Addiction Report (アディクションレポート)

文章は過去を変えられる 親父に別れる【1】

名文家として知られ、作家、評論家、新聞記者、百姓、猟師と様々な顔を持つ近藤康太郎さん。亡き父はギャンブル依存症で、家族として散々迷惑をかけられ、傷つけられてきました。自身の過去を救済すべく、連載「親父に別れる」、書き始めます。

文章は過去を変えられる 親父に別れる【1】
近藤康太郎さん

公開日:2025/11/17 02:30

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親父に別れる

いいものがあるから、起きてごらん。

夜中、母にそう揺り起こされたのだと思う。手を引き、連れられたのは、裏玄関の小さなとびらを出てすぐ外にある、水道口だった。シンクにはバケツが置いてあり、なかに大きな魚が一尾——フナなのか、コイだったか——が、泳いでいた。小さな街灯に照らされ、上付きの目が、水の中でゆがんでいた。

わたしの場合、おそらくこれが、世界に生まれ出た最初の記憶だと思う。3歳だったろうか。3人兄弟のうち、わたしだけを起こし、父が釣ってきた魚を見せてくれた。わたしを抱き上げ、バケツの中身をのぞかせたのは、母だったか。父は背後で笑っていたような気がする。覚えていない。暗闇の、甘やかな記憶。この原稿を依頼されるまで、忘れていた。

親父に、別れる。

そういう予感がする。気が進まないテーマを引き受け、嫌々ながらも、いま、書き始めているのは、そのための儀式なんだろう。

わたしの実父は、おそらくギャンブル依存症であった。おそらくというのは、医者にかかって診断されたことがないから。その前に、破滅した。わたしを含め家族は、塗炭の苦しみをなめた。

とりわけわたしは、金銭的なあと始末に走り回り、裁判にも忙殺された。家族のなかで、父ともっとも険悪な関係であり、かつ、もっとも密接に父の〝病気〟に付き合った。父を、殺す。殺してしまうのではないか。そんな修羅場にも立った。

その話を、書く。

父が生まれたのは1938(昭和13)年。祖父は、成功した商売人だった。戦前、まだ田舎町だった東京・渋谷で佃煮屋を始め、どうやらそれが繁盛した。父は、6人兄弟の5番目であった。大家族で、母や姉たちに甘やかされて育ったらしい。

「カネに困ったことはない」悪童時代

前述したように、家族の中でも、わたしと父はもっとも折り合いが悪かった。憎み合っていた。だから、父から少年・青年期の話を親しく聞いた記憶はない。それでも、母や親戚から漏れ聞くことはあった。

戦前生まれの父だが、ぎりぎりで学童疎開は免れ、渋谷の実家を離れて暮らすことはなかった。そのころの渋谷は大規模な空襲被害も免れた。あちこちに畑も残っていた。後年の父がジャガイモの味噌汁などをひどく嫌っていたのは、おそらくそのころの食糧事情のせいだろう。だが、食うに困っていた、という話は聞いたことがない。

終戦時に中学生になった。近所の悪童たちのあいだで、ガキ大将的な振る舞いに出ていたようである。当時としては体格が大きく、水泳や野球、卓球などのスポーツも得意だったらしい。また、実家が商売に成功した家だった。遊ぶ金に困ると、現金商売の店にあった、売上金を入れた吊るしザルから金をわしづかみにして出ていった。祖父母の目を盗んでの〝犯行〟だが、足が着かないよう、残ったカネはそのころは至るところにあった空き地、自分だけの秘密の場所に埋めていたらしい。

「カネに困ったことはなかった」。親父の口から、これは聞いたことがある。得意そうな、含み笑いであった。

その軍資金で、近所の悪たれどもを引き連れ、渋谷の盛り場で遊んでいたらしい。わたしにも、記憶がある。戦後すぐから昭和40年ごろまで、渋谷は、まだ路面電車が走っていて、新宿よりずっとのどかな田舎だった。法政大学出身で一世を風貌した安藤昇とその一味、若き愚連隊たちが台頭し、組を解散した時代であった。

そうした町の空気を吸って、ビリヤード場や酒場で父親も遊んだ。若僧のくせに、任侠映画から出てきたような細身の黒スーツ、細身のネクタイでいきがっている父の写真を、見たことがある。悪い筋との付き合いも、おそらくはこのころ、中学・高校時代からだったと思う。

繁盛した実家の佃煮屋には、手伝いとしてわたしの母が働いていた。店の手伝いもすれば、家族のおさんどん、掃除、洗濯もする、いわゆる下女である。

母は、新潟の雪深い田舎町出身で、戦後すぐの農地解放で零落した地主の長女だった。庶子であった。中学を卒業して、口減らしで市中の八百屋に住み込み奉公に出された。めぐりめぐって、渋谷の佃煮屋に流れてきたのである。

父の父(わたしにとっての祖父)、父の兄(同じく伯父)が、母を殴っているのを見たことがある。そういう扱いだった。わたしが、幼児の記憶である。高校生にでもなっていれば、2人とも、ただではすまさない。

テレビは近所の長屋で見ていた

わたしの兄は、父母が24歳のときの長男、25歳のときに生まれたわたしが次男、2年遅れて、弟が生まれた。結婚したのは、ある夜、父さんが酔っ払って家に帰ってきて云々と、母がそこまで話して口ごもっていたのは覚えている。いまで言えばできちゃった婚だったのだろう。

祖父のカネで、小さな店を持たせてもらった。雀荘であった。当時はまだ麻雀も盛んで、家の近くに大学が2つあったことから、店には客もそれなりに来ていた。その雀荘と、6畳の畳部屋、3畳ほどの台所。和式のトイレ。それが、わが家のすべてだった。風呂はない。温水器もない。エアコンなど、あるわけがない。

親子5人が6畳間で寝た。テレビもなかったから、当時はやっていた「あしたのジョー」や「タイガーマスク」など、どうしてもみたいテレビ番組は、近所の知り合いの家へ行き――そこだって貧しい三軒長屋だったのだが――兄弟3人、端っこで見ていた。

祖父にカネを出してもらった雀荘だったが、何年続いたろうか。それなりに客は来ていたようだが、当の主人である父が、客を相手に牌を切っていた。もちろん、賭け麻雀だ。そのころは全自動卓などあるわけはなく、ゲームが終わるごとに手で牌をかき回す麻雀卓である。父は盲牌もできたようだった。

「『麻雀は運だ』なんていうやつは、カモ」

かつて、そううそぶいていたのを聞いたことがある。子供の前で賭け事の話をすることはほとんどなかったから、ほろ酔い加減だったのだろう。自分の雀荘に来る客も、ある程度までは「カモ」にしていたに違いない。

そんな店が長続きするとも思えない。また、近所の派出所の巡査も、なぜかわが家にだけ執拗に、風俗営業の取り締まりで見回りに来た。夜、営業終了するようにたびたび注意する。1区画も離れていない雀荘には、なぜ注意に行かないのか。店を手伝っていた母と警官は何度も口論になっていた。「あそこは管轄区域が違う」とかなんとか、ポリスは言っていた。父親が、目をつけられていたのかもしれない。

大学のひとつが移転することになり、ほどなく店は閉めざるを得なくなった。父はタクシーの運転免許を取り、乗務員として働き始めた。まだ小学生低学年のころ、兄弟3人を後部座席に乗せて近所を走ったのは、父と遊んだ数少ない思い出だ。メーターを倒さないで走っているので、もちろん就業規則に反している。同じ会社のタクシーにすれ違うと、父が「隠れろ」という。男の子3人は喜んで後部座席の足元に身を縮める。スリルが楽しかった。

わずかに思い出すそんな場面は例外的に平和なもので、あとの思い出は鈍色にくすんだ、苦いものでしかない。夜のいつごろ戻ったのか知れない父が、朝、会社に電話をかけている。苦しそうな声を出して「すんません、風邪を引いたみたいで……」といいわけを並べ、また寝床に戻る。

夜を徹した賭け事であったのだろう。

書くことが救いになった

このころ、「ギャンブル依存」という概念は、まだ世間で一般的ではなかった。ギャンブル依存を認めないまま、父は出口のないらせん階段を下降していき、借金を積み重ね、事件を起こし、家族に暴力を振るった。わたしたち家族は、あるいは息を潜めて生き、あるいは不良になって警察のご厄介になり、それぞれが必死に、世界とつながる糸にしがみついて来た。

わたしはといえば、文章を書くことが食う手段になった。やがて、書くことがsalvationに、救いにもなっていった。『三行で撃つ』や『百冊で耕す』など、幸いに好評を得た書籍で、父のことを少しずつ書いてきた。それが編集者の目にとまり、こうして、父とわたしの人生をまとめて書くはめになっている。

文章を書くことは、過去も変えられる。

かつてわたしは、自著(『三行で撃つ』)にそう書いた。ほんとうだろうか。いやいやながらこうして文章をたたき出しているのは、自分のかつて書いた文章が有効であるかを、確かめたいからでもある。

書くことで、過去を救済したい。

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