくない。
新しい貸し手を見つけていた
裁判所での手続きから1年ほど経ったある日、また父親から電話がかかってきた。さすがに少し、申し訳なさそうな声を出していた。借財の、まだ完済していないところがあるという。わたしは驚いて、職場から実家にかけつけた。母親を外させ、二人だけになれる部屋で向かい合った。
よく聞けば、借財が残っていたのではない。また新しい貸し手を見つけ、カネを借りていたのだった。自己破産をした者にカネを貸すサラ金があるのか? それは合法なのか? このときばかりは、わたしも度を失った。親父を問い詰める声がだんだんとせりあがった。立ち上がり、こぶしを固めた。手が、震えていた。最後は部屋の外にも響くような怒声になった。
それとは反対に、父親の方は物腰がますます冷静に、図太くなっていった。大柄な体で、どっかりとあぐらをかいていた。おれはこういう人間なんだ、という意味のことを、低い声で言った。
例の、財産をだまし取った強欲な伯父を始め、父の兄弟姉妹は、もともと父とはそりが合わなかった。我欲の肉親ばかりだった。そんななかで、父にカネを親切に貸してくれた親戚のAさんがいた。Aさんは、父の実姉の配偶者で、血縁関係はない。東京の郊外で自営業をしていた。なぜか父に親身だった。仕事を世話してくれたこともあった。自分にも、遊び人の過去があったのだろうか。
「親をかたわにしてこそ、一人前だ」
わたしはあとで知ったのだが、父は自己破産する前、どうにも首が回らなくなり、いよいよ強盗でもしなければ立ちゆかなくなったとき、Aさんは、三百万円というまとまったカネを父に貸してくれたのだという。
あんたもこれで気がすんだろう。耳をそろえて借金を返し、きれいな身になって、まじめに働きなさい。そんなことを言われたらしい。三百万円程度で父の借財を完済できるわけではない。当座の利子の支払い、しかもほんの一部だったのだろう。さすがに父も、恥ずかしくて、借金の全貌は言えなかったらしい。そのときの父は、両手を前について、涙の一つも流す小芝居をしてみせたに違いない。そういう男だった。
そのカネ、三百万をもって、父は競輪場へ直行した。
「おれはな、おれはAさんにもらったカネを握って、その足で競輪場へ行ったんだ。おれはそういう人間なんだ」。立ち上がって震えているわたしを見上げて、そう言った。その開き直りは、堂に入っていた。まるで歌舞伎の一場面だった。
かたわにしてみろ。親をかたわにしてこそ、おまえも一人前の男だ。
そうも言った。もしもこのとき、なにかのはずみで、立ち上がっていたわたしの手や足の一部が、どっかりあぐらをかいた父にぶつかってしまったなら……。いまでも、恐ろしく思い出すことが、ある。殴った、蹴ったと、われも思い、彼も勘違いしたことだろう。大声の罵りがさらにエスカレートしただろう。もう、止めることはできない。振り上げたこぶしの、蹴り上げた足の、おろしどころがない。かっこうがつかない。そう思ってしまったろう自分を、容易に想像できる。
自分のしていることが分からない
そして、かつて刃物を手にして父がカネ貸しで暴れ、警察に逮捕されて新聞に載った、その修羅場も、ちょっとしたはずみからのことだったのではなかろうか。自分の意志というより、手に持った凶器のおさめどころを失った。だれも止めてくれなかった。意志というなら、それは運命の意志だったろう。
そんなことを、さめて考えていた自分を、いまでもよく覚えている。
「この場面、どこかで見たことがある」。そうも思った。学生時代から好んで読んでいるドストエフスキーの長編小説は、こうした、運命の意志に抗うことのできない、日々の生活に抗う力を削られた弱き人間を描いてきたものではなかったか。自分の意志と、自分の言っていること、やっていることのあいだに、絶望的な乖離がある。自分のしていることが、自分では分からないのだ。
得ようとしてできなかった「才能」
馬鹿馬鹿しくもあった。
徳俵に足がかかっていたのはとっくの昔、もう土俵は割っているのに、それでもまだ勝負は続いていると思い込んでいるのは自分だけ。開き直りという語感からくる明るさは少しもなく、もうおれは終わりだと痛いほど知っていながら、心胆の底がぞくぞくするような、落ちていく速度が増していく感覚を、快く感じてしまう。
この男は、気がふれているのだ。
また、「うらやましい」というと語感が違うが、ある種の羨望、自分の持っていないものをもつ男に対する複雑な心もちになったことも、認めなければならないだろう。常軌を逸した狂気。それは、もの書きとしてのわたしが長年欲してきたものの、得ようとしてついに自分の手にできなかった「才能」ではなかったか。
そのころ三十代に入ろうとしていたわたしは、新聞記者として、雑誌のライターとして、また初めて単行本を出版する音楽評論家の駆け出しとして、自分の書くものはそれなりに評価されてきたように思う。原稿執筆の依頼も、すでにして大量にあった。
しかし、満足にはほど遠かった。新聞社を離れ、一人の作家になれるとしたところで、このままでは、一流の書き手といわれるにはどこか非常に微妙な点で欠けるところがあるのではないか。
この男にはあって、自分にはない
その欠けている点こそ、まさしく「狂気」なのだ。追い詰められ、どこにも逃げ場はないのに、大あぐらをかき、開き直り、助けてくれた息子に向かって捨て台詞を、粋な啖呵を切っている憎々しげな大男。この男にあって、自分にないもの。狂気こそ、わが文章に決定的に欠けているのではないか、と。
これでおしまい、これから先はどん詰まりで行き場がない、そういうところまで行ったことが、じっさい、わたしにはなかった。世間から見ればそれなりの悪所に、引き込まれそうな誘惑も、あるにはあった。だが、いつもすんでの地点で引き返してきた。
それは、この親父のせいではないか。「こんな男にはなりたくない」というのは、間違ってはいないが正確でもなく、「自分はこんな男にはなれない、なる度胸がない」という、いわば弱気の虫が、自分の性情のほとんどすべてだった。
胃が痛くなる空腹
親父は、戦争中でも飢えた経験がなかった。戦後は、商売が成功して忙しくしていた祖父からカネをくすね、子分たちを引き連れ渋谷の繁華街で遊んでいた。盗んだカネは、どこか秘密の隠れ家の、土中に埋めていたのだという。
わたしはといえば、子供のころからたいてい飢えていた。腹をすかせていた。野球やプールで遊んだ夕方の帰り道、友人がジュースやら屋台の焼き鳥やらアメリカンドッグやらを買い食いしているのを、そちらを見ないようにして、待った。空腹で胃が痛くなるような感触と、友人がこちらを不思議そうに見る目の、悪気はないだろうが子供らしい無知の暴力とを、いまでもありありと思い出すことができる。カネがないための空腹、そこから逃げるのだけが、自分の人生のすべてだった。幼少時のみじめさは、変にねじけて、すべて世界を反感で睨み返す、いじけた性情になって、わたしに刻印されていた。
いま、親父は、平気な顔で大あぐらをかき、わたしに対している。問題なんか、まるでないかのように。
わたしとは、いったい何者か
そして、親父の言うとおりなのかもしれない。じっさい、大問題なんてのはありはしない。一人の男が生きて、年をとって、病気で死ぬか、行き倒れるか。借金を払えずやくざにとっつかまって海に沈められるか。どっちにしたって、死には違いがない。死は、死だ。生まれるということと死ぬということを素直に受け入れてしまえば、世界に大問題なんてありはしない。
Aさんに助けてもらった300万円を握りしめ、その足で競輪場へ向かったって? 「さすがおれの親父だよ。そうこなくっちゃ」。なぜそう応えられない? 自分が、情けない。おれよりも、ここで大あぐらをかいている親父の方が、よほど作家に向いている。
わたしとは、いったい何者か。
いじけて、みじめで、いつも大人の顔色をうかがっている子供だった。成人してもけちな会社のいす一つをわが全財産と心得て、わずかばかりの給金と節季節季のボーナスが頼みの綱で、肝っ玉は白ちゃけた百合の花、生涯穴あきの靴下野郎。薄っぺらで物ほしげなつらつきで、大口開けて他人のおこぼれ待ちの乞食根性。せめてごろつきや無頼漢にでもなってくれればまだしもだった、けちなシャバ僧、かたぎの小市民ではなかったか。
縦縞スーツの男たち
大あぐらをかく親父を残し、わたしは部屋を出て行った。その足で、父が借りていたという闇金へ、残りの借財を返しに行った。
新聞記者である身分を告げ、名詞を押しつけて渡し、うちの父は自己破産をしている、自己破産をしている人間にカネを貸すことが、金融業であるおたくの、社内規則に則っているのかと、厳しい声で問うた。
カウンターには、わたしと、泣きそうな顔をして、もうすぐにも死にそうな、影の薄い貧相な中年男の、客は2人だけであった。応対に出た若い男は、ここでは話もできないので応接室へ、と言った。長髪のパーマで、濃紺の縦縞スーツを着ていた。奥には、短髪のパンチパーマで灰色の縦縞スーツを着た、大柄な男が座っていた。鋭い声を上げるわたしの顔を、ちらりと見て、また机上の書類へ目を落とした。
「こういう世界もあるんだぜ」
部屋へ入る必要などない、おたくの社内規則を聞いている、自己破産をしている人間に、カネを貸す業者があるか。再び声を荒らげるわたしに向かって、若い男は「法律違反では、ないですよね」。低い、ドスのきいた声で返した。そういうおたくは、どういうご関係? 免許証を見せてもらいましょうか、コピーを取らせてもらいますと、続けた。契約書はあるんですよ……。
父の自己破産で、債務はいちぶ免責された。しかし、自己破産にも免責にも、二度目はない。だからこそ、まともなサラ金業者は自己破産者にカネを貸さない。そんなことは承知の上で、破産者にカネを貸す業者がこいつらだ。カネを返すあてのないところから、高利付きでカネを取りもどす「すべ」を、知っているのだろう。その「すべ」については、知りたくもない。
もともと争うつもりではなかった。百万円ほどのカネは用意してきた。ひとことやりこめたかっただけだった。無言でカネを払い、無言で領収書をもぎ取り、無言で事務所を出ていこうとしたとき、若い男が少し声を高め、「こういう世界もあるんだぜ」、わたしの新聞社の名刺を四つに切って、灰皿に捨てた。座っていた大柄なパンチパーマと2人、凄まじい形相でわたしをにらんだ。
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